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2020年6月19日金曜日

「世界史を変えたパンデミック」

A History of Pandemic

コロナを機に感染症関係の本をいろいろ読んだが、いちばん面白かったのが「世界史を変えたパンデミック」だ。日本に関係する部分からちょっとだけ紹介。

戦争中、アメリカでペニシリンという強力な薬ができたという噂が入るが、ドイツも日本も交戦国だから詳しい情報が入ってこない。それで自国で独自開発しようと研究が始まる。ドイツはなかなか成功しないまま敗戦を迎えてしまったが、日本は研究者を総動員して敗戦の一年半前くらいに完成させ量産もしていた。おかげでたくさんの負傷者の命を救えたという。

ドイツは、撃墜した米軍戦闘機のパイロットの救急バッグからペニシリンを回収していたそうだ。しかしそんな少量を兵士に使うわけにはいかない。ヒトラーの暗殺計画事件(映画にもなったワルキューレ事件)で重傷を負ったヒトラーにそのペニシリンを初めて使った。おかげでヒトラーは一命をとりとめた・・・

2020年4月22日水曜日

ウィルスの生き残り戦略

Virus's survival strategy

「銃・病原菌・鉄」は、生存のために闘ってきた人類の歴史だが、感染症をウィルス側からみた生存戦略として書いていて面白い。

ウィルスは、より多くの子孫を残して生き残るために、できるだけたくさんの人に効率よく感染させるような様々な戦略をとる。今度の新型コロナの場合は、感染してもすぐに発症させないことで、気づかないまま動き回ってもらうという、うまい戦略を取っている。いまだ自粛することなく、出歩く人が絶えないから戦略は大成功だ。

ウィルスにとっては、自分の住む場所である人間を簡単に死なせるのは自滅行為になる。生き永らえてもらって、たくさんの人に感染してもらうため、致死率はほどほどにする。その例がエイズで、初めは毒性が強く、たくさんの人を殺してしまったのを反省して、現在では毒性の弱いものに進化した。おかげで人間の死者は減ったが、ウィルスもしっかり生き延びている。

ウィルスは進化しながら、人間に適応して生き続ける。そして時々「新型」にバージョンアップすることで、できている免疫を無効にしてしまう。またワクチンや治療薬で絶滅できたウィルスは一つもない(天然痘だけが例外)から、インフルエンザなどは、毎年のように流行する。ウィルスほど賢くない人間としては、感染拡大をできるだけコントロールできる範囲に抑えて「感染症との共生」(感染症の専門家による)をするしかない。

2020年4月18日土曜日

公共空間のソーシャル・ディスタンス

Social Distance in Public

ソーシャル・ディスタンスの名著「かくれた次元」から、続きとして3回目の紹介をする。著者のホールはアメリカの大学で建築・デザインを教えていた人なので、ソーシャル・ディスタンスの研究も、空間設計の指針につなげる目的で行っていた。


空港ロビーのベンチの機械的に一直線に並べたベンチは、電車の座席と同じで、他人との物理的な距離は近いものの、お互いに会話をすることはない。このように他人との社会的関係のない人どうしの、よそよそしい空間を「離社会的空間」と呼んでいる。
イタリアなどでは、よく街中で輪になって議論している。歩道のカフェで、小さな丸テーブルのまわりを椅子が囲んでいる配置は、顔を寄せ合って話す文化をそのまま形にしている。このような人間どうしを互いに引きつける空間を「集社会的空間」と呼んでいる。
公共の施設でよくある円形のベンチは、カフェとは反対に外側を向いて座るので、空港のベンチよりさらに「離社会的空間」だ。混んでいない限り、他人とは2〜3メートル離れたソーシャル・ディスタンスを保って座る。人のまわりに目に見えないテリトリーを感じるからで、その中に入らないように気を使う。逆に他の席が空いているのに隣に座られると、テリトリーに侵入されたような不快感を感じる。

(余談だが、電車は、社会的関係のない人どうしの典型的な「離社会的空間」だから、他人の存在をほとんど意識しない。だから、電車の中で化粧している女性は、他人と分離されたテリトリーの内にいるという、自宅と同じような感覚になってしまい、きわめて個人的なことを公共の場でやれてしまう、と心理学者は説明している。)

