2018年7月31日火曜日

藤田嗣治の戦争画

Foujita

女性の肌を独特の乳白色で繊細に描いた絵と、凄惨な殺し合いを描いた暗褐色の戦争画とのギャップが大きい。時流に合わせて描き分けていたのか? しかし藤田の中では二つは繋がっていたという。(「美術の窓」誌  8月号 「藤田嗣治特集」より)

・西洋絵画のルーツは戦争画と宗教画であり、人物画や風景画はそこから派生したものだから、美術史に精通していた藤田にとって両者は連続したものだった。

・もともと群像表現をしたかった藤田は、国から戦争画を描いて欲しいという要請に絶好の機会がきたと喜んで応じた。

・乳白色の肌の女性を描いていた頃からアジア人の褐色の肌をどう描くかに関心があり、戦争画のテーマでそれが実現した。

今日から始まる「藤田嗣治展」( 7 / 31 ~  東京都美術館)ではそんなことに着目しながら観てみたい。

2018年7月29日日曜日

藤田 と FOUJITA

Foujita

藤田嗣治展が始まる。( 7 / 31 ~  東京都美術館) 藤田について調べていたら、こんなことに気がついた。藤田には3つの時代があるが、それぞれでサインが変化している。


(1)パリ時代は、日本画の手法を取り入れた絵で活躍したが、漢字の「嗣治」と藤田のフランス語綴りの「Foujita」が併記されている。

(2)戦時中の日本で陸軍美術協会理事長として率先して戦争画を描いていた時代は、ローマ字ではあるが日本語で「T. Fujita」となっている。

(3)戦後、フランスでカトリック教徒になり、教会の宗教画を描いていた時代には「Leonard Foujita」で、洗礼名レオナールと、もとの「Foujita」になっている。


自らを「お調子者」と呼んで変な日本人を演じていたパリ時代から一転、戦時中の日本では展覧会場で自作「アッツ島玉砕」の前に軍服姿で立ち、観客に向かって敬礼し続けるという軍国主義者を演じていた。そのため戦後は戦犯扱いされてフランスへ「亡命」せざるを得なかった。サインの変化は時代に翻弄された藤田の生涯を物語っているように思える。
(写真は 2015 年の映画「FOUJITA」より)

2018年7月27日金曜日

大洪水、終末、ラプチャー・ムービー

Rapture movie,  Apocalypsis

絵画でも映画でも大洪水の恐ろしい光景が繰り返し描かれてきた。人間たちの悪行に怒った神が大洪水を起こして、人類を滅ぼす日が来るという聖書の黙示録に書かれた終末論がそのもとにある。聖書思想のない日本人には、津波や洪水に繰り返し襲われているのに、こういう映画の意味を理解しにくい。

「ディープ・インパクト」では、高さ 1000 m の超巨大津波がニューヨークの高層ビルを一瞬で飲み込む。小惑星が海に墜落した衝撃で世界中が津波に襲われたためで、日本は丸ごと水没してしまう。人はなすすべもなく、今までの自分の罪を悔いて神様の救いを求めてただ祈るしかない。


このような映画は、聖書の根深いところからきているからアメリカ人にとっては非現実的な作り話ではない。世論調査によれば、アメリカ国民の 40 % くらいが 50 年以内に終末が来ると信じているそうだ。特に 9.11 のテロ事件以降はそれが間近に迫っている現実として強く意識されるようになったという。(「アメリカ映画とキリスト教」による)

この種の映画には、災害が起こる直前に限られた何人かの人だけに救いが来るストーリーが必ず含まれている。選ばれた人たちは「ノアの方舟」に乗って生き延び、悪のない新しい人類世界を再生する。これは聖書の根幹の思想で、「ラプチャー」と呼ばれる。そのためこの種の映画は「ラプチャー・ムービー」と呼ばれる。

「ノウイング」はその典型で、人類最後の時、少年と少女の二人だけに宇宙船の迎えが来るが、乗り込む時うさぎを抱いている。まさに「ノアの方舟」そのままで、やがて二人の間に生まれる子供から新しい人類が始まることを暗示している。「レフトビハインド」「リメイニング」の二つはそのタイトル通り、あとに取り残された側の人たちのストーリーで、今までの不信心を悔い神様に赦しを乞いながら死を待つ。

2018年7月25日水曜日

リヒター/クールベ特別展示 @国立西洋美術館

Richter  /  Courbet

作品が2点しかない超ミニ企画展。ドイツの現代画家ゲルハルト・リヒターと、19 世紀の写実画家クールベを対照的に並べている。リヒターは抽象絵画を描きながら部屋にクールベのこの絵を飾っていたという。雑誌などの写真をキャンバスに大きく引き伸ばし全体をぼかして描くフォトペインティングという手法だそうだが、モチーフは違っても光がよく似ている。あえてそれをすることで、クールベのような写実的な絵画の「終わり」を示したものだという。

