2020年12月29日火曜日

驚異の「光」と「質感」の表現

James Toogood 「Incredible Light & Texture」 

James Toogood という水彩画家の絵がすごい。変わった名前の人だが、文字通り too good のうますぎだ。水彩で描いているが、光と質感の表現が驚異的にうまい。' 6 0 年代から ' 7 0 年代にかけて流行ったハイパー・リアリズムの流れを汲んでいるが、当時のように無機質ではなく、情感がこもった絵だ。画集「Incredible Light & Texture」から紹介。


カリフォルニアあたりの風景だろうか、真昼のまぶしいくらいの強い日差しを描いている。建物の陰の部分が隣の建物からの反射光で明るい。光の強さを感じさせる表現が見事。


日没前の空の明るさと、店の電気の明るさがちょうど均衡している。昼から夜へ切り替わるわずかな時間の微妙な光を描いている。


剥げかけた壁、たるんだテント、古ぼけたコンクリートの歩道、などの質感が年季の入った古ぼけた商店の雰囲気を出している。


濡れた歩道が美しい雨の夕景。制作プロセスが紹介されているが、特に変わったテクニックを使っているわけではなく、オーソドックスな水彩画の描き方をしている。




2020年12月28日月曜日

陰影の無いモネの絵は浮世絵の影響?

 Monet and Ukiyo-e

近代になって、絵画から光が無くなり始めたのは印象派のマネあたりからだったという。「ブラン氏の肖像」で、顔も衣服も陰影がなく、色が平面的にベタ塗りされている。レンブラントなどのように、光による陰影によって形の立体を表現する陰影法の歴史が終わっている。

形を輪郭だけで平面的に描くのは、日本の浮世絵の影響によるとよくいわれる。しかし必ずしもそうではないという。もともと西洋絵画には平面としての美しさを求める流れと、立体としての美しさを求める流れの二つがあって、両方がせめぎあってきたという。ボッティチェリの「若い女性の肖像画」は陰影がなく、線のリズムによる平面的な美しさで、ダ・ヴィンチの「モナリザ」は逆に輪郭線をなくし、陰影によって立体感を与えている。西洋絵画にとって浮世絵の平面性は新しいものではなく、従来からあった平面表現の新しい可能性に気づかせるきっかけにすぎなかったという。(「国立西洋美術館の名画の見かた」による)


2020年12月26日土曜日

クリスマス映画「すばらしき哉、人生」

 Classic Movie「It's A Wonderful Life」

毎年この季節にクリスマス映画のベストが選ばれるが、いつもNo.1はクラシック映画の「素晴らしき哉、人生」で、アメリカではこの時期に必ずテレビ放映されるという名作だ。事業で失敗した男が自殺しようとするが天使に助けられる。過去の回想シーンで、実は自分ががいろいろな人たちを助けて感謝されていたことに気がつき、人生再スタートを決める。クリスマスの日、かつて助けられた人たちが主人公を助けようと集まり、最後に皆でクリスマスソングを歌う・・・

善い人が最後に報われるという、今では考えられないくらい単純で楽天的な、一種のファンタジー映画だが、制作が第二次世界大戦直後の 1 9 4 6 年なので納得がいく。希望にあふれていた時代の気分を反映しているようだ。


2020年12月23日水曜日

「ヴィジョン・イン・モーション」

「Vision in Motion」

図書館で偶然 「ヴィジョン・イン・モーション」を見つけたので改めて読んでみた。 6 0 年以上も前、学校の教科書だったので、辞書を引き引き読んだが、日本語訳が出たのはありがたい。題名の「Vision in Motion」は「動きの視覚」とでもいう意味で、「空間」の芸術であった造形芸術が 2 0 世紀になって、「動き」という「時間」の性格を持ち始めたというのが論点になっている。美術・デザイン・写真などを取り上げているが、現在、映像やコンピュータといったメディアの発達で、ますますこの流れが強くなってきている。さまざま紹介されている作品の中から、著者のモホイ・ナジ(昔は英語読みでモホリ・ナギと言っていた)自身の作品をあげてみる。


