2018年6月29日金曜日

静物画は物の「列挙」から始まった

" Vertigene Della Lista "  by Umberto Eco

「芸術の蒐集」(ウンベルト・エーコ)という本に、静物画というジャンルが生まれた 17 世紀頃、それは物を「列挙」することから始まったという面白い説が語られている。


現在のような意味での静物画に成り切ってはいないがこんな形から始まったらしい。魚屋の店先を描いた風俗画だが、確かにこの絵は魚の種類を魚類図鑑的な感覚で「列挙」しているように見える。


そういえば、だまし絵のアンチボルドも肖像画の形をとっているが、拡大して見ると物が精密に描かれていて実質的な静物画だ。皇帝が世界中から集た珍しい動植物のコレクションをモチーフにこれも図鑑的に「列挙」している。


経済的に繁栄していた当時のオランダで、虚栄の虚しさを寓意的に表した静物画が大流行したそうで、この絵では、頭蓋骨、消えたローソク、倒れて割れそうなガラス、ボロボロの本、時の経過を示す時計、など空虚さの象徴となるものを集めて「列挙」している。


2018年6月27日水曜日

トイレの注意書き

Flush sensor of toilet


この間、ある店のトイレでこんな注意書きを見かけた。公共トイレで、なかなか水が流れなくてイライラすることがよくある。手の距離なのか、かざす時間なのか、などと悩んだりする。赤外線センサーの感度が低いせいだろうと思い、トイレメーカーにいる知人に尋ねたことがったが、感度がいいと水が余分に流れて店から嫌われるのでわざと感度を落としている、という驚きの答えだった。 D. A. ノーマンは言った。「注意書きが必要な製品は失敗製品である。」

2018年6月25日月曜日

妹島和世の集合住宅

Kazuyo Sejima's apartment design

妹島和世の作品が横浜市内にもあるというので見に行った。「大倉山の集合住宅」という4住戸の集まった建物。各戸に小さな中庭があり、それらは細い路地でつながっている。
プライベート空間とパブリック空間が融合している。道路から入って通り抜けることもできる。新しいコンセプトの集合住宅を提案している。



2018年6月23日土曜日

エッシャー展

Escher Exhibition

過去何回も来たエッシャー展だが、また観に行ってしまった。(上野の森美術館、~ 7 / 29 )

今回は、風景や人物など初期の作品がたくさんあり、エッシャーが「平面の正則分割」「メタモルフォース」「錯視」などの定番テーマに行き着くまでの過程がわかって面白い。

例えば下のように、長い期間イタリア各地を旅して制作した風景画を見ると、それが後の不可思議な絵のイメージに取り入れられていることが分かる。
( Photo :  "Le Monde de M. C. Escher" )





だいぶ前に買ったポスター。好きな作品の一つだが、今回もあった。

2018年6月21日木曜日

プーシキン美術館展

Exhibition "Pushkin"

プーシキン美術館展を観た。まったくの個人的好みで選んだベスト4。


ユベール・ロベール「水に囲まれた神殿」
「廃墟の画家」ロベールは、古代都市に憧れてローマ時代の遺跡を描いた。ほとんど空想で、この建物も実在はするが朽ちかたはこれほどではなく、海のそばにもなかった。

クロード・ロラン「エウロべの掠奪」
風景画の元祖ロラン。海を背景にして神話の物語が描かれたロマンチックな風景。

コンスタン・トロワイヨン「牧草地の牛」
バルビゾン派のトロワイヨンは牛専門の画家だが、今回のは特によかった。午後の柔らかい光が溢れる風景が詩情たっぷりに描かれている。

ルイジ・ロワール「パリ環状鉄道の煙」
この人の名は知らなかったが、印象派作品の中ではこれが最高だった。画面全体が機関車の煙だが、その表現が見事。(写真ではわかりにくいが) 近代都市パリの光景。

2018年6月19日火曜日

「あなたは世界の中で迷子になっていませんか、僕のように」というアニメ

Steve Cutts Animation

世のスマホ依存症の方々(笑)必見のショートアニメ。シュールでブラックに見えるが、日常ありふれた光景そのまま。 Steve Cutts は他の作品もみな面白い。
こちらで →   https://www.youtube.com/watch?v=l3wjcwTcfT4


2018年6月17日日曜日

すみだ北斎美術館

Hokusai Museum

「建築の日本」展で妹島和世の作品を見て、北斎美術館を見そびれていたことを思い出し改めて見に行った。彫刻的な外観も特徴だが、建物の周囲にどこからでも自由に入れる小さな入り口があり、その細い路地を通ると建物の中心にエントランスがあるプランがユニーク。路地の両側はガラス張りなので図書室や講義室などの中が見える。外部と内部の空間が繋がっている考え方は同じ妹島和世の「金沢 21 世紀美術館」にも共通している。権威主義的だった美術館建築に対して、地域に開かれた美術館を提起している。



展示入れ替え中で作品は少しだけだったが、北斎の蝋人形が面白かった。4畳半の部屋でコタツに入りながら描いている北斎を娘の応為が見ている。弟子のスケッチをもとに再現したそうだ。

2018年6月15日金曜日

「建築の日本」展

Exhibition  "Japan in Architecture, Genealogies of Its Transformation"

サブタイトルの「その遺伝子のもたらすもの」の通り、日本の建築のなかに生き続けてきた DNA を9つの要素にまとめて、それらが現代においてどう変化し、海外にまで影響を与えているかを見せてくれる。見事なキュレーションと作品は見どころ満載。(森美術館、~ 9 / 7 )


