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2026年9月15日火曜日

映画「ブルータリスト」

 Brutalist

去年のアカデミー賞を受賞したが、劇場での公開があっという間に終わってしまったため、見逃していた「ブルータリスト」が NETFLIX で始まり、やっと見ることができた。ハンガリーのユダヤ人建築家が、ホロコーストを逃れて、アメリカへ亡命する。建築や家具のデザインをするが、そのアメリカンドリームの成功と挫折を描いている。

戦後、コンクリート打ちっぱなしの無骨なデザインの「ブルータニズム」の建築が流行ったが、そういう建築家は「ブルータリスト」と呼ばれた。主人公もその一人で、題名はそこからきている。

主人公は実在した人物ではなく、特定のモデルはいない。しかし、戦前にバウハウスで建築を教えていたユダヤ人で、アメリカへ亡命したマルセル・ブロイヤーがモデルに近いのではないかと思う。登場する作品は架空のものだが、バウハウスのデザイン思想に沿っている。たとえば、主人公が読書用椅子のデザインをするが、マルセル・ブロイヤーが始めたパイプ家具の考え方を踏襲している。

映画の最後に主人公の設計した教会が出てくる。これも実際にはない架空の建物だが、礼拝堂のデザインがコンクリート打ちっぱなしの飾り気のない、まさに「ブルータリズム」の建築だ。人間を圧迫するように取り囲んでいるのは強制収容所の壁であり、天窓から差し込む光は、救いを求めて祈る神の存在を象徴している。

この空間の天井の中央に十字架の形をした隙間がある。ここから差し込む太陽の光が床に当たって十字架を形作る。

この光の十字架は、同じくブルータリストの安藤忠雄の教会(大阪府茨木市のキリスト教会)のデザインを思わせるが、監督は、安藤忠雄からインスピレーションを受けたと言っている。

安藤忠雄の「光の教会」


2026年7月7日火曜日

国会議事堂の建築デザイン

 The architecture of National Parliament Building

江戸東京博物館で開催中の、特別展「洋館  明治の夢と挑戦」が面白そうだ。江戸から明治に転換して、東京の中心地に、近代国家としての威信を懸けた建築が建てられていった。国会議事堂、裁判所、国立銀行、駅舎などの建造物が次々に建てられていく。それらはヨーロッパの伝統的建築様式のスタイルを模していた。


これは同展に展示されている国会議事堂の建築パースで、ドイツの建築家 エンデ & ベックマン の設計だという。壮麗なドイツ・バロック様式の建築だ。当時の外務大臣の井上馨が進めていた、東京をパリ並みの近代都市にしようとする都市計画「官庁集中計画」の一環としてデザインされた。しかし井上馨が辞任してしまって、実現せずに終わった。



それでは、現在の国会議事堂は、どういう経緯で誰がデザインしたのか、調べてみた。1918年(大正 7年)に設計コンペが行われ、下図のデザインが 1等に選ばれた。渡辺福三という国の技官だった人の案だったという。これはてっぺんがドーム型で、上図と共通する伝統様式の影響を受けたデザインだ。


しかしこの案はそのままでは作られず、他の政府技官が修正を加えて、現在の最終形になったそうだ。ドーム型でなく、階段状のピラミッド型に変わっている。ファサードの列柱も少なくなり、原案とは違うほとんど別案になっている。この時代はアール・デコ全盛の時代だから、その影響を強く受けて、上図よりも近代的なデザインになっている。


2026年6月1日月曜日

グロピウスが日本建築から受けた影響

 Walter Gropius

60 年くらい前、「日本美術史」か何かの授業の一環で、京都の桂離宮を見学したことがあった。桂離宮は研究目的でしか見学を許されないので、貴重な体験だった。当時からすでに、桂離宮をはじめとする日本の伝統建築の”近代性”が世界的に評価されていた。