穴のあいたパンチングメタルにピンを刺している。ピカソが始めたコラージュの発展形だが、キャンバスに貼り付けられた紙のような従的存在ではなく、素材自体が主役になっている。

無数の線が音のリズムを表現している。時間芸術の音楽と空間芸術の絵画の融合の試み。今でいうキネティック・アートの始まり。

自然主義的な絵画の真似をしていた写真から脱却する試み。透明プラスチック板の立体造形をモチーフにしたカラー写真。絵の具の色ではなく光の色で表現する写真の実験。

ガラスによる彫刻。何か光るものが流動的に動いている軌跡のように見える。運動の表現。

2020年12月21日月曜日

描かれた「夜」の世界

「At Day's Close」

2 4 時間営業しているコンビニや飲食店が普通の現代は、夜も煌々と明るく、夜と昼の区別がない。しかしまだ「夜」があった時代について書いた本「失われた夜の歴史」(ロジャー・イーカチ)はいろいろな角度から「夜」の歴史を論じていて面白い。夜を描いた絵画もたくさん出てくる。(画像は同書より)

夜は、悪魔・怪物・魔女たちが人間を支配する恐怖の時間だった。寝ていた僧侶が怪物の襲撃を受けている。グリューネバルトの祭壇画「聖アントニウス」( 1 5 1 2 年)


略奪・暴力・殺人などが横行して、夜の外出は生命の危険を覚悟しなければならなかった。フィリップ・ド・ラウザーバーグの「夜間の強盗の襲撃」( 1 7 7 0 年)

産業革命前の人々が犯罪や暴力以上に恐れていたのが火事だった。火事は財産や人命を奪う「恐るべき無慈悲な暴君」とよばれた。エフベルト・ファン・デル・プールの「夜の村の火事」( 1 6 5 5 年)

酔っ払い・売春婦・喧嘩する男など、夜の都会は猥雑な無法地帯だった。また2階の窓から道路へ排泄物を捨てているように、ロンドンは不衛生な悪臭の街でもあった。ウィリアム・ホガースの「1日の4つの時間」(1 7 3 8 年)

男たちは日が暮れると酒場に集まり、呑んだくれたりギャンブルをしたりした。中央に女性がいるのは、酒場が売春行為が行われる場所でもあったため。ヤン・ステーンの「ハートのエース」( 1 7 世紀)

産業革命後の 1 8 世紀になると、職人たちは夜中まで長時間労働をするのが普通になる。ジョセフ・ライトの「鍛冶屋の仕事場」( 1 7 7 1 年)

私的な生活では、就寝時に「これから休みます。安眠をお与えください」とい祈るのが一般的だった。火事や泥棒から守ってくれることや、悪夢を見ないことを祈った。マサイアス・ストムの「祈る老女」( 1 7 世紀)

安らかな休息の時間だった夜が近世になると、眠りは不安や恐怖の悪夢に襲われるようになる。眠れない夜の時代だ。ヘンリー・フュースリーの「悪夢」( 1 7 8 1 年)

1 9 世紀になると、夜の犯罪がますますひどくなり、対策として道路にガス灯が設置されていく。これに対して売春婦は「こんな明るいと仕事ができなくなっちゃう」と文句を言ったという。すると通行人が「まったくだ、お姉さん、愛にも金儲けにも都合のいい闇がなくなっちまう」と答えたという。すでに今日と同じ、夜のない世界が始まっている。トマス・ローランドソンの「ペルメル街でガス灯を見る」( 1 8 0 9 年)

2020年12月18日金曜日

絵画は「光」をどう描いてきたか

Light in Painting 

絵画の3大要素は、形、色、光、だが、形と色は目で見えても、光は目に見えない。だから見ようとする意識がなければ、見えていても見えない。浮世絵をはじめ日本絵画では光を描くことはなかったし、それは今でも続いていて、プロアマを問わず、光を意識して描いた絵は多くない。ちなみに欧米のアマチュア向け指導書ではほとんどの本のタイトルに「Light」という言葉が入っていて、絵を描けるようになるとは、イコール光を描けるようになることだという考えが普通であることがわかる。たまたま手元にあった本でも「Capturing the Light in Pastel」「Intuitive Light」「Color and Light」「Incredible Light」「Inspired by Light」といった具合だが、西洋絵画ではどうしてこうも光を表現することに執着してきたか、また光のどのような性質を描こうとしてきたのかを調べてみた。

