2026年7月2日木曜日

風景画の中の静物 ワイエス

Wyeth    Still-Life in Landscape

ワイエスのこの絵「Spring Fed」は、牛舎の中の牛用の水飲み場を描いている。水槽があり、窓の外には牛が見える。そして壁にかけられたバケツが目をひく。このバケツは斜めに置かれているが、遠近法的に極めて正確で、金属の質感表現もすごい。バケツの存在感が際立っている。このバケツだけで静物画として成り立つほどだ。ワイエス自身も、この絵を描こうとひらめいたのは壁にへばりついたこのバケツのためだったと語っている。

ワイエスは、なんでもない日常的な物に目を向けて観察し、それを描写することが多い。それは風景画の中の点景として軽く扱われるのではなく、絵の中の主役のようになっている。だから風景画と静物画が融合したような絵になる。

 

この絵の制作過程で、たくさんの習作スケッチが行われているが、バケツを中心にして、どう画面全体を構成するかに注力している。以下の一連のスケッチを見るとそれがよくわかる。

最初は主役のバケツを細密描写することから始めている。







背景の検討をしている。後ろに仕事をしている奥さんをクイックスケッチで描く。しかし現場に奥さんがいたわけではない。他の時に描いたデッサンをはめ込んでいる。





奥さんを消して窓を描いている。牛舎の雰囲気を出そうとしているが、主役はあくまでバケツだ。






窓の外に牛を描く。画面の全体構成が固まってきた。







バケツと水槽を改めて細く描写する。水槽の水なども書き込んでいる。







着色をしてほぼファイナルに近づく。


ワイエスは写実的なために見た通りに忠実に描いていると思われがちだが、実際は色々な要素を組み合わせながら自分の描きたいイメージを表現できるように絵を組み立てていることが、この制作過程から読み取れる。

2026年7月1日水曜日

アンドリュー・ワイエスの晩年の作品

 Andrew Wyeth : Memory & Magic

現在、都美術館で開催中の「アンドリュー・ワイエス展」は行けそうにないが、昔からワイエスの ”追っかけ” だった。日本で初めて「ワイエス展」があったのはたしか1974年の京都だったと思うが、わざわざ車で見に行った。それ以降もたびたびあった「ワイエス展」は必ず見てきた。それ以外にも、ワイエスを所蔵している小さな私設の美術館へも出かけた。例えば秩父市にある「加藤近代美術館」(現在は閉館)や、埼玉県にある「丸沼芸術の森」などだった。上は有名な「クリスチーナの世界」の習作スケッチだが、これは「丸沼芸術の森」で見ることができる。

画集も集めたが、その中で「Andrew Wyeth : Memory & Magic」は、比較的新しい本だが、あまり知られていない晩年の作品が載っている。ワイエスは2009年に91歳で亡くなったが、下の絵はその10年くらい前の作品。

どこかの室内に月の光が差し込んでいる。左の窓に月の一部が見えている。遠くには高速道路を走る車のヘッドライトが並んでいる。ワイエスが描いてきた古い農家のモチーフとはまったく違う。ワイエスらしくないといえばワイエスらしくない。

「Renfield」 1999

海岸で鳥の羽根が風に舞っている。晩年のワイエスはこのようにファンタジックな傾向が強くなる。

「Airbone」 1996

海岸に打ち上げられた厚い氷の塊から手首が二つ出ている。ファンタジックを超えてちょっと不気味だ。晩年にはどこか「死の気配」を感じさせる絵を描いたといわれるが、これもそのひとつのようだ。

「Breakup」 1994

2026年6月30日火曜日

TV CM 「アメリカの朝」

Reagan 「Morning in America」

選挙戦といえば最近は、SNS が使われているが、中には目にあまるような偽画像も多い。しかしまだ SNS のない時代に、選挙圧勝に導いた有名な TV CM がある。、

