2017年6月30日金曜日

ジャコメッティ展

Exhibition  "Alberto  Giacometti"


ポスターの作品はうなだれて歩いている犬。極限までボリュームを無くしてしまうことで対象の「動き」だけを抽出したのだと思う。「歩く男」も人体の形はほとんどなく細い棒だけで軽やかに歩く動きを感じる。モーションキャプチャーと同じかもしれない。古典的な彫刻がマスの量感で対象を捉えようとしたのと対照的な20世紀の彫刻だ。

すごい数の素描が展示されている。モデルを何十時間もひたすらデッサンし続けたそうだ。止まらなくなってカフェで新聞紙に描いたものまであった。その格闘を通してやっと見えてくる形をジャコメッティは「ビジョン」と呼んだそうだ。たしかにこの独特なデッサン(陰影による写実的なものではない)を見ていると、そこから生まれるだろう彫刻の形が目に浮かんでくる気がする。

             (国立新美術館にて  〜9/4)

2017年6月27日火曜日

映画「残像」について(その3)

Movie  "Afterimage"

主人公の教授がゴッホのこの絵を題材に講義をするシーンがある。ゴッホがこの風景に何を見たのか、それを表現するための構図や色彩など、前回書いた「物を認識すること」の例として解説している。

「社会主義リアリズム」が唯一の政府公認芸術だった当時、ゴッホの絵も敵視された。「全体主義芸術」という本によれば、ソヴィエトの国家芸術院のトップはゴッホの絵をこう酷評したそうだ。「対象の意図的なデフォルメ、わざと崩したデッサン、実際からかけ離れた乱暴な色彩、うじ虫のような筆使い・・・」


映画で、文化大臣がこういう絵画は「労働者の敵だ」と演説する。敵視された絵画は、ゴッホ、ゴーギャン、マチス、ピカソ、ブラック、シャガール、カンディンスキー・・・など無数で、20 世紀の絵画のほとんどすべてが「労働者の敵」にされて、美術館からも消えてしまう。


逆に国が推進した「社会主義リアリズム」は、下のような絵だった(「全体主義芸術」より)。労働者の幸せそうな生活や力強い国家建設を描いているが、政治プロパガンダの色が濃い。映画の主人公はこれらを「薄っぺらいリアリズム」と批判し、描くことを拒否する。そのため教授の地位を追われ、公認芸術家の認定を取り消されて画材も売ってもらえなくなる。それでも信念を曲げず、最後は行き倒れのように死ぬ。

左:「昼食は母たちのもとで」 中:「新しい制服」 右:「レーニンの政権樹立宣言」

2017年6月24日土曜日

映画「残像」について(その2)

Words in the movie "Afterimage"

主人公のモデルはブワディスワフ・ストゥシェミンスキというポーランドの現代絵画の基礎を築いた人で、美術教育にも寄与した。大学の講義の場面をとおしてこの画家の絵画への考えが語られる。

「人は認識したものしか見ていない」・・・平たくいえば、ふし穴の目では大事なことは見えないということだろう。屋外実習の場面があるが、写生のためではなく、風景の奥にあるものを「認識」する訓練としてやっている。認識とは人が物を見る見方で、自分の見方を見つけることができてはじめて自由な表現が生まれる。

映画では「社会主義リアリズム」で芸術を統制しようとする文化大臣の演説に抗議するシーンがあるが、そのおおもとにあるのが上のような信念なのだろう。


2017年6月22日木曜日

「ル・コルビュジェの芸術空間」展

Exhibition  "The Art Space of Le Corbusier"

コルビュジェが国立西洋美術館を設計する過程をスケッチや習作図面で紹介している。コルビュジェが何をどう考えたか、思考の軌跡がわかって面白い。初期の段階では現西洋美術館だけでなく3つの建物で構成する総合芸術センター的な大きい構想を考えていたことがわかる。それは実現しなかったが、その後も松方コレクションに止まらない広範な展示内容の提案も行なっている。単に箱物の設計ではなく、空間やコンテンツのビジョンを描いている。また途中で挫折や迷いが生じて何度もスケッチをやり直している様子が興味深い。(国立西洋美術館にて開催中)


2017年6月19日月曜日

映画「残像」:アンジェイ・ワイダ遺作

Andrzei Wajda  "Afterimage"