最近「ドイツにおける日本像」という本を読んでいたら、グロピウスが日本の伝統建築から受けた大きな影響についてかなり詳しく解説している。それによると、すでに1920年代から欧米では日本建築について多くの研究書が出版されていたので、グロピウスはその写真をもとに、桂離宮や東大寺の法華堂などのスケッチをしていた。その結果が自身の建築設計に生かされ、バウハウスの教育にも反映された。

グロピウスが日本建築から影響を受けて設計した例が「ゾンマーフェルト邸」という個人住宅で、正倉院からヒントを得ている。正倉院は角材を重ねて造られており、その角材のくさび形の末端は互いに直角に交わって、外側に突き出ている。このゾンマーフェルト邸はその正倉院の構造と類似している。四隅で横木の先端が交差する構造、広く張り出した寄棟屋根、などの点だ。

グロピウスが日本建築の最も需要な特徴として挙げているのは「規格化」だ。畳は 180cm × 90cm という人間が寝た時の寸法という人間的尺度が基準になっていて、その畳の寸法の倍数で何畳という部屋の大きさが規定されている。障子や襖の寸法も畳のサイズで規格化されているから、現場で現物合わせしながら造る必要がない。外で作ったものを持ってきてきてもそのままピタリとはまる。

これは「モジュール」の考え方で、西洋の建築が20 世紀になってやっと到達したことを日本では何百年も前から普通にやっていたことにグロピウスは驚嘆している。欧米では近代になって、住宅建築を工業化してプレファブリケーションが可能な「2バイ4」などが行われるようになったが、それは日本では大昔からやっていたというわけだ。

もうひとつグロピウスが重視していたのは、内部と外部の空間を融合する「障子」だった。グロピウスがバウハウスの校舎を設計した時、大きなガラス窓に細い鉄の格子をはめた。それによってできる格子模様の横長の長方形は日本の障子と同じプロポーションだった。


2026年4月11日土曜日

17 世紀の遠近法の教科書 「PERSPECTIVE」

「 PERSPECTIVE」

17 世紀オランダのフェルメールが室内画で遠近法を確立したが、同じ頃、デ・フリースという画家が建築画で遠近法を確立した。下はその作品で、実在しない架空の建築を想像で描いる。



そのデ・フリースは、「PERSPECTIVE」という遠近法の教科書を出版した。建築や都市景観の作例が、一ページに一枚ずつ示されている。それぞれは消失点の位置を変えたり、視点の高さを変えたりすると、景観がどう変わるかをいろいろなケースで示している。文章による説明はない。この本は、遠近法のサンプル帳として、当時の画家たちが便利に使っていた。
(この本の復刻版をAmazon で入手可能)


1点透視と2点透視の比較

見上げたビューと見下ろしたビューの比較

人物が描かれていて、消失点と地平線とアイレベルの関係を示している

広い都市空間


2026年3月31日火曜日

妹島和世の建築

 Kazuyo Sejima、 Architect

妹島和世が、日本芸術院賞を受賞したという報道(3 / 27)があった。すでに国内外からノーベル賞級の賞を受賞しているから、今さらという感じがするが。

妹島和世の建築は好きなので、あちこち見てきたが、いちばん身近にあるのが、横浜市の「大倉山の集合住宅」で、見学に行ったことがある。4住戸だけのこじんまりとした集合住宅で、曲線を多用した造形がユニークだ。各住戸には小さな中庭があり、それらが細い路地でつながっている。プライベート空間とパブリック空間が融合していて、集合住宅の新しいコンセプトを提案している。また外部の人間も道路から入って通り抜けることもできるが、住戸のプライバシーが守られているうまい設計になっている。


2026年3月12日木曜日

美術館建築

Museum Architectsre 

美術館建築といえば、やはりニューヨークのグッケンハイム美術館が NO. 1 だと思う。近現代美術を年代順に一つの流れとして見せるために、展示室を区切ることなく、螺旋状のスロープに沿って作品が展示されている。外観もその構造をそのまま生かした形になっている。展示内容と、見せ方と、外観の3つがピッタリ合致している。



