2026年6月27日土曜日

映画を早送りで観る人たち

 Streaming Movie

最近、映画を見るのが、NETFLIX 中心になってしまった。NETFLIX オリジナル作品がすごい量で配信されているが、それらは映画としてのレベルは必ずしも高くない。アカデミー賞などの賞をもらったという話は聞かない。そしてシリーズドラマが多いのも特徴だが、長すぎて間延びした内容が多く、2時間に凝縮されている映画のような密度感がない。だからつまらない部分はどんどん早送りで飛ばしながら見る。

NETFLIX が盛んになり始めた3年ほど前に出た「映画を早送りで観る人たち」(稲田豊史)という本は、 NETFLIX で映画を観る若者たちの実態を調べている。

 「”コスパ” のために、2時間の映画を1時間で観たい」
 「つまらないと感じたら、あとはずっ 1.5 倍速」
 「会話のないシーンは即飛ばす」
 「観る前にネタバレサイトをチェック」
 「最初と最後が分かればいい」
 「セリフで全部説明してくれない映画は”つまらない”」
 「友達との会話に入っていけないから、話題の映画は見ておく」

などを指摘している。要するに映画は「鑑賞」するものではなく、ファストフードのように ”ファスト映画” として「消費」するものになってしまった。見る側のこういう視聴スタイルの変化が作る側の作品作りにも影響して、レベルの低い映画が蔓延することになる。

2026年6月26日金曜日

映画界のビッグ3

 Theater to Streaming

ネット配信の普及で、映画界の勢力図がすっかり変わってしまった。そもそもこうなるまでの映画会社の歴史とはどういうものだったかについて「ハリウッド100 年史講義」(北野圭介)に詳しく解説されている。そのおおまかな歴史は・・・

1920 年頃から映画は、それまでの職人的監督による見せ物的な映画から脱却して「映画産業」として成長していく。映画制作は、計画的・効率的に行われるようになる。「シナリオ」が導入され、「プロデューサー」のもとで、システマティックに映画作りがされるようになる。

そして1930 年頃に生まれた「トーキー革命」により、映画産業は「黄金期」をむかえる。観客を集めるための劇場確保に多大な設備投資が行われた。そして映画会社の競争が激化した時、大恐慌が起こる。その結果、映画会社の淘汰と再編が起こり、「ビッグ5」と「リトル3」が生き残る。

「ビッグ5」とは、パラマウント、MGM、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザース、RKO、の5社。「リトル3」とは、ユニバーサル、コロンビア、ユナイテッド・アーチスト、の3社。


戦後になると、この8社すべてに「独占禁止法」の適用がなされることになる。制作、配給、上映まで垂直統合されていた各映画会社は、劇場チェーンの切り離しを余儀なくされる。また制作を誰でも行えるようになり、独立系映画会社がたくさんできる。やがてほとんどの作品が独立系の会社が作り、ビッグ5は、ただ配給をするだけになってしまう。映画会社の収益は悪くなり、他種の業界の巨大企業に吸収合併されるようになる。これらにともなって映画自体の質も大きく変化してきた・・・


・・・という歴史の流れの中で、現代はネット配信が主流の時代になった。NETFLIXはオリジナル作品を次々に制作している。また従来の映画会社から作品のライセンスを買い取り、ネット配信をしている。ということで、現代のハリウッドの新たな勢力圏は「ビッグ3」と呼ばれている。それが

 1位:ネットフリックス
 2位:アマゾン・プライムビデオ
 3位:デイズニー+



2026年6月25日木曜日

沖縄慰霊の日

 Okinawa Memorial Day

おととい 6 / 23 は「沖縄慰霊の日」だった。81年前に沖縄戦で敗北し、日本の敗戦が決定的になった日だった。

米軍が上陸し、日本軍が壊滅し、20 万人が死んで、悲惨な状態にあった当時、メディアは沖縄戦をどう報じていたか。「朝日新聞『戦時社説』を読む」(室谷克実)という本は、開戦から終戦までの朝日新聞の社説すべてを調べているが、それによると、昭和 20 年5月 27 日の朝日新聞の社説は以下のように書いている。

