2020年9月29日火曜日

「街角を曲がる」と、デルヴォーの絵画

"Turn the corner" and Paul Delvaux

「街角を曲がる」(大山俊男)という人間の空間認知に関する面白い本がある。

「街角を曲がると、ほんの数歩の違いが 全く別の光景をもたらすことがある。人通りの多い賑やかな繁華街から角を折れると、嘘のように人気のない、静まりかえった裏通りに誘い込まれることがある。あるいは湿った空気の澱んだ狭い隘路から突然眩しいほど明るい広場に飛び出してしまって眩惑されることもある・・・」

「角を曲がることで、今までとまったく違う次元の世界に導びかれることがしばしばあり、それは視界の不連続性によってもたらされる。曲がる前の場所と曲がった後の場所が心理的に連続していない・・・」

読んでいてポール・デルヴォーの絵を思い出した。次元の異なる街角が隣り合わせになった幻想風景をたくさん描いている。デルヴォーにおける次元の違いとは、光輝く場所と闇の場所であったり、近代的な街と古代の街であったり、現実世界と夢の世界であったりする。街角を曲がって、向こうにある別次元の方へ向かって歩いている後ろ姿の人間が必ず描かれている。





2020年9月27日日曜日

ホドラーの「パラレリズム」絵画

 Hodler

ホドラーは 1 9 世紀末のスイス人画家。神話的なモチーフを、象徴主義的に描いた。しかし画面の構成的性格が特徴で、対照性、平行性、リズム感、などの表現を得意にした。



このように、類似する形を反復して画面を構成する方法をホドラー自身が「パラレリズム」と呼んだ。そのことによってリズムが生まれ、音楽性を持った絵画になる。ホドラーの具象表現に対して、抽象表現で同じ音楽性をテーマにしたのがパウル・クレーだが、両者は同時代で、しかも同じスイス人というのが面白い。


2020年9月25日金曜日

絵から輪郭線をなくす 恒常視の利用

 Constant vision

人間の知覚はうまくできていて、眼で見た物の情報が一部欠けていたり不十分であっても、脳でそれを補って完結した形として認識することができる。このように途切れた形を見ても、脳がつないでくれるので、3角形を見ることができる。頭とシッポしか見えていない、木の陰に隠れているライオンをライオンと認識できなければ命に関わるから、この知覚能力が発達してきた。このように不完全な状態でも、常に同じ形として見ることができるのは「恒常視」と呼ばれる。

この球の絵は、輪郭線が無い。代わりに明暗差で輪郭を感じさせている。しかもそれが途切れ途切れでも球に見えるのは「恒常視」のおかげ。現実の物には輪郭線など無いから、見える通り自然に描くには、有効な方法だ。まず輪郭線を描いて、その中に色を塗るといった塗り絵的なことをしなくてすむ。

ジョン・ハーディというイギリスの水彩画家はこういう描き方がとてもうまい。明暗差だけで形を描いていて、輪郭線で区切らないから、物とまわりの環境が溶け合って、自然に見える。


2020年9月23日水曜日

絵が上手くなるのを妨げる「恒常視」

Constant vision

人間の知覚はうまくできていて、形の情報が欠けていたり、普通と違った見え方であったりしても、眼から入ってきた情報を脳の中で補正して、常に同じ形として見ることができる。これが「恒常視」だが、絵を描く時には、眼で見たとうりに描くことの邪魔をする。それが特に子供の絵にはっきりと現れる。猫の絵で、顔は正面を向いていて、胴体は真横から見た形で、4本の足は奥行きがなく並列に描いている。猫がどんな姿勢をしていても、恒常視で見てしまうのでこういう絵になる。


大人も同様で「恒常視」が邪魔して、眼で見た通りに描けないことがよくある。この絵は顔を下から見上げているが、右側のプロの絵では、目と鼻の位置がかなり横並びに近くなっているので、下から見た顔になっている。また上唇が上に向いた円弧になっているのも同じ。左側のアマチュアの絵は、普段見慣れている正面から見た通りの恒常視の顔をそのまま描いているので、下から見ているように見えない。恒常視とは、顔とはこういう形のはずだという固定観念だから、そこから抜け出すのは容易でない。


