2025年12月13日土曜日

映画「レフト・ビハインド」と終末論

「Left Behind」

前回「福音派 - 終末論に引き裂かれるアメリカ社会」という本について書いたが、その本は、映画「レフト・ビハインド」について触れている。この「Left Behind」という題名は「後に取り残された者」という意味で、聖書の思想の根本である「終末論」に基づいている。本では、この映画が、聖書を絶対とする福音派がアメリカで勢力を伸ばしたきっかけの一つだったとしている。

ストーリーはだいたいこんな感じだ。 旅客機がエンジンの故障で火を吹き、乗客は墜落して死ぬことを覚悟する。しかし飛行機は墜落せずに出発した空港に引き返せた。ところが到着するとなぜか乗客全員が消えていた。しかしただ一人の男だけが生き残っていた。彼以外の乗客たちは、キリスト教の熱心な信者だったのに対して、男だけがまったく信仰心がない人間だった・・・

我々日本人にはこの映画の意味がわかりにくい。善い人が皆いなくなったのに、なぜ神様を信じない者だけが生き残ったのか、と不思議に思う。しかしアメリカ人はこれを見てすぐに映画が言いたいことの意味を理解する。これは聖書の重要な思想である「終末論」の考え方によっているからだ。飛行機が墜落して全員が死ぬのは聖書の言う「終末」に当たり、地獄に落ちるような無惨な死に方をする前に、神様が信仰深い人だけを天国に招くのは、聖書の言う「携挙」に当たる。「携挙」とは、助かる者と助からない者の選別をすることで、この男にように「携挙」されなかった人間は、地獄行きになる。しかしたまたま飛行機が墜落しなかったので、男は生き残っただけなのだ。

聖書の「終末論」は、やがて大惨事が起きて、人類は滅亡するという予言の書だが、聖書を絶対とする「福音派」の信者をはじめ、アメリカ人はこの予言を信じる人が圧倒的に多い。この映画は、ちょうど 9.11. のテロ事件と同じ時期だったので、火を吹く旅客機の映画のシーンと、イスラム教徒が貿易センタービルに突入したニュースの映像とが重なって、聖書が予言するこの世の終わりが現実に起こったというリアリティをアメリカ人は感じた。


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