アンジェイ・ワイダ監督が去年秋に亡くなったが、その遺作「残像」が公開されている。

戦後、ソ連の支配下に置かれたポーランドは、スターリンの「社会主義リアリズム」が政府公認芸術になり、進歩的な芸術は弾圧される。この映画はその犠牲になりながらも死ぬまで抵抗し続けた実在の画家の物語。

自身も全体主義に抵抗し反独反ソを貫いたアンジェイ・ワイダ監督が、その生涯をこの画家に重ね合わせて描いている遺言のような作品だ。シンボリックな画面・・・画家の部屋の中が突然真っ赤になるのだが、それは窓の外に巨大なスターリンの垂れ幕が掲げられたからだった。ワイダ監督らしい強烈な映像表現だ。(岩波ホールにて上映中)


2017年6月14日水曜日

ぽち袋

Pochi Bukuro

「ぽち袋」という言葉は関東ではあまり一般的ではないが、由来を調べると、「ぽち」は関西方言で「心づけ」を意味し、「ぽち袋」は舞妓などに与えていた祝儀袋のことで、「ぽち」には「これっぽっち」という謙遜の気持ちがこめられている、ということだ。

浮世絵などの江戸美術研究者の藤澤紫さん(現國學院大学教授)から頂いた「ぽち袋」という本に膨大な数のぽち袋が紹介されている。浮世絵や錦絵をモチーフに使った江戸時代のものから始まり、大正時代の現代的なものまでじつに多彩で面白い。藤澤さんの解説にあるように、「小さいものの美を愛でる日本人の美意識が凝縮されている」


1段目:日本の伝統的な文様などをモチーフにしたもの
2段目:ぽち袋はお年玉用ではなく、遊郭用なので「大人っぽい」柄も多い
3段目:竹久夢二調やアールデコ調など大正時代の現代的デザイン
(写真はいずれも同書より)

2017年6月9日金曜日

絵コンテと、映画「ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー」

Storyboard artist Harold Michelson and the movie "Harold and Lillian"


絵コンテアーティストの草分けで、「十戒」や「ベンハー」の頃から活躍していたハロルド・マイケルソン。公開中のドキュメンタリー映画「ハロルドとリリアン」でその生涯が描かれている。


有名な映画の絵コンテがたくさん出てくる。これはそのひとつで、「卒業」の人妻が若者を誘惑するシーンの絵コンテと実際の映像。絵コンテは映画を撮るときの「映像の設計図面」のようなもの。最大の視覚効果を生むように視点や構図や動きを考えるという絵コンテの役割がよく分かる。

映画館にハロルドの絵コンテの現物がほんの少し展示されていた。中央にあるのがヒッチコックの「鳥」。ヒッチコックはハロルドを重用したが、一般的には影の存在にされて長い間クレジットもされなかったそうだ。中には全部自分のアイデアで撮ったように装う監督もいたようだ。

そのあと帰って、たまたまDVDで「わかれ路」という映画を見ていたら、出演者や監督と並んで堂々と「Production Designer : Harold Michelson」とクレジットが出てきて、偶然だったので 驚いた。これは1994年の映画で、さすがにその頃には役割がちゃんと認められていたのだろう。彼は2007年に亡くなったが、映画は奥さんのリリアンの回想で語られている。(「恵比寿ガーデンシネマ」で上映中)

2017年6月7日水曜日

映画にみる住まい(5)「家と人生」

House and life in movies

家は単なる住むための道具ではなく、住む人の人生そのものだというテーマの映画3作。

「砂と霧の家」("House of Sand and Fog"  2003)
子供の頃から生まれ育った女性の大事な家が税金未納で差し押さえられて競売にかけられてしまう。家を買ったのはイランから政治亡命した元高官で、故郷の家と同じように美しいこの家の眺めが気に入っている。家を取り戻そうとする女性と守りたい男が争ううちに、この家が相手にとっても大切なことを理解し始める。最後は悲劇の結末になるが、人生において家以上に大切なものがあることに2人は気づく。秀作。

「海辺の家」("Life as A House"  2001)
妻とは離婚し、グレた息子とはコミュニケーションが取れない。さらに建築設計事務所をクビになってしまう。そんな人生に失敗した男が永年住んだ家を壊して自力で建て替える決心をする。建築が進むにつれて徐々に妻と息子が協力するようになっていく。「家を建て直す」ことが「人生を建て直す」ことになる家族再生の物語。しかし家が完成した時、彼が誰にも言わなかったあることが明らかになる・・・