これは「形の恒常視」だが、他にも「色の恒常視」や「大きさの恒常視」や「距離の恒常視」など色々ある。「色の恒常視」では例えば、木を描く時に直射日光が当たっているところはほとんど白に見えているし、陰の部分はほとんど黒に見えているのだが、恒常視が邪魔して全てを緑色でべったり塗ってしまい、立体感のない絵になってしまう。


左がアマチュアの絵で、右がプロの絵だが、大きい違いは色。アマチュアは、顔は肌色、髪は黒、セーターはピンク、といった「色の恒常視」にとらわてしまっている。固有色が光によって色調が変化しているのを眼では見えているはずなのに、脳で補正された恒常視を描いてしまう。だからベタ塗りの「塗り絵」になる。「脳」というフィルターの邪魔をはねのけて、「眼」で見たとうりに描くことは難しい。(画像は初心者向けの技法書「Do Art」より)

2020年9月21日月曜日

静物画の視点

 View point of the still life painting

静物画は伝統的に、ほぼ真横からの視点で描かれていた。モチーフどうしが重なりあうので、全体が連携しあって、緊密感のある絵になる。シャルダンなどはその典型。

1 7 世紀のオランダで例外的に、斜め上からの俯瞰的な視点で描く「朝食画」というのが流行った。このフローリス・ファン・デイクのように、各モチーフが隠れることなく、テーブルの上にばらまかれている。食べ物や高価な食器などを一個ずつ独立して見ることができる。また、絹製の豪華なテーブルクロスがはっきり見えるのもこの視点のおかげだ。

近代になると、斜め上からの視点の方がむしろ多くなってくる。セザンヌとマティスの例だが、写実よりも、モチーフを使って画面を構成する構成主義的な方向性が感じられる。そのための斜め上からの視点なのだろう。


2020年9月19日土曜日

大正新版画のノエル・ヌエット

Noel Nouet 

神奈川県立歴史博物館で「明治錦絵 × 大正新版画」展を観た。

大正新版画セクションは、定番の川瀬巴水が主役だが、初めて知ったのは、フランス人のノエル・ヌエットという人で、戦前戦後にわたって日本で活動した画家。万年筆でペン画を描いたが、版元がそれに色を加えて版画作品にした。ペンの繊細な線と木版画が組み合わさった独特の魅力がある。代表作の「東京風景」シリーズから数十展を見ることができる。

上から「神楽坂」「芝古川」「日本橋」


2020年9月17日木曜日

ワイエスの絵に見るアメリカの“縁側”

Porch in Wyeth 

ほとんど絶滅危惧種になってしまった縁側だが、時間の有り余ったお年寄りが、一人でぼんやりしているのに適した居場所だった。縁側の特徴は、隣人や通りがかりの知り合いも座れる、外の社会にも開かれた場所であることだ。

内でもあり、外でもある曖昧な空間である縁側は日本独特のものだと思いがちだが、そうでもない。縁側に近い機能を持った空間は外国にもある。アンドリュー・ワイエスの絵にそういう例を見ることができる。

ワイエスの「Christina Olson」は、足が不自由なクリスチーナが、ドアを開け放して、そこに座っている。風景と光と風を感じながら一日中この ”縁側” で過ごしているのだろう。

しなければならないことの少ない老境の人にとって、何もしないでいる時間を心地よく過ごせる居場所が必要だ。読書など、心に集中することがあれば室内でもいいが、そうでなければ独房にいるような気分になってしまう。景色を眺めて気を散らせる縁側のような場所がいい。

