2019年7月26日金曜日

江戸の補聴器

Hearing aid in Edo

補聴器の一種で、集音器というのがある。聞こえにくいとき、耳に手を当てるのと同じ原理で、耳たぶの面積を広げて音を集めるという超アナログな道具。コンサートなどで使うのが主な目的だが、意外なくらい効果がある。

こんなことを思い出したのは、こういうアナログ式の補聴器が、すでに江戸時代から使われていたことを本で知ったから。西洋から入ってきた色々な道具が国内でも模造されて、江戸商人たちがそれで商売をしたので、補聴器もけっこう普及していたらしい。下の絵で、左の男がラッパ式の補聴器を耳に当てている。なお、右の男が目に当てているのは望遠鏡で、視覚補強と聴覚補強の道具が対で描かれているのが面白い。(「大江戸視覚革命」より)


2019年7月24日水曜日

ドービニー展

Daubigny

もう6月で終わってしまったが、「ドービニー展」(損保ジャパン日本興亜美術館)がよかったで、今頃思い出したように紹介を。


バルビゾン派の巨匠ドービニーは水辺の風景が多く、「水の画家」と呼ばれた。

この「アトリエ舟」に乗ってセーヌ川を上り下りして描いた。

森の中の小川のほとり。

晩年には、印象派のはしりのような明るい色調になっていく。それで「バルビゾン派から印象派の架け橋」と呼ばれる。


2019年7月22日月曜日

のぞき眼鏡、のぞきからくり

The western scientific gaze and popular imaginary in Edo

江戸時代「のぞき眼鏡」という、絵を見せるための光学機器が大人気だった。この絵でその仕組みがよく分かるが、下に置いた絵をミラーに写し、その像をレンズを通して覗く。すると小さな絵が視覚いっぱいに広がるから、本当の風景を見ているようなリアル感が得られる。

司馬江漢などは、この装置用の専用の絵を描くようになる。拡大して見られるために、肉筆の絵や木版画では粗さが目立ってしまうので、銅版画風の緻密な絵が描かれた。

のぞき眼鏡と同じ原理で、複数の人が同時に絵を見ることができる「のぞきからくり」と呼ばれる装置もでき、浅草などで見世物に使われた。この絵の右上に、これで見ることのできる絵のサンプルが描かれているが、遠近法による風景画だ。風景が本物のように浮き上がってくるような迫真性をもたらすために遠近法が必要だった。こういう絵が、大衆が世界を見る見方に革命を起こし、浮世絵などにも影響を与えていった。
(タイモン・スクリーチ著「大江戸視覚革命」より)

2019年7月20日土曜日

江戸時代の眼鏡屋と視覚革命

Glasses shop of Edo

江戸時代の眼鏡屋の店頭風景。看板にメガネの種類が書かれている。近眼用や老眼用、女性用や子供用、などの他に、ルーペやプリズムではないかと思われるものもある。そして客が試しているのは望遠鏡だから、メガネに限らず、レンズを使った商品全般を扱っていたようだ。

この絵は、メガネを使うとよく見えますよという広告のようなものだろうか。右上に「御近目鏡」とあり、近視用メガネをかけると遠くまでよく見えることを強調している。遠くが小さくなるような極端にきついパースで室内が描かれている。

この絵で、メガネをかけたまま眠っている四人の男がそれぞれ別々の勝手な夢を見ている。江戸時代にメガネや光学機器が普及した結果、視力いう意味にとどまらず、人々の世界を見る見方が変化していった(視覚革命)という。


(以上、タイモン・スクリーチ著「大江戸視覚革命より)

2019年7月18日木曜日

「アルルの寝室」の遠近法

The perspective of  "La Chambre à Arles"

松方コレクション展にゴッホの「アルルの寝室」が出ている。自由奔放な荒い筆致や、形のデフォルメは、「対象の描写」から「内面の表現」へと移行していったポスト印象派の特徴と言われている。

そうだと思うが、しかしこのようなコメントはどうか?
『「アルルの寝室」は、ベッドや椅子などの消失点がバラバラで一致していない。遠近法の無視による空間の歪みが、見るものを不安にさせ、それでいて惹きつけられる魅力になっている。』

確かめてみると多少の狂いはあるが、かなり消失点は一致している。 ゴッホ自身の内面の表現でありながらも、対象を正しく描写するという、それまでの絵画の基本は守っているように思える。