日本の美術館でよくあるのが、ただ目立てばいいだけの奇をてらったデザインだ。千葉市にある「ホキ美術館」はその典型で、宙に浮いた四角い筒のデザインは展示内容と何ら関係がない。


東京墨田区にある「北齋美術館」は、アルミパネルを貼ったピカピカの超現代的デザインで、造形的には素晴らしい。さすが世界的建築家の妹島和世だ。しかし展示内容は北齋の浮世絵で、まわりは下町的な住宅街で、ミスマッチ感がある。もちろんそれは承知の上で意図的にやっているのだろうが。



「国立新美術館」は、収蔵作品は何もない、ただの公募展用の貸し画廊だ。国際基準では「美術館」(Museum)ではない。内部は四角い展示室が並んでいるだけだが、表面には内部構造と関係がない、表面を飾るだけの巨大なガラスが覆っている。芝居の書き割りのような建築だ。



優れたデザインの美術館としては、「金沢 21 世紀美術館」がある。これも妹島和世の設計による。厚い壁に覆われて薄暗い美術館の普通のイメージと違って、すべてがガラス張りになっている。展示室もガラス張りで通路から中が見える。自然環境にもオープンで、市民に対してもデザインは、従来の美術館の概念を覆している。



瀬戸内海の直島にある「地中美術館」は安藤忠雄の設計で、島の美しい風景を壊さないように地中に埋まっている。安藤らしいコンクリート打ちっぱなしの力強い造形で、建築自体がひとつの作品になっている。ところどころに空が見える天窓のような部分があり、時間とともに太陽の光と影が変化していく。自然と建築との一体感を感じさせる。



2026年3月7日土曜日

直島の「李禹煥美術館」

Lee Fan Museum 

前回「美術が建築に近づくとき 10 選」について書いた。美術館のように、ただ美術の展示場としての建築ではなく、建築と密接な関係で結びついている美術作品を取り上げていた。そこではあがっていなかったが、瀬戸内海の直島の「李禹煥美術館」も10 選に入ってもよかったのではないかと思っている。

直島はアートの島として有名だが、ちょうど 10 年前に訪れたことがある。「李禹煥美術館」は安藤忠雄の設計の建築と、李禹煥の現代アートの作品が、美術が建築に「近づく」どころではなく、一体化している。

この建築は半分地下に埋まっている。コンクリート打ち放なしの壁に囲まれたくぼみの空間に李禹煥の作品が置かれている。作品は自然石を削ったもので、建築は、そこに当たる光と影を計算しつくしている。


なおアートの島の直島には他にも「地中美術館」「ベネッセハウスミュージアム」「直島新美術館」などがあり、いずれも安藤忠雄の設計で、自然と建築と美術が融合した見事な美術館だ。また普通の小さな民家をギャラリーにした「家プロジェクト」もある。


2026年2月19日木曜日

軸測投影

Isometric Drawing

日本絵画では透視図法(いわゆる遠近法)は発達せず、「軸測投影」が使われた。対象が消失点に向かって小さくなっていくように描かず、平行なものは平行のまま描く図法だ。だから縦、横、高さの比率が変わらない。下図は、西本願寺の「慕帰絵巻」の例。


「軸測投影」は見た目の自然な見え方とは異なるが、物のプロポーションが正確に表現できる。斜めから見ているのに、上面図・側面図などで表す3面図的な幾何学的正確さがある。だから建築図として使われることがある。

日経新聞の「美術が建築に近づくとき 10 選」という連載コラム記事(2 / 18)に、こんな例が紹介されていた。「デ・スティル」の建築家ドゥースブルフの建築図で、壁や床がパーツごとに分解されて「軸測投影」で描かれている。工業デザインでも「構造分解図」として使われている図法だ。


