2014年4月23日水曜日

若い頃の水彩画練習(3)

水彩画に限らず、すべての絵のプロセスで必ずやらされたのが、白黒スケッチによる構図の検討だ。「明と暗で画面を構成する」のが絵というものの根本であるという考え方がそこにはあり、色や形を写生するというのは二の次だということで、これは自分にとって革命的なことだった。明暗コントラスト(Value contrast)を画面の中でどう配分し、魅力的な画面を作っていくか、そのバリエーションを10cm位の小さいスケッチで描いて、その中から最終案を選び、ファイナルに進む。





若い頃の水彩画練習(2)

やはり学校での課題でこんなのもやった。モチーフは自由だがすべてを「Wet in Wet」で描く、という練習。紙をびしょびしょに濡らしておいて、筆にたっぷりと水を含ませた絵の具で描き、色が滲んで広がっていく。水彩の特質、水彩画の醍醐味を実感させてくれる課題だった。超厚手の水彩画用紙をしっかりと水張りして描く。






若い頃の水彩画練習(1)

ずっとパステル画ばかり描いていたが、最近、水彩画にもハマり始めた。練習のつもりであまり考えずにどんどん描いている。いろいろ試して、こうすればああなるのか、という水彩の体感をしたいと思っている。そんな時、大昔、学校で絵を習っていたとき描いた課題作品のことを思い出して引っぱり出してみた。これは、10種類の樹木をそれぞれの特徴をとらえて描くという課題。そして「にじみ」「かすれ」「筆のスピード」といった水彩の特徴を活かした表現をせよ、というもの。風景画では、木は絵の成否を分ける重要な要素なので、こんな練習をさせたのだと思う。これを見ると、いまの自分よりはるかにうまい。何十年の空白を埋めるべく練習せねば。


2014年4月15日火曜日

廃墟の画家




廃屋が好きで絵に描いたりしているが、同じ「廃」つながりで、「廃墟」もとても好きだ。ヨーロッパでは伝統的にいろいろな画家によって廃墟が絵のモチーフとして取り上げられてきた。とくに18世紀〜19世紀の風景画家たちはほとんど全員といっていいくらい廃墟を描いている。それは、18世紀にギリシャやローマの遺跡発掘がさかんにされるようになり、古代へのあこがれの気持ちが広がったことと、大衆の外国旅行が流行し、画家たちもまたイタリアを訪れローマ時代の遺跡に接した、という背景から、廃墟が描かれるようになった。そのような時代に廃墟を専門に描いた次の5人の絵はとても魅力的だ。ピラネージ、ユベール•ロベール、ジョセフ•ガンディー、ジョン•マーチン、キャスパー•フリードリッヒの5人。画集をながめるたびにゾクッとするような感覚を覚える。単に風景画のモチーフのひとつとして描いているのではなく、廃墟に託して、彼らの精神の内面を表現している。

彼らにはとても面白い共通点がある。フリードリッヒ以外の4人はいずれも画家であると同時に建築家または建築に関係する仕事をしていたことだ。(ピラネージとガンディーは建築の専門教育を受けた建築家、ユベール•ロベールはルーブル美術館の改装や庭園の設計などをてがけ、マーチンはロンドンの都市計画に関わった。)建築という仕事と廃墟の絵がどう関係していたのかという観点から彼らの絵を見てみたい。

  ピラネージ(イタリア、1720年〜1778年)
ローマ時代の遺跡や廃墟に興味をもっていた彼は、建築家としての視点で、それらを調査し、詳細な記録を銅板画として残した。それらの建造物の工事や工法の秘密や、現場に残っていた断片の装飾にいたるまで、ひとつひとつに説明書きをつけながら図面的な正確さで記録していった。このような建築学的な研究の積み重ねを土台にして、やがて「幻覚的な」といっていい空想建築の絵画創作に発展していく。建築の知識と透視図法の技術を駆使して、建造物や都市や、その廃墟となった姿を描き出していくが、それが架空のものでありながら、ほんとうに実在しているかのようなものすごい説得力をもってせまってくる。そして例の有名な牢獄シリーズにつながっていく。この恐怖と狂気に満ちた作品を去年の「空想の建築展」(町田市立国際版画美術館、2013年)で見ることができたが、迫力に圧倒された。
           「ピラネージ版画展」:神奈川県立近代美術館
           「ピラネージの黒い脳髄」:マルグリット•ユルスナール
           「カステロフィリア:記憶•建築•ピラネージ」:高山宏