ワイエスの「Fast Lane」という絵で、車に轢かれたリスが死んでいる。つまり手前は道路で、Fast Laneとは高速車線のこと。

それはともかく、一般的なアメリカの家には必ずこのような「ポーチ」があって、そこが縁側の役割をしている。ポーチは玄関の前にあり、屋根がついている。屋根が無い場合は、テラスと呼ぶようだ。だいたいは玄関のまわりだけだが、この絵のように家をぐるっと取り巻くようなものもある。
この絵の題名「Rag Bag」は「ズタ袋」という意味。ポーチに置いてあるズタ袋を犬が大事に守るかのようにこちらを睨んでいるのが面白くて描いたという。

ズタ袋の後ろにはロッキングチェアが見えるが、ポーチには必ず椅子がおいてある。お年寄りが一日中椅子に座って外を眺めている光景は映画でもしょっちゅう出てくる。ポーチは「外の空間」だが、生活感にあふれたこの絵でわかるように、ポーチは居住空間でもある。

縁側からは室内が丸見えだし、すぐに畳の部屋に入れるから、プライバシー性はほとんど無い。対してポーチは玄関のドアを通らなければ室内へ入れない。そこが縁側と大きく違う。
この「The Swinger」ではポーチに二人がけのブランコ椅子があるが、これもけっこう普通のようで、映画でもたまに見かける。この絵では、若い男が広々とした風景を眺めながらくつろいでいる。「何もしない時間の豊かさ」が感じ取れる。
この「Easter Sunday」のように、ポーチは屋根があるから、雨や雪でも、過ごすことができる。また夏でも、陽射しを避けられるので、快適に過ごせる。ポーチで飲んだり食べたりする光景もしょっちゅう映画で見かける。

なお、バルコニーやベランダも半戸外空間だが、2階以上にあって、直接外とつながっていないのでポーチとは根本的に異なる。

2020年9月15日火曜日

ディズニーアニメの白雪姫は、なぜ日本人顔か?

 Snow White and the Anglo-Japanese style

「白雪姫」は戦前の 1 9 3 7 年公開の、ディズニー初の長編アニメだが、世界に大きな影響を与え、アニメの原型を作った画期的な映画だった。ところで、この白雪姫の顔は日本人に見える。赤いほっぺた、黒い髪、タレ目、小さい唇、などによるが、それはなぜか?

このアニメのキャラクター作りに、女性イラストレーターのジェシー・ウィルコックス・スミスという人が参加している。子供向け絵本のイラストレーターだが、「白雪姫」の挿絵も描いていて、その白雪姫は、もっとはっきりと日本人の女の子だ。アニメの白雪姫はこの影響を受けている。(ディズニー映画研究者の高橋ヨシキ氏による)


1 9 世紀後半から 2 0 世紀初めにイギリスで「アングロ・ジャパニーズ・スタイル」が流行った。日本文化の影響を受けたイギリスの美術で、同時代の「ジャポニズム」のイギリス版のようなものだ。イギリスで活躍していたアメリカ人画家ホイッスラーは、その影響を受けて、着物姿の日本女性を描いた。ホイッスラーはアメリカン・イラストレーションに影響を与えた人なので、ジェシー・ウィルコックス・スミスのように、イラストレーターが日本人顔の女性を描いた。このように回り回った結果、アニメの白雪姫の顔ができた。


2020年9月13日日曜日

「ムーラン」 世界を ”ディズニー化” するディズニー映画

「MULAN」and  "Disneyfy"

ディズニー映画「ムーラン」がエンドロールで、ウィグルでのロケ支援に中国政府へ謝意を表したため、世界から批判を浴びている。

予告編を見たが、映画は露骨なくらい中国市場をターゲットにしていることが分かる。制作途中で、セットが本物の中国らしくないと中国側から注文がついて、撮り直したりしたそうだ。また中国系アメリカ人の主演女優が香港問題で、中国政府を支持する発言もした。

ディズニー映画が「夢とファンタジーに満ちた善の世界」であることと裏腹に「欺瞞的な娯楽で儲ける金儲け主義の権化」と今までも批判されてきた。「暗黒ディズニー入門」(高橋ヨシキ   2 0 1 7 )はディズニー映画の裏に隠された闇を解き明かしている。