2020年4月16日木曜日

文化によって異なるソーシャル・ディスタンス

「The Hidden Dimension」 &  Social Distance

有名な「かくれた次元」(エドワード・T・ホール)で、人が誰かと会うとき、相手との間にとる距離について、4つの距離に分類している。密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離、で、新型コロナのおかげで流行語になった「ソーシャル・ディスタンス」は、このうちの「社会距離」に当たる。

以上はこの間の投稿で書いたことだが、この本ではさらに興味深い話がいろいろ出てくるので、追加したい。それは人との距離感が国や文化によって異なることで、事例をたくさんあげている。

今コロナ対策で、行列に並ぶ時に、「ソーシャル・ディスタンス」をとるよう呼びかけているが、アメリカ人はバス停などで並ぶとき、もともとこのように間隔を空ける習慣があるそうで、これは、体を触れ合うことを避ける習性のある鳥と同じだと指摘している。


一方フランス人は、人との接触をあまり気にしない。この街頭演説を聴く人たちは密集している。カフェなどでも隣とくっつきそうな距離で座っている。これは体を接触しながら休息するセイウチの習性に似ているという。


アメリカの野球を見ていると、監督が審判に抗議するとき、顔をくっつけるくらいに文字通り「詰め寄っている」のをよく見る。完全に「密接距離」だから、つばも飛んでコロナ的にはよくない。同書は、日本は「間」の文化だとして、例に龍安寺の庭をあげている。石を見せるのではなく、石と石の間の空間を意識させるように設計されている。アメリカの野球監督のような光景を日本では見ないのは、「間を置く」文化の表れかもしれない。


2020年4月12日日曜日

新型コロナ拡大と、カミュの「ペスト」

Albert Camus 「La Peste」

学生時代にカミュの熱烈愛読者だったので、新型コロナで「ペスト」のことをすぐに思い出した。最近の報道で、7 0 年も前のこの本が改めてベストセラーになっているというから、考えることはみな同じだ。

ペストの感染により都市封鎖された街で、拡大防止のために闘う医師らの姿を通して、困難に直面した人間がどう生きるべきかを描いている。

カミュは、ナチスドイツに占領された戦時のフランスで、レジスタンスの地下組織に加わり、命の危険を冒しながら反ナチスの地下新聞を発行し続けた。「ペスト」はその頃から書き始め、戦後に発表して大ベストセラーになり、ノーベル文学賞も受賞する。だから、この小説のペストは戦争を意味していると解釈されている。

2020年4月8日水曜日

ソーシャル・ディスタンス

Social Distance

コロナのおかげで「ソーシャル・ディスタンス」という言葉が日本でもすっかり流行語になった。これを言い始めたのは、名著「かくれた次元」(エドワード・T・ホール)で、人間が相手との間にとる距離について、文化人類学的に研究した本だった。この機会に 4 0 年ぶりに再度読んでみた。

人が誰かと会ったり、話したりする時の距離は、両者の人間関係、あるいはその時のお互いの気持ちによって決まる。それを4種類の距離に分類している。

密接距離( 45 cm 位) 
恋人・親子など

「3密」のうちの「密接」に当り、カラオケやナイトクラブは、この距離になりやすいから望ましくない。
イタリアでコロナが急拡大したのはハグ・キス・握手などの密接距離文化のためと言われる。
個体距離( 1, 2 m 位)
友人・同僚など

親しい人どうしのかなり近い距離だが、密接距離ほどではない。
コロナ対策で、行列に並ぶ時にも、少なくともこの位の間隔を空けて、と呼びかけている。
社会距離(2 ~ 3 m 位)
会議・来客の応接など

業務などの社会的関係にある人どうしの距離で、「ソーシャル・ディスタンス」はこれに当る。
コロナ対策としては、個人的関係でもこのくらいの距離をとることが望まれている。
公衆距離(4 ~ 7 m 位)
講演・教室など

1人対不特定多数の関係にある時の距離で、マイクを使うことが多い離れた距離。


2020年4月6日月曜日

「感染症と文明」

「Infection & Civilization」

「感染症と文明」という本を読んでいるが、感染症と人類との闘いの歴史を描いている。定住農耕社会の始まりとともに感染症が生まれ、メソポタミアなどの古代文明で感染症は猛威を振るうようになる。「コロンブス交換」によって持ち込まれた感染症でインカ帝国が滅亡。アフリカを植民地にした帝国主義時代に感染症研究が発達。・・・などなど

今のコロナを理解するのに参考になりそうなことも出てくる。報道では、新型コロナは子供に感染しにくいというが、逆に「はしか」は子供の病気というイメージがある。その違いはなぜかの種明かしをしている。

