2023年1月30日月曜日

「飛ぶ教室」

 The Flying Classroom

図書館の児童書コーナーを通ったら、たまたま「飛ぶ教室」が目についたので借りてみた。小学生の頃、少年少女文学全集を全巻持っていたが、「飛ぶ教室」だけは何度も何度も読み返した愛読書だった。読むのは約 7 0 年ぶりになる。

児童文学の最高峰とされるエーリッヒ・ケストナーのこの小説は、主人公を子供時代の自分をモデルにしている。寄宿制の小中一貫校での子供たちの生活の物語だ。親から捨てられた少年や、貧乏で苦しんでいる少年や、頭はいいけれど気の弱い少年や、腕っぷしは強いけど成績の悪い少年などが登場し、喧嘩やいじめやグループどうしの抗争などがある。それを通して、知恵と勇気を持って生きることの大切さを描いている。

ケストナーは「まえがき」で世の児童文学書を批判している。「ずるい著者たちは、初めから終わりまで面白がらせ、楽しさで夢中にさせようとして、子供たちを騙している。しかし、子供たちは時にずいぶん不幸になるものだ。みなさんはそのことを大人になっても忘れないでほしいのです。」

その上で、「人に殴られた時、勇気と賢さを持ちなさい。賢さのともなわない勇気は不法です。勇気の伴わない賢さはくだらんものです。世界史には、ばかな人が勇ましくなったり、賢い人が臆病だったりした時がいくらもあります。それは正しいことではありません。」

つまり子供向けだからといってこれはファンタジーのような本ではない、現実の世界をリアルに見つめるのだと言っている。今読むとそれについて思い当たることがある。ケストナーがこれを書いたのはヒトラーが政権を取った 1 9 3 3 年で、反体制的な書物は禁止される。自由主義者で平和主義者のケストナーの著書も発刊禁止になる。上記の「まえがき」は、そのことに対する反抗の気持ちの表われのように思える。

しかし「飛ぶ教室」だけはあまりにも人気がありすぎて禁止できず、ナチス時代のドイツの子供たちに読まれ続けたという。そして今も世界中の子供に読まれている。また戦後3回映画化されている。



2023年1月27日金曜日

国歌「君が代」発祥の地

 The origin of Japan's National Anthem

横浜本牧の妙香寺は「君が代」発祥の地といわれ、境内に記念碑が建っている。明治はじめに日本にも国歌が必要だということで、この地で軍楽隊を指揮していたフェントンというイギリス陸軍軍楽長が依頼されて作曲した。その指揮で薩摩藩軍楽隊が初めて演奏したのがこの妙香寺だった。


そのオリジナルの「君が代」は、現在のものとは違っている。しかしスローテンポで荘重な感じで、メロディも今の「君が代」の面影がある。

しかしこの曲は不評だったため、短命に終わり、明治 13 年に今度は日本人が作曲した雅楽風の旋律をもとに、ドイツ人の海軍軍楽隊のエッケルトという人が洋楽風に編曲したのが、現在の「君が代」で、正式に国歌に制定される。それにしても、一国の国歌が外国人によって作られたというのが面白い。

妙香寺の山門

2023年1月24日火曜日

映画「ヒトラーのための虐殺会議」

The Wannsee Conference

「ヴァンゼー会議」は、ユダヤ人絶滅の実行計画を決定した会議として歴史上悪名が高い。この映画は、当時の議事録をもとに会議を忠実に再現している。関係省庁の次官級の官僚 15 人が出席して、ユダヤ人の絶滅方法が検討される。


観ていてあることに気付いた。議長の横のコーナーに女性が速記録を取っているのだが、その隣に座っている男は高官ではなく、議事録作成役のただの担当者で、議論には参加しない。この男が議長から「アイヒマン」と呼ばれている。もしやと思って後で調べてみたら、あの有名な「アイヒマン」その人だった。アイヒマンは下っ端役人としては一人だけヴァンゼー会議に同席したと書かれているが、映画はその史実どうりに描いている。

彼は自分から意見は言わないが、議長から促されると、議論に必要なデータを説明する。各地区のユダヤ人の人数、収容所へ移送する鉄道のキャパシティ、殺すにはガスを使うのが効率的、など的確な情報をスラスラと説明する、いかにも有能な役人といった感じだ。後に彼は、ユダヤ人の移送全体を取り仕切る最高責任者になって、この会議で決定した 500 万人のユダヤ人虐殺を忠実に実行する。そのため戦後の戦犯裁判で死刑になる。

