2024年3月30日土曜日

新作「ゴジラ -1.0 」と「ゴジラ」の歴史

 「Godzilla Minus One」and  Godzilla history

「ゴジラ -1.0 」が今年のアカデミー賞の視覚効果賞を受賞した。「ゴジラ 70 周年記念」とうたっているが、その間に制作されたゴジラ映画は 30 本以上にのぼるそうだ。

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その第一号が 1954 年の「ゴジラ」だった。戦後まだ9年しか経っていないこのころ、漁船「第5福竜丸」が太平洋で、アメリカの水爆実験で被爆して船員が死亡した。当時、この事件が連日大きく報道されていたのを今でも覚えている。「ゴジラ」はこの事件をもとにしている。水爆実験で住処を失った太古の両棲類がよみがえったという設定だった。当時のポスターにも水爆大怪獣とか、放射能を吐く大怪獣といった言葉が躍っている。

国際政治学者で映画評論家の村田晃嗣氏は解説している。「この映画が日本の反米・反核運動のきっかけになった。そしてこの年、すでに日米安保条約が締結されていたにもかかわらず、ゴジラの日本襲撃に在日米軍は出動しない。ゴジラ自身がアメリカを象徴しているとすれば、在日米軍がゴジラに立ち向かわないのは当然である。」

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それから 60 年後の  2014 年にハリウッド版「GODZILLA」が公開された。この映画では、ムートーという怪獣が登場するが、それは放射能を餌にして増殖する不気味な怪獣だ。東アジアで生まれたこの怪獣が太平洋を渡ってサンフランシスコに上陸して都市を破壊する。これに米軍が立ち向かうが全く歯がたたない。そこで日本の科学者(渡辺謙)が協力して、ゴジラに戦わせてムートーをやっつけることになる。死闘の末にゴジラが勝つ。そして最後に生まれ故郷のアジアに向かって去っていく。

同じく村田晃嗣氏の解説。「この映画は、2001 年に起きた同時多発テロで高層ビルが破壊されたのと同じシーンがたくさん登場する。また 2011 年の東日本大震災での福島の原発事故そのままの場面も出てくる。ムートーの破壊行為は、自然災害や原発事故、国際テロを含んだ 21 世紀の新型の脅威の複合体なのだ。」 

そして、「東アジア発のムートーには経済力・軍事力で巨大化する中国の脅威が投影されている。それに対抗する「GODZILLA」の名前には「GOD」(= 神)が含まれていることから、ゴジラは人類を救う「救世主」になっている。そして第1作と違って、日米両国は緊密に協力しあっている。映画が公開された 2014 年は、安倍首相のもとで、集団的自衛権行使を認める安保法制が成立した年であり、その日米の関係性が映画に反映されている。」という。

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2016 年には「シン・ゴジラ」が登場してヒット作になった。ゴジラ襲来に対応する政府の無能さと混乱ぶりが細かく描写されている。福島原発事故の時の政府の右往左往ぶりをそのまま再現している。

支援のためにアメリカから派遣された役人が、被害が自国へ及ぶのを恐れて、核兵器を使って殺せという指図をする。そうすれば日本人にも被害が出るのが分かっているのに身勝手な指図だ。アメリカに対して従属的な日本政府がどう対応するかでまた右往左往する。

同じく村田氏のコメント「日米関係で日本は何を失い、その代わりに何を得ているのか、こうした問いかけなしには、 1954 年の「ゴジラ」を超えることはできない。」

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そして今度の新作「ゴジラ -1.0 」は、時代設定が日本の敗戦の年 1945 年になっている。戦争で全てを失い、「ゼロ」になった日本がさらにゴジラに追い打ちをかけられ「マイナス」になってしまうというのが題名の意味だ。

生き残りの特攻隊員が主人公で、一人だけ生き残ったことに負い目を感じている。アメリカとの戦争は終わったが、”自分の戦争” はまだ終わっていない。それを終わらせるために、特攻攻撃で体当たりしてゴジラを倒す作戦に志願する。自分も死ぬ覚悟だ。