1984 年の大統領選挙で、ロナルド・レーガンが圧勝したとき、強力な宣伝が繰り広げられた。アメリカの大手広告会社のハル・ライニーという広告マンが制作した「アメリカの朝」という TV CM は政治広告の最高傑作として今でも有名だ。

人々が働きだす朝を静かに映し出す映像から始まる。明け方に海へ出ていく漁船、タクシーを降りるビジネスマン、畑で作業する農夫、新聞を配達する少年、結婚式をあげる二人、幸せそうなお年寄り・・・などを映し出す。そして静かな声でナレーションが重なる。「再びアメリカに朝がやってきた。・・・彼らは明るい未来を信じることができる。・・・我が国は、より誇り高く、より強く、より良い国になった。・・・」


レーガン大統領は「Make America Great Again」を掲げて(今トランプ大統領がそれを真似している)アメリカ経済を立て直した立役者だが、この CM では政策や経済問題などは一切語らないで、古きよきアメリカという情緒に訴えて、愛国心と安心感を刺激する。国民の共感を得るには「物語」が必要だといわれるが、この CM はそのはしりだった。

2026年6月29日月曜日

ドキュメンタリー「アメリカン・エクスペリメント」

 American Experiment

今年はアメリカ建国 250 年だが、トランプ大統領が巨額の税金を使って派手な記念イベントをやったことに対して国民の猛反発を受けている。そこへタイミングよく、NETFLIXで「アメリカン・エクスペリメント」というドキュメンタリーの配信が始まった。

アメリカがイギリスから独立し、13の州が合体しで合衆国が成立して、憲法を作って議会が始まり、ワシントンが初代大統領になる・・・といったアメリカ建国の歴史をたどっている。それは世界で初めて「民主主義」という概念を基本にして作った国家であり、それは壮大な「実験」だった。だからタイトルは「アメリカン・エクスペリメント」=「アメリカの実験」になっている。

その実験は危うく、いつも崩壊の危険性をはらんできた。そしてこれからもアメリカ建国の理想が崩れる危険性があると警告している。番組は歴史ドキュメンタリーの形をとりながら、明らかにトランプ大統領の暴政への批判をしている。

例えば、第5話の「ワシントンの警告」では。初代大統領のジョージ・ワシントンが就任した頃、政権内の激しい路線対立があったことから、ワシントンは退任後、国家を破滅に導かないためには「過度な党派心に陥るな」と強い警告を発した。番組ではそれを踏まえて、 2021 年の トランプの MAGA 派による議会襲撃事件が、ワシントンが警告したような、党派心による分断と独裁が民主主義の危機をもたらしていることを突きつけている。

番組の最後で、トランプ大統領への大規模な抗議デモが全米で起きていることを紹介している。巨大な横断幕に「We the People 」(われら人民)と書かれている。これは合衆国憲法の序文にある言葉で、国家の主権は政府や大統領にあるのではなく一般市民にあることを宣言する言葉だ。



2026年6月28日日曜日

ワイエスの「風」の絵

 Wveth ”Wind”

ワイエスには「風」をテーマにした絵がある。

「海からの風」
室内は古く汚れていて、ブラインドは半分降りている。人の気配を感じない静寂の部屋だ。屋外は曇っていて、原っぱだけの寂しい風景が見える。遠くに海が少しだけ見えていて、そこから吹いてくる風がレースのカーテンを揺らしている。風のおかげでどこか哀愁を感じさせる。


「洗濯物」
干してある洗濯物が風になびいている。下には洗濯カゴがあり、そばには犬がいる。家の中の何でもない片隅の風景をワイエスをよく描いた。人間は描かれていないが、人間の存在とその生活感が伝わってくる。


「ペンテコスト」
魚網が干してあり、風にたなびいている。遠くに海が見えている。画面全体がほぼ網だけで構成された造形が面白い。


「クリスチーナ・オルソン」
体の不自由で外へ出られないクリスチーナが戸口に座って外を眺めている。髪の毛が風になびいている。風を感じながら、外の世界へ想いをはせている。