「はしか」も元々は大人がかかっていたという。病原菌と違って、細胞のないウィルス(だから生物ではないといわれている)は人間の細胞にヤドカリのようにくっついていないと生きていられない。「はしか」が大人にまず流行したのは、行動範囲が広く人数の多い大人の方がくっつきやすいからにすぎず、大人のほとんどに免疫ができてしまえば、あとは子供にくっつくしかない。それで「はしか」が子供の病気になった。そうなった段階で、社会全体への壊滅的な被害の脅威がなくなり、「普通の病気」になる。今の「新型」は生まれたばかりなので、その段階になるまでまだ時間がかかるということだろう。

2020年3月27日金曜日

ワクチンにまつわる話

Vaccine

歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリによれば、「2 0 世紀初めに日本のエリート層が、貧しい人たちに予防接種をしたり、貧民街に病院と下水施設を建設するのに熱心だったのは、強力な軍隊と活発な経済を持つ大国になるには、何百万もの健康な兵士と労働者を必要としたからだ。」という。健康は、富国強兵のために、国が国民に与えるものだった。1割くらいの自己負担で済む今の健康保険制度もそこから来ているのだろう。

日本と真逆なのが極端な個人主義のアメリカで、先進国では唯一健康保険制度が無いのは、個人の健康に国が介入するなと国民が反対するためだ。カート・アンダーセンという人が「狂気と幻想のアメリカ 5 0 0 年史」で、そんなアメリカの実態について書いている。

国が義務付けたワクチン接種の拒否をする人たちが全人口の数割もいて、「反ワクチン」が政治運動化しているという。それは感染の拡大を助長するという科学的データを専門家が示してもガンとして受けつけず、宗教のようになっているという。その一方で、感染症が流行ると、早く免疫ができるようにと、密室に人がたくさん集まってウィルスを感染させ合う「百日咳パーテイ」などが開かれるというからすごい。今度のコロナでも、感染者があっという間に中国・イタリアを抜いてトップになったが、ワクチンが開発されても、アメリカだけは感染者が増え続けるかもしれない。

トランプ大統領の言う「地球温暖化は科学者のでっち上げだ」とか「ダーウィンの進化論は大ウソだ」などに拍手する国民が多いことと共通する「科学否定」の根強い風潮が根底にあるという。

2020年3月25日水曜日

ウィルスの世界的「交換」

「Why The West Rules ー for Now」

「晴耕雨読」というが、今はウィルスの雨が降っているので、もっぱら「耕」ではなく「読」しかない。ということで「人類5万年  文明の興亡」という本を読んでいたら、今ホットな話題の感染症にまつわる話がいろいろと出てきた。

「コロンブス交換」という言葉がある。コロンブス以来、ヨーロッパ人が南北アメリカに進出した結果、それまで無かった様々な作物が持ち帰られ、ヨーロッパでも食料として栽培されるようになった。ジャガイモはその代表例。その代わり、アメリカ大陸には無かったものがヨーロッパから持ち込まれた。それがコレラやペストのような病原菌で、免疫の無い先住民はバタバタ死んでいった。マヤ文明が滅びたのもそれが原因の一つだったと言われている。

千年前、ヨーロッパの「ローマ帝国」と、アジアの「漢王朝」が、両者を合わせてユーラシア大陸の3分の2を支配した。そして両者を結びつけるシルクロードを通して東西文明が交流していたので、片方からウィルスや病原菌が発生すると、たちまちもう一方へ伝染した。「一帯一路」という現代版シルクロードでつながっているイタリアが真っ先にああいうことになったが、それは「グローバル化」と言われる現在に限ったことではなく、千年前からずっと続いてきたことにすぎない。また東西問わず、感染症対策に失敗した政権は倒れるという歴史も繰り返されてきたことで、現在の各国首脳が必死になっているのも今に始まったことではないという。

2020年3月9日月曜日

「ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ 5 0 0 年史」とハドソンリバー派

「Fantasyland,  How America Went Haywire」

アメリカという国を、狂気と幻想の「ファンタジーランド」だとしていて、アメリカの様々な現象の「なぜ?」が分かって面白い。現実と空想の境目が曖昧な幻想の世界が生み出され、人々もそれを積極的に求める。それを「根拠なき熱狂」と呼んでいる。「科学を否定するリベラル派」「狂信化するキリスト教」「ガンクレイジー」「幻想で商売する娯楽ビジネス」「ファンタジーランドのウェブ世界」「巨大テーマパーク化する社会」などのキーワードが並ぶ。