2019年7月16日火曜日

松方コレクション展のゴッホの「アルルの寝室」

La Chambre à Arles

今、国立西洋美術館でやっている「松方コレクション」展に出ているゴッホの「アルルの寝室」はオルセー美術館からの借り物だ。

終戦と同時に、松方コレクションは、敵国資産としてフランス政府に押収された。しかし松方コレクションは個人の資産だからおかしい。政府がフランスに要求してやっと返還されたが、超重要作品は返してもらえなかった。「アルルの寝室」はその一つ。

返還交渉で、「アルルの寝室」とともに最大の争点だったルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち」は返還されて、西洋美術館で常設展示されている。

コレクションを展示するための美術館を建設することがフランス側の返還の条件にされて、その結果、コルビュジェの国立西洋美術館が生まれたから、悪いことばかりではなかったといえる。

2019年7月14日日曜日

「横浜写真」

”Yokohama Photo”

「横浜写真」という言葉があるのを初めて知った。幕末から明治にかけて、開港地横浜で発達した商業写真のこと。外国人写真家が写真館を開設して、日本に来た観光客向けのお土産用の写真で商売していた。西洋人が持っている日本のイメージに合わせた写真を撮ったが、その写真が海外へ行くことで、彼らの日本イメージをさらに増幅させる働きもした。彼らから写真術を学んだ日本人もたくさん写真館を始めた。ちなみに横浜馬車道にある「日本写真発祥の地」の碑は、そんな一人、下岡蓮杖を記念したもの。

写真は、ほとんどがスタジオ撮影で、背景は書き割りが使われ、雪景色では雪の代わりに粉をかけたそうだ。モチーフは、商売人、農夫、女性、などが多かったという。また、白黒写真に彩色するという日本独自の手法が発達したが、これは明治になって失業した浮世絵師たちの技が活かされたものだという。(以上、クラウディア・デランク著「ドイツにおける日本像」より)



2019年7月12日金曜日

ポーチという場所

Porch

連日ニュースでトランプ大統領が、自動車産業の雇用を守るために関税を引き上げるとか、悪化した治安を守るために移民を排除する、などとやっている。少し前の映画だが、そんなアメリカの問題が凝縮されたような映画のことを思い出した。

デトロイトが舞台の映画「グラン・トリノ」は、自動車産業が廃れ、スラム化した街は外国人移民だらけになり治安が悪い。その中で、自動車工場の元労働者(クリント・イーストウッド)で、愛車がアメ車全盛時の「グラン・トリノ」であることだけがプライドの男が侘しい一人暮らしをしている。一日中ポーチに座って缶ビールを飲んでいるこの場面、テーブルには飲み終わった缶が並んでいて、足元のクーラーボックスには、さらに一日分のビールが用意してある。話は、隣に引っ越してきた東洋系の女の子と親しくなる・・・ところから始まる。

「ポーチ」は他のアメリカ映画にもよく出てくるが、大体は何もすることがないお年寄りが一日中を過ごす場所として描かれている。この映画は特にそれが効果的だった。また道路に面しているから、近所の人と交流できる場所にもなる。日本の家にはこういう半アウトドアの空間がないが、強いて言うと、昔の家で、お年寄りが一日中ひなたぼっこをしたり、近所の人とおしゃべりしていた「縁側」がこれに近いかもしれない。

2019年7月9日火曜日

日本美術のバウハウスへの影響

Bauhaus and Japanese art

日本美術の西洋への影響というと、浮世絵の印象派への影響が浮かぶが、ドイツのバウハウスも影響を受けていたことは初耳だった。

色彩や造形の理論を確立した、あのヨハネス・イッテンが、日本人の先生について水墨画を勉強していたそうだ。西洋絵画の線は輪郭線としての線だが、日本絵画の線はそれ自身が造形だと解釈していたそうだ。バウハウスでの造形教育の中にもその研究成果を取り入れていたという。作品のサインが漢字で「一天」になっている。


建築でも、グロピウス設計の有名なバウハウスの校舎のあちこちに日本建築の影響が見られるという。壁面が全面ガラス張りだが、障子によって、内部と外部の空間をつなげるという日本建築の考え方を取り入れたものだとグロピウス自身が言っていたという。そこにはめられた鉄の格子も障子の形になっている。