2026年6月27日土曜日

映画を早送りで観る人たち

 Streaming Movie

最近、映画を見るのが、NETFLIX 中心になってしまった。NETFLIX オリジナル作品がすごい量で配信されているが、それらは映画としてのレベルは必ずしも高くない。アカデミー賞などの賞をもらったという話は聞かない。そしてシリーズドラマが多いのも特徴だが、長すぎて間延びした内容が多く、2時間に凝縮されている映画のような密度感がない。だからつまらない部分はどんどん早送りで飛ばしながら見る。

NETFLIX が盛んになり始めた3年ほど前に出た「映画を早送りで観る人たち」(稲田豊史)という本は、 NETFLIX で映画を観る若者たちの実態を調べている。

 「”コスパ” のために、2時間の映画を1時間で観たい」
 「つまらないと感じたら、あとはずっ 1.5 倍速」
 「会話のないシーンは即飛ばす」
 「観る前にネタバレサイトをチェック」
 「最初と最後が分かればいい」
 「セリフで全部説明してくれない映画は”つまらない”」
 「友達との会話に入っていけないから、話題の映画は見ておく」

などを指摘している。要するに映画は「鑑賞」するものではなく、ファストフードのように ”ファスト映画” として「消費」するものになってしまった。見る側のこういう視聴スタイルの変化が作る側の作品作りにも影響して、レベルの低い映画が蔓延することになる。

2026年6月26日金曜日

映画界のビッグ3

 Theater to Streaming

ネット配信の普及で、映画界の勢力図がすっかり変わってしまった。そもそもこうなるまでの映画会社の歴史とはどういうものだったかについて「ハリウッド100 年史講義」(北野圭介)に詳しく解説されている。そのおおまかな歴史は・・・

1920 年頃から映画は、それまでの職人的監督による見せ物的な映画から脱却して「映画産業」として成長していく。映画制作は、計画的・効率的に行われるようになる。「シナリオ」が導入され、「プロデューサー」のもとで、システマティックに映画作りがされるようになる。

そして1930 年頃に生まれた「トーキー革命」により、映画産業は「黄金期」をむかえる。観客を集めるための劇場確保に多大な設備投資が行われた。そして映画会社の競争が激化した時、大恐慌が起こる。その結果、映画会社の淘汰と再編が起こり、「ビッグ5」と「リトル3」が生き残る。

「ビッグ5」とは、パラマウント、MGM、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザース、RKO、の5社。「リトル3」とは、ユニバーサル、コロンビア、ユナイテッド・アーチスト、の3社。


戦後になると、この8社すべてに「独占禁止法」の適用がなされることになる。制作、配給、上映まで垂直統合されていた各映画会社は、劇場チェーンの切り離しを余儀なくされる。また制作を誰でも行えるようになり、独立系映画会社がたくさんできる。やがてほとんどの作品が独立系の会社が作り、ビッグ5は、ただ配給をするだけになってしまう。映画会社の収益は悪くなり、他種の業界の巨大企業に吸収合併されるようになる。これらにともなって映画自体の質も大きく変化してきた・・・


・・・という歴史の流れの中で、現代はネット配信が主流の時代になった。NETFLIXはオリジナル作品を次々に制作している。また従来の映画会社から作品のライセンスを買い取り、ネット配信をしている。ということで、現代のハリウッドの新たな勢力圏は「ビッグ3」と呼ばれている。それが

 1位:ネットフリックス
 2位:アマゾン・プライムビデオ
 3位:デイズニー+



2026年6月25日木曜日

沖縄慰霊の日

 Okinawa Memorial Day

おととい 6 / 23 は「沖縄慰霊の日」だった。81年前に沖縄戦で敗北し、日本の敗戦が決定的になった日だった。

米軍が上陸し、日本軍が壊滅し、20 万人が死んで、悲惨な状態にあった当時、メディアは沖縄戦をどう報じていたか。「朝日新聞『戦時社説』を読む」(室谷克実)という本は、開戦から終戦までの朝日新聞の社説すべてを調べているが、それによると、昭和 20 年5月 27 日の朝日新聞の社説は以下のように書いている。

