2024年4月30日火曜日

グリーナウェイ監督の「英国式庭園殺人事件」

「Draughtsman's Contract」 

ミニシアターで上映中のグリーナウェイ監督の特集(「ピーター・グリーナウェイ  レトロスペクティブ」)でやっと「英国式庭園殺人事件」を見ることができた。キャッチコピーの「美に取り憑かれた鬼才による毒に満ちた世界」の通り、グリーナウェイ流が躍動している。

美術大学を出て画家を目指していたグリーナウェイは、映画の世界に入った後も絵を描いて個展も開いているが、映画でも必ず絵画が何らかの形で関わっている。この「英国式庭園殺人事件」では、もろに主人公が画家という設定で、絵を描くシーンが繰り返し出てくる。

!7 世紀末、主人公の画家は、広大な敷地の中の豪邸に住む夫人に屋敷の絵を描くように依頼される。高額の報酬で、主人が不在の2週間の間に、12 枚の絵を完成させるという契約を結ぶ。ところが夫人の目的は、欲望が渦巻くこの一族の陰謀のために、「証拠写真」ならぬ「証拠絵画」を描かせることだった・・・

画家は、見た風景を写真のように忠実に描く。そのために画家が使っている道具がとても興味深い。フレームにはめたガラスの上にグリッドが引かれている。それを通して風景を見るのだが、紙には同じ比率のグリッドが引かれているので極めて正確に描ける。

現在でも多くの画家がやっているが、下絵スケッチを本番で拡大する時にやるグリッド方式と同じだ。しかしこの道具では、下絵ではなく風景そのものを拡大している。そしてグリッドと目の間隔を一定にするための小さな ”接眼フレーム” までついている。この道具を3脚に乗せて、それを覗きながら描く。

考えてみればこの !7 世紀の時代は、パースペクティブの技術が発達した時代で、画家たちは、対象をいかに「正確に」描くかに熱中していた。フェルメールが「カメラ・オブスクラ」を使っていたことは有名だが、この道具も同じだ。完成した絵は写真のように細部まで正確に風景を写しとっている。


その正確さゆえに、絵は殺人事件の犯人を特定するための「証拠絵画」として使われる。しかし実は、そもそも風景そのものに細工がされていたのだが、それに気づかずに忠実に描いた画家ははめられていたのだ・・・(上の絵の右端にハシゴが描かれているのもそのひとつ)


この映画で思い出すのは、ルネッサンス時代のデューラー のこの絵で、パースペクティブの教科書の第1ページ目に「パースペクティブとは何か?」を説明するためによく出てくる。四角いフレームに糸を張ってグリッドを作り、それ越しに対象を見ながら、同じグリッドを引いた紙の上に描いてゆく。対象を科学的に捉えて描く方法として発明された「パースペクティブ」だが、そのやり方を説明している。「英国式庭園殺人事件」に出てくる画家の道具はこれとまったく同じ原理で、それをポータブル化して屋外でも使えるようにした物だ。


2024年4月28日日曜日

パースペクティブの ”良くない” 絵

 Two-point Perspective

遠近法(パースペクティブ)の教科書に必ず載っているのが、2点透視の「良くない」例で、例えばこの室内の絵。

ベッドの手前の角が 90 度以下の鋭角になっていて、このように見えることは現実にありえない。たとえ 90 度であってもベッドを真上から見ていることになるからありえない。このようになるのは消失点の A と B の間隔が近すぎるため。

これを正すには消失点の間隔を広げればいい。下図で、左の消失点は画面のはるか外にある。するとベッドの手前の角は鈍角になり、自然な見え方になる。


ただしこれは図法上の話しであって、絵画ではそうではないことがよくある。ひとつは見る人の視点が対象と至近距離にある場合で、ベッドに近い位置から見て描けば「悪い」例のようにならざるをえない。もうひとつは、上の「悪い」例の方が「良い」例よりも、ベッドが迫ってくるような ”迫力” があるから、絵画としてはデフォルメして、あえてこうすることがある。

そのいい例がゴッホの「アルルの寝室」で、ベッドと椅子の手前の角が 90 度に近い鋭角になっていて、「悪い」例に近い。これは部屋が狭いためにベッドを足元を見下ろすような角度から描いていることと、絵として動きのある構図にするために、あえてしているはずだ。


2024年4月24日水曜日

映画にみる 未来の「生成 AI 」

 Generative AI in movies

「生成AI 」は小説を書いたり、政治家になりすますなど、今までは人間にしかできないと思われていた仕事にまでも進出してくるようになった。するとそもそも、人間と AI の違いは何なのかという根本的なことが問題になってくる。