この映画にも当時の国際情勢が反映している。すでに米ソ冷戦が始まっていて、ソ連を刺激したくないアメリカは、ゴジラのために在日米軍を出動させることを拒否する。そして自衛隊が発足するのはまだ数年先のことだ。そこで元日本軍兵士たちの民間人ボランティアを集めて戦うことになる。主人公もその一人だ。

一機だけ残っていた旧日本軍の戦闘機を補修して特攻に使うことになる。戦時中の日本の戦闘機は被弾しても、アメリカ軍では常識だった脱出装置がなく、パイロットも一緒に死ぬのが当たり前だった。だから主人公は涙の別れとともに出撃する。ところが映画のエンディングで、任務を果たした主人公のパラシュートが空に浮かんでいる。補修をした元日本軍の航空整備兵が脱出装置を追加していたのだ。このエピソードで映画は、戦前の軍国主義と人命軽視(特攻という発想自体がそうだ)への抗議をしている。

以上のようにこの映画は、時代設定を日本の敗戦直後にしたために、今までの「ゴジラ」が SF 的怪獣ディザスター映画だったのとは違うリアリティを感じさせている。

2024年3月28日木曜日

北朝鮮の怪獣映画「プルガサリ」

「Pulgasari」

北朝鮮の映画はめったに見られないが、「プルガサリ」という映画をDVD で見ることができる。1985 年制作の怪獣映画だ。今の金正恩の父の金正日はかなりの映画マニアで、数万本のフィルムライブラリーを持っていたそうだが、その金正日の肝いりで作られた。東宝のゴジラの特撮チームが招かれて参加している。だからこの怪獣はゴジラにそっくりだ。もっとも現在の VFX の時代より前なので迫力はそれなりだが。

朝鮮の高麗時代が舞台で、圧政に苦しむ農民が反乱を起こすのだが、それを助けて朝廷の軍隊を全滅させるのが「プルガサリ」という巨大怪獣だ。

この怪獣は鉄を餌にして成長して、強くなっていく。そのため農民たちは、鍋釜や農具を餌をとして与えている。しかし最後に鉄製品が尽きてしまい生活ができなくなり、プルガサリも餌の鉄が無くなって死んでしまう。

最後に主人公の女性が「このままでは世の中から鉄が無くなり、各国が鉄を得ようとして戦争になるだろう」とつぶやく。なにやらこのストーリーは、核で軍事的に強くなったのと引き換えに国民が食べるものに困っている北朝鮮を思い浮かべてしまう。そして国民の本音が思わず滲み出てしまっているように見える。もちろん金正日はそんなつもりではなかっただろうが。


2024年3月23日土曜日

万年筆をジャンボジェットサイズに描く

Perspective


遠近法(透視図法)を習い始めた時の教科書に載っていたこの図に強烈な衝撃を受けた。それまで消失点のことくらいしか遠近法の知識がなかったが、この図は遠近法のもっと本質的なことに気づかせてくれた。

まず万年筆のスケッチ(いちばん上)をする。次にそれを現物より大きくなった状態を想像して描く。次々にどんどん大きくさせていき、最後はジャンボジェットくらいまでに大きく(いちばん下)する。

人間が描かれているが、これは人間との対比で大きさを感じさせるためだけではない。人間の目を通る水平線が描かれているのがいちばん大事な点だ。人の目の高さ(アイ・レベル)は地平線(ホリゾンタル・ライン)と一致するという遠近法の大原則を教えている。また消失点はアイ・レベル上にあるということも気づかせる。

この図で、大きくなるほど地平線の位置が下へ下がっていき、ジャンボジェット万年筆では人は真上を見上げている。 そして消失点は大きくなるにつれて万年筆に近づいてきていることもわかる。