●ユベール•ロベール(フランス、1733年〜1808年)
「ユベール•ロベール展」(国立西洋美術館、2012年)でやっと本物を見ることができた。フランス人のロベールはローマで長年にわたり絵の勉強をしていたが、それは「廃墟がわれわれにどれほどローマが偉大なものかを教えてくれる」からだった。やがて大量の廃墟の風景画を描いて人気をはくし、「廃墟の画家」と呼ばれるようになる。ローマ時代の建築をモチーフにしてはいるが、自由な想像力を加えた空想廃墟のバリエーションをたくさん描いている。だが、それらは決して寂しさや虚しさを感じさせるものではなく、古代建築へのあこがれを夢想させるような叙情的な風景画だ。やがてフランス革命が起き王制が崩壊すると、ルーブル宮殿を一般に公開する美術館に改造するというプロジェクトをまかされる。そのとき描いた完成予想図と同時に対になる形で描いた「廃墟のルーブル」はとても有名な作品だ。この絵を構成する要素はすべて彼がかつて描いていたローマの風景から移し替えたものだった。それは混乱をきわめた時代に芸術の永遠性を表すためだったという。このようにロベールは現存する建物を廃墟の姿として描いた最初の画家だった。            「Futures & Ruins Eighteens-century and the Art of Hubert RobertNina •L• Dubin
      「新古典•ロマン•写実主義の魅力」:中山公男
      「廃墟論」:クリストファー•ウッドワード  







  ジョセフガンディー (イギリス、1771年〜1843年)
彼は自身も建築家だったが、当時の高名な建築家であるジョンソーンが設計した建物のレ
ンダリングを描く助手のような仕事もしていた。その中で特に有名なのがイングランド銀行
の一画に建てる証券取引所の建築で、円天井をもつ円形のホールの完成予想図を描いたが、
面白いことに、これから建てるこの建物が遠い将来に壊れて廃墟になったときの想像図を同
時に描いていることだ。無惨に荒れ果ててさびれたローマの廃墟のような風景画だが、なぜ
わざわざこのような絵を描いたのか。それは自分たちの建築設計が古代ローマに匹敵する偉
大性があり、それによってロンドンが「新しいローマ」として永遠に生き続けるのだ、とい
う主張をするためだったという。伊勢神宮の遷宮のように常に新しくすることで永遠性を保
つと考える日本人にとっては、廃墟とは滅びてしまったもので、それが永遠性を表すいう感
覚はわかりにくい。若いとき画家志望だったヒトラーは廃墟絵が大好きだったが、権力を
ると、お抱え建築家のシュペーアといっしょにベルリンの都市改造計画に熱中する。そのと
き、たとえ自分が滅んでも、自分が作った建造物は「偉大な廃墟」として永遠に生き残る
とを夢見ていたというが、ここにも廃墟と建築の関係に対するヨーロッパ人の感覚が見てと
れると思う。
Joseph Gandy : An Architectual Visionary in Georgian England」:Brian Lukacher  
          「廃墟論」:クリストファー•ウッドワード