この裁判を題材にした映画はいくつか作られたが、最も重要な映画は「ハンナ・アーレント」だろう。この裁判で、アイヒマンは「自分は命令に従って、役人としての仕事を忠実に果たしただけだ。」として徹底的に無罪を主張し続けたが、それを傍聴していた哲学者のハンナ・アーレントはある結論に達する。それが有名な「悪の凡庸さ」だ。アイヒマンは、殺人鬼のような悪人ではなく、思考を停止して自分の仕事を淡々とこなしただけの陳腐で凡庸な人物だったという意味だ。


2023年1月20日金曜日

「ピカソとその時代」展のパウル・クレーの作品

 Picasso and His Time

「ピカソとその時代」展は、ピカソとクレーを中心にした 20世紀美術展だが、クレーの作品 34 点は、すべてがバウハウス時代の作品で、日本初公開が多い。だからこれらは、手元にあるクレーの画集にもほとんど載っていない初めて見る作品ばかりだ。クレーがバウハウスの教授を務めたのは、 1 9 2 1 年からだが、やがてヒトラーが政権を握ると、バウハウスを弾圧し、クレーの作品は「頽廃芸術」の烙印を押されて美術館から強奪される。それでクレーは 1 9 3 1 年にバウハウスを辞めたのだが、その 1 0 年間の作品が今回展示されている。

こんな作品があった。「暗い扉のある部屋の透視図法」という絵で、題名どうり透視図法をテーマにした絵だ。クレーといえば色彩と詩情にあふれたグラフィカルな絵という印象が強いが、感覚的でない理論的な表現もあることがわかる。

バウハウスでの講義ノートをまとめたのが「造形思考」で、クレーの造形理論がよくわかる本だが、その中に透視図法の理論も出てくる。ただしそれは、図法の説明としてではなく、透視図法的な眼で物を見て、それを絵画の中にテーマとしてどう活かしていくかという論点で説明されている。

「アラビアの町」という作例が載っている。四角い家々が並んでいる風景だが、いろいろな眼の高さ(アイレベル)から見た家の形が組み合わさっている。正面から見た家は四角だが、上や下から見た家は台形になる。つまり視点が移動しているのだが、それを同一画面内に描いている。

このテーマをさらに発展させた作品もある。左の「屋根の上の7時」ではいろいろな角度から見た家が組み合わさっている。右の「町の城郭への道」では、さらに抽象化され、透視図的な街並みの形は消えて、2次元的なグラフィックになりきっている。クレーの作品の裏側に透視図的な視点が隠れていることを、この本で知ることができる。


2023年1月16日月曜日

「反逆の神話」

「Why the Culture Can't be Jammed」 

「反逆の神話」は、カウンターカルチャーが既存文化に対して反逆するものとして始まるが、すぐに社会に取り込まれて利用され、反逆性を失ってしまうことを論じている。

ヒッピーに代表されるカウンターカルチャーは、資本主義経済とアメリカ社会の消費主義文化に反逆する文化だった。例えば、1960 年代から 70 年代にかけて、アメリカで VW のビートルがたくさん走っていたが、乗っているのはヒッピーたちだった。無駄だらけのバカバカしい「アメ車」をあざ笑って、物質的な富ばかりを追い求める消費主義文化を批判していた。

しかし、カウンターカルチャー自体が消費主義文化に取り込まれて、逆にそれを増長する役目を果たしてしまう。例えばジーンズは労働者が着る作業着を普通の若者が着ることで、スーツとネクタイの文化への”反逆”として始まったが、しかしホワイトジーンズやら女性用ジーンズやら穴あきジーンズが生まれ、たちまちジーンズの”反逆性” は消えて、ただの ”カッコいい” ファッションになってしまう。それによってファッション業界は大儲けする。

アウトドア・オーディオが初めて世に出た 1 9 7 0 年代の広告の例も思い出す。女の子のファッションに対して、伝統文化の象徴である浴衣姿のおじいさんに「イカン」と言わせることで。カウンターカルチャー性を強調している。しかし「イカン」というほどのカウンターカルチャーの”反逆性”はなく、”カッコいい” ファッションのシンボルとして、製品のイメージ作りに利用されている。

2023年1月14日土曜日

映画「カラー・オブ・ハート」

 「Pleasantville」

カウンターカルチャーは世の中を支配している体制文化へ反逆する対抗文化だが、それは体制側との衝突を生む。それをテーマにしたのが「カラー・オブ・ハート」という映画で、とても面白い。