以上、クラウディア・デランク著「ドイツにおける<日本=像>」より。

2019年7月7日日曜日

江戸時代の展望台とパノラマ風景画

Turret view of  Edo period

この間の「江戸の凸凹」展に、北斎の「五百羅漢寺」があった。昔は、どこの高台でも富士山が見えたから、そんな場所の展望台は、観光客の人気スポットだった。

一点透視で描かれているが、建物の垂直水平を強調した2次元的な構図なのが浮世絵らしい。風景の遠近感や展望台の高さ感などの3次元的な空間感がない。

円山応挙の、寺から京都市街を遠望している絵。これも一点透視だが、北斎と違い、建物のスケール感や、風景の距離感がある。完全に西洋絵画と同じ視覚だ。

当時、西洋から入ってきた「覗目鏡」は、レンズと鏡を通して箱の中の絵を覗く仕掛けだった。それ用の絵が浮絵で、浮き出てくるようなリアルさを出すために、西洋的な遠近法で描かれた。

もっとすごいのは、同じく円山応挙の「清水寺」の浮絵で、実際の清水寺とは違い、展望台の高さや、パノラマ感が極端に強調されいる。こんな構図の絵が日本にあったとは驚く。

以上、タイモン・スクリーチ著「大江戸視覚革命」による。(イギリス人の日本美術史研究家で、今まで知っている常識とはまったく違う切り口で切りまくっている。)

2019年7月5日金曜日

江戸時代の旅行ガイドブック

Travel guide of Edo period

この間の「江戸の凸凹」展は、広重の「名所江戸百景」の、高低差のある江戸の地形の面白さを描いた絵が中心だった。

江戸時代は旅行ブームで、ガイド付きのツアー旅行も盛んだったそうだ。そのニーズから全国各地の旅行ガイドブックが出版され、広重の江戸百景もその役割だった。お登りさん向けのお手軽ツアー「江戸見物四日めぐり」というのもあり、それ用の1枚ペラのガイドもあったそうだ。

各地の「〜名所図絵」を次々に描いたのが、秋里籬島という人で、その中の一枚にこんな絵があるそうだ。ガイドが風景の説明をしているのに、旅行者はそっちのけでガイドブックばかりを見ている。新しく流行り始めた旅のスタイルを皮肉ったものだという。(タイモン・スクリーチ著「定信  お見通し」より)

風景がネットの写真どおりだと確認しに行くのが旅の目的で、行った証拠に SNS 用の写真を撮れば満足、という今のスタイルとすでに同じ感覚なのが面白い。

2019年7月3日水曜日

絵画のフレーミング

Framing

図:ヘイゼル・ハリソン「パステル教室」より
よく絵画の入門書に、描き始める前に、まず風景をどう切り取るかをよく検討しようと書かれている。そのためのツールとして「フレーム」を使うことを勧めていることがある。ボール紙で作った枠を通して風景を眺め、最適の切り取り方を探す。同じ風景でも切り取り方によってイメージが全く違ってしまうから、自分が描きたいテーマに一番合ったものを探そうということだ。

「フレーム」は「額縁」だから、実際の風景に額縁をはめることで、出来上がった絵に額縁をはめた状態を予測できる。この検討をすることを「フレーミング」という。この言葉は絵以外のところでも使われる。ニュースになった問題をどういう「枠組み」で捉えるかによって、問題の解釈の仕方が人によってがらっと変わってくる。この「枠組み」が「フレーミング」だ。

2019年7月1日月曜日

広重の「覗く」フレーミング

Hiroshige & Hokusai

この間終わった「江戸の凸凹」展(太田記念美術館、~ 6 / 26 )を見た後、広重について本(「広重と浮世絵風景画」)で調べているうちに面白いことがわかった。


広重の風景画では、風景を切り取るフレーミングのやり方が面白い例がたくさんある。この「深川万年橋」は、梁や柱を画面枠いっぱいに描いていて、窓が風景を切り取る額縁(フレーム)の役割をしている。そして窓越しに風景を「覗いている」という視覚効果がある。

このような「覗く」フレーミングというのは、浮世絵に共通した視覚で、北斎の「尾州不二見原」では、丸い桶の向こうに富士山が見えている。桶という枠で切り取った富士山を「覗いている」。
このようなフレーミングは、浮世絵の前身の浮絵では、もっとはっきりしていて、奥村政信の浮絵では、こんな構図がたくさんある。柱、敷居、鴨居が画面枠にぴったり内接して描かれていて、額縁そのものになっている。江戸時代、レンズを通して箱の中を覗いて絵を見る見世物が盛り場によくあったそうで、浮絵は、それ用の絵だったという。だから一点透視(風)が使われ、風景が浮き出てくる(だから浮絵)ように感じさせた。この「覗く」という視覚が、広重や北斎の浮世絵にも引き継がれていったということのようだ。