  「沖縄に敵が上陸してから、まさに2ヶ月。我が必殺必沈の連続猛攻は大いなる戦果を
  上げつつあったが、24 日夜半よりさらに特別総攻撃の火蓋が切られ、義烈空挺隊は
  敵が先に奪取せる2飛行場にに突入、強行着陸して、敵を大混乱に陥らしめ、特別攻撃
  飛行隊もまたこれに策応して沖縄本島周辺に敵戦艦を猛攻。・・・敵の野望を挫折せしめ
  るためには、わが1億同胞はいかなる困苦にも耐えることを誓って、つづく大戦果を祈念
  するのである。・・・忠勇武烈の皇軍はいま、沖縄死守の大決戦を戦いつつある。これに
  呼応する国民の決意と情熱は天をつくばかりである。」

すでに沖縄が壊滅しているにもかかわらず、その事実を隠蔽し、なおも国民の戦意高揚を叫び、戦争を煽っている。

それから 81年後の今年。「沖縄慰霊の日」の6/ 23 の朝日新聞の社説はこう書いている。

  「・・・沖縄では在日米軍基地の集中に伴う過重な負荷が今も続く一方で、今の政府に
  沖縄の苦難の歴史を顧みる姿勢は見られない。・・・沖縄の悲惨な歴史を風化させるこ
  となく、語り継がなければならない。・・・」


2026年6月24日水曜日

ドキュメンタリー「ホロコーストの記憶と揺れる世界」

The Holocaust

先日(6 / 22)のNHKの「映像の世紀」で、「ホロコーストの記憶と揺れる世界」があった。ホロコーストが、現代の世界に及ぼしている影響を検証していた。ドイツは加害者の罪を背負い、アメリカは救えなかった自責の念を負っている。この二つの国が現在もイスラエルを支援しているが、そのことが今の揺れる世界の原因になってきたことを検証している。


番組でホロコーストについてどう思うか、というイスラエルでの世論調査について触れていたが、下記のような結果だったそうだ。

  「このようなことが、二度と起こってはならない」    →少数派
  「このようなことが、二度と我々に起こってはならない」 →多数派

日本人が二度と日本に原爆を落とすな、と言っているようなものだが、今イスラエルがやっていることの理由がわかる。

2026年6月23日火曜日

ワイエスの「クリスチーナ・オルソン」

Christina Olson

開催中の「ワイエス展」(東京都美術館)の紹介をNHKの「日曜美術館」でやっていたが、同展の学芸員が、「境界」という言葉をキーワードにしてワイエスの作品を解説していた。

その中で、 「クリスチーナ・オルソン」は「屋内と屋外」の境界を描いているとしている。クリスチーナはその二つの「境界」に座っている。足が不自由だったクリスチーナの、外の世界への想いを表現しているというのだ。そしてこのドアが開いた戸口という「境界」は、内と外を「隔てる」と同時に、両者を「結びつける」役割をしているという。

そして「クリスチーナ・オルソン」の完成作と習作を比較している。右図が習作デッサンだが、完成作とほぼ同じようにクリスチーナが描かれている。しかし唯一髪だけが違っている。習作では髪がまとめられているが、完成作では髪が風になびいている。この「風」を描くことで、クリスチーナが屋内と屋外の「境界」に座っていることを強調しているというのだ。なかなか説得力のある説明だ。



しかしこの絵には、同学芸員が触れていなかったもうひとつの「境界」がある。それは「光と影」だ。開いたドアに斜めに光と影の境界がくっきりと描かれている。光は屋外で、影は屋内だ。その境界にクリスチーナは座っている。ワイエスには窓を描いた描いた絵が多いが、それらは、窓を外と内のつなげるものとして描いている。(ワイエスの「窓から差し込む光」について先日書いたので参考まで)→

