Traveling Tokaido
江戸時代の一般庶民は旅行好きだったようで、当時の旅の様子が「大江戸庶民事情」(石川英輔)に紹介されている。
東海道は旅行客が最も多い街道だった。有名な歌「お江戸日本橋七つ立ち〜」は、京都に着くまでの旅を沿道の地名を織り込んで歌う道中歌だが、この「七つ」というのは当時の時間で夜が明ける「明けムツ」より1時間早いまだ暗い時間で、そのくらい早朝に出発した。だから歌は「〜こちゃ高輪 夜明けて提灯消す」と続く。
東海道は日本橋から京都まで約 500 km で、それを10 日で歩くのが標準なので、一日平均 50 km歩いた。その距離に合わせて、各宿場が設けられていた。当時の人はとても健脚だったようだ。暗くならないうちに宿場に着き旅籠に泊まり、入浴と食事を済ます。終わるとすぐに寝て、次の日も朝早く起きられるようにした。
宿に到着したばかりの旅人。風呂が沸くまでゴロンとひと休みしている。
(絵は「五十三次北斎道中画譜」からで、庶民が旅をする様子を描いた画集)
同書は、当時の費用を概算している。旅籠の宿泊代は2食付きで一泊 200文くらいで、昼食代などで 100文くらいかかり、京都につくとしばらく滞在してあちこち見物する費用など全部合わせて 2両ぐらいだったという。これはちょうど大工などの職人の月収くらいの額に当たるそうだ。だからちょっと貯金をすれば誰でも旅に行けた。今でいえばヨーロッパあたりへ旅行するくらいの感覚だったようだ。
江戸の一般庶民は「連」という同好会サークルを作り色々な趣味を楽しんでいたが、旅行の「連」もたくさんあった。そういう人たちはグループツアーで旅行をした。前回書いたように江戸は女子会が盛んだったが、女性どうしのツアーも多く、東海道は女性の旅人で賑わっていたそうだ。右図は当時の観光案内パンフレットに載っている女性の旅人たちの絵。
江戸時代は治安がよく、山賊や雲すけなどは実際にはほとんどいなかったそうだ。だから女性だけの旅も安全だったという。毎年人口の6人に1人が東海道の旅に出かけたという。江戸は旅行ブームだったそうだ。