2024年4月24日水曜日

映画にみる 未来の「生成 AI 」

 Generative AI in movies

「生成AI 」は小説を書いたり、政治家になりすますなど、今までは人間にしかできないと思われていた仕事にまでも進出してくるようになった。するとそもそも、人間と AI の違いは何なのかという根本的なことが問題になってくる。

映画「her / 一人だけの彼女」は、パソコンにインストールされた声だけの女性AI に恋してしまう男のラブコメディだ。このAI は話しかけると、プログラムされたとうりに答えるのではなく、「感情」を持って話し相手になってくれる。それで彼女は美人だろうと妄想して、顔も見たいと願うのだが・・・ AI が人間との区別がつかなくなっている。




イギリスの天才数学者アラン・チューリングは、世界初のコンピュータを発明した人だが、彼は人間と人工知能の見分け方の研究をしていた。人間の Aと、人工知能のB に会話をさせ、それを隣の部屋にいる C が聞いている。そしてどちらが人間でどちらが AI かを判定させる。これが「チューリング・テスト」と呼ばれる手法で、見分ける基準は会話を通して「人間的な心」があるか無いかで判定する。

しかし AI が進化して「人間的な心」までも持つようになったらどうなるか。その生成 AI が人間型ロボット(ヒューマノイド)に実装されると見た目も会話も人間だから、街で会っても気がつかないだろう。

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」は、人間とAI の関わりを通して「人間らしさとは何か」をテーマにした名作 SF 小説だ。人間社会に紛れ込んだ殺人AI ロボットを追っている捜査官が、容疑者を捕まえる。そしてAI かどうかを見極めるためのチューリング・テストをする。人間的な感情に触れる質問だが、 AI ロボットは悲しい話題には悲しい表情をして悲しい言葉で答える。しかし脳波測定機で調べると、感情はまったく動いていないので AI ロボットだとわかってしまう・・・

「ブレードランナー」は、この小説をもとにした名作 SF 映画だった。


チューリング・テストをしているうちに、捜査官はレイチェルという美人女性 AI がロボットだと気がつく。しかし分かった後も、完璧に人間の女であるこのロボットに感情移入してしまう。そして抹殺されずにすんだ彼女は再び人間社会に紛れこんでいく・・・

もうひとつ、「心」を持った AI が登場したのが映画「エクス・マキナ」だった。ロボット研究所を訪れた主人公が美人女性 AI ロボットに会う。彼女は両親が亡くなったことに涙を流したりして人間的な感情を持っている。それで主人公は彼女に恋愛感情を抱いてしまう。そして彼女を連れて研究所を脱出し、人間社会へ戻ることになるのだが。・・・結末は、未来の AI を予測させる恐ろしいことになる。



ある意味でもっと”恐ろしい” 映画が「インサイド・ヘッド」だった。一見いかにもディズニー映画らしいファンタジック・アドヴェンチャーのアニメだ。主人公の少女の頭の中は工場になっていて、「喜び」や「悲しみ」などの感情を引きおこす担当者がいる。少女の状況に合わせて、ここは笑いなさいとか泣きなさいなどと指令を出している。つまり少女はプログラムされた脳に操られているロボットに過ぎない。(プログラムは幼い頃からの教育の積み重ねで作られる)だから人間には自由意志による「心」があって、それが AI との違いであるという論理が成り立たないことになる。このことを指摘したのはベストセラー「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリだ。しかも最新の脳科学研究によれば、 AI にない「人間的な心」と思われているものは、単に脳内の生化学的反応に過ぎないことが科学的に解明されていて、人間とAI は何の違いもないというから怖い。


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