2025年12月30日火曜日

「かたちと人類」

 Homo Sapiens with Forms

「かたちと人類」という本が出たので、タイトルにひかれて買った。さまざまなキーワードごとに、絵画やデザインや建築などの「かたち」を収録している。帯にある「5万年の歴史と未来を描く」というほどには内容は深くないが、網羅的なので事典的に使うには便利だ。

一例として「権威の軸」という項目の概要を簡単に紹介する。

古代エジプトのレリーフでは、シンメトリーの構図が多く、中心に権威ある王がいて、両側に従者などを配している。そこには「中心軸」の概念があり、それが、権力者の権威・威厳を表した。

この権力の象徴としての「中心軸」の強調が現代でも行われている。パリの街がその例だ。19 世紀のパリでは、暴動が頻繁に起きていたが、路地が迷路のように張り巡らされ、軍隊が鎮圧しづらい。そこでナポレオン三世は、パリの大改造を命じた。それでルーブル美術館と凱旋門の間を結ぶ広い直線道路ができた。現在のパリの姿は、もともとはナポレオンの権威の象徴だった。新しく建てられた新凱旋門もこの「中心軸」上にある。

権威の象徴としての一直線の中心軸にこだわったのがヒトラーの総督官邸だった。外国との首脳会談を総統室で行うが、ドイツ代表と外国代表は向かい合って座るが、ヒトラーだけはドイツ側には座らず、中央の司会席に座る。部屋自体が威圧するようなシンメトリーだが、その中心軸に座って、権力の上下関係を認識させるねらいだった。実際ヒトラーは、ヨーロッパの小国首脳をこの部屋に呼びつけて脅迫し、ドイツに従属させた。

同書は、もうひとつナチス党大会の記録映画「意志の勝利」の例をあげている。広場の両サイドには兵士の群れが整列して、中央に直線道をかたち作り、そこをヒトラーと幹部の3人が歩く。この荘重な儀式の映像を撮ったのが有名な女性監督のリーフェンシュタールだ。このシーンを完璧なシンメトリー構図で撮影し、「総統道」と呼ばれた中央一直線の「中心軸」でヒトラーの権力を強調している。

そしてこの映像を引用したのが「スターウォーズ  エピソード4」のラストシーンだった。両側に整列した兵士のあいだの一直線の道を3人のヒーローが歩いて、レイア姫の顕彰を受けるシーンだ。上の映像では3本のハーケンクロイツの垂れ幕が正面に掲げられているが、こちらではその代わりに5本のサーチライトが光っている。サーチライトも、ヒトラーのお抱え建築家のシュペーアが権力の象徴としてよく使った手法だ。

2025年8月29日金曜日

ヒトラーのプロパガンダ建築

 Propaganda Architecture

前回書いた日経新聞の連載コラム「プロパガンダの威力 10 選」の9回目で「クレメンス・クロッツ設計『プローラ』」という建築が取り上げられていた。ドイツの島にある一般労働者のための保養施設で、最大2万人が宿泊できる巨大施設だったそうだ。

ヒトラーは政権を握ると、産業の近代化をはかり、大恐慌以来あふれていた失業者をゼロにし、労働者の所得を大幅に増やした。そして労働者を優遇する社会保障政策を推し進めた。子育て世代の育児支援、8時間労働と住職接近、新婚者の新築住宅の税金免除、福利厚生施設の拡充、などで、ドイツは福祉大国になった。(池内 紀 著「ヒトラーの時代」による)

その福利厚生の一つとして、労働者が誰でも休日に旅行ができるようにする政策を強力に進めていた。安く泊まれるリゾート地の開発や、誰でも旅行ができるための安い国民車(フォルクスワーゲン)の提供などは有名だ。おそらくこの施設もその一貫として建てられたのだろう。