2026年6月22日月曜日

「クライメイト・フィクション」の映画

Climate Fiction

あまり一般的になっていないが「クライメイト・フィクション」( Climate Fiction )という映画のジャンルがある。環境破壊、地球温暖化、気候変動、大気汚染、自然災害、食糧危機、などなどの環境問題をテーマにした映画だ。映画の仕立てとしては、パニック映画、ディザスター映画、などの形をとることが多い。その中から印象に残っている作品をあげる。


「ブレードランナー 2049」(2017)
第一作に続くこの続編は、30 年後の世界を舞台にした SF 映画。これは気候変動と大気汚染によって生物が絶滅し、人々は人工食物を食べて生きている。映画は空が黄色いスモッグで覆われて昼も暗いシーンが続いている。都市は壊滅していて、外を歩いているのはロボットしかいない・・・



「アバター」(2025)
地球の地下資源を使い尽くした人類が別の惑星を侵略征服し、地下資源を略奪しようとする。その惑星は自然の森が豊かで、先住民たちは自然の動植物への崇敬の念を抱いている。映画はハイテク兵器を使って資源を奪おうとする強欲な人類と、自然の一部として生きている先住民との闘いを描いている。



「ディープ・インパクト」(1998)
巨大惑星が大西洋上に落下して、超巨大津波が発生する。ニューヨークのエンパイア・ステートビルも飲み込むほど巨大で、ほとんどの人が助からない。人類の滅亡と、わずかの人だけが ”ノアの方舟” によって助かるというストーリーに、この映画の根底に聖書の終末論思想があることがわかる。



「ウォーリー」(2008)
地球がゴミで埋め尽くされ、生物が絶滅してしまう。人間が住めなくなり、他の惑星へ疎開してしまった。一人置き去りにされた孤独なロボットの「ウォーリー」は、ゴミ処理の仕事をするようにプログラムされている。ゴミを集めてゴミ捨て場に積み上げる仕事をくる日もくる日もやり続けている。しかしあるとき鉢植えに小さい花が咲いているのに気づく・・・(この映画については、以前に書いたので参考まで)→https://saitotomonaga.blogspot.com/2018/08/blog-post_2.html


2026年6月21日日曜日

ドキュメンタリー「1975 世界がひっくり返った」

 「Breakdown 1975」

NETFLIX のドキュメンタリー『1975  世界がひっくり返った』(原題:Brekedown 1975)が面白かった。1975 年にアメリカで、それまでなかったような映画が続々登場したが、それは当時の政治・社会のあり方が大転換したことの反映だったと言っている。例えば以下のような映画を取り上げている。

      「ジョーズ」
   「羊たちの午後」
   「カッコーの巣の上で」
   「ナッシュビル」
   「王になろうとした男」
   「タクシー・ドライバー」
   「ネットワーク」
   「大統領の陰謀」
   「チャイナタウン」
   「アリスの恋」

この中から例えば「王になろうとした男」について。この冒険スペクタクル映画は、二人の男が、ヒマラヤの奥地の未開の地へ行って、その地の部族を平定し、王として君臨する。そして彼らは「神の生まれ変わり」として崇められる。しかしあるとき主人公がケガをして血を流したことで、普通の人間であることがバレてしまい、主人公の権威が失墜してしまう・・・

同ドキュメンタリーの解説者によれば、この映画が作られた1975 年は、ベトナム戦争でアメリカが敗北した年で、他国に軍事介入して支配しようとして失敗したことに対する国民の批判が、この映画の背景になっているという。この映画は、アメリカの政治をパロディ化していたというわけだ。


それにしても今また、イランを攻撃したりして、自分が世界の王様になりたがっている大統領がいて、それに対して「NO KINGS !」(王様はいらない!)というデモが起きているが、歴史を繰り返しているようで面白い。


