2014年6月26日木曜日

アメリカン • リアリズム(4)

アメリカン • リアリズムは、なぜイラストレーションと相性がいいのか、考えてみた。

例えば、エドワード • ホッパーの「深夜の人たち」を見ると、この絵に描かれているストーリーを語ることができる。例えば「昼の仕事に疲れた男女が人通りのなくなった深夜にカフェテリアに立寄りコーヒーを飲んでいる。他の客は一人しかいない。店員は閉店のしたくをしている。暗い街路の中でひとつだけ明るいこの店もすぐに暗くなるだろう。」tといったぐあいに、絵を言葉で説明できる「物語性」があるのがアメリカン • リアリズムの特徴ではないか。

一方イラストレーションは、雑誌などの記事のイメージをより明確に読者に伝えるために文章を視覚化するためのものだから、文章の内容を具体的に表現する「物語性」が必要になる。物語は抽象絵画では伝わらない。リアルな写実絵画が必要になる。このようにアメリカン • リアリズムとイラストレーションに共通しているのは「物語性」だと思う。

ムンクの有名な「叫び」を見ても物語は語れない。生活苦で橋から身を投げようとしているのか、誰かに襲われて恐怖で顔が歪んでいるのか、叫びの具体的な内容は分からない。それは人物や景色が抽象化されていて、これがどんな人間でどんな状況かを特定できないからだ。この抽象化によって逆に、個別の人間の個別の状況の「叫び」ではなく、現代社会の普遍的な苦しみに対する「叫び」というメッセージが伝わってくる。この絵が現代絵画のさきがけとされるのは、物語性と写実主義から離れ、抽象化へ一歩踏み出しているからだろう。

アメリカン • リアリズムは古くさい絵画だとされることもあるのは、そのような意味からだろうと思う。

アメリカン • リアリズム(3)

アメリカン • リアリズムの画家たちを調べていて、面白いことに気がついた。それは、彼らの多くが画家であると同時にイラストレーターだったか、イラストレーションとの関わりが深かったことだ。

先にあげた4人のうち、例えばフレデリック • レミントンは、有名雑誌の記事に載せる挿絵を描きイラストレーターとして大成功し、高収入を稼いでいた。西部の絵が多いのは、雑誌の取材でたびたび西部へ出張していたからだという。純粋絵画へ転向したのは晩年になってからだった。

エドワード • ホッパーは、イラストレーターとしての経歴はないものの、美術学校で絵画を学ぶ前に、商業美術の学校でイラストレーションを学んでいる。

ノーマン • ロックウェルは有名雑誌の表紙のイラストレーションを永年にわたって描き続け人気作家になった。おおかたの美術評論家からは画家とは認められず、イラストレーターとして扱われ、アメリカ美術史の本にもほとんど名前は出てこない。

アンドリュー • ワイエスは身体が虚弱だったため、学校教育を受けず、まして美術学校で学んだことはない。絵画は有名なイラストレーターだった父親から学んだ。したがって、彼の絵にはイラストレーションの影響があり、それを本人も認めている。

リアリズム絵画とイラストレーションはなぜ結びつきやすいのだろうか。興味がわく。


アメリカン • リアリズム(2)

先に書いたアメリカの人気作家4人のうち、日本で一番なじみのないのがフレデリック • レミントンだろう。西部開拓時代に活躍した画家で、カウボーイやインディアンなど西部劇でおなじみの題材を多く描いた。

フレデリック • レミントン「森へのダッシュ」

このように、アメリカン • リアリズムの画家たちは、リアリズムの手法が独特なだけでなく、題材自体もアメリカ的な独自性をもっていた。ノーマン • ロックウェルは第二次世界大戦前後のアメリカの庶民の生活を愛情をこめて描いた。エドワード • ホッパーはニューヨークを舞台に都会生活の寂しさや孤独感を描いた。アンドリュー • ワイエスはアメリカの田舎の原風景を描き続けた。題材はいろいろだが、共通しているのは「アメリカン • シーン」を描いたことだ。

ノーマン • ロックウェル「婚姻届け」

エドワード • ホッパー「深夜の人たち」

アメリカン • リアリズム(1)

アメリカで活動していた画家の津神久三によると、アメリカの本屋には、日本と違って、画集がたくさん並べられているそうだ。これはプレゼントに画集を贈る人が多いためだという。そのような画集で人気の高いのが、ノーマン • ロックウェル、フレデリック • レミントン、アンドリュー • ワイエス、エドワード • ホッパー、などだという。

