The perspective of "La Chambre à Arles"
その具体的な例として、有名な「アルルの寝室」について、こんな解説がされている。(某美術史の本より)
『「アルルの寝室」は、ベッドや椅子などの消失点がバラバラで一致していない。遠近法の無視による空間の歪みが、見るものを不安にさせ、それでいて惹きつけられる魅力になっている。』
しかし本当に「遠近法の無視」がされているのか? 確かめてみた。ベッドや椅子の消失点は、黒線のように、奥の窓のあたりの消失点にぴったり一致している。壁の絵の額縁までも正確で、決して上の解説のように「バラバラ」ではない。
もうひとつ、あまり指摘されていないことだが、ベッドと椅子の手前の線が傾いていることだ(左図の白い四角)。絵は一点透視で描かれているから本来は水平になるべきだが、そうなっていない。ところが面白いことに、親友のゴーギャンに ”いまこんな絵を描いてます” という手紙を出しているが、そのスケッチではベッドと椅子の線は水平線(右図の赤い四角)で、遠近法どおり ”正しく” 描かれている。
この部屋はかなり狭いようで、ゴッホは手前の壁にくっつくくらいの位置で描いているはずだ。だから、ベッドと椅子はゴッホからかなり近い距離にあり、ゴッホは足元を見下ろすのに近い視線で見ている。だから広角レンズで撮った写真が近距離で歪みが生じるのと同じ歪みがゴッホには見えているはずだ。ところが一点透視図法では、ゴーギャンへのスケッチのように、歪みを補正して水平線にしてしまう。人間も網膜には歪んで見えているのだが、脳内で補正して水平に見てしまう。ゴッホは、スケッチでは遠近法どおりに ”正しく” 描いていたが、本番ではその補正をせずに、あえて網膜に映ったとうりに通りに描いたのだろう。(こういう透視図は「網膜像透視図」と呼ばれることがある)
以上からゴッホは、美術評論家の先生方よりずっと遠近法に詳しいことが分かり、この絵も決して「遠近法を無視」などしていないことが分かる。そもそもこの絵を素直に見れば、解説者が言うように「見るものを不安にさせる」ことなどない。友人のゴーギャンが同居することになり、その部屋を描いたもので、その喜びが伝わってくる明るい絵だ。
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