妹島和代の「京都の集合住宅」には感心した。10 軒の家が 20 枚の屋根を共有していて、各戸の間は細い路地で繋がっている。京都の町家を現代的に再現したもので、プライバシーを保ちつつ、住民どうしのコミュニティを形成することに成功している。全体が一つの寄せ棟の屋根のように見える外観にそのコンセプトが表れている。


2018年6月13日水曜日

高齢者の運転

Senior driver

後期高齢者の免許証更新に必要な認知機能検査を受けたが問題なしという結果がきた。しかしこの後も高齢者講習などがある。いろいろハードルを設けて免許証を自主返納させたがっている。

それにしても通知文書が、ふりがな付きなのには驚いた。善意なのかもしれないが、高齢者にとっては見下されている感じを受けるだろう。

最近、高齢ドライバーの事故の報道が目立つが、やめたくても運転せざるを得ないのは、高齢者に優しいとは言えない社会環境の問題のようだ。それでまた映画に話を振るが、名作「ドライビング・ミス ・デイジー」で、80才のおばあちゃんが生垣に突っ込んでしまう。心配した息子がもう運転しないように専属の運転手を雇う。初めは嫌っていた運転手と心が通じ合っていき・・・というハート・ウォーミングな物語だった。お年寄りへ
の優しさとリスペクトに溢れていて、後期高齢者
はとても共感した。


2018年6月11日月曜日

日本水彩展

Exhibition "Japan Watercolor"


年々作品数が増えてきたが、今年はとうとう都美術館の2フロアを使うようになった。それでも2段展示しなければ収まらない。応募者数が増えれば審査も厳しくなるが、今年は一段とレベルアップしている印象だった。(東京都美術館、~ 6 / 13 )

たまたま3日前の新聞(日経新聞、6 / 9 )に、公募展の応募者数が減っていて、多くの画会が危機感を抱いている、という記事があった。あの手この手で応募者数を増やそうとしているという。苦戦している公募展は会場を見ればすぐ分かる。同じ人の作品を2点展示したりして、それでも壁面に余裕がある。それだけに日本水彩展の勢いが目立つ。日本独自の公募展は、この記事にもあるように、同じような作風の作品ばかりが並んでいるという批判が多い。これは会の委員(だいたいが教室の生徒さんを持っている)が自分たちで審査をしているからだと言われている。

2018年6月9日土曜日

「浮世絵モダーン」展

Exhibition  "Ukiyo-e Modern"

描く、彫る、刷る、を分業でやっていた浮世絵のシステムを引き継ぎながら、そこに現代的な感覚を盛り込んだ大正期の「新版画」の展覧会。浮世絵の伝統を大事にしているものから、主題も表現も洋画に近いものまで、バラエティに富んでいる。人物画の橋口五葉や、風景画の川瀬巴水など、見応えがある。 ( 町田市立国際版画美術館、~ 6 / 17 )


2018年6月7日木曜日

街の迷彩デザイン(その3)

Symbol mark for emergency

マークがたくさん並んでいる地下鉄内の表示。近よって見たら、緊急連絡ボタンや消火器などの車両内の位置を示す地図だった。しかし肝心の車両の形が極細の線でほとんど見えないから、位置関係が認識できない。日本地図で、日本列島の形が描いてなくて、都市の位置だけを示しているようなもの。いざという時、あまり役にたちそうもない。


2018年6月5日火曜日

街の「迷彩デザイン」(その2)

Elevator display

このエレベータは階数の数字の表示が無い。小さな点が動いているので故障でないことだけは分かるが、待つ間のイライラ度がすごい。”余計な物” が見えないようにブラックアウトしてカッコよくした画期的なデザイン。

歩行者用信号の残り待ち時間表示のように、システムの状況を利用者に知らせるようになってきたなか、これは逆を行く「迷彩デザイン」だ。




2018年6月3日日曜日

街の「迷彩デザイン」(その1)

Bus route chart

バス停で見かけたバスの経路表。濃いグリーンのおかげで顔がくっつくくらい近づかないと文字が読めない。 善意の担当者が  ”利用者のために” 美しいのを作ろう、と張り切りすぎて、視認性のことは忘れてしまったようだ。

情報を伝えるためのデザインで、情報を見えなくしているデザインを「迷彩デザイン」と呼ぶことにした。

2018年6月1日金曜日

スイスへの脱出、オットー・ネーベルと映画

Otto Nebel and "Belle and Sebastian"

去年秋の「オットー・ネーベル展」で「避難民」(1935 年)という絵があった。反ナチス的芸術家として迫害されたネーベルがドイツからスイスへ脱出する時の一家3人を描いた絵で、黄色い矢印はスイスの方向を示している。「退廃芸術展」で晒し者にされた画家たちはみな悲運で、ネーベルの他にもクレーもスイスへ亡命し、シャガールはアメリカへ亡命したりしたが、ドイツに残った人は強制収容所で死んだ。

絵は冬の服装らしいことと杖をついていることから、冬のアルプス越えをしたのかもしれない。この絵のことを思い出したのは昨日「ベル & セバスチャン」という映画を見たからで、ドイツ兵に追われながら、雪のアルプスを越えてスイスへ逃げるユダヤ人一家を、道案内して助ける少年と愛犬の物語だった。一見のどかな絵だが、映画から実際の過酷な状況を想像した。