舞台は 1 9 5 0 年代で、良識的な人々のコミュニティや家庭があり、既存の価値観が守られている秩序正しい時代だった。そこに良識を無視して、本能のままに行動する女子高校生が突然変異のように現れる。それはまさにカウンターカルチャーの始まりなのだが、この女の子が現在の基準から見ればごく普通で反抗的でもなんでもないことがこの映画の面白さだ。

そして”良識的な” 社会が、実は人間の自然な欲求を抑圧することで成り立っていることをこの映画は暴露している。その抑圧から解放されて自由になろうよ、というカウンターカルチャーの力がやがて社会全体に広がっていく過程をパロディのように描いている映画だ。

両親と高校生の兄妹の平凡な4人家族が主人公だが、テレビが壊れて白黒になり、一家は 1 9 5 0 年代のホームドラマの世界へワープしてしまう。父親は真面目に会社で働き、母親は良妻賢母の見本のような女性だ。しかし娘だけは男の子と次々に付き合う”ふしだらな” 女の子で、人々の反感をかっている。

しかし彼女は感染症の”ウイルス” のようなもので、次々とその”ウイルス” が人々に感染していく。映画は”感染” した人間がカラーになる。そして、夫に尽くしてきた良妻賢母の母親も感染してしまう。それは不倫をして、欲求の抑圧から解放されて自由を得たからだ。

”非道徳的な" カウンターカルチャーによって、コミュニティが破壊されてしまうことに危機感を抱いた市民たちは、決起集会を開いて、”色づき”禁止の法律を作ったりする。その集会の横断幕のスローガンやマークなどが、ナチスの大会とそっくりだ。力で体制を守ろうとしている人々をファシズム的だと映画は言っている。

それにもかかわらず ”感染” は町じゅうに広がり、ついに町全体が色づいてしまう。体制と反体制の対立を描いた映画として「イージー・ライダー」があるが、そこでは対立が決定的なところまでいってしまい、人殺しで終わるのだが、この映画はそうではない。体制側はカウンターカルチャーを受け入れ、反体制側も体制側の良き文化を取り入れる。そして ”ふしだら” だった娘は、勉強したいといって大学へ進学するところで映画は終わる。そして壊れていたテレビが直ってカラーになるというのが映画のオチ。


2023年1月9日月曜日

ゴッホの「ひまわり」が訴えられた

 Van Gogh's Sunflower

新年そうそうに面白いニュースが報じられていた。SONPO 美術館が所有するゴッホの「ひまわり」の返還要求をする訴訟がアメリカで起こされたという。戦前のナチスによって強奪された作品だとして、元所有者の遺族が返還を求めている。しかしSONPO 側は、公開オークションで落札したものだから正当な所有権があると主張している。

新宿の SONPO 美術館の入り口を入ったすぐの目立つ所に「ひまわり」が特別な感じで常設展示されている。同館の超目玉作品だからこの裁判は難航するだろう。

これで真っ先に思い出すのは、映画「黄金のアデーレ  名画の帰還」だ。クリムトの名作「黄金のアデーレ」は、ユダヤ人の富豪が自分の娘をモデルにして描かせた肖像画だが、ナチスに強奪され、戦後はオーストリア政府の所有になっている。モデルの女性の姪は、ナチスの収容所送りから逃げてアメリカに亡命したのだが、今では 8 2 歳になる。彼女が家族の所有物だとして返還の訴訟を起こす。難航する裁判の末にやっと勝つのだが、帰還した絵を美術館に寄贈してしまう・・・という興味深い映画だ。これは実話にもとづく映画で、ナチスに奪われた絵画を取り戻す訴訟は現在もたくさん続いていて、それ専門の弁護士もいるという。今回の「ひまわり」もそれだろう。

もうひとつは、松方コレクションを思い出す。絵はすべて、金を払って買った個人の所有物だ。しかしフランスで保管していたため、終戦時にフランス政府に戦利品として奪われてしまう。絵画の強奪はナチスの専売特許ではなく、”芸術大国” のフランスも同じだ。日本政府は返還交渉をしたが、超重要な作品は返えってこなかった。その一つがゴッホの「ファンゴッホの寝室」だ。だから、松方コレクションを展示している国立西洋美術館にこの絵は無く、オルセー美術館にある。また返ってきた絵も「返還」ではなく、「貸与」だ。「返還」にすれば「強奪」であることを認めてしまうことになるので。あくまで所有権のあるフランスが日本に貸してあげているという形にしている。


2023年1月7日土曜日

台湾が分かる台湾映画

 Taiwan Movie

台湾問題がよく報じられる昨今だが、そのもとにある歴史的な背景を知ることで、台湾をより理解できる。ここにまとめた台湾映画はその参考になる。いずれのテーマも単なる歴史ではなく、現在につながっている問題であることが分かる。そしてどの映画でも日本が大きく関わっている。