2026年6月20日土曜日

映画「ソイレント・グリーン」

「Soylent Green」

「ソイレント・グリーン」という SF 映画は、食糧問題をテーマにしているが、ただのフィクションとは思えない恐ろしい映画だった。

ストーリーは 50年後の世界で、気候変動による食糧の激減と、人口爆発で、世界的に深刻な食糧難に落ちいっている。市民は政府から配給される「ソイレント・グリーン」というまずい食べ物で生きている。

政府は人口を減らすために、希望者に安楽死を勧める政策をとっている。そして死んだ人は、ゴミ収集車のような形をした車で、密かに謎の工場に運ばれる。

ある事件が起きて、主人公の刑事が犯人を探すうちに、その工場の存在を知り潜入する。するとそこは「ソイレント・グリーン」の工場だったのだ。ベルトコンベアーで国民の毎日の食べ物が流れてくる・・・

これはまるで現在の「遺伝子組み換え食品」や「人工肉」の問題を連想させる。そして1973年のこの映画は、環境問題による食糧の減少や、食の安全性などの、現在の「食の持続可能性」の問題を先取りしている。

2026年6月19日金曜日

映画「ラストサムライ」

 「The Last Samurai」

徳川幕府が終わり、明治が始まった直後、まだ旧幕臣が新政府に抵抗する内戦が続いていた。映画「ラストサムライ」はその時代に、最後の闘いをして消えていったサムライたちの美学を描いていた。映画では、主人公のサムライ(トム・クルーズ)は日本人ではなく、アメリカ人となっていたが、そのモデルは、ジュール・ブリュネという実在したフランス人で、幕府の軍事顧問だった人だといわれている。

政府軍はイギリスの援助を受け、大砲や機関銃などの近代兵器で武装しているが、反政府軍のサムライたちは昔ながらに、刀を抜いて突撃するだけだからバタバタと死んでいく。そして主人公が最後の一人になった・・・

この映画の背景になっている当時の歴史的状況は以下のようだった。

幕末に、欧米の軍艦がたびたび日本周辺に現れたが、薩摩藩は日本が侵略されるのではないかという危機感を抱いていた。それで薩摩藩は欧米の近代的兵器を導入して軍備をしていた。そしてイギリスの軍艦が鹿児島湾に入ってきた時、砲撃をして戦闘になった。これが有名な「薩英戦争」だ。イギリスは日本の軍事力の高さに驚いたが、同時に薩摩藩も欧米式の兵器の重要性を痛感した。それで薩摩藩は排外主義をあらためで、イギリスとの友好関係を築いていく。

まもなく薩摩藩を中心とする反幕府の勢力が、イギリスの武器支援を受けて勢力を伸ばし、明治新政府の樹立にいたる。そして明治政府になってもこのイギリスとの関係は続いていく。

「ラストサムライ」は、サムライの日本が近代国家になる瞬間を描いた歴史映画だ。映画のラストでとても印象深いいシーンがあった。イギリスとの友好条約を結ぶための天皇臨席の会議の場面だ。そこにイギリスのハリー・パークス公使が実名で登場していた。彼は薩摩藩以来イギリスの軍事技術を日本に売り込んできた人物だ。するとそこへ突然、主人公のラストサムライが飛び込んでくる。政府に逆らった自分を処罰することを天皇に願い出る。すると若い明治天皇は、ラストサムライを称えながら言う。「我々は外国から大砲や機関銃を手に入れた。しかし日本人は武士道精神の魂を忘れてはならない。」


2026年6月18日木曜日

「へんちくりん江戸挿絵本」

Illustrated book in Edo

 浮世絵や絵巻物など”正統派”の江戸文化研究からはみ出した”へんちくりん”な江戸の出版文化を取り上げた本だ。江戸では、様々な情報や知識が本によって人々に伝達されたが、それらの多くは挿絵が中心で「挿絵本」と呼ばれた。そういう本が一般的になると、それを茶化す挿絵本もたくさん出版された。誰でも知っている本の内容をパロディ化して人々を面白ろがらせた。「へんちくりん江戸挿絵本」はそういう江戸人の遊び心をたくさんの事例で示している。