  「沖縄に敵が上陸してから、まさに2ヶ月。我が必殺必沈の連続猛攻は大いなる戦果を
  上げつつあったが、24 日夜半よりさらに特別総攻撃の火蓋が切られ、義烈空挺隊は
  敵が先に奪取せる2飛行場にに突入、強行着陸して、敵を大混乱に陥らしめ、特別攻撃
  飛行隊もまたこれに策応して沖縄本島周辺に敵戦艦を猛攻。・・・敵の野望を挫折せしめ
  るためには、わが1億同胞はいかなる困苦にも耐えることを誓って、つづく大戦果を祈念
  するのである。・・・忠勇武烈の皇軍はいま、沖縄死守の大決戦を戦いつつある。これに
  呼応する国民の決意と情熱は天をつくばかりである。」

すでに沖縄が壊滅しているにもかかわらず、その事実を隠蔽し、なおも国民の戦意高揚を叫び、戦争を煽っている。

それから 81年後の今年。「沖縄慰霊の日」の6/ 23 の朝日新聞の社説はこう書いている。

  「・・・沖縄では在日米軍基地の集中に伴う過重な負荷が今も続く一方で、今の政府に
  沖縄の苦難の歴史を顧みる姿勢は見られない。・・・沖縄の悲惨な歴史を風化させるこ
  となく、語り継がなければならない。・・・」


2026年6月24日水曜日

ドキュメンタリー「ホロコーストの記憶と揺れる世界」

The Holocaust

先日(6 / 22)のNHKの「映像の世紀」で、「ホロコーストの記憶と揺れる世界」があった。ホロコーストが、現代の世界に及ぼしている影響を検証していた。ドイツは加害者の罪を背負い、アメリカは救えなかった自責の念を負っている。この二つの国が現在もイスラエルを支援しているが、そのことが今の揺れる世界の原因になってきたことを検証している。


番組でホロコーストについてどう思うか、というイスラエルでの世論調査について触れていたが、下記のような結果だったそうだ。

  「このようなことが、二度と起こってはならない」    →少数派
  「このようなことが、二度と我々に起こってはならない」 →多数派

日本人が二度と日本に原爆を落とすな、と言っているようなものだが、今イスラエルがやっていることの理由がわかる。

2026年6月23日火曜日

ワイエスの「クリスチーナ・オルソン」

Christina Olson

開催中の「ワイエス展」(東京都美術館)の紹介をNHKの「日曜美術館」でやっていたが、同展の学芸員が、「境界」という言葉をキーワードにしてワイエスの作品を解説していた。

その中で、 「クリスチーナ・オルソン」は「屋内と屋外」の境界を描いているとしている。クリスチーナはその二つの「境界」に座っている。足が不自由だったクリスチーナの、外の世界への想いを表現しているというのだ。そしてこのドアが開いた戸口という「境界」は、内と外を「隔てる」と同時に、両者を「結びつける」役割をしているという。

そして「クリスチーナ・オルソン」の完成作と習作を比較している。右図が習作デッサンだが、完成作とほぼ同じようにクリスチーナが描かれている。しかし唯一髪だけが違っている。習作では髪がまとめられているが、完成作では髪が風になびいている。この「風」を描くことで、クリスチーナが屋内と屋外の「境界」に座っていることを強調しているというのだ。なかなか説得力のある説明だ。



しかしこの絵には、同学芸員が触れていなかったもうひとつの「境界」がある。それは「光と影」だ。開いたドアに斜めに光と影の境界がくっきりと描かれている。光は屋外で、影は屋内だ。その境界にクリスチーナは座っている。ワイエスには窓を描いた描いた絵が多いが、それらは、窓を外と内のつなげるものとして描いている。(ワイエスの「窓から差し込む光」について先日書いたので参考まで)→