映画「her / 一人だけの彼女」は、パソコンにインストールされた声だけの女性AI に恋してしまう男のラブコメディだ。このAI は話しかけると、プログラムされたとうりに答えるのではなく、「感情」を持って話し相手になってくれる。それで彼女は美人だろうと妄想して、顔も見たいと願うのだが・・・ AI が人間との区別がつかなくなっている。




イギリスの天才数学者アラン・チューリングは、世界初のコンピュータを発明した人だが、彼は人間と人工知能の見分け方の研究をしていた。人間の Aと、人工知能のB に会話をさせ、それを隣の部屋にいる C が聞いている。そしてどちらが人間でどちらが AI かを判定させる。これが「チューリング・テスト」と呼ばれる手法で、見分ける基準は会話を通して「人間的な心」があるか無いかで判定する。

しかし AI が進化して「人間的な心」までも持つようになったらどうなるか。その生成 AI が人間型ロボット(ヒューマノイド)に実装されると見た目も会話も人間だから、街で会っても気がつかないだろう。

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」は、人間とAI の関わりを通して「人間らしさとは何か」をテーマにした名作 SF 小説だ。人間社会に紛れ込んだ殺人AI ロボットを追っている捜査官が、容疑者を捕まえる。そしてAI かどうかを見極めるためのチューリング・テストをする。人間的な感情に触れる質問だが、 AI ロボットは悲しい話題には悲しい表情をして悲しい言葉で答える。しかし脳波測定機で調べると、感情はまったく動いていないので AI ロボットだとわかってしまう・・・

「ブレードランナー」は、この小説をもとにした名作 SF 映画だった。


チューリング・テストをしているうちに、捜査官はレイチェルという美人女性 AI がロボットだと気がつく。しかし分かった後も、完璧に人間の女であるこのロボットに感情移入してしまう。そして抹殺されずにすんだ彼女は再び人間社会に紛れこんでいく・・・

もうひとつ、「心」を持った AI が登場したのが映画「エクス・マキナ」だった。ロボット研究所を訪れた主人公が美人女性 AI ロボットに会う。彼女は両親が亡くなったことに涙を流したりして人間的な感情を持っている。それで主人公は彼女に恋愛感情を抱いてしまう。そして彼女を連れて研究所を脱出し、人間社会へ戻ることになるのだが。・・・結末は、未来の AI を予測させる恐ろしいことになる。



ある意味でもっと”恐ろしい” 映画が「インサイド・ヘッド」だった。一見いかにもディズニー映画らしいファンタジック・アドヴェンチャーのアニメだ。主人公の少女の頭の中は工場になっていて、「喜び」や「悲しみ」などの感情を引きおこす担当者がいる。少女の状況に合わせて、ここは笑いなさいとか泣きなさいなどと指令を出している。つまり少女はプログラムされた脳に操られているロボットに過ぎない。(プログラムは幼い頃からの教育の積み重ねで作られる)だから人間には自由意志による「心」があって、それが AI との違いであるという論理が成り立たないことになる。このことを指摘したのはベストセラー「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリだ。しかも最新の脳科学研究によれば、 AI にない「人間的な心」と思われているものは、単に脳内の生化学的反応に過ぎないことが科学的に解明されていて、人間とAI は何の違いもないというから怖い。


2024年4月22日月曜日

絵画的な映画「天国の門」

「Heaven's Gate」 

映像が美しい絵画的な映画といえば No.1 は「天国の門」だろう。マイケル・チミノ監督のこの映画は巨額の制作費をかけたが、興行的には大失敗して非難を浴びたといういわくつきの作品だ。撮影監督がヴィルモス・ジグモンドという人で、若い頃に美術の勉強をして、構図・光・色彩などについての感覚を身につけたという。映画が絵画的なのはそのためだ。


19 世紀末、東欧からの移民が大量にアメリカ西部に移住してきて小さな町に住み着く。しかし町を支配する牧場主たちから敵視され、迫害を受ける・・・というのがメインのストーリー。移民の列のシーンで、彼らの悲惨さを表現している。人の列が土ほこりでかすんでいたり、青空を黒に近く暗くしているのは、現像時の操作によるもの。


町の風景の場面で、建物から煙が立ち昇っていて、晴れているのに空は暗い。この不気味な感覚がこの街の不穏さを表現している。また全編が古い写真のようにセピアを基調色にしていて、19 世紀の時代の雰囲気を出している。なおこのように画面全体が人で埋まっているシーンが多く出てくるが、エキストラを大量に雇っているからで、制作費が高騰した原因だと言われている。