これらの作家はすべてリアリズム絵画という点で共通している。イギリスの植民地だった時代にヨーロッパから入ってきた写実的絵画が移植された。それ以降、本家のヨーロッパ絵画のほうはどんどん変化していったのに、アメリカはずっと写実一筋で通してきた国だった。しかもその写実は、本家のヨーロッパより細密描写という点ではさらに徹底していた。ひたすら目前の自然を精密に写し取るという凄まじいまでの入念なリアリズムがアメリカの伝統になった。そしてアメリカ人は写実主義だけを愛する世界でもまれにみる国民だという。それが「アメリカン • リアリズム」だ。

第二次大戦後、アメリカでは、ポロック、ジャスパー • ジョーンズ、アンディ • ウォーホルなど、抽象絵画やポップアートなどのモダンアートで世界の先進国になった。とかくそれらがアメリカ絵画の本流であるように思われがちだが、実はリアリズム絵画の系譜がずっと続いてきて、主流はあくまでもこちらであり続けた。

2014年6月24日火曜日

ワイエスの「写実」(3)

アンドリュー • ワイエスは写実主義の画家だが、彼の写実とは、物や人を見えるまま忠実に描写することではない。彼の内部にある対象に対するイメージを画面上に「組み立てる」あるいは「構成する」という性格が強い。この絵では、窓からの光と影が人体上に投影されてできるパターンの造形的な面白さがすごい。この影は明らかにワイエスが作ったもので、実際のモデルには無かったものだ。実際、この絵のために事前に描かれた鉛筆デッサンには影が無い。しかし彼の写実力がそれを「うそ」に感じさせない。


この絵もとても不思議な感じがする。女性の後ろにある太い木の幹は真っ黒に塗りつぶされている。そして女性の黒い衣服の後ろ半分は木にすっかり溶け込んでいる。さらに女性のシルエットと幹のエッジが一直線になっていて、女性は木の一部になってしまっているように見える。絵のいわゆる「構図」といったありきたりな概念をはるかに越えた面白さがある。

ワイエスの「写実」(2)

ワイエスの言葉。「私は何週間もかけてスケッチや水彩の習作を描く、実際にそれを使うことはないかもしれない。だが私は、スケッチを通して意識下に深くしみこんだ感応が、いつか一枚の絵のなかに結実することを知っている。」下は同一の作品のためのスケッチや習作だが、彼が何をやっているのかがよく分かる。モデルを見ながらスケッチをしてはいるが、描写をしているのではない。彼の言う「意識下にある自分の感応」を手探りしながら見つけ出そうとしている。それはまた、絵をどう組み立てるのかを試行錯誤しながら「一枚の絵として結実」させていく過程でもある。


ワイエスの「写実」(1)

アンドリュー • ワイエスの写実力はすごい。この絵では、肌、髪の毛の一本一本、セーターの編み目、などの質感がきわめてリアルに描出されている。彼がリアリズム絵画の頂点として認められているのは、よく分かる。彼は作品を描き始める前に、ものすごい枚数の予備的な鉛筆デッサンを長い時間をかけて行っている。しかしそれは、ただモデルを丹念に「写生」しているわけではない。それは、対象の見えている姿かたちの向こうにある真実のイメージを探して、それを自分が見えるかたちにしていくためのプロセスとして行っている。だから彼はこう言っている。「私はものごとに対してロマンチックな空想を抱いている。それを私は絵に描くのだが、リアリズムによってそれが可能になるのだ、夢を真実で裏付けなければ、貧弱な作品しか生まれない。」つまり彼のリアリズムは、物自体を本物らしく写生することが目的ではなく、自分の中にある物に対する夢=イメージが真実であることを示すための写実だ、ということを言っている。だから一見写真のような絵でありながら、写真では捉えられないモデルの内面と、それに対する画家自身の思いが伝わってきて見る人の共感を呼ぶ。


2014年6月21日土曜日

パースと絵画(4)


                                                       物を客観的に捉える方法のパースペクティブ
                      物を主観的に捉えて表現する絵画
                      このふたつを結びつける方法を解いた面白い本
                 「Objective Drawing Techniques」
                                                                                                  から


「反射」という項目での作例。月が水面に反射している幻想的な風景画だが、反射した月は縦長になっている。これは水面に波があるからで、鏡のように真っ平らであれば月と同じ丸い形で反射する。


パースと絵画(3)


                                                       物を客観的に捉える方法のパースペクティブ
                      物を主観的に捉えて表現する絵画
                      このふたつを結びつける方法を解いた面白い本
                 「Objective Drawing Techniques」
                                                                                                  から