ディズニー初期のアニメ「南部の唄」は人種問題で批判を浴びたことで有名だ。白人の子供と黒人の使用人との心温まる交流を牧歌的に描いた映画だが、奴隷制度時代が舞台なのに、人種差別など無かったかのように描いているとして、反人種差別団体からボイコットされた。

「ディズニー化する」という意味の「Disneyfy」(ディズニファイ)という造語があるそうだ。物事から「不快さ」や「政治や宗教などの問題になりそうな要素」を取り除いて、人々にとって受け入れやすい状態にする、という意味だ。しかし「ディズニー化」はいいことばかりでない。歴史的事実や、現実に存在する問題を無かったことにすることがある。「南部の唄」がそれだった。

「ムーラン」もそれに似ているようだ。必然性がないのに、わざわざウィグルでロケをしておいて、「ディズニー化」することで、人権問題など無いことにしている。おかげで中国政府の支援を受けられたのだろうが、それがエンドロールでバレてしまったということだろう。  


2020年9月11日金曜日

映画「The Wave ウエィブ」

「The Wave」 

「The Wave ウエィブ」は、1 9 6 7 年にアメリカの高校で実際にあった事件をもとにしたドイツ映画だが、面白くも恐ろしい映画だ。

「現代史」の教師が、ナチズムの模擬体験演習を始める。教師が独裁者役になり、生徒が独裁者を敬う国民役になる。敬礼、制服、組織名、ロゴ、などを決める。最初は遊び半分だった生徒たちは、だんだん本気で規律を守るようになり、のめり込んでいく。お互いの連帯意識が高まり、クラスは団結し、熱狂的になる。さらには狂信的なカルト集団のようになっていき・・・

狂信的な生徒の、銃による射殺事件が起きる。そこで生徒たちは、はっと我にかえる。自分たちが今やっていることは、ナチズム時代の国民と同じではないかと。

独裁者のヒトラーは、国民を強権的に自分に従わせたのではなく、むしろ国民が自発的にヒトラーを熱狂的に支持し、忠誠を誓い、一致団結していたのがナチズムの本質だった。そのことに生徒たちは気づき、ナチズムは過去のことではなく、新しいヒトラーが現れれば、自分たちも熱狂してしまうかもしれない、という恐ろしい気持ちになる。


2020年9月9日水曜日

ガウディのサグラダ・ファミリアの形 懸垂曲線

Sagrada Familia and catenary

 二点の間に紐やチェーンを垂らすと「懸垂曲線」という曲線ができる。二点の間隔と紐の長さの違いで形はいろいろだが、身のまわりにたくさんある。数学的な美しい曲線で、デザインや建築に応用されることもある。


ガウディはこの曲線を作るための有名な「逆さ吊り実験」装置を作った。できた曲線を上下逆さまにした形をサグラダ・ファミリアの塔の形に使った。これがガウディの初期のスケッチ。



聖堂内部にもこの形が使われていて、柱と梁がひとつながりの懸垂曲線でできている。この曲線にすると、荷重が柱の上から下まで圧縮荷重として伝わっていくので、つっかい棒無しで大空間を作ることができる。力学的に合理的な構造だ。完成して支えの足場をはずすとき、職人たちは恐怖で逃げ出したそうだが、ガウディは自分ではずして、なんでもないことを証明してみせたという。

2020年9月7日月曜日

フェルメールの食器の遠近法

Vermeer

静物画の食器で、皿やグラスなどよりも、コーヒーカップ、ジョッキ、ポットなどの取っ手のついた食器は正しく描くのが難しい。本体と取っ手の関係がおかしくなりやすいからで、しかも狂っていることが一目でバレやすい。

このポットの絵で、取っ手は注ぎ口と 1 8 0 度反対側にあるはずだが、手前に角度がついているように見える。注ぎ口を含み、胴体の中心軸を通る平面上に取っ手も乗っていなければならない。正しくは白い点線のように見えているはず。(この取っ手が特殊でなく、普通の形をしている前提だが)