ゲルハルト・リヒター「シルス・マリア」2003 年
ギュスターブ・クールベ「狩猟者のいる風景」1873 年

2018年7月23日月曜日

50 年前のコンクール・デレガンス

Concurs de Elegance

定かでないが、確か1967 年のコンクール・デレガンス。つまり約 50 年前。参加車のほとんどは 1920 年代の「ヴィンテージカー」で、この時点の 40 年前、現在からは 90 年前のクラシックカーということになる。タイムレスな美しさにほれぼれする。ちなみにこの時の審査委員長は佐藤章蔵氏だった。


駐車場でのショットが当時を感じさせる。ジャガー E タイプが現役なこと、国産車がトヨタ・コロナや三菱・デボネアであること、そしてなによりブーツ姿の女性のファッションが。

2018年7月21日土曜日

「彼女と」展 @ 国立新美術館

"Avec Elle"   ( A movie shoot experience )

国立新美術館でやっている「彼女と」展を観に行った。映画製作現場に来場者が参加してフィルムを作る体験型イベント、というふれ込みだったが期待外れだった。

(1)本当に映画を作っている感がなく、俳優も監督も「ごっこ」をしているだけ。(2)来場者の参加といいながら、ほとんどは見ているだけ。(3)主人公がよくあるステレオタイプな「憧れの女性」で面白くない。

主催がエルメスなので宣伝色が強いのはやむを得ないにしても、斬新な試みではあるので、もっとやりようがあったのではという残念賞だった。ちなみに参加者はエルメス購買層の若い女性ばかりで GG は一人だけでした。


2018年7月19日木曜日

CGで絵を描く

Drawing with Computer Graphics

絵の場合は「のようなもの」スケッチでも「雰囲気が出てるね」などと褒められたりする。しかし CG で描くには形を正確に把握していないとそもそも描くこともできない。だから CG の練習は形の観察と理解に役に立つ。


3D CG の課題でスプーンを描かせるが、毎日普通に使っているのにほとんどの人ガ形を知らない。すくう部分を水平に置いたとすると取っ手は上の方へ傾いている。こうでないとスープもカレーも皿からすくえない、との説明で初めて気がつく。そしてこんな作品が。


形だけでなく、構図、陰影、背景、などを絵画と同じ意識で描くことを目標にする。当然ながら PC は自動的に描けるわけではなく人間の指示を待っている。絵の具と筆が PC に変わっただけで描くことに変わりはない。


2018年7月17日火曜日

めくるめく羅列の絵 ウンベルト・エーコの「芸術の蒐集」が面白い

" Vertigene Della Lista "  by Umberto Eco

「芸術の蒐集」という本がとても面白い。「めくるめく羅列」というのが原題で、様々な人や物で画面でびっしりと画面を埋め尽くす「羅列の絵」が集められている。著者のウンベルト・エーコ自身が「羅列愛好家」と呼ばれ、微に入り細にわたる知識の羅列をした小説(映画化もされたベストセラー「薔薇の名前」が有名)を書いた。絵画をこういう風に見る見方もあったかと感心する。

マルティン・マイテンス「ヨーゼフ2世との結婚のためのイサベッラ・ディ・パルマの到着」1760年

アンディ・ウォーホル「キャンベルのスープ缶」1962年

王様の結婚式を描いた 18 世紀の絵で、何千人もの参列者が延々と続いていて、その羅列が権力の強大さを誇示している。一方でキャンベルのスープ缶の全 32 種類を羅列したウォーホルの絵は消費文化と広告メディアが現代の権力者であることを示している。そう見ると時代のぜんぜん違う2つの絵に共通性が見てくる。エーコはこのように物事を「羅列」してその「リスト」を作ることで世界が見てくると言っている。そして本の最後で、「現在インターネット上でありとあらゆる情報が羅列されているが、ニセ物と本物を見分けることができず、かえって世界が見えなくなってしまった。」と言っている。

2018年7月15日日曜日

エスキース 古い機械を描く

Esquisse  "Old Machine"

次の展覧会に向けて、昔っぽい古い機械を描きたいと思い、エスキースを始めた。モチーフはちょうど 100 年前の 1918 年製の機械で、「前世紀の遺物」感を出したい。即物的なクローズアップの構図と赤錆びた鉄の質感、という方向を決めた。「MACHINE 1918」と題名だけははやばやと決定。
(Pastel Pencil)

2018年7月13日金曜日

江ノ電沿いの古い建物「星野写真館」

「De Stijl」like old shop

江ノ電は腰越駅あたりで路面電車になるが。その江ノ電とツーショットで撮ったのが「星野写真館」という店。建物は 1927 年築というから 90 年くらい経つが、いまだに当時と同じく写真館を続けている。