「影」という項目に載っている作例。影のでき方は光源と物との位置関係で決まり、パースの応用で正確に描ける。この絵は、写実の絵ではないが、複数の光源で出来た光と影(しかも互いにオーバーラップしている)のパターンが正確に描かれ、それが面白い構成を生んでいる。


パースと絵画(2)


                                                              物を客観的に捉える方法のパースペクティブ
                      物を主観的に捉えて表現する絵画
                      このふたつを結びつける方法を解いた面白い本
                 「Objective Drawing Techniques」
                                                                                                  から

                                         

例えば「楕円」という項目で、動きのある人間を漫画的手法で描いたこんな作例が。
人間が腕を振ると肩を中心にした円運動になる。その軌跡は真横から見ると円だが、斜めから見ると楕円になり、正面から見ると直線になる。その違いが、絵のA、B、C、3人の姿で描き分けられている。



パースと絵画(1)

                                                       物を客観的に捉える方法のパースペクティブ
                      物を主観的に捉えて表現する絵画
                      このふたつを結びつける方法を解いた面白い本
                 「Objective Drawing Techniques」
                                                                                                  から


「記憶で描く」という項目では、風景を見ながら描くのではなく、その場では観察するだけで、家に帰ってから記憶で描く練習が絵の勉強に役に立つと勧めている。現地では見えている情報をできるだけたくさん頭にインプットしておき、その記憶の断片を後で再構成するのだが、そのときパースの知識が必要になる。図は、坂道の途中にある家を見上げる位置と見下ろす位置で二つ描いているが、アイレベル(ホリゾンタルライン)の位置をしっかり押さえて、それを基準に描けば、見ながらでなくとも正確に描ける、という例。


2014年6月17日火曜日

写実絵画

千葉市に「ホキ美術館」というユニークで面白いところがある。ホキさんという個人コレクターが集めた絵を展示しているけっこう大きな美術館。人物、風景、静物などいろんなジャンルがあるが、収集品すべてが「写実絵画」に徹していて、それがうたい文句になっている。例えばこんな絵がある。あくまで絵だが、ほとんど写真だ。もっと写真らしさを出すためだろうか、下のように白黒で描いた絵もある。これらはもっとも極端な例で、もうすこし「絵画寄り」な作品もあるが、それでも普通に比べるとそうとう写真に近い。



ここは「写実」って何だろう。さらには「絵画」って何だろうと考えさせてくれる場所だ。「写実」とは、「実を」「写す」ことで、「実」からは「真実」「事実」「実体」「実質」などが連想される。写真はそういった「実」を正確に写し出す。だから「証拠写真」というものが成り立つ。絵画も「実」を描くのが目的だから、写真的に描く方法はあってもいいのだろう。だが、同じ「実」を描いても「証拠絵画」というものがありえないのは、写真の実と絵画の実が本来的に違うものだからだろう。

アンドリュー • ワイエスは「アメリカン • リアリズムの巨匠」と呼ばれ、写実的な画風で有名だ。だが、彼の「写実」は、ここの作品の「写実」とはかなり性格が違う。上の例は樹木や少女の見えるまま、あるがままの姿を写しとっていて、それは即物的な「実」と言える。それに対して、ワイエスはほとんどすべての絵で「うそ」を描いている。だが、それは「実」ではないかというと違うだろう。ものが見えている姿の向こうにある真実、見えてはいないが存在する事実、としての「実」を描いている。そして見えないものが本当に存在することを信じてもらうための手段として「写実」の技法を使っている。ワイエスにとっては、写実すること自体が目的ではない、というのがこの美術館との違いだと思う。

2014年6月13日金曜日

ワイエスの「静物の絵」ベスト

ワイエスはいわゆる静物画のスタイルではないが、身近かな物を取り上げている。それらは物だけではなく、環境のなかに置かれた状態で描かれている。そのことによって、物を単に物体として描くのではなく、いままでそれを使っていた人間のシチュエーションを感じさせてくれる。いちばん上の絵は、掃除道具などが描かれ生活感がたっぷり絵だが、ワイエスが知人の家へ行ったとき、本人が不在だったのに、この光景を見てあたかも本人がそこにいるかのような強い存在感を感じ、ポートレートのようなつもりで描いた、と書いている。中の絵は「スコール」という題名で、雨の中を戻ってきた妻が脱いだレインコートを描いているが、窓の外の暗い空と連動してストーリーを感じさせる。