こういう政策が次々に実現していくのを見て、反ヒトラーだった人たちも熱烈なヒトラー支持者に変わっていったという。そのプロパガンダ役を果たしたものの一つが、この保養施設だった。「プロパガンダの威力10 選」の一つに選ばれたのはそのためだろう。

この写真で、窓が一列に機械的に並んでいて、味も素っ気もない。室内の造りも全室均一だそうで、リゾートの施設らしいうるおいがまったくない。だから戦後は軍隊の兵舎として利用されたという。同記事によると、地位や職業に関係なく、ドイツ民族であれば同じ空間で同じように余暇を過ごす。それがナチスの「民族共同体」思想のプロパガンダの具現化だったとしている。


2025年8月25日月曜日

万博のプロパガンダ建築

Paris Expo 1937

大阪万博が ”時代遅れ”と批判される理由の一つは、大屋根リングに代表されるように、昔の万博を思い出させるからだろう。戦前の1937 年のパリ万博などのような。

パリ万博で、数年後に第二次世界大戦の「独ソ戦」で戦う両国の「ドイツ館」と「ソ連館」がエッフェル塔を挟んで向かい合って建てられた。世界の覇権を狙う全体主義国家どうしの「プロパガンダ建築」だった。



ナチスドイツと、スターリン主義時代のソ連の芸術を研究した「全体主義芸術」(イーゴリ・ゴロムシトク著)という本で、このプロパガンダ建築について詳しく説明しているので一部を引用する。

「ドイツ館は、160 m の天を目指すような高さを誇り、神聖なるドイツ産の鉄と石から建設された。」「塔の上にナチス国家の象徴である鉤十字のついた鷲が据えられている。」「ドイツの生活の姿を変えるという使命を帯びた、ヒトラー総統の偉大な理念を鮮やかに表現している。」

「ソ連館は8階建の建物の高さの塔で、国家の上昇志向を強調している。」「塔の頂上には、ソ連の象徴である鎌とハンマーを持った労働者の像が据えられている。」「ソ連館は、達成と勝利の道におけるソヴィエト連邦の目的への意志と理念を鮮やかに表現している。」

上の二つの説明でわかるように、両者にはっきりとした共通性があることを同書は強調している。全体主義国家の理念を大げさに強調するプロパガンダ建築であることだ。政治体制が違って対立していても、全体主義という両国の目指す方向は全く同じであることが、二つのパビリオンのデザインにはっきり現れている。


2025年7月10日木曜日

大阪万博「大屋根リング」はパクリ?

 Osaka Expo 2025


大阪万博の看板建造物「大屋根リング」がパクリだと言われている。有名な建築家ノーマン・フォスターが設計したアップル本社のリング状の施設にそっくりだと一部の建築家が指摘している。確かに形は似ているが、両者は施設の目的が違うので、パクリかどうかはなんとも言い難い。

しかし同じ万博の施設である1939 年のニューヨーク万博のリング状の建造物は大阪万博と同じ目的であるから、パクリであると言われてもしょうがないだろう。観客は回遊しながらリング内側の会場を眺める。形は少し違うが、同じ万博の、同じ目的の建物として、コンセプトはまったく同じだ。万博の歴史上で有名なこの建築のパクリだと指摘する人がいないのが不思議だ。



2025年4月5日土曜日

ポストモダン建築

 Post-Modernism Architecture

地元にある商業ビルだが、見るたびに気になる。てっぺんに巨大な青いモノが乗っていて、正面の壁には何やら目立つ出っ張りがある。典型的な「ポスト・モダニズム」建築なので、このビルの築年を調べたら 1990 年ごろだったので、やはりそうかと思った。当時大流行だったこのての建築の生き残りだ。



最小限の材料とコストを使って、最大限の機能を生み出すという「合理性」を追求する「モダニズム建築」の思想が 20 世紀初めにコルビュジェなどによって打ち立てられたが、それを超える 21 世紀の新しい建築だというふれこみの「ポスト・モダニズム建築」が現れた。合理性を否定して、過剰に装飾的な形を作った。その結果、上のような建物がたくさん作られた。