室内の場面。モヤがかかっていて、窓から差し込む光が強調されている。実際に煙をたいて撮っている。「ディフュージョン」と呼ばれ、光を拡散させる手法で、コントラストを弱め柔らかい画面になる。

町を支配する牧畜業者たちは、移民たちを皆殺しにする決定をする。移民たちは対抗するために銃を持って立ち向かい、戦争になる。壮絶な戦闘シーンだが、カメラはあくまで絵として美しく撮ろうとしている。土煙でかすんだセピア一色のモノトーンだったり、逆光のもとで川を渡る男たちなど。


映画の最初にハーバード大学の華やかな卒業式の場面があり、これが延々と20 分も続く。本題と関係がないのになぜか。エリートとして社会正義のために尽くすことが使命の彼らだが、この中の二人が後に上記の戦闘の指導者として戦うことになる。厳しい断絶の階級社会を描いたこの映画にとって重要な場面だ。


2024年4月19日金曜日

「エッジライト」の美しさ 絵画・映画

 Edge Light

人物に背後から逆光が当たると暗いシルエットになる。そして光が強いと、シルエットの輪郭(エッジ)に沿って細く強い光が生じる。それが「エッジライト」で、写真のライティングとしてよく使われる。

絵画でもたまに「エッジライト」の絵がある。例えばルノワールの「海のほとり」という絵で、写真ほど強烈ではないが、逆光の少女の腕や背中に背後からの光が当たっている。


そのルノワールの晩年を描いた映画「ルノワール  陽だまりの裸婦」(2013 年)は、「エッジライト」を多用している。(「エッジライト」は、映画用語では「リムライト」と呼ばれる。)

老齢で身体が不自由になったルノワールだが、若いモデルと出会って、創作意欲がよみがえる。光あふれる自然の中でポーズをとらせて描く。映画は全編でルノワールの絵画の明るいイメージに合わせた映像作りをしている。そして「エッジライト」が効果的で、南仏の明るい光を強調している。





(なお映画で「ジャン」という名の青年が登場するが、ルノワールの息子で、後に映画監督になって「大いなる幻影」などの名作を残すジャン・ルノワールだ。)

2024年4月17日水曜日

セザンヌは「キュビズム」の ”はしり”

Cezanne and Cubism

「キュビズム  美の革命」展(国立西洋美術館、〜2024.1)があったが、入場するとすぐにセザンヌの作品数展が並んでいた。 セザンヌはキュビズムにつながる美の革命の先駆者だったとされているが、同展でもそのことを強調していた。

対象を固定した同一視点で描くのが 19 世紀までの絵画だったが、そのために遠近法(透視図法)は絶対だった。それを覆して、あちこちから見た対象を混ぜて描くことで、絵画に革命をもたらしたのがキュビズムだった。

セザンヌはその「多視点」絵画をキュビズムに先立って始めた先駆けだった。遠近法をいかにはずしているか、「リンゴとオレンジ」で調べてみた。3つの食器の楕円が手がかりになる。


それぞれの楕円の丸みが大きく異なっている。手前の皿は丸みが強く、かなり真上から見ている。奥の水差しは楕円が薄いので横から見ている。足つき果物台はその中間になっている。そしてそれぞれの楕円の中心軸はそれぞれバラバラの方向に傾いている。視点の位置と方向が同一画面内で動いていて「多視点」であることがわかる。


2024年4月15日月曜日

シド・ミードが描いた夢の車

「 Innovations」 by Sid Mead

最近の報道で 、USスチールが日本製鉄に買収されるというニュースが出てくる。「鉄は国家なり」といわれて、アメリカを支えてきた世界最強の USスチールが日本企業に買収されるとはびっくりする。

60 年くらい前の USスチール全盛の頃、広報誌「INNOVATIONS」が出て、みんな一生懸命眺めたものだった。鉄によるイノベーションで生まれる夢の車をシド・ミードの華麗なイラストレーションで描いていた。


力強い産業社会のイメージと夢のトラック

豊かな生活のイメージとゴージャスな車

車輪がなく、宙に浮いて走るホバークラフト型自動車

ドローン型飛行自動車

高速道路網で埋めつくされている都市のイメージ

大気汚染や交通渋滞に悩まされていた当時のアメリカの車事情が、これらの ”夢” に反映しているようだ。しかし鉄鋼でも自動車でも技術イノベーションに立ち遅れて、今度の買収に至ったという。”夢”ははかない夢に終わってしまった。