2019年8月31日土曜日

「みんなのミュシャ」展

Mucha

「みんなのミュシャ」展を観た。作品数が多く、系統的にミュシャの全体像を見ることができる。前の日に観た映画「ディリリとパリの時間旅行」にミュシャ作品が出てきたが、その翌日で、ちょうどいいタイミングだった。(Bunkamura ザ・ミュージアム、~ 9 / 29 )

映画では、ベル・エポック時代のパリを舞台に、さなざまな画家の作品が登場するが、ミュシャのポスターも出てくる。ミュシャは大人気の画家で、描かれているは大人気の女優サラ・ベルナールだから、当時のパリの街の雰囲気を出すのに、このポスターはうってつけだ。(写真は予告編より)

その同じポスターが展覧会にも出ていた。会場入り口の看板の右下に写っているのがそれ。ちなみにこの看板自体が、パリの街中に貼られたポスターの雰囲気を出そうとしている。

ミュシャの影響を受けた各国の作品も紹介していたが、日本の明治時代の雑誌の表紙があった。左のは、上のポスターの完全コピーでびっくりした。(写真は図録より借用)



2019年8月29日木曜日

映画「ディリリとパリの時間旅行」

とても楽しく美しいアニメだ。(ヒューマン・トラスト・シネマ 有楽町)

ベル・エポック時代のパリで、画家たちが総出演する。アトリエでピカソとマティスとルソーが一緒に描いている。写真と絵を合成したアニメなので、作品部分は本物どうりに引用されている。

他にも、ロートレックがムーランルージュで踊り子たちをスケッチしている。モネとルノワールが屋外で並んで絵を描いている。ロダンのアトリエでは作品がたくさん並んでいる。

美術以外でも当時の新しい文化や技術が次々に登場する。パリ万博、エッフェル塔、アール・ヌーボーの建築、ミュシャのポスター、飛行船、化学者のキューリー夫人、女優のサラ・ベルナール、作曲家のドビュッシー、フレンチカンカン・・・まさに「時間旅行」

2019年8月27日火曜日

「北斎展」と北斎の遠近法

"Hokusai"

「富嶽三十六景」と「富嶽百景」の全 148 点を制作順に並べている。ただし、デジタル・リマスタリングした複製。大きさを原画より拡大した上、マット入りの額装をしている。浮世絵としてではなく、洋画を見る目で見てもらおうという意図のようだ。確かに見え方が違ってくる。(横浜そごう美術館、~ 9 / 1 )

だからなおさら遠近法に目がいく。近景と遠景のパースペクティブが一致していない絵が多い。これなど見た瞬間ギョッとするくらいだ。西洋の遠近法は、ただ一つの視点から全体を統一的に見る方法だが、鳥居と景色はバラバラに見たものをつなぎ合わせている。

これも、左の家と右の景色を個別で見るとおかしくないが、両方合わさると、とても奇妙だ。別々の二つの視点から見たものをくっつけている。北斎は西洋の遠近法を知っていて、図入りの解説まで残しているが、その本質までは理解していなかったと言われている。

むしろ北斎は、線遠近法よりも、近景と遠景の大小差による遠近法が得意だったようだ。それは「近像型構図」と呼ばれる。この場合も屋根と富士山の大きさの差で遠近感を表している。そして二つを三角形の相似形にすることで、いっそう強調しているのが絶妙。

2019年8月25日日曜日

デジタル版画展

Digital Print

デジタル版画展( O 美術館、~ 8 / 28 )を鑑賞した。絵画ではできないデジタルならではの表現が見事。出品作品の一つの制作過程が、たまたま「美術の窓」誌に載っていたので、その写真を借用して紹介する。(作品:鈴木朝潮「もしも二人逢えた事に意味があるなら」)

Photoshop が主なツールだが、といってもP Cまかせなわけではない。カメラで撮った写真を利用するが、ペンタブレットを使って手で描く工程が大部分で、普通の絵と変わらない。Photoshop のレイヤー機能をフル活用してパーツごとに描いていく。この作品の場合、レイヤーは 300 枚にものぼるそうで、制作に半年かかったという。このレイヤーを重ねるというのが、浮世絵などの多色擦り版画に似ているので、デジタル「版画」というとのことで、なるほどと思った。


2019年8月23日金曜日

ルイス・ブニュエルの「皆殺しの天使」

Luis Bunuel  "El Angel Exterminador"

