2023年1月14日土曜日

映画「カラー・オブ・ハート」

 「Pleasantville」

カウンターカルチャーは世の中を支配している体制文化へ反逆する対抗文化だが、それは体制側との衝突を生む。それをテーマにしたのが「カラー・オブ・ハート」という映画で、とても面白い。

舞台は 1 9 5 0 年代で、良識的な人々のコミュニティや家庭があり、既存の価値観が守られている秩序正しい時代だった。そこに良識を無視して、本能のままに行動する女子高校生が突然変異のように現れる。それはまさにカウンターカルチャーの始まりなのだが、この女の子が現在の基準から見ればごく普通で反抗的でもなんでもないことがこの映画の面白さだ。

そして”良識的な” 社会が、実は人間の自然な欲求を抑圧することで成り立っていることをこの映画は暴露している。その抑圧から解放されて自由になろうよ、というカウンターカルチャーの力がやがて社会全体に広がっていく過程をパロディのように描いている映画だ。

両親と高校生の兄妹の平凡な4人家族が主人公だが、テレビが壊れて白黒になり、一家は 1 9 5 0 年代のホームドラマの世界へワープしてしまう。父親は真面目に会社で働き、母親は良妻賢母の見本のような女性だ。しかし娘だけは男の子と次々に付き合う”ふしだらな” 女の子で、人々の反感をかっている。

しかし彼女は感染症の”ウイルス” のようなもので、次々とその”ウイルス” が人々に感染していく。映画は”感染” した人間がカラーになる。そして、夫に尽くしてきた良妻賢母の母親も感染してしまう。それは不倫をして、欲求の抑圧から解放されて自由を得たからだ。

”非道徳的な" カウンターカルチャーによって、コミュニティが破壊されてしまうことに危機感を抱いた市民たちは、決起集会を開いて、”色づき”禁止の法律を作ったりする。その集会の横断幕のスローガンやマークなどが、ナチスの大会とそっくりだ。力で体制を守ろうとしている人々をファシズム的だと映画は言っている。

それにもかかわらず ”感染” は町じゅうに広がり、ついに町全体が色づいてしまう。体制と反体制の対立を描いた映画として「イージー・ライダー」があるが、そこでは対立が決定的なところまでいってしまい、人殺しで終わるのだが、この映画はそうではない。体制側はカウンターカルチャーを受け入れ、反体制側も体制側の良き文化を取り入れる。そして ”ふしだら” だった娘は、勉強したいといって大学へ進学するところで映画は終わる。そして壊れていたテレビが直ってカラーになるというのが映画のオチ。


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