宗教画の主題として「受胎告知」は数多く描かれているが、ルネッサンス期のカルロ・クリヴェッリという人の「聖エミディウスを伴う受胎告知」は最も有名だ。マリアのもとに大天使が現れて受胎を知らせるのだが、そのとき空に浮かんだ精霊がマリアめがけて光を照射している。細い光はまるで「レーザービーム」のようで、壁の小さい穴を通って室内のマリアの顔に当たっている。しかし光を当てられているマリアの顔には明暗がない。光は照らすものとして描かれているだけで、照らされたものが光によって変化することには気がついていない。


それを一変させるのが 1 7 世紀のカラヴァッジョで、「聖マタイの召命」は、右から光が射し込んでいる光に照らされた人物が明暗の強いコントラストで浮かび上がっている。人物以外は暗い闇に溶け込んでいて、ちょうど舞台で役者に「スポットライト」を当てているような劇的な効果がある。このような明暗の強調は「キアロスクーロ」とよばれる。


この「聖アンナによる新生児キリストの礼拝」は「夜の画家」とよばれたジョルジュ・ド・ラ・トゥールという人の絵で、もっぱらロウソクの光を描いた。カラヴァッジョの光が、画面の外から射している指向性のある光であるのに対して、これはロウソクが画面の中央にあって、光を囲んでいる人物の前半分を照らしていて、それ以外は闇に溶け込んでいる。見る人の視線を描かれている光景に集中させ、静かで宗教的な感情を引き起こす。この光は電球と同じく点光源の「人工光」の特徴で、太陽光が全てをまんべんなく照らすのと対照的だ。


以上の3つとも題名が「聖〜」でわかるように宗教画だが、もともとキリストの頭に後光のような輪を描いて光を表現したように、敬虔な宗教的感情を表すために光を描きたいという強い欲求があった。教会のステンドグラスの宗教画を外光の透過光で照らすというのもその表れだったという。

レンブラントの「自画像」はやはり明暗の強いコントラストで描かれているが、光の性質は暗闇の中から浮かび上がらせるようなものではない。基本的に球形である頭の3次元の形を表現するための明暗のようだ。キアロスクーロのように光そのものを描くより、光によって変化する対象の明暗変化の方に関心が向けられている。


近代の印象派になると光がさらに絵画の最大関心事になる。モネの連作「ルーアン大聖堂」は様々な天候や時間帯で描いているが、光によって影響された色の変化に関心が向けられている。レンブラントのように光が明暗を変化させるものであったのに対して、印象派は光が色を変化させるものであることに気がついた。


2020年12月16日水曜日

相原求一朗の冬の世界

 Kyuichiro Aihara,  Winter landscape

雪国の豪雪のニュースを聞く季節になり、相原求一朗の画集を久しぶりに開いてみた。冬の北海道の自然を詩情たっぷりに描いている。詩情といってもロマンチック的なものではなく、壮絶なくらいに厳しい冬の風景だ。北海道の十勝に「相原求一朗美術館」があり、また在住していた埼玉県川越市の「川越市立美術館」にも本人からの寄贈作品が所蔵されている。(画像は「相原求一朗の世界展」(川越市立美術館、2 0 0 2 年)の図録などから)





2020年12月14日月曜日

絵画の ”パワー”

Edward Bruce 「Power」

ドイツのメルケル首相のコロナ対策が世界から注目を集めた。零細企業や自営業者向けの緊急支援を、芸術・文化領域にも適用して6兆円の経済支援を決めたからだった。文化統制を行ったナチス時代の反省から、戦後のドイツは芸術・文化を通して多様な価値観と向き合うことで共生社会を築こうとしてきたことが背景にあるという。