絵画についての部分をちょっと紹介。18 世紀アメリカの絵画として「ハドソン・リバー派」が有名だが、それが生まれた時代背景に触れている。彼らは現実の風景から集めた断片的な素材を合成して幻想の風景を描いた。現実と空想が混ざった、いかにもありそうな風景だが、人々が抱いているアメリカの理想の自然像だ。アメリカ移住時代に「恐怖と不安」だった自然が、荒野が切り開かれ、人が住むにつれ、「崇高」な自然に変わり、このような絵が生まれたという。たしかにハリウッドのファンタジー映画や S F 映画などにもこういうイメージがよく出てくる。


2020年2月29日土曜日

モナリザが "振り袖" を着ているとは知らなかった・・ 「袖が語れば」が語る話

"Si on parlait de Manches"

「袖」という小さなアイテムの歴史が、古今東西の文化史になっていて、次々に連発で面白い話が出てくる。著者の竹原あきこさんは永らくパリでデザインの研究者として活動している。

15 世紀のイタリアで、日本の振り袖に似た長い袖のファッションが、男女問わず流行したという。袖は地面を引きずりそうなくらい長いが、振り袖と同じで、そこに腕を通すわけではなく、本当の袖の下にぶら下がっている単なる飾りだった。ダ・ヴィンチの「モナリザ」で、肩にかかっているマフラーのようなもの(そんなところは全然見ていなかった)は、実は振り袖で、邪魔なので普段はこのように肩にかけていたらしい。



2020年1月2日木曜日

ベストセラー「21 レッスンズ」と  アニメ映画「インサイド・ヘッド」

「21 Lessons」& Animation movie「Inside Out」

歴史学者・哲学者のハラリの世界的ベストセラー「21レッスンズ」は、人類の現在と未来をどう理解するべきかを鋭く洞察した本だが、その中に S F 映画についての章があり、2015 年のディズニー・アニメのヒット作「インサイド・ヘッド」について詳しく書かれている。4年前に受けた印象と全く違うことが書かれていたので、もう一度観てみた。


11 歳の少女ライリーの脳の中に、感情をコントロールする司令部があり、「ヨロコビ」「カナシミ」などの担当者が少女の感情や行動を制御している。同書によれば、わくわく大冒険とハッピーエンドで楽しく仕立てた映画ゆえに、ほとんどの観客が気づかなかった過激なメッセージが背後に隠されているという。「ディズニーの無数の映画で、主人公は危険や困難に直面するが、最後にはそれを乗り越えて正真正銘の自己を見つけ、自分の自由な選択によって勝利する。しかしこの映画は、その神話を情け容赦なく打ち砕く。ライリーは正真正銘の自己など持っておらず、自由な選択など一つもしていない。つまりライリーは、生化学的メカニズムによって管理されているロボットなのだ。」と言っている。

ロボット対人間の戦いという構図の S F 映画はたくさんあり、多くは、「心」を持つ人間が、最後にロボットに勝って自由を得る。しかし、そもそも人間の「心」は、生まれて以来、繰り返されてきた「操作」によって作られたものだから、ロボットがプログラムされているのと何ら変わりはない。「本当の自分」など存在しないことをこの映画は暴露しているというのだ。しかも映画は神経生物学の最新の知見をもとにしていて、架空の話ではないから、なおさら怖いと言っている。

2019年12月4日水曜日

SF ディストピア小説「すばらしい新世界」

「Brave New World」

オルダス・ハクスリーの名作 SF 小説「すばらしい新世界」が来年待望の映画化されると聞いて、あらためて原作を読んでいる。ディストピアの未来をユートピアの姿で描いた皮肉たっぷりの小説で、細かいディテールにいたるまでまことしやかに大真面目に書いていて、思わず笑ってしまう。

500 年後の未来は、すべての人が幸福に暮す社会が実現している。戦争も貧困も病気もない理想的な社会。それを維持するために、人間は「孵化工場」のベルトコンベアーで大量生産される。瓶の中で人工受精され、胎児は完璧に品質管理されている。だから親子関係は存在せず、結婚制度もない。フリーセックスが奨励され、「快楽薬」というドラッグを与えられ、「触感映画」というバーチャル・リアリティ映像を見る幸せな毎日を送る・・・

