Floating feeling Harunobu & Fragonard
閑人の絵日記
ラベル
- 絵画 (674)
- 映画 (356)
- デザイン (139)
- 建築 (78)
- 写真 (66)
- 本 (48)
- 芸術 (33)
- 本、 (20)
- 絵画、 (20)
- 自動車 (14)
- 美術 (11)
- テクノロジー (7)
- ドキュメンタリー (5)
- 映画、絵画 (5)
- 音楽 (5)
- アニメーション (4)
- アート (4)
- 映像 (4)
- 絵画、映画 (4)
- 文化、 (3)
- 彫刻 (2)
- 映画、テクノロジー (2)
- 映画、建築 (2)
- 絵画、テクノロジー (2)
- 絵画、映画、 (2)
- グルメ (1)
- デザイン、建築、美術 (1)
- 写真、映画 (1)
- 台湾、歴史、映画 (1)
- 小説、映画 (1)
- 工芸 (1)
- 建築、映画 (1)
- 建築、本 (1)
- 映画、デザイン (1)
- 映画、歴史 (1)
- 本、映画 (1)
- 本、絵画 (1)
- 科学 (1)
- 絵画、デザイン (1)
- 絵画、建築 (1)
- 絵画、建築、文化 (1)
- 絵画、本 (1)
- 美術、建築 (1)
- 自動車、絵画 (1)
2026年6月7日日曜日
「浮遊感」 鈴木春信とフラゴナール
2026年6月6日土曜日
江戸のカレンダーのデザイン
Calendar design in Edo
江戸時代の暦は太陰暦であるため、大の月(30日の月)と小の月(29日の月)があり、それが一定でないので、新しい年になると、大小が一目でわかる暦(カレンダー)が必要になる。それで自分がデザインした暦を年始の挨拶として贈りあった。今の年賀状のようなものだ。それは「絵暦」と呼ばれ、絵と文字が組み合わされていた。デザインは美しいもの、面白いものが好まれ、さまざまな趣向が凝らされた。絵の中に隠し文字があるものや、一行ほどの言葉遊びになっているもの、などだった。
人々は絵暦で競い合い、絵暦の同好会ができ、「大小絵暦交換会」というイベントを毎年開いたりした。メンバーが作品を出品し、互いに批評しあったり、交換したりした。今で言えば、絵の好きな仲間同士が集まってグループ展をやるようなものだ。
そこには浮世絵の絵師も参加していた。鈴木春信もその一人で、上の作品は代表作。雨が降ってきて、慌てて洗濯物を取り込んでいる女性を描いているが、洗濯物の模様が「大「小」の文字になっている。このような多色刷りの絵暦はやがて「錦絵」に発展していった。
2026年6月5日金曜日
SNS の認知戦
Cognitive Warfare
この間あるTVで「現代の戦争 認知戦の脅威」という番組をやっていたが、その中で「ナラティブ」が大事なキーワードとして使われていた。最近よく使われるこの言葉の意味は「物語」という意味だ。敵を攻撃することを正当化するためのストーリーを作り上げる。例えばプーチン大統領がウクライナ侵攻を「欧米の侵略から、歴史的正統性を持つロシアの生存権を守り抜くため」というナラティブを主張している。トランプ大統領はイラン攻撃を「米国をイランの脅威から守るための不可避の防衛措置である」というナラティブを発信している。
今の時代は、 SNS が認知戦の最大の武器になっている。ターゲットの国の世論に働きかけて、内部を分断させ、武力を使わずに自国に有利な状況を作り出そうとする。それは巧妙に仕組まれていて、一見するとプロパガンダには見えない形で行われるからやっかいだ。
だから普段から SNS の言うことを何でもまに受ける人たちは騙されやすい。認知戦を仕掛ける側は、そういう人たちを「役にたつ愚か者」と冷笑している。それは、「ナラティブを簡単に信じてくれて、利用できる自覚のない人間」という意味だ。
そして今、日本は猛烈な認知戦を仕掛けられている。同TV番組はそのことを客観的なデータをもとに分析していた。
2026年6月4日木曜日
世界 幸福度ランキング
「Better Life Index」
この間、国連の「World Hppiness Report」という世界幸福度ランキングが発表された。しかしこの調査は主観的な意識調査で、本人が幸福だと答えれば「幸福」にカウントされるというほとんど意味のない調査だ。そこで日本は 61位という下位にランクされている。
このような幸福度調査はいろいろな機関が行っているが、OECDの幸福度調査「Better Life Index」では主観調査ではなく、具体的な指標を設けて、客観的な数値データによって各国を比較している。この調査では、日本は中位の 25位にランクされている。その指標はどんなものか調べてみたら以下のようだった。
・環境(水や空気)
2026年6月3日水曜日
家電の耐久年数
Durability of home appliances
家電製品はだいたい10年で壊れて買い替える。しかし SDGs が叫ばれる今、たった10年で買い替えるというのはたいへんな資源のムダ使いだ。