危機の時にこそ芸術・文化の力が必要だと考えて国が支援をした例は他にもある。 1 9 3 0 年代の大恐慌時代のアメリカで、政府によって美術活動を支援する組織が創設され、多額の国家予算が投入された。それは美術家の経済的支援という意味よりも、人々が困窮で苦しんでいる時こそ、美術の力が社会にとって必要だという考え方があった。(アメリカ美術叢書「夢見るモダニティ、生きられる近代」より)

その美術支援組織のトップだったエドワード・ブルースという人は自身も画家で、「パワー」という絵がある。ニューヨークの高層ビルに後光のように神々しく光がさしていて、工業力の象徴としてのブルックリン橋が手前に描かれている。大恐慌の最中に社会のネガティブな側面を描くのではなく、アメリカの ”パワー” を示す風景に未来への希望を託しているようだ。だから多分に国策的な絵ではあるが、絵画が個人の趣味の問題でしかない日本では生まれない絵かもしれない。



2020年12月12日土曜日

ホッパーの絵画「線路ぎわの家」

 Regionalism and Edward Hopper

アメリカの画家たちもご多分にもれず、パリへ行って勉強していたが、2 0 世紀になるとヨーロッパ的な絵画から脱却してアメリカ独自の絵画を創り出そうとする。モダニズム絵画もそうだが、もう一つは「リージョナリズム」(地方主義)の流れだった。近代化されていない素朴で昔ながらのアメリカらしい「アメリカン・シーン」を描いた。アンドリュー・ワイエスもその一人だった。

エドワード・ホッパーも代表的なリージョナリストで、例えば「線路ぎわの家」は有名だ。コロニアル様式の古風な建物が、何もない平原に取り残されたように、「ポツンと一軒家」的に建っている。寂しくもあり、ちょっと不気味でもある。


この絵の影響は大きかった。映画で古い田舎が舞台の時にこのイメージがときどき使われる。ヒッチコックはホッパーの絵からインスピレーションを得て「サイコ」のセットを作ったという。人里離れた山奥に一軒だけ建っている家で起きるホラーの舞台として、この古風で不気味な家がぴったりだった。


もう一つの明らかにホッパーの影響を受けたといわれる映画は「天国の日々」。2 0 世紀初頭のテキサスの田舎の農場に働きに来る季節労働者と、裕福な農園主との話だが、農園主の邸宅がホッパーの絵にそっくりだ。大草原の中にぽつんと建っていて、まわりの風景と全くそぐわない異様さも似ているが、それがこの映画の物語をシンボライズしている。


2020年12月10日木曜日

天才水彩画家 トーマス・ガーティン

 Thomas Gartin

水彩画の本家イギリスでは、たくさんの水彩画の巨匠を輩出したが、! 9 世紀初めに二人の天才画家が現れた。ターナーとトーマス・ガーティンだ。ターナーに比べるとガーティンがさほど有名でないのは、水彩画しか描かなかったのと、わずか 2 7 才で死んでしまったからだが、ターナーは最大のライバルとして恐れていたという。

ガーティンはそれまでいい絵の基準とされていた「ピクチャレスク絵画」を捨てて、全く新しい絵画を始める。横長の画面に地平線を強調した広々とした空間を描いた。ゴツゴツした山などない、なだらかな「非ピクチャレスク」な風景をモチーフにした。やや高い視点から広い平原を見ていて、緩やかに蛇行している川が近景から地平線に向かって視線を誘導している。


川や牧草地などの緩やかな水平な線の重なりが空間の奥行きを表現している。最後に視線は遠景の教会の塔に行くが、唯一の垂直線要素が印象的な絵にしている。


空と水だけを描いていて、広々とした空気感が伝わってくる。湖のほとりの白い家が印象的。ガーティンは水彩の透明性を活かすために、ごく薄く溶いだ絵の具の色を幾つも重ねて微妙な色合いを出したという。この爽やかな透明感のある空気感はそのせいだろう。


ロンドンのテムズ川をパノラマ的に描いている。記念碑的建物があるわけでもなく、煙を出す工場など、それまであまり絵にされてこなかった都市の風景をありのままに描いている。黄色い空はスモッグかもしれない。ピクチャレスク的理想風景ではなく、リアリティの絵で、近代的絵画の始まりだった。