いろいろな地域や時代の建築様式をわざとごちゃ混ぜにした統一感のないデザインが ”新しい” とされて、それを競いあった。写真の列柱のある半円形のバルコニー(形だけでバルコニーの機能はない)は、アメリカのホワイトハウス(写真右)を真似している。

「ポスト・モダニズム」が流行ったのは、ちょうどバブルの時代と重なっていて、このような無駄なデザインが平気で受け入れられていた。要するに「ポスト・モダニズム」とは、コマーシャリズムと結びついた目立つためだけのデザインで、”モダニズムを超える” などといった高尚な思想ではなく、一過性の流行に過ぎなかった。だからバブルの崩壊とともに消えてしまった。

2024年10月30日水曜日

五重塔の免震構造

Traditional Japanese wooden architecture 

大阪万博の「大屋根リング」が完成したという。この巨大木造建造物は、日本の伝統的木造建築の工法を応用している。代表的なのが清水寺で、崖に張り出した「舞台」を格子状に組まれた木材どうしが支え合う、耐震性の高い構造になっている。

だいぶ昔だが、奈良の薬師寺西塔が再建された時の見学会に参加したことがある。現場を見ながら解説をしてくれたのが再建を手がけた有名な宮大工の西岡常一氏ご本人という贅沢な見学会だった。日本の伝統的建築工法の説明に感動したのを覚えている。


地震国の日本で、奈良時代の五重塔が千年以上もの間、倒れることなく現存し続けている理由を知ることができた。「心柱」と呼ばれる塔の中心を上から下まで貫いている太い柱が地面に固定されているわけではなく、上から吊り下げられている。だから地震の時には振り子のように揺れて、振動エネルギーを受け流してしまう。また5層の各階は積み上げているだけで、固く結合されていない。それで地震の時はクネクネと塔全体が揺れる。清水寺の構造も同じだ。

このような五重塔の構造は、現在の近代的な高層ビルに応用されている。地震の時にはあえて揺れることで振動を受け流す。揺れに抵抗する「耐震」ではなく「免震」の考え方だ。東日本大震災が発生した時、たまたま高層ビルの上階にいたが、揺れが強烈で、立っていることができないくらいだった。このビルは「免震」構造だったからで、心理的恐怖感は強いが、もちろん壊れたりすることはなかった。

2024年9月7日土曜日

レンゾ・ピアノの「ポンピドゥー・センター」と「関西国際空港」

Renzo Piano 

関西国際空港が開業 30 周年を迎えたという報道があった。関空といえば思い出すのはなんといってもレンゾ・ピアノだ。

昔、出来てまもない「ポンピドゥー・センター」を初めて見たときはびっくりした。レンゾ・ピアノの代表作だが、まるで建設工事中の鉄骨の足場がそのまま残ったようなデザインが衝撃的だった。巨大な「機械」のようで、美術館という概念を超えている。工業化時代をシンボライズしているモニュメントのように見えた。

脚光をあびたレンゾ・ピアノは、世界中の公共建築を手掛けるようになり、日本の関空もそのひとつだった。自分では関空に一度も行ったことはないが、写真で見ると、ポンピドゥー・センターと共通する設計思想を感じる。

現在、「レンゾ・ピアノ展」が開かれているようだが大阪なので、見に行けないのが残念だ。


2024年8月2日金曜日

台湾のマンション

Apartment in Taiwan 

台湾のマンションは面白い。岩山のような "ギザギザ感” がすごい。各戸がそれぞれに、窓に ”出っ張り” を追加して出窓風にしている。室内空間を広げるのが目的だろうか(?)よくわからない。そこをガラス張りにしたり、防犯用(?)に格子をつけたりしている。デザインがバラバラだから、この ”ギザギザ感” が生まれる。