これは遊郭通いする仏を描いている。遊郭で、地蔵とお釈迦様が後光を背負ったまま宴会を楽しんでいる。酒の肴には焼き魚も並んでいて、生臭さ物も厭わない。


宴会が終わって、それぞれが屏風の内で床入りする場面。遊女に「後光はとって寝なんし」と言われ言われ、後光は外している。


仏たちは遊女にモテるだけではなく、三味線や長唄もうまい。この後、地蔵は馴染みの遊女とと駆け落ちしましたとさというお話。神様仏様をパロディ化している物語だ。



2026年6月17日水曜日

映画「Mank / マンク」

「Mank」

映画「Mank / マンク」(NETFLIX, 2020)を見たが、オーソン・ウェルズの不朽の名作「市民ケーン」にすごい裏話しがあったことを初めて知った。

「市民ケーン」は、天才オーソン・ウェルズが、監督、脚本、撮影、俳優、すべてを一人でやったということになっているが、実は脚本はマンキーウィッツ(通称マンク)という脚本家が書いていたことを映画は暴いている。

映画は、マンクが「市民ケーン」の脚本を書き上げるまでの苦悩や闘いを描いている。アルコール依存症のマンクは、ウェルズに脚本の執筆を依頼されるが、期限はたった 90日・・・映画はその過程を、1930年代のハリウッドの回顧をはさみながら描いている。

マンクは、クレジットにウェルズの名前だけが載り、自分の名前が載らないことを知って激怒する。映画会社に抗議してやっと二人の連名にさせる。ところが「市民ケーン」はアカデミー賞のすべての部門にノミネートされていながら、受賞したのは脚本賞だけだった。映画の最後でマンクがアカデミー賞のトロフィーを抱いて満足げな表情で、インタビューを受けるシーンで終わる。


2026年6月16日火曜日

イングランドとスコットランド 二人の女王

Queen Erizabeth & Queen Mary

ワールドカップが始まったが、いつもながらイギリスだけが4チームが出場できるのはズルイ(?)と思うが、そもそもイギリスの正式名称は UK(United Kindom)で、4つの王国の連合国だから仕方ない。それらがひとつの国になるまで因縁深い歴史があるが、なかでもイングランド対スコットランドの歴史はドラマチックだ。


数年前にあった「怖い絵展」で、目玉作品が「レディ・ジェーン・グレイの処刑」という歴史画だった。若いスコットランド女王がイングランドへの裏切りを疑われて、斬首の処刑をされる瞬間を描いている。右側に斧を持った処刑人が立っている。


もうひとつ紛らわしいが「メアリー・スチュワートの処刑」という絵がある。スコットランド女王のメアリーは、イングランド女王のエリザベスと異母姉妹なのだが、王位継承権をめぐってエリザベス女王と敵対関係になる。エリザベスはメアリーを捕らえて、処刑の命令を下す。この絵は処刑場へ向かうメアリーを描いている。


このメアリーとエリザベスの二人の愛憎劇を描いた映画『二人の女王 メアリーとエリザベス』が面白かった。カトリックとプロテスタントの宗教対立や、政略結婚と王位継承、重臣たちの陰謀と謀反、などがからんで、16 世紀イギリスのドロドロした歴史がわかって興味深い。


2026年6月15日月曜日

江戸のボタニカルアート

Botanical Art in Edo 

ボタニカル・アートが流行っているようで、そんな教室の生徒さんの作品展を見かけたりする。植物を写真のとうりありのままに描く、植物図鑑の挿絵と同じで「自己表現」をする絵画ではない。

そんな絵は江戸時代からすでにあった。「江戸の想像力」(田中優子)に、その始まりが書いてあって面白い。平賀源内は日本全国の動植物を集めて展示する「薬品会」というイベントを主催していた。源内は「本草学」という、今でいう「博物学」の研究をしていたが、同じアマチュアのマニアが全国にたくさんいて、源内の呼びかけに応じて千数百種類が集まったという。