ルイス・ブニュエル監督の名作「皆殺しの天使」を DVD で初めて観た。

金持ちの邸宅で晩餐会が開かれる。招待客 20 人も全てブルジョア。ところが食事が終わって夜が更けても誰も帰ろうとしない。全員が泊まるが、夜が明けても帰らない。そのまま何日経っても帰らない。ドアも門も開いているのに、監禁されて外に出られないと勝手に思っている。やがて食料もなくなり、正気をなくして言動がおかしくなっていく・・・

映画は、邸宅の内と外の間にある目に見えない壁を暗喩しているようだ。それは階級の間にある壁で、ブルジョアたちが自分たちの価値観から抜け出せないことの暗喩でもあるのだろう。最後に、ある方法で全員外に「脱出」するのだが、その後さらにオチがある。同じメンバーが今度は教会の中に「閉じ込められる」ことを示唆して終わる。このことから、「階級」だけでなく「宗教」でも、自分が属する集団に囚われて自縄自縛になっている人間を揶揄するのがブニュエルの意図に違いない。

2019年8月21日水曜日

映画「ニューヨーク公共図書館」

The New York Public Library

ミニシアターで「ニューヨーク公共図書館」を観た。インターミッションの入る3時間の長編ドキュメンタリー。

市の予算で運営されているのに「市立」でなく「公共」というのは、経費の半分が市民の寄付によって賄われているため。だから単に図書を収蔵する「書庫」ではなく、様々な市民のための活動をしている。レクチャー、セミナー、コンサートなどの他、教育活動も熱心で、学童や幼児教育、障害者教育、就職支援教育、など。また各分館では、地域密着型の活動をしている。

蔵書数が 6000 万冊というのもすごい。アマゾン並みの本の高速自動仕分けシステムも紹介される。ちなみに「ゴーストバスターズ」はここでロケしていた。このシーンは、上のポスターの閲覧室で撮っている。年代物の本が並ぶ(100 年以上前の創立だから古い本も多い)薄暗い書庫で幽霊が出るという話だった。

2019年8月19日月曜日

ライト建築の世界文化遺産登録と帝国ホテル

8works of Frank Lloyd Wright become world heritage

先月、ライトの建築群8件の世界文化遺産登録が決まった。グッケンハイム美術館や落水荘など、そうそうたる作品だが、アメリカの建築だけで、日本にある作品は含まれていない。  
全8作品の解説→   https://mikissh.com/diary/frank-lloyd-wright-sites-to-become-world-heritage/

ヨドコウ迎賓館
日本のヨドコウ迎賓館が追加登録の候補になっているそうだが、もし帝国ホテルが現存していたら確実に入っていただろうに残念だ。ライト自身にとっても自信作だったようで、「並はずれたものでありながら、取り壊されてしまった建築物」と言っていたそうだ。

老朽化による維持の難しさや、高層ビルにして室数を増やすために解体を決めた。解体中止を求めて「帝国ホテルを守る会」が必死の運動をするが、ダメだった。今では明治村に一部の「残骸」が残るだけになった。(大内田史郎「旧帝国ホテルの解体から移築に関する研究」より)

解体した1967 年といえば高度経済成長時代で、高層ビルを建てるのが「近代化」だと思われていて、建築の文化的価値は理解されなかった。今では歴史的建築に落書きしただけでも犯罪になるが、落書きどころか全部壊してしまったのだから何ともすごい。

2019年8月17日土曜日

「表現の不自由」展と「表現」

Expressionism

「表現の不自由」展の論争はたいして意味がないと思うが、そもそも「表現」とは何か、について考えるきっかけにはなる。「表現の自由」を押さえつけた最大の権力者はヒトラーで、近代絵画すべてを抑圧したが、中でも「表現主義」を徹底的に槍玉にあげた。

表現主義(Expressionism)は、印象派(Impressionism)とよく対比される。印象派が外の世界を内に(Im)取り入れて描くのに対して、表現主義は内の世界を外へ(Ex)出して描く。描く動機が正反対だ。

表現主義は、第一次大戦前後にドイツで盛んになった芸術運動で、オットー・ディクスやゲオルゲ・グロッスなどが有名だ。戦争で、残虐に殺しあう人間の姿を見てしまい、もう今までのように人間や世界を美しいものとして描くことができなくなった画家たちは、美しい世界を写実するのではなく、心で見た「美しくない現実」を表現する方法を模索した。それが「表現主義」だった。(写真はオットー・ディクスの作品)