遠近法は物の形を ”正しく” 描く方法だが、これを逆用して、”ウソ” を描くこともできる。それが面白くて、犬小屋を人間の家にしたり、高層ビルにして遊んでいた。(図は「Perspective :A New System for Designers: by Jay Doblin」より)


2024年3月19日火曜日

3点透視で描く建物の絵

 Three - point Perspective

マンションの広告でよくこんな写真があるが気になる。建物の縦ラインが完全に垂直になっているので、上広がりの頭でっかちに見える。写真のあおり補正のしすぎで、視覚的にとても不自然だ。

もうひとつは、最上層の屋根の角の角度が 90 度以下の鋭角になっている点で、 こういう見え方は現実にはありえない。超広角レンズか何かで撮ったときに現れる現象だ。


この写真の不自然さは、透視図法の原理から説明できる。下図(図は「Perspective」より)は、立方体を、左は2点透視図法で、右は3点透視図法で、描いた時の比較をしたもの。


左図で、立方体をだんだん下から上を見上げる角度になっていくが、一番上までいっても立方体の縦ラインは垂直のまま変わらない。そして立方体の手前の角がだんだんシャープになっていき、一番上では 90 度になっている。 90 度とはつまり、建物の壁に目をぴったりつけて上を見た時と同じで実際にはありえない。上の写真が不自然なのは、撮った写真を、この状態になるまで補正しているからだ。

以上の不自然さをなくすために、普通は右図の3点透視図法が使われる。上方向にも縦ラインが収斂し、上方に第3の消失点ができる。そして立方体の縦ラインは上に行くほど長さが縮んでいき、一番上では立方体は底面しか見えなくなる。これが人間の視覚にあった描き方だ。


ヒュー・フェリスは建築家兼画家で、 20 世紀初めにニューヨークの摩天楼がニョキニョキ建ち始めたころ、未来都市の高層建築のイメージを描いた。それはアール・デコの時代だったので、その当時流行のデザインだが、幻想的で一種異様な感じの絵を描いている。この絵は、建物の縦ラインがわずかに上方へすぼまっていて、3点透視になっている。

絵画では、3点透視はあまり多くない。風景画で高層ビルがモチーフになることが少ないし、あっても遠くから見た点景として描かれる場合が多く、見上げるような近くから見た高層ビルはあまり描かれない。

モネは「ルーアン大聖堂」という連作を描いたが建物の縦ラインは完全に垂直で、2点透視になっている。建物が5階建くらいで、しかもモネは向かい側の建物の2階から描いたというから、さほど上を見上げるよう角度ではない。だから3点透視にしなかったのだろう。

2024年3月17日日曜日

狂わないデッサンの描き方

Studying the Pitcher


アマチュアの絵でこんなのを見かけたが、形がおかしい。静物画では、形の狂いがあると絵全体が嘘っぽくなってしまう。だから絵画教室の先生などは「モチーフをもっとよく見て」というが、目測だけで描いていると、狂いになかなか気づかない。そこで「物の形を構造的に見る」ことが必要になる。

下の図(あるデッサンの教科書の図に加筆)で、水差しの「構造」が示されている。ポイントは
・注ぎ口も取っ手も胴体の円錐の直径の線(C)上にある。
・取っ手の上と下の付け根を結ぶ線(B)の消失点は、胴体の円錐の(A)の消失点と一致する。
・底面は楕円で、胴体の線に外接している(○印)。



これに照らしてもとの絵を見ると、すべての点で狂いがある。
・取っ手の水平部分が胴体断面の円の中心軸を向いていない。
・取っ手の下の付け根が左側へずれていて、よじれている。
・胴体の線と底面の円が外接していないので、角がとんがっていて楕円になっていない。



2024年3月14日木曜日

円周率の日

 