家電メーカーは、設計基準として耐久年数を決めていて、それをクリアするように設計している。しかしそれ以上に長寿命になるようには設計しない。耐久性のある素材や部品を使えば耐久年数は伸ばせるが、そうするとコストがあがるからだ。だからメーカーは、決められた耐久年数を満たしつつ、しかもできるだけ早く壊れるように設計する。それは買い替え需要を促進することにもなるから都合がいい。しかし消費者は家電製品が10年しかもたないことを当然のことのように思い込んでいる。
メーカーは、中身は何も変わらないのに、ちょっと外観を変えるくらいのモデルチェンジを毎年繰り返す。家電量販店に行くと「型落ち」と称して去年のモデルを安く売っている。だから消費者は、10年前のモデルはもう壊れても当然だし、買い替えるのは仕方ないと思っている。
家電メーカーは、こうして大量生産・大量消費をうながしてきた。しかし今の時代はちょこちょこのモデルチェンジをやめて、もっと抜本的な技術開発をして、長く売り続けられる製品を作らないと生き残れない。ダイソンの扇風機は「型落ち」はなく、同じ製品をずっと売り続けている。
2026年6月2日火曜日
日本の写真の歴史
The history of photography
写真の歴史を調べていると、必ず真っ先に出てくるのが「ダゲレオタイプ」で、フランス人のダゲールが 1839年に発明した世界最初のカメラだった。この「ダゲレオタイプ」のカメラが1840年代にオランダ船によって日本にもたらされた。幕府に支えていた時計職人の上野俊之丞がこれを使って日本初の肖像写真を撮った。
長崎に日本初の写真スタジオを開いたのは上野俊之丞の息子の上野彦馬だった。もっぱら武家などの肖像写真を撮り、日本初の写真師となった。
「ダゲレオタイプ」は日本では「銀版写真」と呼ばれ、直接 金属板に感光させて、焼き付ける方式で、感光材料の製造技術は複雑で高価だった。それは直接ポジ像を作る方式だから何枚も複製することができない。だからほとんど普及しなかった。
本当の意味で写真が日本で開花したのは「湿板写真」という方式がもたらされた1850年代からだった。ガラス板に液状の感光材料を塗って感光させる方式だった。ガラス板はフィルムと同じで ネガ / ポジ方式 だから紙に何枚も印画できた。それで初めて写真が一般に普及していった。それをビジネスとして始めたのが「横浜写真」の下岡蓮杖で、「日本写真の開祖」と呼ばれるようになった。これについては先日書いた。→ https://www.blogger.com/blog/post/edit/5842824525266145803/1455832997182821526
昨日(6 / 1)は「写真の日」となっていて、上記 上野俊之丞が日本で初めて肖像写真を撮ったことからきている。しかし本当の意味での日本の写真の始まりはそうではなかった。
2026年6月1日月曜日
グロピウスが日本建築から受けた影響
Walter Gropius
60 年くらい前、「日本美術史」か何かの授業の一環で、京都の桂離宮を見学したことがあった。桂離宮は研究目的でしか見学を許されないので、貴重な体験だった。当時からすでに、桂離宮をはじめとする日本の伝統建築の”近代性”が世界的に評価されていた。
最近「ドイツにおける日本像」という本を読んでいたら、グロピウスが日本の伝統建築から受けた大きな影響についてかなり詳しく解説している。それによると、すでに1920年代から欧米では日本建築について多くの研究書が出版されていたので、グロピウスはその写真をもとに、桂離宮や東大寺の法華堂などのスケッチをしていた。その結果が自身の建築設計に生かされ、バウハウスの教育にも反映された。
グロピウスが日本建築から影響を受けて設計した例が「ゾンマーフェルト邸」という個人住宅で、正倉院からヒントを得ている。正倉院は角材を重ねて造られており、その角材のくさび形の末端は互いに直角に交わって、外側に突き出ている。このゾンマーフェルト邸はその正倉院の構造と類似している。四隅で横木の先端が交差する構造、広く張り出した寄棟屋根、などの点だ。グロピウスが日本建築の最も需要な特徴として挙げているのは「規格化」だ。畳は 180cm × 90cm という人間が寝た時の寸法という人間的尺度が基準になっていて、その畳の寸法の倍数で何畳という部屋の大きさが規定されている。障子や襖の寸法も畳のサイズで規格化されているから、現場で現物合わせしながら造る必要がない。外で作ったものを持ってきてきてもそのままピタリとはまる。
これは「モジュール」の考え方で、西洋の建築が20 世紀になってやっと到達したことを日本では何百年も前から普通にやっていたことにグロピウスは驚嘆している。欧米では近代になって、住宅建築を工業化してプレファブリケーションが可能な「2バイ4」などが行われるようになったが、それは日本では大昔からやっていたというわけだ。もうひとつグロピウスが重視していたのは、内部と外部の空間を融合する「障子」だった。グロピウスがバウハウスの校舎を設計した時、大きなガラス窓に細い鉄の格子をはめた。それによってできる格子模様の横長の長方形は日本の障子と同じプロポーションだった。