この 90 年も前の小説に書かれている未来は、遺伝子操作で人間を作るという現在のテクノロジーが向かっている方向と恐ろしいほどぴったり一致している。

2019年11月23日土曜日

埴輪「見返り犬」の犬らしさ

5th century's dog-shaped Haniwa

5世紀頃の埴輪だが、飼い主の声に振り返ったポーズで犬の可愛さを100% 表現している。これ以上なく犬を単純化したすごい造形力のこの彫刻家(?)に会ってみたくなる。

人間と犬の関係について書いた「ヒト、犬に会う」という本に面白い実験の話が出てくる。ヒモを引くと食べ物が出てくる仕掛けで、オオカミと犬に食べ物を取ることを覚えさせる。その後でヒモを引いても食べ物が出ないように変えて、再度やらせる。するとオオカミはすぐあきらめるが、犬は「エッ、どうして?」と実験者の方を振り返るという。この「人間を振り返る」という人間に似たコミュニケーション行動がオオカミとの決定的な違いで、犬が家畜化した原因だという。

この埴輪はまさに、人間の方へ振り返った最も犬らしい瞬間を形にしている。

2019年4月3日水曜日

「フェルメールのカメラ ー 光と空間の謎を解く」

"Vermeer's Camera"

ロンドン大学建築学科教授のステッドマンという人が、フェルメールの絵に描かれた空間を遠近法の知識をフルに使って解明していくという、推理小説さながらの面白い本。最近某「視覚心理学者」の、フェルメールは「現実にあり得ない空間を描いている」という、とんでもない説が出回っている( 三浦佳世「視覚心理学が明かす名画の秘密」)ので、前にも書いたことがあるが、この本をもう一度紹介したい。

フェルメールの室内画は、自宅のアトリエで描かれたと言われているが、それはどんな部屋だったのかを実際に復元してみようというプロジェクトで、当時の写真はもちろん資料もないから、描かれた絵だけを手掛かりに解明していく。

遠近法が正しく描かれた絵は、物の寸法の比率を正確に表現しているはずだから、逆に絵から部屋の形を割り出していける。その結果、部屋の形がわかり、図面を描いて、模型を作ることができた。そして模型をフェルメールの絵と同じ視点から写真を撮る。するとドンピシャで絵と一致していた。フェルメールの遠近法がいかに正確だったかを科学的に証明している。

左が模型の写真で、右が実際のフェルメールの絵。驚くほどぴったり一致している。

2019年3月10日日曜日

「ホモ・デウス」

" Homo Deus, A Brief History of Tomorrow"

品切れ状態だったベストセラー「ホモ・デウス」をやっと手に入れた。まだ読み終わっていないがさすがに面白い。世界的超ベストセラーになった、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」は人類がなぜ文明を築いてこれたのかという壮大な物語だったが、これはその続編的な内容で、今度は人類の未来を描いている。「人類はテクノロジーを使って自分自身を思いどうり作り変え、創造するデウス(神)を目指すだろう。」というのがタイトルの意味。どうせ先は永くないから未来はどうでもいいが、子供や孫やそのまた孫がどういう世界で生きていくことになるのか気になる人は一読の価値がある。

2018年10月7日日曜日

我々はなぜ生き残れたのか?     「絶滅の人類史」

Neanderthal vs Homo sapiens

ベストセラーになっているようだが、とても面白い。人類の誕生以来、様々な人類種が生まれては絶滅していき、最後に我々のホモ・サピエンスだけが生き残ったわけを知ることができる。

ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスより体が大きく、脳も大きかったそうだ。だが、ネアンデルタール人は石と棒をくっつけて槍を作ったのに対して、ホモ・サピエンスはその上をいく投槍器を発明していたそうだ。だから両者の覇権交代が起きた。

ネアンデルタール人も仲間と協働作業するために言葉を話せたが、「木」「川」「鳥」のように今見えているものしか話せなかった。仮定のことや抽象的なことは話せなかったという。そういう脳の認知機能がなかったからだが、では大きい脳を何に使っていたかは謎だそうだ。

絵も同じで、ネアンデルタール人の野牛の絵は素晴らしいが、あくまで見えたものをそのまま描いている。対して、ホモ・サピエンスは頭に浮かんだ架空のものを描けた。人類最初の芸術作品といわれている「ライオン人間」という彫刻は頭がライオンで体が人間という現実に存在しないものだ。今の我々も、見えているものの写生から始めるが、やがて見えていないもののイメージを描くようになる。人類の発達過程をなぞっているようで面白い。