「ニューヨーク  眺めのいい部屋売ります」("5 Flights Up"  2014)
画家の老夫婦が永年住んでいる部屋は眺めがよく居心地がいいが、欠点はエレベーターがないこと。階段がつらくなってきた二人は、ここを売って引っ越すことにする。しかしこの物件を見にくる人たちの人生模様をみるうちにこの部屋は自分たちの人生そのものだったと気がついた二人は住み続ける決心をする。そんなハートウォーミングな話し。


(このシリーズはとりあえずここまでに。それにしても TSUTAYA の映画在庫量はかなり多い。店舗ではなく宅配レンタルだと、そうとうレアな作品でも借りられるので、見たい映画の 90% は見ることができる。)

2017年6月4日日曜日

映画にみる住まい(4)「リフォーム」

House remodeling in movies

我々は戸建にしろマンションにしろ、できあいの家を買ってそのまま住むのが普通だが、アメリカでは中古を買うほうが多いせいか、映画にもリフォームがよく出てくる。それも単にきれいにするだけのリフォームではない。人それぞれの住まいに対する価値観がはっきりしていて、何としても家をそのとおりに変えなければ気がすまないという執念がうかがえて面白い。


「ローズ家の戦争」("The War of the Roses"  1989)
夫婦が豪邸を買い、妻は時間と金をかけてリフォームし理想どうりの住まいを作りあげる。やがて二人は離婚騒動になるのだが、家の所有を巡って泥沼の「戦争」になる。家を売れば十分すぎる慰謝料が入るのに妻は許さない。手塩にかけた家は我が子同然だからだ。映画だから誇張があるにしても住まいに対する人々の感覚が分かって面白い。それにしてもこのブラックコメディ、妻の冷酷さが凄まじい。夫にしか懐かない犬を料理してしまい、なにくわぬ顔で食べさせてしまったり・・

「セックス・アンド・シティ」("Sex and the City"  2008)
この大ヒット作で面白かったシーン。金持ちと結婚した女性が新居の豪邸を見に行くのだが、彼女がクローゼットが小さいというと夫はすぐにリフォームしてくれる。クローゼットというより大きい部屋の両壁面がすべて戸棚と引き出しになっていて、正面に靴収納用の鉄棒が何本も渡されている。超豪華な夢のようなウォークインクロゼットを手に入れた彼女はうっとりする。題名は忘れたが別の映画で、貧しい女性が「ガレージとウォークインクロゼットのある家に住むのが夢」と言っていたのが妙に印象に残っているが、それほどウォークインクロゼットは豊かな暮らしの象徴なのだろう。

「裸足で散歩」("Barefoot in the Park"  1967)
ホヤホヤの新婚さんが借りた古いアパートは極狭なうえに窓ガラスが割れていたり暖房や水道は故障中。そんなひどい家を奥さんがきれいにリフォームしてしまう。狭い空間をセンスよくまとめている。センスのいいインテリアを作るのは主婦力の見せ場のようで、よくホームパーティのシーンで客がまず部屋をほめるのはその表れだろう。

2017年6月1日木曜日

映画にみる住まい(3)「眺め」

Nice view house in movies

豪邸・別荘・高級マンションなどの眺めのいい住まいの映画は無数にあってきりがない。代表として、共に絶景を見晴らせる高級な家が出てくる新旧の2作を。


「マルホランド・ドライブ」("Mulholland Drive"  2001)
BBCが選ぶ 21 世紀の映画ベスト 100 で第1位に選ばれた作品。妄想と現実の境目が分からない全編が夢のような映画。登場する映画監督の家は高台にあってロスの街を見晴らせる全面ガラス張りの建物だ。住まいとしての現実感・生活感が全然ないかわり、夜景がゴージャスさを演出してくれるパーティのための舞台装置のような家だ。



「北北西に進路を取れ」("North by Northwest"  1959)
上のような家の祖先が登場したのが 60 年くらい前のこの有名な映画。ちょうどこの映画の時代にロスを中心に建てられた実験住宅「ケーススタディハウス」がモデルと思われる(たぶん)家だった。崖の中腹に張り出して建て、3面をガラス張りにしてロスの街を見晴らせる眺めの良さにだけ徹した「美しい幻想」とも呼ばれる家だ。(右は実際のもの)