  ジョン•マーティン(イギリス、1789年〜1854年)
ユベール•ロベールのように古代の調和のある理想的な美を規範とした古典主義芸術の時代
が終わり、ロマン主義の時代に入ると、おだやかで親しみ深い風物の描写ではなく、畏怖や崇高などいった画家自身の内面を描くようになる。その代表の一人マーティンはバビロンや古代エジプトなどの栄華をきわめた古代都市が天変地異で崩れ、この世が終わろうとしている恐ろしい情景を描いた。人間の傲慢を象徴する都市文明を神の怒りが呑み尽くすという終末の絵を見た当時の人々は、そこにロンドンの未来を重ねたという。狂気を感じさせるこれらの絵から彼は「狂えるマーティン」の異名をとったという。最後は絵画から離れ、ロンドンの上下水道や鉄道などの都市計画に関わるようになっていく。文明の崩壊の絵と未来の都市計画とが彼の内部でどのようにつながっていたのかは解説書にも書かれていないので分からない。
               「ジョン•マーティン画集」:大瀧啓裕





●キャスパー•デービッド•フリードリッヒ(ドツ、1774年〜1840年)
ドイツロマン主義絵画最大の巨匠と言われる彼は教会の廃墟をよく描いたが、同じ廃墟で
もロマン主義的な内省的な絵画だ。北欧の寒く暗い荒涼とした自然のなかにたたずむ神秘
的な教会の廃墟に自身の敬虔な宗教感情を投影して描いた作品は、無力で孤独な存在とし
ての人間と、対比的に救済者である神の無限性に対する想いを表現した「祈り」の絵だと
言われている。下のふたつの例では、雪に埋もれた墓地を横切って修道僧の列が門をくぐ
り廃墟の教会へ向かっている。門はこの世とあの世の境を意味し、死を通して人間は神の
懐に回帰できるというフリードリッヒの宗教的想念を表しているという。
     Caspar David Friedrich : The spirit of romantic painting」:Charles Sala  
        「ドイツ•ロマン主義の世界•フリードリッヒからヴァグナーへ」:神林恒美道





2014年4月9日水曜日

パステルで廃屋を描く


廃屋が好きで、たびたび北海道へ廃屋探しに行く。廃屋の魅力をなんとかパステルで絵にしたいと思い、ここ何年かチャレンジしている。

「海辺の廃屋」30号 (2014年 日本パステル画会展)
釧路方面から襟裳岬の方へ向かう十勝地方の海岸で見かけた風景。海からの強い逆光を背景に漁師小屋の廃屋と廃船がシルエットで浮かびあがっている。これは絶対逃せないと思い、片側一車線の道路だが強引に車を停めて、瞬撮した。その間数秒だが、いまだに強烈に印象に残っている。イメージがなかなか表現できず、今回は3回目のトライ。


「海辺の廃屋」40号 (2013年 現代パステル協会展)
根室から網走に向かうオホーツク海の海岸にあった水産加工工場か何かだったような廃屋。3月の残雪、周りの何も無い原野、鉛色の曇り空、など、寂しさを増幅する道具立てがそろった光景。ぽつんと取り残された感を出すために画面中央に小さめに配して描く。この廃屋はとても造形性を感じる。

「オホーツク • 冬」40号 (2010年 現代パステル協会展)
廃屋ではなく廃船だが、これも北海道でよく見かける好きなモチーフ。冬のオホーツ海沿いで見つけた寒く暗い風景だが、廃船がぴったりと合っている。夏と違って冬の北海道は、「寒い」「暗い」「寂しい」が3大キーワードで、それを求めて出かけていく。現場にあった船は壊れ方が少なかったので、絵では他の場所にあったものに置き替えた。それにしても裂けかたがすごい。

「オホーツク海残照」30号 (2008年 高潮展)
北海道北端の稚内近くの海岸で日没寸前に出会った光景。激しくつぶれて雪に埋もれかけた廃屋と残照の組み合わせがとてもドラマチックで、膝まで埋まる雪(絵では雪量を減らしてある)の中をカメラ片手に興奮しながら走り、なんとか暗くなる前に撮影できた。絵は今見ると、思い入れが強かった分、ちょっとエグイ感じになっている気がする。

「廃屋」30号 (2006年 現代パステル協会展)
釧路近くの原野のなかにあった廃業した牧場の牧舎。とても壊れっぷりがよく魅力的な廃屋で、これがきっかけで廃屋趣味が始まった。だが、絵としては、そのまま描いただでけで工夫がなにもない。