ワイエスは多様なテーマで膨大な数を描いたので、この「ベスト」シリーズはいくらでも続けられそうだが、きりがないので、このへんで。

ワイエスの「室内の絵」ベスト

室内の光景を描いたワイエスの絵は、そこに住む人間の生活を感じさせて、とても親しみやすい。いずれも何げないようでいて、構図が計算されつくされている。上の絵は奥へ続いている部屋の空間的奥行きを描いている。現代版フェルメールのような感じもある。中の絵は納屋の中の暗い空間に梁と柱が浮かびあがって面白いリズムを創りだしている。下の絵は窓から射し込む光で画面を構成している。




ワイエスの「家の絵」ベスト

生涯、田舎で生活していたワイエスは、近くの農家の家などをテーマにしてたくさん描た。住んでいる人の生活の情景などが浮かんでくるような懐かしい感じのする絵だ。





ワイエスの「船の絵」ベスト

アンドリュー • ワイエスは、ときどき船を描いているが、面白いことに、船は海のそばにではなく、陸の上に置かれている。実際の風景ではなく、イマジネーションで描いた絵だと思うが、使われなくなって置き去りにされた船から寂寥感が伝わってくる。





ワイエスの「窓の絵」ベスト

ワイエスは絵の中に窓を描くことがとても多い。室内から見た窓、屋外から見た窓などさまざまだが、その中から窓が主役になっているものを選んだ。上の絵は遠くに海が見えていて、室内にはそれと呼応するように貝が置かれている。中の絵は窓を通して反対側の窓も見えていて、さらにその先遠くに海が見えているというユニークな構成。その両者の間に室内の様子がかすかに見える。下の絵は窓から吹いてくる心地よい風と、外に見える静かな風景。これらの絵に共通しているのは、風景を窓を通して描くことで、風景を見ている人間自身を感じさせられることだと思う。




ワイエスの「犬の絵」ベスト

アンドリュー • ワイエスは自分の愛犬よくモチーフにしているが、彼の犬に対する愛情のまなざしが伝わってくる。鉛筆デッサンを繰り返し、それを素材に使って絵にしていく。いちばん上の絵は、「遠雷」というタイトルで、自分の奥さんが寝ているところをスケッチしていたとき、遠くでかすかに雷の音がして、それに気づいた愛犬が草むらからひょいと顔を出して聞き耳を立てた。そこで犬をすばやくスケッチしたが、犬の方を主役にするために奥さんの顔の上に帽子を追加して隠してしまった。これはワイエス本人の説明。中の絵は、夏の強い日射しと木陰のすずやかな空気が伝わってくる。下の絵は、光を巧みに使って、L字型の大胆な構図を作っている。





2014年6月11日水曜日

ワイエス (その3)

ワイエスは若い頃、イラストレーターだった父親から絵のてほどきを受けた。父親は「まずそこにあるものを正確に描写するように、次に見なくても存在するかのように描くように」という指導を受けたという。前回「その2」で書いたような、「写生」ではなく「構成」というワイエスの特徴は、このような教育から生まれたと思うととても納得できる。

父親はイラストレーションという存在するものを描く自分の仕事と、絵画という実際には存在しない心のなかのイメージを描く絵画の仕事の違いを自覚した上で、子供を絵画の世界へ導こうとしたのだろうと解釈できる。イラストレーターを含めてデザインの仕事には
イラストレーションの仕事が必ずつきものだ。工業デザインの世界では、レンダリングであったり、映像の世界では絵コンテと呼んだり言い方は違うが広い意味でイラストレーションだ。イラストレーションは目の前にあるものをいかに魅力的に描くかの問題だが、絵画は見えるものの向こうにあるものを示さなければならない、と言われる。

実は先に書いた「ワイエスが好きでしょ」と言った先生が続けて聞いたもうひとつの質問がある。それは「あなた建築かデザインの仕事をしてませんでした?」というもので、これも図星で2度びっくりだった。そのときは分からなかったが、あとあと考えてみると、二つの質問は関係していて、しかもたいへんなことを言われたのだと気がついた。それは自分の絵がイラストレーションにとどまっていて絵画になっていない、という意味だろうと。つまり、ワイエスの父親の言う「イラストレーション:存在するものを描く」→「絵画:存在しないものを描く」への転換ができていないということだ。

ワイエス(その2)