2026年6月22日月曜日

「クライメイト・フィクション」の映画

Climate Fiction

あまり一般的になっていないが「クライメイト・フィクション」( Climate Fiction )という映画のジャンルがある。環境破壊、地球温暖化、気候変動、大気汚染、自然災害、食糧危機、などなどの環境問題をテーマにした映画だ。映画の仕立てとしては、パニック映画、ディザスター映画、などの形をとることが多い。その中から印象に残っている作品をあげる。


「ブレードランナー 2049」(2017)
第一作に続くこの続編は、30 年後の世界を舞台にした SF 映画。これは気候変動と大気汚染によって生物が絶滅し、人々は人工食物を食べて生きている。映画は空が黄色いスモッグで覆われて昼も暗いシーンが続いている。都市は壊滅していて、外を歩いているのはロボットしかいない・・・



「アバター」(2025)
地球の地下資源を使い尽くした人類が別の惑星を侵略征服し、地下資源を略奪しようとする。その惑星は自然の森が豊かで、先住民たちは自然の動植物への崇敬の念を抱いている。映画はハイテク兵器を使って資源を奪おうとする強欲な人類と、自然の一部として生きている先住民との闘いを描いている。



「ディープ・インパクト」(1998)
巨大惑星が大西洋上に落下して、超巨大津波が発生する。ニューヨークのエンパイア・ステートビルも飲み込むほど巨大で、ほとんどの人が助からない。人類の滅亡と、わずかの人だけが ”ノアの方舟” によって助かるというストーリーに、この映画の根底に聖書の終末論思想があることがわかる。



「ウォーリー」(2008)
地球がゴミで埋め尽くされ、生物が絶滅してしまう。人間が住めなくなり、他の惑星へ疎開してしまった。一人置き去りにされた孤独なロボットの「ウォーリー」は、ゴミ処理の仕事をするようにプログラムされている。ゴミを集めてゴミ捨て場に積み上げる仕事をくる日もくる日もやり続けている。しかしあるとき鉢植えに小さい花が咲いているのに気づく・・・(この映画については、以前に書いたので参考まで)→https://saitotomonaga.blogspot.com/2018/08/blog-post_2.html


2026年6月21日日曜日

ドキュメンタリー「1975 世界がひっくり返った」

 「Breakdown 1975」

NETFLIX のドキュメンタリー『1975  世界がひっくり返った』(原題:Brekedown 1975)が面白かった。1975 年にアメリカで、それまでなかったような映画が続々登場したが、それは当時の政治・社会のあり方が大転換したことの反映だったと言っている。例えば以下のような映画を取り上げている。

      「ジョーズ」
   「羊たちの午後」
   「カッコーの巣の上で」
   「ナッシュビル」
   「王になろうとした男」
   「タクシー・ドライバー」
   「ネットワーク」
   「大統領の陰謀」
   「チャイナタウン」
   「アリスの恋」

この中から例えば「王になろうとした男」について。この冒険スペクタクル映画は、二人の男が、ヒマラヤの奥地の未開の地へ行って、その地の部族を平定し、王として君臨する。そして彼らは「神の生まれ変わり」として崇められる。しかしあるとき主人公がケガをして血を流したことで、普通の人間であることがバレてしまい、主人公の権威が失墜してしまう・・・

同ドキュメンタリーの解説者によれば、この映画が作られた1975 年は、ベトナム戦争でアメリカが敗北した年で、他国に軍事介入して支配しようとして失敗したことに対する国民の批判が、この映画の背景になっているという。この映画は、アメリカの政治をパロディ化していたというわけだ。


それにしても今また、イランを攻撃したりして、自分が世界の王様になりたがっている大統領がいて、それに対して「NO KINGS !」(王様はいらない!)というデモが起きているが、歴史を繰り返しているようで面白い。