2018年8月2日木曜日

映画「ウォーリー」のメッセージ

Movie  "WALL-E"

10 年前のアニメ映画「ウォーリー」をもう一度 DVD で観た。大量消費社会とそれを煽るコマーシャリズムの結果、地球環境は完全に破壊され、地球に住めなくなった人間は巨大宇宙船に疎開して暮らしている。しかしそこは AI とロボットが人間を管理していている社会だ。・・・と現代の問題そのままなので、映画の主題は説明なしでも分かりやすい。

しかしこの映画にはもう一つの主題があって、そちらの方は気がつきにくい。カナダ人の聖書学者が書いた「ハリウッド映画と聖書」という本は、様々なジャンルの映画に聖書思想が隠されていることを作品例をあげながら解説している。「ウォーリー」もその一つ。

宇宙船の人間は人間性を失いロボット化しているが、逆に地球に取り残されたゴミ処理ロボットのウォーリーはプログラムミスで人間の感情を持っている。いろいろあって最後はウォーリーが大事にとってあった小さな鉢植えの草から地球上に植物を再び蘇らせ、人間は地球に戻ることができる。

以下は同書より。世界秩序の堕落と最終的な破壊という終末の後に、選ばれた人間は破壊を生き延び、平和と繁栄と善の復活を経験するという世界観が聖書の根本にある。命のあるものが皆栄えることができる世界へ帰還するという聖書の「創世記」に書かれている終末論ヴィジョンで、「ウォーリー」はそれをそのまま引用したストーリーになっている。だからウォーリーに協力する女の子ロボットの名前は「イヴ」になっている。そして最後のエンドロールのバックに人間の創造力と芸術を一覧する映像を次々に映し出すことでそのメッセージを明瞭に示している。

(上から、ラスコーの洞窟壁画風、マヤ文明風、ルネッサンス風、17 世紀の風景画風、ゴッホ風)

2018年5月16日水曜日

「この世の終わり」絵画

Tsunami and apocalypse picture

レオナルド・ダ・ヴィンチは、この「没落の最後の光景」のような大洪水をたくさん描いた。聖書にある、神が怒り大洪水を起こして人間を滅ぼすというこの世の終わりの恐ろしい光景で、ダ・ヴィンチでさえも終末を恐れていたという。このような終末絵画は西洋絵画のイメージの源泉として、ずっと描かれ続けてきたが、洪水や津波がもっと多い日本にはなぜこういう絵が無いのだろう。

レジス・ドブレというフランスの思想家の「大惨事と終末論」という本を読んでいたら、津波や原発事故などの大惨事に対する日本人の態度について触れていて、終末絵画が日本に無い理由が分かった気がした。

『試練における多くの日本人の平静さと我慢強さは、あらゆるものの儚さや移ろいやすさに対する仏教的感情によるものである。日本人ならほんの幼い頃から知っていること、すなわち、みずからの国土が不滅ではなく、生が移ろいやすく、どんな幸福も儚く、木造の神社のように二十年ごとに破壊され再建される。そして、人間は残酷な神の玩具でしかないということを改めて思い出すまでもなく、当然のことのように廃墟から復活へとすべてが進んだ。』 

さらに著者は、石原慎太郎元都知事が震災を「天罰だ」と言って、それは西洋人には普通の言い方だったが、日本人からは大批判を浴びたことにも触れている。日本人にとってはどんな壊滅的な大惨事も特別のことではなく、そこに神の怒りを感じたり、天罰が下ってこの世が終わる、といった感じ方は無いということを言っている。

2018年2月23日金曜日

「世界をまどわせた地図」

" The Phantom Atlas "

話題の本ということで読んだが面白い。探検航海をした冒険者たちが、新しい島や海や陸地を発見したと言って、いかにも詳細な地図を作ったが、多くは功名心や金儲けのための嘘の地図だった。北米大陸を横切って大西洋と太平洋をつなぐ海峡があるとか、オーストラリアのど真ん中に巨大な内陸海がある、などといった気宇壮大な地図がたくさん収録されている。

日本の地図も出てくる。17 世紀のオランダの探検家が描いた地図で、ちょっと変な形の北海道の右に大きな島(半分だけ見えている)が描かれている。金銀が出るとされていた伝説の島を実際に発見したと言い、カンパニーズ島と命名までして、この地図を作った。この嘘が 100 年以上もの間、本当だと信じられ続けていたというから面白い。