「非情城市」
国際的にも評価の高い台湾映画の名作。敗戦で日本人が去ると、入れ替わるように中国人が入ってきて台湾を支配する。その強権政治に抗議する大デモが起こると、中国軍は3万人の台湾人を大量虐殺する。この「二二八事件」を背景のもと、ある家族の運命をとうして、つねに外国の支配を受けてきた台湾の悲しみを描いている。(この映画については前回書いたので詳細はそちらを)



「セデック・バレ」
日本統治時代、台湾全土の開発が進められていたが、内陸の山岳地帯まで及ぶと、生活を脅かされた狩猟民族である原住民が抗日反乱を起こす。小学校の運動会を襲って 1 0 0 人以上の日本人が殺された「霧社事件」だ。この反乱のリーダーである気高い英雄バレを描いた映画で、台湾映画の名作だ。反乱鎮圧のために軍隊が出動するが、この対応に日本国内でも批判が高まり、原住民政策が転換されることになる。



「KANO   1931 海の向こうの甲子園」
日本統治下で、台湾代表として甲子園に出場した嘉義農業高校(KANO)が決勝まで勝ち進んだ実話に基づく映画。その快進撃に台湾中が熱狂する。人種差別的な雰囲気がある中で、日本人監督が、日本人、台湾人、台湾原住民、の生徒の混成チームで戦って快挙を成し遂げた。日本統治時代を美化している面もあるのかもしれないが、戦前の台湾社会の雰囲気が伝わってくる。



「日曜日の散歩者 忘れられた台湾詩人たち」
戦前の台湾で、シュールリアリズムの前衛的な詩人たちのグループをドキュメンタリータッチで描いた映画だ。台湾文学を創造しようとする彼らだが、日本語で高等教育を受けていたから、詩作も日本語で行なわざるを得ない。その葛藤が描かれている。戦後になると、中国から来た国民党政権になり、日本語が使えなくなるが、その代わり思想の自由がなくなってしまう。



「返校 言葉が消えた日」
戦後長く続いた国民党独裁政権による思想言論の統制が行われた。映画で、ある高校の反政府的な思想の生徒が、学校に踏み込んできた官憲に逮捕されるのだが、それほど統制が厳しかった。それでも学校の隠れ部屋で密かに集まって読書会を続けている生徒たちが描かれている。台湾が民主化されるのは、やっと 1 9 9 0 年頃だから、わずか 3 0 年前まで、専制独裁政治の暗い時代が続いていたことになる。



2023年1月2日月曜日

映画「非情城市」

 「A City of Sadness」

「非情城市」は 1 9 8 9 年にベネチア映画祭でグランプリを受賞した台湾映画の名作だ。昨今、台湾情勢がよく報じられるが、その問題のおおもとにある歴史的背景を理解するのに、この映画はとても参考になる。

台湾に行った時、「台北二二八記念館」を見学したが、展示内容が衝撃的だった。昭和 2 0 年の日本敗戦で台湾統治が終わると同時に、中国から逃げてきた国民党政権の中国人による統治が始まる。その時起きた虐殺事件が「二二八事件」だった。この映画は、その事件を庶民の目を通して描いている。

中国人の兵士が台湾人女性に暴行を加えたことへの抗議デモが台湾全土に広がる。国民党政権は、抗議する人間を捕らえて処刑し、犠牲者は3万人ちかくにものぼった。彼らは主に日本語で高等教育を受けた人たちで、政府は日本の影響を台湾から一掃することを狙っていた。それ以来、国民党独裁政権の間、この事件は封印されていたが、1 9 8 7 年頃に民主化が始まると、この事件の全容が明らかにされてくる。それでこの映画も誕生した。

映画は、主人公の青年を通じて、終戦からの激しく揺れ動いた台湾社会を描いている。戦争が終わってもまだ台湾に「日本」が残っていた時代で、台湾人同士が日本語で会話していたり、日本の歌が流れていたりする。抗議デモは拡大して、民衆の反政府ゲリラ化するが、街に紛れ込んでいる中国人を見つけるために日本語で話しかける。日本語で答えられなければ中国人だ。

逮捕された若者たちは、当時の日本の流行歌「幌馬車の唄」を歌いながら処刑される。日本が去って、自分たちの新しい理想の国が作れると思っていたのに、日本の歌を歌いながら死んでいく「台湾」の悲しみが描かれている。

写真家の主人公はセルフタイマーを使って家族の写真を撮るが、その3日後に逮捕される。