2018年12月30日日曜日

パワーシャベルを描く

Drawing hydraulic shovel

道路工事現場にあったパワーシャベルの力強さを見て絵にしたくなった。関節部分のメカをクローズアップする構図にした。赤ジェッソの下地にアクリルで明暗ヴァリューを乗せて第一段階終了。これからパステルで着彩。( 40 号 )

2018年12月28日金曜日

「日本を変えた千の技術博」展

Exhibition "Japanese history of technology"

もう明治の初めに、ほとんどすべての西洋の技術を日本が吸収していたことがわかる。その後150 年間の歴史を見ることができる。(国立科学博物館、~ '19. 3. 3.)

八木アンテナの展示があり、有名な話を思い出した。戦時中、零戦が負けるようになったのはアメリカの戦闘機がレーダーを搭載してからだった。そのレーダーには「八木アンテナ」が使われていた。八木博士が発明した小型高性能の「八木アンテナ」を使えば戦闘機用のレーダーが作れるという提案は日本でも早くからされていた。しかし軍はそれが日本の発明で「外国では使っていない」という理由で却下していた。技術とは外国から学ぶものという明治以来の習性がしみついていて自国発の技術を評価することができなかった。

それとそっくりの話が最近の新聞に出ていた。本庶さんがノーベル賞をもらうより前のこと、その研究をもとに新薬を作ることを日本の製薬会社に働きかけたがまったくやる気がなかったという。しかしアメリカの会社がやりたいと言ってきたのを知ると、その会社もあわてて動き出したそうだ。

2018年12月26日水曜日

マクロ撮影 + Fhotoshop

Taking picture with extension tube

引き続き接写リングを使って撮っている。マクロ撮影の効果をもっと活かしたいと思い、フォトショップで加工・編集してみた。いろいろ試し中。

一輪だけだった花の数を増やして
ビー玉の輝きを強調
愛用のデンマーク製腕時計。(ムーブメントの写真は借り物)

2018年12月23日日曜日

接写リングでマクロ撮影

Taking picture with extension tube

接写リングを買ったので早速テスト使用。被写界深度が極端に浅くなるので背景がきれいにボケるかわりに、モチーフ自体に奥行きがあると難しい。斜めや横からより真正面から平面的に撮ったほうがうまくいく。





2018年12月21日金曜日

「アンダルシアの犬」

" Un Chien Andlou "

白内障の手術を受けたが、痛くもなく 30 分で簡単に終わった。しかし目をメスで切って人工のレンズを埋め込むのだから、恐怖感がある。「アンダルシアの犬」の、目玉をカミソリで真二つに切り裂く有名なシーンが頭に浮かんでしまった。

1928 年。ルイス・ブニュエルサルバドール・ダリの共作によるシュール・リアリズム映画。

2018年12月19日水曜日

建築家

Architect

19 世紀のトーマス・コールの絵で、ローマ風の壮大な歴史的建築を背景に、ギリシャ建築の円柱の上で建築家が図面を広げている。寝そべったままで、過去の遺産に匹敵するような建物を作ろうと思っている建築家の傲慢な態度が描かれている。トーマス・コールは、建築が自然を壊すような近代化に批判的だった。手前にカーテンを描くことで、建築家の芝居じみた姿を皮肉っている。


「バベルの塔は」は人間が勝手に高い塔を作ったのを神様が怒って人間に罰を与えたという物語で、建築という神様の領分を侵すことへの戒めだった。今の環境問題にもつながる話で、トーマス・コールが描いたのもそれだった。

2018年12月17日月曜日

建築模型

Architecture model

建築家の仕事場を描いた 18 世紀の版画。机の上に図園が広げられていて、そこに天使が建築模型を持って舞い降りてくる。アイデアに困っている時に突然閃くと「降臨した」というが、その通りの絵で面白い。「欲しいのはこれでしょう」と神様が天使を遣わしてくれたのだ。

もともと「クリエーション(創造)」は、この世界を神様が創ったことをさす言葉で、建築も神様のやる仕事だと思われていた。だから建築家は神様の意志に基づいて図面を引いているにすぎない。