以前、ある先生に絵を見てもらう機会があった。持参した作品を並べたら、見た瞬間、初対面なのにいきなり「あなたアンドリュー • ワイエスが好きでしょ?』と言われてびっくりした。ワイエスは好きだが、真似しようとはまったく思っていないし、例えしたとしてもできるわけはないし、実際似ていることはないと思うので、なぜそう思われたのか不思議だった。そう感じさせる影響のような何かがあるのだろうか。

それでワイエス談義になったが、先生の言いたかったことは、「あなたはワイエスが好きなようだが、その本当の良さは分かっていないですね。」ということだった。(実際にはそんなきつい言い方ではなかったが)そして、この絵を勉強するといいですよ、と言って示してくれたのがこの絵だった。


この絵も画集でよく見てはいたが、あまり注目せずに、どちらかというと通りすぎていた。だから前回の「その1」で自分流で書いたワイエス魅力にこの絵があてはまる項目がない。「懐かしい風景」とか「写実的描写」などがそんなに前面に出ている絵ではない。しかし、この絵にワイエスのエッセンスが凝縮されているという。それは風景を「写生」しているのではなく、風景の素材を使って絵を「構成」している点だという。そのため、ほとんど白と黒だけに単純化し、そのリズムやバランスの面白さで絵を「作っている」のだ。写実力のすごさに目を奪われてそこばかり見てしまうが、実はちがうということだった。実際、本によると、この大砲はワイエスがアンティークのオークションで買ったものを描いたので、実際にこのような風景があったわけではないそうだ。しかしその「構成」がうそではなく、本当のように見せてしまう説得力がある。そういう目であらためて他の絵も見てみると、同じことが見えてきて、なるほどと思う。

ワイエス(その1)

アンドリュー • ワイエスのファンになってからもう 40 年くらいになる。日本でも愛好者がとても多いので、何年かごとに展覧会があるが、必ず見に行く。最近 90 何才かで亡くなるまで絵を描き続けたので作品数がとても多く、そのたびに違った作品が見れる。個人のコレクターもいて、例えば埼玉県にある「丸沼芸術の森」という施設に多数のワイエスコレクションが所蔵されている(常設展示はしていない)。彼の絵の魅力はどこにあるのか。魅力を生み出している要素の分類を試みてみた。


(1)懐かしい風景
生涯を田舎で暮らし、たくさんの身近な風景をアメリカの原風景のように描いた。この例では、古い平凡な農家を描いているが、単に建物を描いているだけでなく、住んでいる人の生活を感じさせ、どこか懐かしい感じを与えている。手前のバケツが効果的。


(2)精密描写
「アメリカン • リアリズムの巨匠」と言われるとおり、写実的描写力が圧倒的。この例は大きい絵の部分だが、物の材質感がすごい。


(3)空間感
空間の広がりや奥行きを強く感じさせる風景画も多い。この絵は何も無い草原を描いているが、どこまでも続く広大な空間が魅力的に表現されている。


(4)光と風と静けさ
光や風を描くのがとてもうまい。ここでは、窓から吹いてくる風がカーテンをゆらしているが、しんと静まりかえったような寂しくメランコリックな感情をさそう。


(5)ミクロのクローズアップ
身近かにある何げない対象物に目を向け、それだけを主題にして描くことも多い。これは、丸太と斧だけの小さいモチーフだが、とても力強い存在感がある。


(6)意表をつく構成
モチーフの扱い方や画面構成で、ときどきあっと驚くようなことをよくやる。これは老夫婦の絵だが、人物画でこのような構成は他ではあまり見たことがない。夫の持っている銃が妻の方へ向いているのがユーモラスだ。




2014年6月9日月曜日

絵の大きさ

また秋の公募展に向けて、制作の時期になった。ふだん、気軽にスケッチなどしているのは楽しいが、公募展はそもそも何を題材に描くかで悩むことから始まるむしろ憂鬱な作業だ。悩む原因のひとつは絵の大きさだ。

自分の参加している展では「20号〜50号」という規定になっている。しかし実際の展示を見ると、ほとんどの作品が最大限度に近いサイズだ。日展の場合だと100号に統一されている。100号というと幅 160cm になる。50号でも1mを越すので、描いているときの取り回しがたいへんだ。ところが、自室では巨大に感じた大きさも、会場に展示されるととても小さく見えてがっかりする。

公募展が「大きさ」を要求しているのは、スケッチ的な絵ではなく、タブローを求めているからだろう。実際、50号くらいになると、スケッチ的な絵ではもたなくなる。拡大縮小してもあまり価値が変わらない写真と違って、絵の場合は大きくなると、内容を変えないと大きさに耐えられない。とくにパステルや水彩は油彩よりもメディアそのものが強さの点で負けるのでなおさらだ。だから何を題材に、どう描くかというテーマ選びでいつも悩む。