今日、3 / 14 は「円周率の日」だと TV で言っていた。誰が何の目的で決めたのか知らないが、相変わらず語呂合わせのくだらない”記念日” だ。

「ゆとり教育」は 2002 年から2011 年まで約十年間続いたが、その間の日本の子供の学力低下は激しかった。その代表が円周率を「3」として教えるという文科省の学習指導要領だった。(実際は、計算を簡単にするために、小数点以下一桁までという方針のもとで、「3」ではなく、「3でもいい」といういことだったらしいが。) 円周率は数学の不思議さや面白さを感じさせる入り口だと思うが、数学(算数)を暗記科目としか認識していない文科省の愚かな政策だった。小学生の孫に、円周率はいくつと教わってる?と聞いたら「3 . 14」と言ったので、今は「3」が廃止されているようで安心したが。

ゆとり教育の時代に、ある大学の教育学部の教授は円周率について、円周率の数値よりも円周率の意味が分かっていないことが問題だとして、小学生に実験的な授業をした結果を報告している。実に興味深い内容だ。

まず一人一人に缶ジュースを配る。そして、缶の高さと円周はどちらが長いと思いますかと質問する。全員が「高さ」と答える。(我々大人でもそう思うだろう)ところが実際に測らせると円周の方がずっと長いことがわかり皆びっくりする。そして次に、円の直径と円周の長さを測らせる。そして、両者の比率を割り算で計算させると、「3 . 14」という答えがでる。円周が直径の3倍以上あることを知り、またびっくりする。そして円周率の意味を理解する。(この論文は、立花正男「円周率の指導について」で、ネットで読める)


2024年3月13日水曜日

映画「アレクサンドル・ネフスキー」

 「Alexander Nevsky」


今のウクライナ戦争から思い出して、「アレクサンドル・ネフスキー」を見た。「戦艦ポチョムキン」の巨匠エイゼンシュタインの作品だ。

中世のロシアは周辺の国々から脅かされていたが、侵攻してきたドイツ軍を英雄アレクサンドル・ネフスキーが撃破して国を救うという歴史絵巻大作だ。

映画は 1939 年制作で、ソ連とナチスドイツが第二次世界大戦で激突する直前の時代だった。歴史映画でありながら、戦争へ向けて、国民の戦意高揚をねらった国策的プロパガンダ映画だ。

だから映画は、ドイツ軍をナチスになぞらえている。ドイツの司教の帽子にナチスのマークがついている。中世にナチスなど存在しなかったのに。

エイゼンシュタインは「イワン雷帝」も撮っている。これもロシア周辺の国を次々に征服してロシアを大国にしたイワン雷帝を描いた歴史映画だ。外国の大使に向かって雷帝が威嚇しているシーンで、壁に威圧的な影があり机には雷帝の野望を表わす地球儀がある。

これは1945 年の制作で、第二次大戦でロシアがナチスドイツに勝った年で、”強いロシア” が映画に反映されている。だからスターリンはこの映画を絶賛した。

「アレクサンドル・ネフスキー」のエンディングで、凱旋したネフスキーが国民に向かって叫ぶ。『ロシアは健在だ。誰もが恐れることなく訪れればいい。だが、剣を携えて来る者がいれば剣にて滅ぼされよう。ロシアは今もこれからもこの信念を変えることはない。』 なるほど、 21 世紀の現代でもプーチン大統領にこの信念は受け継がれているようだ。


2024年3月11日月曜日

ゴッホの「アルルの寝室」は、遠近法を「無視」している?

 The perspective of  "La Chambre à Arles"


ゴッホは、「対象の描写」の印象派から、「内面の表現」のポスト印象派のへ移行していった時代の先駆者といわれている。それは、自由奔放な荒い筆致や、形のデフォルメに現れている、というのが通説になっている。


その具体的な例として、有名な「アルルの寝室」について、こんな解説がされている。(某美術史の本より)

『「アルルの寝室」は、ベッドや椅子などの消失点がバラバラで一致していない。遠近法の無視による空間の歪みが、見るものを不安にさせ、それでいて惹きつけられる魅力になっている。』