15 世紀の有名な「受胎告知」でもそういう建築の持つ意味がわかる 。神様が聖人を遣わしてマリアに受胎告知に来た場面だが、聖人が手にしているのは建築模型で、それを神様の遣いであることの身分証明書(?)みたいに持っている。


2018年12月15日土曜日

CG 事始め

CG Drawing

たしか 25 年くらい前、業務効率化のために職場で Mac が配られたが、それがきっかけで3D の Shade にはまってしまった。その頃こんなお絵描きの練習をしていた。

カーペットの柄はイラストレータで作ってマッピングするが、それを瞬時にやるP Cに当時は感激したものだ。
曲面を作るのに精一杯で、細部の作りこみ不足。
光と影の作りかたがヘタ。

2018年12月13日木曜日

マイケル・ケンナ写真展

Michael Kenna, 45 Year Retrospective

東京都写真美術館で「マイケル・ケンナ写真展」を鑑賞。日本開催のためだろう、日本(主に北海道)の風景が多い。余分なものを一切無くした背景の中にモチーフだけが浮かび上がるミニマリズムの造形が見事。人間がいない無音の風景だが、長時間露光で空や水の動きを消しているので、静けさがさらに強調されている。(鳥が飛んでいる写真はもちろん高速シャッターだが。) 昔ながらのハッセルブラッド(だから画面は正方形)と銀塩フィルムで撮り続けている。こんな写真を撮ってみたくなる。




2018年12月8日土曜日

壮観な美術館

Art on display

天井まで隙間なくびっしりと絵が展示されている。王侯貴族が金と権力にあかして世界中から美術品を収集して、美術館を作った。ルーブルやエルミタージュなどはそのいい例。この絵は王様がコレクションを満足げに眺めている様子が描かれている。

映画「ターナー」で美術館の面白いシーンがあった。当時は搬入後もまだ手直しするのが普通だったようで、天井近くにまで展示されている絵を脚立に乗って作業をしている。ターナーの時代はもう19 世紀なのに、展示の仕方はまだ変わっていなかったことが分かる。現在のようにゆったりと展示するようになったのは、一般の人が作品を鑑賞するようになった比較的最近のことのようだ。

2018年12月6日木曜日

ホガース「誤った遠近法」の間違い探し

Hogarth's "Incorrect perspective"

前回の続き。ホガースの「誤った遠近法」はもちろん遊びだが、次のようなキャプションがついているそうだ。「遠近法の知識なしに絵を描くと、誰でもこのような矛盾をまぬがれることはない。」そこで遠近法の間違い探しパズルをやってみたら、誤りが9か所見つかった。(まだ漏れがあるかもしれないが)
ホガースは風刺画が得意で、右の絵は、金持ち貴族の新婚夫婦のだらしない生活を描いて、上流社会を皮肉っている。


・手前の男の釣り糸が、はるか向こうの川に垂れている。
・その男の足元の石畳の目地が向こうへかって広がっていて、逆遠近になっている。
・手前の家は下から見上げているが、後ろの家は上から見下ろしていて、視点が不一致。
・看板が向こうの家から出ているのに、支持棒は手前の家から出ている。
・看板の手前に遠くの木が重なっていて、前後関係がさかさま。
・2階の窓の女が、はるか遠くの丘にいる男にタバコの火を貸している。
・中央上部の並木が奥へ行くほど大きくなっている。
・その木に止まっているカラスが異様に大きい。
・川の手前にいる羊の列が遠くに行くほど大きくなっている。

2018年12月4日火曜日

だます遠近法 ホガースとエッシャー

Miracle perspective,  Hogarth and Escher

18世紀のホガースの「誤った遠近法」は題名通りのだまし絵として有名。手前の男の釣り糸は、はるか遠くの川に垂れている。2階の窓の男は遠くの丘にいる人にタバコの火を貸している。遠近法を悪用 ( ? )して遠近関係を滅茶苦茶にしているのが面白い。

エッシャーの「滝」はその現代版で、水が上に流れるという物理的にありえないことを描いている。福田繁雄がその立体模型を作って、ありえないものがありうることを証明(?)した。ただし絵の通りに見えるのはある一点からだけで、他の角度から見るとバラバラ。遠近法は空間を正しく描くものだと信じていると裏切られるという話。