さらに、スケッチとタブローの違い自体があいまいで、また悩む。辞書で調べると「スケッチ、デッサン、習作などでない完成した作品で、作者の思想や構想が画面に組み立てられたものを指す。」となっている。おそろしいことが書いてあるが、なんとなく、実感としては分かる。だから普段小さいスケッチのときから大きい作品にできるかどうかを意識しながら描いてネタを貯めておくといいのだろう。

問題は定義にある「思想や構想を画面に組み立てる」という部分。それが具体的にどういうことなのかについて、公募展の審査員などもやっている先生に聞いてみたことがある。「先生、公募展に入選はしてもなかなか賞がもらえないんですが、どうすればいいんですか?」というずうずうしい聞き方で。すると、そもそも公募展は、絵画の「研究」をする目的で作家たちが集まってグループで活動したことからスタートし、それが大規模な公募展に発展してきたケースが多い、だから、「研究的な態度」で描かないとだめですよ、という答えだった。「思想や構想」よりは「研究的」のほうが少し分かりやすくなったような気がした。



2014年6月6日金曜日

台北にて

台北での国際パステル展で、会場の中正紀念堂へ行ったとき、そこのミュージアムショップへ立ち寄ったら、パステル画の技法書を売っていたので、パステル愛好者として、すぐに購入した。たいへん参考になるいい本だが、これを編集しているのは張哲雄という人で台湾のパステル協会やアメリカのパステル協会の要職を努めている世界でもトップクラスのパステリスト。ご自身の制作のデモンストレーションも載っている。


日台絵画交流展というのがあって、今年初めて、パステル画で参加することにしてエントリーも済ましてある。ところが、この展の去年の図録を見たら、この張先生も参加していることが分かってビビった。

公募展

先日、学校の先輩の知人 Mさんが出品しているある有名画会の公募展を見に行った。その人の作品に「会員推挙」という表示がされていたのを見たそのとき、たまたまご本人が現れたので、「会員おめでとうございます。」と言った。すると「10 年かかりました。その間、2回受賞しましたからね。」と言われた。やっぱりそうか、と思った。

いろんな画会の公募展のほとんどすべてで、作品名のカードに「一般」「会友」「会員」の区別が表示されている。しかしそれらの作品をよく見ると、「会員」の作品だけが特にレベルが高いわけでなく、「一般」や「会友」の作品にもそれらを上回る作品がたくさんあることが分かる。

しかし、それらの実力のある「一般」や「会友」の人たちが翌年すぐに「会員」になれることは絶対にない。どの画会も建前は実力主義を掲げている。だが、実際には、7回連続入選で「一般」から「会友」に、さらに7回入選で「会友」から「会員」にする、という暗黙の内部規定があるらしいというのは、ほとんどすべての画会の公然の秘密だ。だから応募を始めてから会員になるまで、14 年かかる。ただし、その間、受賞があるとそれは3回入選としてカウントする、というのも各会共通の決まり。だから「一般」から始めて途中2回入選があると10 年で「会員」になれるという計算。だから、Mさんのケースもぴったりこれに合っている。ちなみに自分の場合も、この法則どうりで来ていて、現在「会友」だが、「会員」になるまであと4年、もし1回受賞すると、あと2年ということになる。まあタイトルはどうでもいいが • • • •

去年、日展での事件がメディアに取り上げられ、クリエィティブであるはずの美術の世界で年功序列が常識化されているという実態が明らかになった。このような「会員」システムもそのような体質の一端なのだろうと思う。

2014年6月1日日曜日

国際パステル画展

台北での国際パステル画展が終わり、図録が送られてきました。作品と作者の顔写真やプロファイルなどが1ページごとに掲載されている立派なものです。同時に出展証明書が送られてきたが、これが 「Authorize 感」たっぷりのとても立派なものでびっくり。このような証明書は、アーチストとしての業績を証明する Evidence(証拠)として重要なものです。(自分は、単なる Sunday painter なので、いい記念として大事にとっておくだけですが。)ちょうどこれは学術研究の世界で、研究論文が審査を通り、学会誌に掲載されることが決定したときの「論文採択通知」と似た大切なものです。(このへんの事情は最近の小保方さんの事件で、一般にも知られるようになりました。)日本の公募展でもこれに相当する「入選通知」が送られてきますが、これほど立派ではない紙ぺら1枚という感じのものです。