この建物が有名なのは、「看板建築」の名品とされるから。木造の道路面だけを洋風にした商店建築で昭和初期に流行ったが、いまも残っているのは珍しい。

ペンキで描いただけの「看板」が多いなか、これは当時のオランダの芸術運動「デ・スティル」のスタイルをうまくこなして取り入れている。撮影スタジオのある2階側面が全面ガラスなのもそうだが、特にファサードの構成がなかなか。デ・スティルはモンドリアンの抽象絵画の影響を受けていたが、そのことも塔部分の形や丸窓のデザインに反映されている。 (参考「鎌倉近代建築の歴史散歩」)


2018年7月11日水曜日

「パステルカラーの罠」 

"As Long As It's Pink,  The sexual politics of taste"  by Penny Sparke


「パステルカラーの罠、ジェンダーのデザイン史」という本を読んでいるが、著者が女性のデザイン史家で、ジェンダーの視点から近代デザインを見直しているユニークな本。


ある建築家が自宅の窓にヴェネチアン・ブラインドをつけると決めて、カーテンをつけたいという妻の希望を絶対許さない。妻は唯一カーテンを許された子供部屋で涙を流す。というエピソードが冒頭に出てくる。この話を合理性追求の近代デザインが女性文化の趣味性を排除してきたことの象徴としている。


一方で、消費文化の中心が女性になった今、電機製品や自動車でも「女性向け」という商品が多いが、大抵は柔らかい曲線とパステルカラーの色彩、という組み合わせのステレオタイプな「女性好み」のデザインだ。かつてカーテンをつけさせてもらえなかった女性が今では好きなものを選べるように見えて、それは「女性らしさ」を狭い範囲に固定化していると言っている。


台所製品などにパステルカラーの花柄模様をつける時、デザイナー(多くは男性)は商売のために不本意でやるが、女性の消費者は「かわいい!」と言って受け入れてしまう。「パステルカラーの罠」にはまっている。  (写真:日本語訳と原著の表紙)

2018年7月9日月曜日

工場のイメージを探す


引き続き新子安の工場を歩いてイメージを探した。フィルターで加工して印象を強調。







2018年7月7日土曜日

工場の風景を探して


絵の材料になりそうなネタを探して新子安の工場地帯をぶらぶら歩いた。これなどは、そのままでも( Photoshop で若干加工したが )絵になっているような風景。


2018年7月5日木曜日

カッサンドルの豪華客船ポスター

"Normandie" by Cassandre

たまたま通りかかった「横浜みなと博物館」に「豪華客船ノルマンディー」展の看板があったので、カッサンドルのポスターがあるにちがいないと思って入ったら、やはりあって現物を初めてみることができた。アール・デコのグラフィックの代表作としてデザイン史の本に必ずのっている名作。船を正面から見上げる斬新な構図と、幾何的に単純化した形態は強いインパクトがある。

1930 年代、各国の豪華客船の旅客獲得競争が激しかったので、観光ポスターが発展したが、「ノルマンディー号」などのカッサンドルのポスターは大きな影響を与えた。氷川丸などの豪華客船があった日本でも海外向けに作られた観光ポスターはアール・デコのスタイルで、カッサンドルの影響も随所に見られる。
(写真:日本郵船歴史博物館「船をとりまくアール・デコ」より)

2018年7月3日火曜日

古く美しい機械

1918 America made machine for shipbuilding

時々通る所だが、こんなでかい機械が道端にあるのに初めて気がついた。かつてここにあった造船所の機械を動かしていたエアー・コンプレッサーだそうだ。1918 年のアメリカ製というからちょうど 100 年前になる。まさに前世紀の遺物だが、今の時代には消えてしまった迫力の機械美がある。





2018年7月1日日曜日

「ヴァニタス」(空虚)という静物画

 Vanitas

前回書いたが、17世紀のオランダで人生の虚しさや虚栄の無意味さを描く寓意的な静物画が大流行した。頭蓋骨や枯れかけの花など死や空虚の象徴となるものをかき集めて、画面いっぱいに列挙した絵だった。「ヴァニタス」(空虚)という絵のジャンルまででき、現在まで影響を与えてきた。(写真:「芸術の象徴」より)


英国王が斬首された歴史テーマにした絵で、倉庫の中で埃をかぶったガラクタのような王冠やボロボロの本や壊れかけた道具などを使って、権力の虚しさを描いている。

一見無関係な雑多なものが並んでいるが、すべて腐りやすい食べものや枯れやすい花などの束の間の物で、豊かな生活や物の豊富さの「虚栄」を表現している。

頭蓋骨や、時の経過を示す時計や、ボロボロの本などを並べるのはヴァニタスの定番モチーフだった。やがて蜘蛛の巣が張り朽ちていくという、人生のはかなさを描いている。