会が終わると、「物類品種」という出品物の挿絵入りの図録を発行した。その挿絵は、浮世絵のような「絵画」ではダメで、写真のようにひたすら写実的に描く画家に描かせたそうだ。彼らは無名だが、西洋絵画の手法を学んだ人たちだったという。



2026年6月14日日曜日

アマルフィの風景 映画「リプリー」とエッシャー

Amalfi, 「Repley」and  Escher 

鎌倉の高台に海一望の「アマルフィ」というイタリアンの店がある。店の名前はもちろんイタリアの景勝地アマルフィから来ている。そのアマルフィが映画「リプリー」に出てくる。主人公がアマルフィにある超金持ちの大豪邸を訪れてくる・・・

これがそのシーン。崖の上に、海へ突き出すかのように家が建っている。中世風の古い家が密集していて、教会の塔が見える。

自分ではアマルフィへ行ったことはないが、このシーンでエッシャーの絵を思い出した。エッシャーは若い頃、イタリアに移住して風景画を描いていた。なかでもアマルフィーが好きで、多くの作品を残している。これはそのひとつで、上の実景写真と比べると、かなり緻密に写実的に描いていることがわかる。教会の塔や建物などが上の写真とぴったり合っている。そもそも映画の映像は、この絵をもとにしているのではないか。俯瞰のカメラアングルがよく似ている。


もうひとつエッシャーのこの絵で、上とは反対の陸側からアマルフィの街を見ている。手前の下の方に細い道が描かれているが、階段やトンネルが複雑に入り組んでいて迷路のようだ。


このイメージも映画「リプリー」に出てくる。土地が狭いせいか、道が建物の下をくぐっていて地下道のようだ。そして坂が多いので、その道がすべて階段になっている。この階段とトンネルが入り組んだ迷路のようになっていて、主人公が迷子になりながら歩いている。


このシーンに相当するエッシャーの作品がないか、エッシャーの画集を見たらあった。3方向に階段が続いている道の中央から出口が見えている。上の映像そのままだ。後年エッシャーは視覚を欺くような不可思議な絵を描いたが、そのイメージの源泉がこの時のイタリアの経験から来ているといわれている。


(写真画像は映画「Repley」より、絵画画像はエッシャー画集「Le Monde de M.C.Escher 」より)

2026年6月13日土曜日

映画「リプリー」の映像表現

「Repley」 

NETFLIX 版の「リプリー」は昔の「太陽がいっぱい」と同じ原作の映画化だが、演出のスタイルがまったく違う。同じ犯罪映画であるが「太陽がいっぱい」明るい太陽のもとで起こる事件だったが、「リプリー」では人間の暗部を描くダークな「フィルム・ノワール」になっている。

名作フィルム・ノワールが白黒映画であったようにこの映画も白黒で、モノクロームを活かした映像の美しさがが素晴らしい。例えばこの夜の街のシーンで、街灯の光が雨に濡れた道を照らしている。全体は暗い闇に包まれていて、登場人物もシルエットだ。人間の暗部や、都市の不安な空気感を描いている、このような光と影の効果による陰影に富んだ映像表現は。フィルム・ノワール映画の定番手法だ。


他にもこの映画はひとつひとつのカットで、カメラアングルや構図が計算し尽くされているが、いくつかの印象的な場面をあげてみる。

主人公がナポリの古い街で道に迷う。ボロボロの建物に囲まれた迷宮のような雰囲気。

主人公がリゾート地アマルフィーにバスで来る。ブリッジと建物による造形的な構図が見事。

海岸に錨が置いてある。不安感に満ちた風景だ。これから起こることを予感させている。

主人公が知人の大豪邸で海を眺めているシーンのスタイリッシュな構図。

主人公がフェリーから荒れた海を眺めている。真上からのアングルが不安感を感じさせる。