遠近法が正確なフェルメールは、部屋や家具だけでなく、細部の小さい物まで正確に描いている。「牛乳を注ぐ女」でも、牛乳のピッチャーの取っ手と注ぎ口は円の中心線上にぴったり乗っていて、かつ 1 8 0 度反対の位置にある。これは口が正面を向いているから易しいとしても、斜めから見ているパン籠も正確だ。両側についた取っ手がぴったり円の中心線上に乗っていて、かつ正対して向き合っている。作図すると正確さが確かめられる。


2020年9月5日土曜日

映画「戦ふ兵隊」

 A Documentary film (1939)  on Sino-Japanese War

日中戦争時に作られた戦争記録映画「戦ふ兵隊」を観た。戦意高揚を目的として、陸軍から要請されて作った映画だから、プロパガンダ映画のはずだったが、亀井文夫監督は「反戦映画」にしてしまった。勇ましい戦闘シーンもなく、戦争に疲れた虚しい表情の兵士を撮っている。また戦火で家を焼かれた中国人住民の悲しみをカメラは追う。それらを淡々と撮ったドキュメンタリー映画の傑作だ。

あの時代によくこんな映画をと思うが、やはり検閲に引っかかり、上映禁止になり、亀井文夫監督は治安維持法違反で検挙され、投獄されてしまう。この幻の名作が復刻されて DVD 化されている。


2020年9月3日木曜日

フランク・ロイド・ライトがモデルの 小説「水源」

「The Fountainhead」 by Ayn Rand

アイン・ランドの小説「水源」は、「摩天楼」という題名で映画化されていて、そちらは観ているが、改めて原作を読んでみた。小説の形をとっているが、アイン・ランド自身の思想を主張するための本だ。主人公が建築家で、彼の建築理念を語らせることを通して自分の思想を語っている。そしてこの建築家のモデルが、あのフランク・ロイド・ライトだという点も興味深い。

ライトは伝統主義建築を否定したモダニズム建築の先駆者だが、新しいアイデアが泉のように湧いてくる天才だったので、題名が「水源」になっている。主人公は過激な演説をする。「自分の革新的な建築を理解できない凡庸な大衆を自分は嫌悪する。無知で怠惰なくせに依存心ばかり強い寄生虫的人間が、才能のある創造的な人間の足を引っ張っている。」優れた人間を、大衆は邪魔するなというのだ。

アイン・ランドは、能力がある人や努力した人が勝者になるのは当然とする市場原理経済を主張し、個人の能力を最大限に発揮できる自由至上主義社会を唱えた。アメリカン・ドリームを目指して社会を自力ではい上がっていく人を尊び、敗者になった人が社会のせいにするのを嫌悪した。そして貧しい人たちを社会福祉政策によって国が救済する平等主義社会に反対した。それを建築家の言葉で代弁させている。

アメリカ政治はこの思想の影響を受けてきた。トランプ大統領はこの本の愛読者だと公言しているそうだが、確かに政策は近い部分が多い。国民も社会的弱者(多くは黒人層)のために税金を使うことに反対する。おかげでビル・ゲイツのような大金持ちの事業家を輩出した反面で、アメリカはいまだに先進国の中で国民健康保険の無い唯一の国だ。だから貧しい人はコロナに感染しても病院に行けないので、結果的に死亡者数が世界一になる。


2020年9月1日火曜日

ゴッホの「ジャガイモ」、マネの「アスパラガス」

 Gogh’s「Potatoes」 and  Manet’s「Asparagus」

「画家の食卓」という本は、絵画に描かれている食材などから、その画家が食べていた料理を推定し、それを実際に再現して、レシピも紹介している。このユニークな本の著者は、キュレータであり、料理研究家でもある 林 綾野さんという人。例えば・・

●ゴッホの「黄色い鉢に入ったジャガイモのある静物」・・・ジャガイモスープ
●マネの「ひと束のアスパラガス」・・・ホワイトアスパラガス・オランデーズソース