人間を醜悪に描いた表現主義を、ヒトラーは精神病患者の狂った絵だ、とののしった。真実を「表現」しようとする表現主義はやがて体制批判につながっていくのではないかと恐れたに違いない。

何も「表現」していない、ただの政治プロパガンダの道具について「表現の不自由」と騒ぐほどのことはないと思う。

2019年8月15日木曜日

中止された展覧会と、ヒトラーの「空は青く、樹は緑に!」


中止になった名古屋の芸術祭のゴタゴタがまだ続いているようだが、ある政治家が「ヒトラーと同じだ」と批判したそうなので、同じかどうか比べてみた。

ヒトラーは「空は青く、樹は緑に!」と言って「国家社会主義美学」に一致しない絵画を美術館から撤去した。それらを列挙すると、ゴッホ、ゴーギャン、マティス、ピカソ、ブラック、ドラン、ルソー、カンディンスキー、シャガール、キリコ、ヴラマンク、アンソール、リシツキー、ドースブルフ、など(「全体主義芸術」より)で、近代絵画は全滅した。

戦争で人間を大量に殺しあう20 世紀になって、もう今までのように「空は青く、樹は緑に!」というような美しいものとして世界を描くことができなくなって、「美しくない」現実をありのままに表現する方法を画家たちは模索した。だからそれらは政治目的のための絵ではないのに、ヒトラーは政治批判につながる危険性を感じて弾圧した。

名古屋の展覧会を中止させたのは、ヒトラーと同じで、表現の自由の侵害だと批判している政治家がいるそうだが、問題の作品はもともと政治目的で作られたのだから、芸術表現で抑圧された作品といっしょにしないほうがいい。

ヒトラーは押収した作品を集めて「退廃美術展」を開くが、作品ごとに美術館が買った値段を表示して、これだけ国の税金をムダ使いしていると非難した。名古屋で中止に追い込んだ側の政治家が「偏った作品に国民の血税を使っている」と批判しているようだが、その言い方は確かにヒトラーと同じだ。
(写真は、「退廃芸術展」を下見するヒトラー、映画「ヒトラー VS ピカソ」より)

2019年8月13日火曜日

アンソニー・ダンの著書

Anthony Dunne "Specuative Design"

アンソニー・ダンの「スペキュラティブ・デザイン」という本を読んでいる。彼とは 30 年くらい前、いっしょに仕事をしたことがある。国へ帰って RCA(ロイヤル・カッレジ・オブ・アート)の教授になったことを風の便りで知っていたが、今は事務所を持って活躍しているようだ。

この本は、当時の彼の仕事の延長線上にあるような内容で、共感を持てる。しかしほとんどの作品が現実化しておらず、リアリティのない頭の体操に終わっている・・・と突っ込みを入れたくなるが、全体の方向性はよく理解できる。彼のことを覚えている人は一読してもいいと思う。

2019年8月11日日曜日

モナリザの微笑

Mona Lisa smile

「モナリザ・スマイル」という映画で、美術史を学ぶ学生が、モナリザの意味深長な微笑の意味を最後に知る、というのがオチになっている。この映画に限らず、モナリザの表情について昔から色々な議論があったが、最近、心理学の印象評価実験の手法による面白い研究論文が発表されたそうだ。この結果、これは喜びの表情であることが分かったという。

"Mona Lisa is always happy - and only sometimes sad"   by Emanuela Liaci  より

原画の口元を加工して、悲しみから喜びまでの表情を変えた写真を13 段階作る。S1 は口が横真一文字なのに対し、S13 は口元がかなり上へ上がっている。S9 が原画通り。被験者に、それぞれを見せて、どこまでが悲しみで、どこから喜びに感じるかを言わせる。その結果がグラフで、上段のグラフの赤線が「どちらとも言えない」の線と S5 で交わっていることから、悲しみと喜びとの境目が S5 にあることがわかる。下段のグラフは、判断の反応時間で、S5 で最も判断に迷っていることが分かり、このことからも S5 が境目であることが分かる。どちらのグラフでも原画の S9 は完全に喜びの範囲に入っている。

2019年8月9日金曜日

「表現の不自由」展になかった不自由な絵

Socialist realism

ディネカ(ソ連)「サドーヴァヤ環状道路でのリレー」1927
中止された「表現の不自由」展を見たわけではないが、政治的な圧力で表現の自由が抑圧されている作品を展示していたようだ。

