「Breakdown 1975」
NETFLIX のドキュメンタリー『1975 世界がひっくり返った』(原題:Brekedown 1975)が面白かった。1975 年にアメリカで、それまでなかったような映画が続々登場したが、それは当時の政治・社会のあり方が大転換したことの反映だったと言っている。例えば以下のような映画を取り上げている。
「Breakdown 1975」
NETFLIX のドキュメンタリー『1975 世界がひっくり返った』(原題:Brekedown 1975)が面白かった。1975 年にアメリカで、それまでなかったような映画が続々登場したが、それは当時の政治・社会のあり方が大転換したことの反映だったと言っている。例えば以下のような映画を取り上げている。
「The Last Samurai」
徳川幕府が終わり、明治が始まった直後、まだ旧幕臣が新政府に抵抗する内戦が続いていた。映画「ラストサムライ」はその時代に、最後の闘いをして消えていったサムライたちの美学を描いていた。映画では、主人公のサムライ(トム・クルーズ)は日本人ではなく、アメリカ人となっていたが、そのモデルは、ジュール・ブリュネという実在したフランス人で、幕府の軍事顧問だった人だといわれている。政府軍はイギリスの援助を受け、大砲や機関銃などの近代兵器で武装しているが、反政府軍のサムライたちは昔ながらに、刀を抜いて突撃するだけだからバタバタと死んでいく。そして主人公が最後の一人になった・・・
この映画の背景になっている当時の歴史的状況は以下のようだった。
幕末に、欧米の軍艦がたびたび日本周辺に現れたが、薩摩藩は日本が侵略されるのではないかという危機感を抱いていた。それで薩摩藩は欧米の近代的兵器を導入して軍備をしていた。そしてイギリスの軍艦が鹿児島湾に入ってきた時、砲撃をして戦闘になった。これが有名な「薩英戦争」だ。イギリスは日本の軍事力の高さに驚いたが、同時に薩摩藩も欧米式の兵器の重要性を痛感した。それで薩摩藩は排外主義をあらためで、イギリスとの友好関係を築いていく。まもなく薩摩藩を中心とする反幕府の勢力が、イギリスの武器支援を受けて勢力を伸ばし、明治新政府の樹立にいたる。そして明治政府になってもこのイギリスとの関係は続いていく。
「ラストサムライ」は、サムライの日本が近代国家になる瞬間を描いた歴史映画だ。映画のラストでとても印象深いいシーンがあった。イギリスとの友好条約を結ぶための天皇臨席の会議の場面だ。そこにイギリスのハリー・パークス公使が実名で登場していた。彼は薩摩藩以来イギリスの軍事技術を日本に売り込んできた人物だ。するとそこへ突然、主人公のラストサムライが飛び込んでくる。政府に逆らった自分を処罰することを天皇に願い出る。すると若い明治天皇は、ラストサムライを称えながら言う。「我々は外国から大砲や機関銃を手に入れた。しかし日本人は武士道精神の魂を忘れてはならない。」
「Mank」
映画「Mank / マンク」(NETFLIX, 2020)を見たが、オーソン・ウェルズの不朽の名作「市民ケーン」にすごい裏話しがあったことを初めて知った。映画は、マンクが「市民ケーン」の脚本を書き上げるまでの苦悩や闘いを描いている。アルコール依存症のマンクは、ウェルズに脚本の執筆を依頼されるが、期限はたった 90日・・・映画はその過程を、1930年代のハリウッドの回顧をはさみながら描いている。
マンクは、クレジットにウェルズの名前だけが載り、自分の名前が載らないことを知って激怒する。映画会社に抗議してやっと二人の連名にさせる。ところが「市民ケーン」はアカデミー賞のすべての部門にノミネートされていながら、受賞したのは脚本賞だけだった。映画の最後でマンクがアカデミー賞のトロフィーを抱いて満足げな表情で、インタビューを受けるシーンで終わる。
Queen Erizabeth & Queen Mary
ワールドカップが始まったが、いつもながらイギリスだけが4チームが出場できるのはズルイ(?)と思うが、そもそもイギリスの正式名称は UK(United Kindom)で、4つの王国の連合国だから仕方ない。それらがひとつの国になるまで因縁深い歴史があるが、なかでもイングランド対スコットランドの歴史はドラマチックだ。
数年前にあった「怖い絵展」で、目玉作品が「レディ・ジェーン・グレイの処刑」という歴史画だった。若いスコットランド女王がイングランドへの裏切りを疑われて、斬首の処刑をされる瞬間を描いている。右側に斧を持った処刑人が立っている。
Botanical Art in Edo
ボタニカル・アートが流行っているようで、そんな教室の生徒さんの作品展を見かけたりする。植物を写真のとうりありのままに描く、植物図鑑の挿絵と同じで「自己表現」をする絵画ではない。
そんな絵は江戸時代からすでにあった。「江戸の想像力」(田中優子)に、その始まりが書いてあって面白い。平賀源内は日本全国の動植物を集めて展示する「薬品会」というイベントを主催していた。源内は「本草学」という、今でいう「博物学」の研究をしていたが、同じアマチュアのマニアが全国にたくさんいて、源内の呼びかけに応じて千数百種類が集まったという。
会が終わると、「物類品種」という出品物の挿絵入りの図録を発行した。その挿絵は、浮世絵のような「絵画」ではダメで、写真のようにひたすら写実的に描く画家に描かせたそうだ。彼らは無名だが、西洋絵画の手法を学んだ人たちだったという。