2018年12月2日日曜日

ブレッソンの写真

Henri Cartier-Bresson

横浜美術館には写真のコレクションがあり、常設の写真専門の展示室がある。アンリ・カルティエ・ブレッソンの「サン=ラザール駅裏」もあるが、これは2年前の「ポンピドー・センター傑作展」でも写真ジャンルとして唯一選ばれていた。

ブレッソンの写真は、構図が1mmも動かせないくらい計算されていて、その構図のなかに、ピンポイントでここしかないという場所に人間が来た瞬間にシャッターを押している。ブレッソンはもともとは画家で、終生デッサンを続けていたいたそうで、造形感覚の鋭さのわけがわかる。

2018年11月30日金曜日

ピエール・ボナールの食卓の絵

Pierre Bonnard

今「ピエール・ボナール展」(国立新美術館)をやっているが、一番面白かったのは食卓の絵だった。ボナールは食卓の絵をたくさん描いているが、みなテーブルを四角に描いていて、遠近法的な見え方を無視している。


普通に描けば、テーブルは向こう側ですぼまり、食器などは前後の重なりと奥行きが生じる。しかし遠近法的に物を見ることができない子供は概念で描くから、テーブルは四角く描き、食器は個々バラバラに描く。ボナールは子供と同じ見方で描いている。これをボナール自身は「生の見方」と呼んでいたそうだ。テーブルや食器を遠近法的に一つの空間として関係づけずにバラバラに描いているのは、たしかに「生」といえるかもしれない。

( 子供と画学生の食卓の絵の比較 。 "Objective Drawing Techniques" より)

2018年11月28日水曜日

ムンク展

Exhibition  "Munch, A Retrospective"

ムンク展(東京都美術館)の「病める子」は、以降のムンクの起点になった作品といわれているが素晴らしかった。「私は、見ているものは描かない。見えたものを描く」というムンクの言葉が紹介されていたが、その意味がわかる絵だった。「見ているもの」とは目の網膜に映ったもので、「見えたもの」とは心の目に映ったもののことだと思う。


2018年11月26日月曜日

ピサロの坂道の絵

Pissarro's  perspective

印象派のピサロの絵。雪道で二人の女性とすれ違うとき、男は車道へはみ出て道を譲っている。

ピサロは道の絵が多く、ほとんどが道を歩きながら見た風景を描いている。だから一点透視の構図が多いが、この場合は消失点に向かって一直線の道ではない。カーブしながら上り下りの起伏がある変化に富んだ道のようだ。遠近法的に面白ろそうなのでどんな道か調べてみた。

1 右手前の家から地平線( H.L.)の位置が推定できる。
2 道路は6つの面に分割でき、それぞれの消失点の位置を特定できる。
3 2番と3番の消失点( VP 2, VP 3 )は地平線上にあるので、ここは水平な道。
4 男が立っている一番手前の面は、消失点が地平線より下にあるので、やや下り坂。
5 4番目から上り坂がだんだんきつくなっていき、最後の6番目は急坂になる。


2018年11月24日土曜日

東山魁夷の「道」

Higashiyama Kaei

東山魁夷は終生市川市に在住していたので、現在その地に「市川市東山魁夷記念館」という美術館がある。以前同じ市内に住んでいたので、時々ここへ行った。今やっている東山魁夷展(国立進美術館)の看板作品が「道」だが、記念館ではその習作(左)があった。本作(右)と色が少し違うが、構図はほとんど同じ。


一直線の道だけを描いた単純この上ない絵。道は途中で切れていて、遠くまで見えていない。道を延長すると、消失点は彼方の山の稜線あたりになるので、これは上り坂なのだろう。一点透視の絵は消失点へ向かって見る人の視線を吸い寄せる求心力があるので、この道をどこまでも歩いて行きたくなる。そして習作と比べて気がついたが、本作の方は、道の先端が明るくなっていて、求心力をさらに強めている。

2018年11月22日木曜日

鎌倉建物散歩 明治の洋館(旧諸戸邸)