(画像は「英国の水彩画」と「水彩画の歴史」より)

2020年12月8日火曜日

「ギザギザが美しい」という風景画理論とリチャード・ウィルソン

 "Picturesque" and Richard Wilson

1 8 世紀イギリスでウィリアム・ギルビンという人が風景画の美しさについて理論化した。「絵のように美しい風景」を「ピクチャレスク」という造語で説明した。その例を示しているが、なだらかな丘や山の風景は「非ピクチャレスク」であり、ギザギザした丘や山は変化があって「ピクチャレスク」であるとした。(画像は「ランドスケープとモダニティ」より)


ピクチャレスク美学の推進者ギルビンが理想とした風景を求めて画家たちはあちこちを旅した。中でもリチャード・ウィルソンは「イギリス風景画の父」として有名だが、今度の「ロンドン・ナショナル・ギャリー展」(現在は大阪巡回中)で「ディー川に架かるホルト橋」が来日していた。変化に富んだ部分部分を一つの全体にまとめ上げていて、ギルビンの理論どうりだ。右手の崖が実際以上に高くゴツゴツと描かれていたり、手前の樹の形なども、ギザギザ理論に合っている。(画像は「同展図録より)


普段はリチャード・ウィルソンの絵を日本で見ることができないが、一か所だけ常設展示している場所がある。横浜山手の洋館「イギリス館」は戦前イギリス総領事の公邸だったが、その寝室にウィルソンの作品が2点飾られている。領事のコレクションだったのだろう。作者や題名などキャプションがないので、管理事務所に確認したが、やはりウィルソンで間違いなかった。



2020年12月6日日曜日

ワイエスが描く「片隅」の絵

Wyeth’s "In a Corner" 

ワイエスの数ある作品の中で最も素晴らしいと思うのは、家庭のありふれた片隅を描いた絵だ。なんでもない光景だが、昔見たようなどこか懐かしさを感じさせる。こういうところに目を向ける暖かいまなざしはワイエス独特だ。


干している洗濯物が風でなびいている。洗濯カゴの側でワンコが昼寝しているのどかな風景だ。ごくありふれた日常的な光景を魅力的な絵にしている。


納屋の中に使わなくなったボートが置いてある。ワイエスは陸にあげられて、うち捨てられたボートをたびたび描いているが、寂しさや懐かしさの感情を引き起こす。


作業小屋の前に丸太と斧が置いてある。製材している最中にちょっと休憩という感じだろうか、人間は描いていないが、人間の存在を強く感じさせる。


窓を外から見ている。向こう側の窓が見えているから小さい家なのだろう。かすかに見える室内の様子が住んでいる人のつつましやかな生活を想像させる。タイトルが「ゼラニウム」だが、中央の小さい赤い花がそれのようだ。


(画像は「Andrew Wyeth   Memory & Magic」より)

2020年12月4日金曜日

ワイエスのドアの絵

Wyeth's door 

ワイエスにはドアをモチーフにした絵が多い。「Open and Closed」では2つのドアが並んでいて、わずかに開いている片方から向こう側がが少しだけ見えている。モノとしてのドアよりも、そこを通る人間の存在を強く感じさせる。


「French Connection」は、ドア脇のコート掛けにジャケットが掛かっている。これは昔のヴィンテージふうのジャケットで、誰か知り合いの年寄りが今ドアから入ってきたばかりのようだ。


「Alvaro and Christina」は近所の知り合いの老夫婦の家の物置きを描いている。掃除道具やバケツが無造作に置かれていて、今ドアから人が出ていったばかりのようだ。ワイエスはこういう生活感の溢れるなんでもないモチーフを好んで描いた。


物置の開いたドアの向こうにバケツが見えている。掘っ立て小屋のような建物で、ドアは傾いている。このような昔ながらのアメリカの生活をモチーフにしたワイエスの絵は「Regionalism」(地方主義)と呼ばれるが、ドアが大事な役割をしている。