Generative AI in movies
「生成AI 」は小説を書いたり、政治家になりすますなど、今までは人間にしかできないと思われていた仕事にまでも進出してくるようになった。するとそもそも、人間と AI の違いは何なのかという根本的なことが問題になってくる。
映画「her / 一人だけの彼女」は、パソコンにインストールされた声だけの女性AI に恋してしまう男のラブコメディだ。このAI は話しかけると、プログラムされたとうりに答えるのではなく、「感情」を持って話し相手になってくれる。それで彼女は美人だろうと妄想して、顔も見たいと願うのだが・・・ AI が人間との区別がつかなくなっている。
チューリング・テストをしているうちに、捜査官はレイチェルという美人女性 AI がロボットだと気がつく。しかし分かった後も、完璧に人間の女であるこのロボットに感情移入してしまう。そして抹殺されずにすんだ彼女は再び人間社会に紛れこんでいく・・・
もうひとつ、「心」を持った AI が登場したのが映画「エクス・マキナ」だった。ロボット研究所を訪れた主人公が美人女性 AI ロボットに会う。彼女は両親が亡くなったことに涙を流したりして人間的な感情を持っている。それで主人公は彼女に恋愛感情を抱いてしまう。そして彼女を連れて研究所を脱出し、人間社会へ戻ることになるのだが。・・・結末は、未来の AI を予測させる恐ろしいことになる。
ある意味でもっと”恐ろしい” 映画が「インサイド・ヘッド」だった。一見いかにもディズニー映画らしいファンタジック・アドヴェンチャーのアニメだ。主人公の少女の頭の中は工場になっていて、「喜び」や「悲しみ」などの感情を引きおこす担当者がいる。少女の状況に合わせて、ここは笑いなさいとか泣きなさいなどと指令を出している。つまり少女はプログラムされた脳に操られているロボットに過ぎない。(プログラムは幼い頃からの教育の積み重ねで作られる)だから人間には自由意志による「心」があって、それが AI との違いであるという論理が成り立たないことになる。このことを指摘したのはベストセラー「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリだ。しかも最新の脳科学研究によれば、 AI にない「人間的な心」と思われているものは、単に脳内の生化学的反応に過ぎないことが科学的に解明されていて、人間とAI は何の違いもないというから怖い。
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