A retro residense in Kamakura

江ノ電の由比ヶ浜駅近くにあるこの洋風建築は明治時代に実業家の別邸だったもの。国の有形文化財になっているが、今は使われておらず無人になっている。小ぶりなのは、もともと両側にあった部分が取り壊されて、この中央部分だけが残っているからだという。正統的な古典主義の意匠で、バルコニーのコーナーが微妙なカーブでふくれているあたりなど、なかなかエレガント。

2018年11月20日火曜日

歪んだ写真 

Distortion of photo

幅1mくらいの大きい絵を画面いっぱいに撮ると直線が湾曲する。これでは使えない。

しかしこれは遠近法的な理屈には合っている。四角の周辺は若干だが中央より距離が遠いから長さが縮み、直線が湾曲する。

目では歪んで見えないのは、目の網膜が凹面状に湾曲しているためで、それに対してカメラは平面上に像を映すので周辺が歪む。写真で歪みを減らすには離れて望遠レンズで撮るか、画面中央に小さく撮り、後で周囲をトリミングするしかない。

絵画の遠近法もカメラと同じく平面に映った像を描く方式だから、遠近法が正しいほど周辺に歪みが出る。カメラ・オブスクラを使って写真と同じ正確さで描いたフェルメールなどもそうだ。

2018年11月18日日曜日

アイ・レベル(続き)

Eye lebel

レイモンド・リーチ「赤いドレスの少女」

たまたま見つけたこの絵だが遠近法的に面白い。5人の人がいて、立っていたり座っていたり、階段の上にいたり途中にいたり、とバラバラで、彼らを見上げたり見下ろしたりしている。だが一人だけそうでない人がいる。一番左の青シャツの男で、画家は彼だけを水平な視線で見ている。

遠近法の原理から、見ている人(画家)の目の高さ(アイ・レベル)は地平線上にあるわけだが、青シャツの男の顔も遠くの地平線と一致しているから、青シャツと画家は目線が同じ高さにいることになる。そしてこの画家は青シャツと同じく、階段の一番上座って描いていることが分かる。

2018年11月16日金曜日

鎌倉建物散歩 旧・華頂宮邸

A retro residence in Kamakura

鎌倉には実業家や文人など有名人の邸宅や別荘だった建物が数多く残っているが、これは鎌倉3大洋館の一つ。すぐ近くにある観光スポットは人で賑わっているが、ここだけは別世界のように静まりかえっている。

華族の華頂宮家の邸宅だった建物で、1929 年(昭和2年)築。イギリスの民家を模した「テューダー・リヴァイバル」という様式だそうだが、端正な建物だ。背後には整然としたフランス式庭園があり、幾何学的な模様の芝生が広がっている。




2018年11月14日水曜日

何階から撮った写真? アイ・レベルとカイユボット

Eye lebel

こんなクイズを出したことがある。「この写真はあるビルから撮影したものだが、カメラマンは何階から撮った?」 中には「そんなこと本人に聞かなきゃ分からないだろう ! 」という人もいた(笑)が、答えはもちろん「3階」。窓の線が水平になっているのが3階で、その線は遠くの地平線とも一致している。見ている人(撮っている人)の目の高さ(アイ・レベル)は地平線上にあるという遠近法の基本の問題だった。

印象派のカイユボットのこの絵はその関係がズバリ描かれている。向かいのビルの3階と4階の境の線が水平になっていて、その線上に見ている人の目の位置がぴったり合っている。地平線は見えていないが、それもこの位置にあるはずだ。

カイユボットは遠近法に忠実だったようで、他の絵からもそれがうかがえる。下左の絵は地平線がシルクハットの男の目を通っていて、他の人たちも遠いので小さく描かれてはいるが目の位置は全員そろって地平線上に乗っている。
しかしそれは全員が道路の上に立っているからで、しゃがんだり子供だったりすれば、地平線とはズレた位置にくる。下右の絵は、道路に立っている人の目は正確に地平線上にある(消失点がすぐ横にある)が、脚立に乗っている人は大きくズレていて、そのことが分かりやすい。