「Sacrifice」
何年ぶりかで、タルコフスキー監督の名画「サクリファイス」を観た。冒頭のシーンで、湖のほとりで男が、枯れて倒れた木を起こして植え直している。そばの小さい息子に毎日水をやれば木は生き返るよ、と言う。そしてラストで、息子が水をやって、木を見上げているシーンで終わる。この象徴的な二つのシーンで、タルコフスキーの世界観を表現している。二つに挟まれたストーリーは、黙示録にある、人類の「終末」と「再生」の物語だ。
もと役者の主人公の誕生日に家族と親友が集まっていると、突然 TV の臨時ニュースで、核戦争が始まったことを伝える。人々は地球が絶滅する恐怖におののく。女がパニックになり泣き叫んだり、死を覚悟して神に祈り続けたりする。
そのとき、主人公は友人から意外なことを言われる。神の救済を求めるために家政婦の「マリア」と寝なさいというのだ。「マリア」は、人間を救う「聖母マリア」と、罪深い女である「サクラダのマリア」の両方をかけた名前だ。そして言われたとおり男はマリアの家に向かう・・・ そして映像は、現実と幻想がいり混じって曖昧になる。そして黙示録的な恐怖の幻想にかられた主人公は、神の救いのために、自分の全てを捧げる決心をして、自宅に火をつけて燃やしてしまう。
タルコフスキーは「西洋の文明は物質的進歩によって絶滅する」という信念があり、映画の最後で主人公に同じセリフを言わせる。この映画が作られたのはチェルノブイリの原発事故の頃で、黙示録的恐怖が現実のものになった時代だった。
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