しかし本当に「遠近法の無視」がされているのか? 確かめてみた。ベッドや椅子の消失点は、黒線のように、奥の窓のあたりの消失点にぴったり一致している。壁の絵の額縁までも正確で、決して上の解説のように「バラバラ」ではない。


しかし、奥にあるテーブルと椅子は、同じ消失点に収斂していないことが、人によっては「バラバラ」に見えるのだろう。しかし絵からこの部屋の平面図を描くと、こんな感じになる。つまり奥のテーブルと椅子は壁に平行ではなく、角度がついて置いてある。だからそれらの消失点は別のところにできるのは当然で。遠近法のイロハだ。だからこの絵が「バラバラ」だと思うのは間違っている。





もうひとつ、あまり指摘されていないことだが、ベッドと椅子の手前の線が傾いていることだ(左図の白い四角)。絵は一点透視で描かれているから本来は水平になるべきだが、そうなっていない。ところが面白いことに、親友のゴーギャンに ”いまこんな絵を描いてます” という手紙を出しているが、そのスケッチではベッドと椅子の線は水平線(右図の赤い四角)で、遠近法どおり ”正しく” 描かれている。


この部屋はかなり狭いようで、ゴッホは手前の壁にくっつくくらいの位置で描いているはずだ。だから、ベッドと椅子はゴッホからかなり近い距離にあり、ゴッホは足元を見下ろすのに近い視線で見ている。だから広角レンズで撮った写真が近距離で歪みが生じるのと同じ歪みがゴッホには見えているはずだ。ところが一点透視図法では、ゴーギャンへのスケッチのように、歪みを補正して水平線にしてしまう。人間も網膜には歪んで見えているのだが、脳内で補正して水平に見てしまう。ゴッホは、スケッチでは遠近法どおりに ”正しく” 描いていたが、本番ではその補正をせずに、あえて網膜に映ったとうりに通りに描いたのだろう。(こういう透視図は「網膜像透視図」と呼ばれることがある)


以上からゴッホは、美術評論家の先生方よりずっと遠近法に詳しいことが分かり、この絵も決して「遠近法を無視」などしていないことが分かる。そもそもこの絵を素直に見れば、解説者が言うように「見るものを不安にさせる」ことなどない。友人のゴーギャンが同居することになり、その部屋を描いたもので、その喜びが伝わってくる明るい絵だ。

2024年3月8日金曜日

光の描き方

 「Color  &  Light」

絵の楽しさはなんといっても「光」を描くことだが、とかく「色」と「形」だけにしか意識が向かないことが多い。「カラー&ライト」( J・ガーニー著)という本はさまざまな「光」の種類と、その描き方を教えてくれる貴重な本だ。その中からいくつかを紹介。(画像はすべて著者自身の作品)


「直射日光」と「曇天の光」。二つはもっとも基本的な太陽光で、明暗のコントラストや色の鮮やかさの違いが分かる。


「反射光」 晴れの日は特に周囲からの反射光に影響されやすい。建物の屋根の部分で、上向きの面は青空の反射を受けて青色になっていて、下向きの面は地面の反射で黄色になっている。

「街灯と夜景」 月明かりの青色と店の明かりの暖色が魅力的な対比を作っている。


「エッジライト」 背後に太陽などの強い光源がある場合、手前にある物の輪郭が明るく光る。ここでは羊の背中にハイライトができている。羊の影から太陽が正面の真上にあることが分かる。

「木漏れ日」 木の葉の間を通過した日光は、大小の円や楕円のスポットライトを地上に投げかける。屋根や壁に木漏れ日が映っている。


「ゴルデンアワーの光」 夜明けや夕暮れに、太陽が地上を照らす時、あたりは鮮やかでドラマチックな色で染まるが、これを「ゴールデンアワーの光」という(写真用語からきている)。この絵で墓石が金色に輝いている。空は上空の青みがかったグレーから明るい黄色へ変化し、地平線近くではオレンジに変化している。

