2020年12月18日金曜日

絵画は「光」をどう描いてきたか

Light in Painting 

絵画の3大要素は、形、色、光、だが、形と色は目で見えても、光は目に見えない。だから見ようとする意識がなければ、見えていても見えない。浮世絵をはじめ日本絵画では光を描くことはなかったし、それは今でも続いていて、プロアマを問わず、光を意識して描いた絵は多くない。ちなみに欧米のアマチュア向け指導書ではほとんどの本のタイトルに「Light」という言葉が入っていて、絵を描けるようになるとは、イコール光を描けるようになることだという考えが普通であることがわかる。たまたま手元にあった本でも「Capturing the Light in Pastel」「Intuitive Light」「Color and Light」「Incredible Light」「Inspired by Light」といった具合だが、西洋絵画ではどうしてこうも光を表現することに執着してきたか、また光のどのような性質を描こうとしてきたのかを調べてみた。

宗教画の主題として「受胎告知」は数多く描かれているが、ルネッサンス期のカルロ・クリヴェッリという人の「聖エミディウスを伴う受胎告知」は最も有名だ。マリアのもとに大天使が現れて受胎を知らせるのだが、そのとき空に浮かんだ精霊がマリアめがけて光を照射している。細い光はまるで「レーザービーム」のようで、壁の小さい穴を通って室内のマリアの顔に当たっている。しかし光を当てられているマリアの顔には明暗がない。光は照らすものとして描かれているだけで、照らされたものが光によって変化することには気がついていない。


それを一変させるのが 1 7 世紀のカラヴァッジョで、「聖マタイの召命」は、右から光が射し込んでいる光に照らされた人物が明暗の強いコントラストで浮かび上がっている。人物以外は暗い闇に溶け込んでいて、ちょうど舞台で役者に「スポットライト」を当てているような劇的な効果がある。このような明暗の強調は「キアロスクーロ」とよばれる。


この「聖アンナによる新生児キリストの礼拝」は「夜の画家」とよばれたジョルジュ・ド・ラ・トゥールという人の絵で、もっぱらロウソクの光を描いた。カラヴァッジョの光が、画面の外から射している指向性のある光であるのに対して、これはロウソクが画面の中央にあって、光を囲んでいる人物の前半分を照らしていて、それ以外は闇に溶け込んでいる。見る人の視線を描かれている光景に集中させ、静かで宗教的な感情を引き起こす。この光は電球と同じく点光源の「人工光」の特徴で、太陽光が全てをまんべんなく照らすのと対照的だ。


以上の3つとも題名が「聖〜」でわかるように宗教画だが、もともとキリストの頭に後光のような輪を描いて光を表現したように、敬虔な宗教的感情を表すために光を描きたいという強い欲求があった。教会のステンドグラスの宗教画を外光の透過光で照らすというのもその表れだったという。

レンブラントの「自画像」はやはり明暗の強いコントラストで描かれているが、光の性質は暗闇の中から浮かび上がらせるようなものではない。基本的に球形である頭の3次元の形を表現するための明暗のようだ。キアロスクーロのように光そのものを描くより、光によって変化する対象の明暗変化の方に関心が向けられている。


近代の印象派になると光がさらに絵画の最大関心事になる。モネの連作「ルーアン大聖堂」は様々な天候や時間帯で描いているが、光によって影響された色の変化に関心が向けられている。レンブラントのように光が明暗を変化させるものであったのに対して、印象派は光が色を変化させるものであることに気がついた。


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