こんな明るく健康的な絵がある。もちろん何の抑圧もされず「表現の不自由」などとは無縁のようだが・・・

ソ連で「社会主義リアリズム」が唯一の国家公認の絵画だった時代に、画家たちはこのような「明るい理想社会」の姿を描いた。それは現実とはかけ離れていたが、国のイデオロギーに合わせざるをえなかった。「表現を抑圧される不自由」よりも「抑圧されない表現をする不自由」の方が怖い。

2019年8月7日水曜日

ピカソの「朝鮮の虐殺」と「ゲルニカ」&「表現の不自由」展



印象派を引き合いに出すまでもなく、革新的な芸術はいつも、美術館からも大衆からも非難され、「表現の不自由」をこうむってきた。しかし名古屋の「表現の不自由」展の騒動は、もともと政治目的のための作品に対して、逆の立場の人たちも政治目的で批判しているわけだから、芸術表現の問題とは関係のない話だと思う。


ピカソに「朝鮮の虐殺」という絵があるが、あまり知られていないし、はっきり言って傑作とは思えない。朝鮮戦争で米軍が北朝鮮の女性を大量虐殺した事件を題材にしている。共産党員だったピカソは北朝鮮へのシンパシーからこの絵を描いたとされる。絵に政治性を感じるのはそのせいだろう。

同じピカソの「ゲルニカ」は、ナチスドイツのスペイン空爆で、市民を殺戮した事件が題材になっている。その点で「朝鮮の虐殺」と共通しているが、こちらの方は特定の国への非難などいった政治性は感じない。人間の悲劇をもたらす戦争への批判という普遍的な価値へと昇華させている。だから「表現の不自由」問題など起きないし、国や時代を超えて名画として評価されている。

2019年8月5日月曜日

スタンリー・キューブリックの一点透視カメラワーク

Kubrick's  One-Point-Perspective

スタンリー・キューブリックの映画には、一点透視のカメラワークが多用されているということを説明しているサイトが、あるブログで紹介されていたので、さっそく見てみた。「2001年宇宙の旅」や「時計じかけのオレンジ」などからたくさんの画面例があげられている。キューブリック作品を見ていても一点透視のことなどは意識していなかったので、なるほどそういえば、と気がついて面白い。

一点透視は、消失点上にいる主人公などに見る人の視線を誘導する。あるいは人物が道を歩いていれば、周りの景色が後ろへ流れていくから、自分も歩いている気分になる。光景を第三者的に外から見ているのではなく、見ている人がその場所にいるような感覚をもたらす。キューブリックはそういう臨場感をねらっているに違いない。

動画はこちら→   https://gigazine.net/news/20120901-kubrick-one-point-perspective/







2019年8月3日土曜日

エゴン・シーレとヒトラー

Egon Schiele & Hitler

「ウィーン・モダン  クリムト・シーレ  世紀末への道」展(国立新美術館  ~ 8 / 5 )がまもなく終わるが、いちばん印象的だったのはエゴン・シーレだった。苦痛で歪んだような顔の人物はシーレ自身の内面の表現だが、強烈にデフォルメされた絵の裏に確実なデッサン力をはっきり感じることができる。実際、見事な素描が多数が展示されていた。

今年初めに公開された映画「エゴン・シーレ  死と乙女」で、モデルに無理な姿勢のポーズをさせ、狂ったようにクロッキーをしていく様子が描かれていた。そういう素描がベースになってシーレの傑作が生まれたことがよくわかる。

池内紀著「ヒトラーの時代」という本に面白い話が出てくる。エゴン・シーレはウィーン美術学校を1906 年に受験して一発合格する。その翌年、一才年下のアドルフ・ヒトラーが同じウィーン美術学校を受験するが不合格になり、一浪した翌年も不合格になる。ヒトラーは古い建物を描いた風景画が得意だったが、人物デッサンはまったく下手で、提出した課題デッサンで不合格になった。

同じ美術学校を目指したエゴン・シーレが狂気の画家になり、ヒトラーが狂気の政治家になった分かれ道が人物デッサン力の差だったというのが面白い。

2019年8月1日木曜日

アクリルで描く「メカニズム」

このところ、機械を描くのがマイブームになっている。今回はパワーシャベルをモチーフに、アクリルで描いた。一度パステルで描いた題材だが、もっと粗い(荒い)感じを出したくて、アクリルで Ver. 2 をやってみた。メディウムの特性の違いをあらためて実感。
"Mechanism"   Acrylic,  Panel,  90 cm × 65 cm(30 号)