「カラーコロナ」 極めて明るい光源の周囲には鮮やかな光の輪が生まれるが、これは「カラーコロナ」と呼ばれる。この日没の絵で、太陽の光が雲や地面を金色に染めている。遠景の青色の山も太陽の近くが黄色に染まっている。


「光芒とシャドウビーム」 曇天の日、雲の合間に太陽が垣間見えていて、そこから放射状の光が射し込んでいる(この写真では見えにくいが)。滅多に見られない現象だが絵にするとドラマチックな効果がある。




2024年3月5日火曜日

”隠れている” 円を見つけて描く

Hidden Circle

絵画で、鉛筆をかざして目測で対象のプロポーションを測ることがよく行われる。このイラストは、古代エジプトの絵画教室という架空の風景で、昔ながらの方法を多少の皮肉を込めて描いている。「目測」とは文字どうり「目で測る」ことだから、目に見えていない物は測ることができない。しかし世の中には目で見えない物を見ないと正しく描けない物がたくさんある。いくつか例をあげてみる。



人物画で、モデルをいくら見ても、見えるのは顔の表面だけだから、目や口の位置や大きさなどの見えていない顔の「構造」を見る技術が必要になる。

人間の頭は卵形だから、水平面で輪切りにすると断面は円になる。目も口もその円の上に乗っている。それを押さえて描くと、目測よりも正確に描ける。そしてどんなポーズにも応用できる。

見えていない「円」を見つけて利用すると、役に立つことが多い。色々な例をあげてみる。



回転椅子の例だが、特に4本の脚は放射状で、しかも上下方向にも角度がついていて目測で正しく描くのはとても難しい。脚の先端は、隠れている「円」の上に乗っている。それを見つけて、ガイドにして描くといい。また円の中心は座面の中心と同じ軸上にあることも重要。



ベルギーの画家ハンマースホイは室内画をたくさん描いたが、ほとんどの絵で開いたドアを描いている。この「白い扉、ストランゲーゼ 30 番地」という作品は代表作の一つだが、3つの扉がすべて開いている。扉を開けることによって見える空間の奥行きを描いている。

開いているドアは遠近法で幅が縮む。その縮じみ具合はドアの開いた角度によって変わる。それを目測で描くのは難しい。左のドアはほとんど 90 度で開いているので幅が極めて狭くなっている。それが正しいかどうかをチェックしてみたが、やはり正確であることが分かる。このように回転するものには必ず「見えない円」が存在するので、色々なものに応用できる。



2024年3月2日土曜日

横尾忠則と、Y 字路のとんがった家

Fork Road

近所でこんな家を見かけた。このように三角形の土地に目いっぱい家を建てると、シャープエッジのある個性的な形になる。この家の場合、Y字路に挟まれていて、あまり窓を開けられないため、コンクリートの塊のオブジェのように感じられて面白い。エッジ部分の内部空間をどう使っているのかなど住人の生活ぶりにも興味がわいたりする。



そんな家そのものよりも、家を挟んでいるY字路の方に焦点を当てて描いた横尾忠則の「Y字路」シリーズは有名だ。この「暗夜光路」という絵の場合、 Y字路の先端のとんがった家は赤提灯が見えるから居酒屋のようだ。どちらの道路の先も暗闇に溶け込んでいて見えない。人通りもなくどこか寂しげな光景だ。


Y字路を描くと、必然的に道路の消失点が二つできるのが面白い。もう一つは、家が三角形のため、奥のほうが広がる「逆遠近」のように見えるのも面白い点だ。写実的なのに遠近法に逆らっているような視覚的な違和感を一瞬感じさせる。横尾忠則は「今日はラーメンを食べようかカレーにしようかと迷うことが日常いつもある。Y字路もどちらの方向へ行こうかと迷う。しかもどちらの道を行くにしても先が暗くて見えない。」と言っている。だから題名が「暗夜光路」なのだろう。