2025年11月2日日曜日

初心者向け 遠近法入門書「Pespective Made Easy」

 

「Pespective Made Easy」という本は遠近法初心者におすすめの本だ。きちんとした遠近法(透視図法=Pespective)を勉強した人には当たり前すぎることばかりだが、そうでない人には基本の基本からのわかりやすい説明で役にたつ。遠近法の理論の本ではなく、趣味で絵を描くアマチュア向けの実践的な内容だ。

遠近法に関心があるので、いろいろな本に目を通しているが、日本にはなかなかこういう親切な本がない。これは英語ではあるが簡単な文章なので問題ない。Amazon で購入できる。

              


内容の一例をあげると、街の風景を描くとき、道を歩いている人間を点景として描くことがよくある。そのとき遠近法を意識していないと、人間が宙に浮いているよう見えたり、人間の身長が不自然になったりする。そうならないために、まず「アイレベル」の水平線を描いて、それを基準にして建物も人間を描く。

複数の人間どうしの関係を示したのが下図。この場合アイレベルは、人間の胸のあたりにあるが、3人とも共通して胸のあたりをアイレベルの水平線が横切っている。だから3人ともちゃんと地面に足をつけて立っているように見えて、また遠近にかかわらず同じ身長の人間に見える。



以上のことについて、お手本のような絵がある。印象派の巨匠カイユボットのパリの雨の街角を描いた絵で、たくさんの人が道を行き交っている。この絵を調べる(下図)と、遠近法が驚異的に正確なことがわかる。遠くの人も近くの人も、全員の頭の位置が見事に共通のアイレベルの線(赤線)に乗っている。そして中央で道を横切っている2人の人物の消失点(黒丸)はぴったりアイレベルの上に乗っている。


2025年10月31日金曜日

オリンピックのシンボルマークと、大阪万博の「ミャクミャク」

Symbol Mark 

このあいだ(10 / 19)ピクトグラムデザインについて書いた中で、大阪万博のピクトグラムのひどさに触れた。

国際イベントで「ピクトグラム」と並んで重要な「シンボルマーク」についても大阪万博はひどかった。「ミャクミャク」というシンボルマークを大阪では、子供だけでなく大人も「オモロイ!、オモロイ!」と言って大喜びしていたが、さすが「吉本興業的オモロイ文化」の大阪だ。

万博やオリンピックで、開催国の文化を凝縮して象徴的に表現するのが「シンボルマーク」で、それはいわば「日本代表」の役割を担う。だから各開催国は「シンボルマーク」のデザインに力を入れる。しかし今回大阪は「ミャクミャク」というおバカデザインを採用してしまった。そして日本の恥さらしだと猛批判されたが「そんなことはどうでもええやんけ」というのが大阪の感覚だった。

シンボルマークの重要性を再認識するために、万博ではないが、同じ大規模国際イベントであるオリンピックのシンボルマークについて見てみる。下の表は 2020 年の東京オリンピックの際に、歴代オリンピックのシンボルマークを調べて年代順に並べたもので、当時、当ブログに投稿したがもう一度再掲する。

この表で注目されるのは、1964 年の東京オリンピックを境にして、その以前と以後でデザインの傾向がはっきり違っていることだ。東京以前では開催国のモニュメンタル建築などをモチーフにした記念切手的なデザインだが、東京オリンピックでは日の丸の赤い丸だけの究極の単純幾何図形だ。このような抽象的な図形だけでその国らしさを表現したのは東京オリンピックが初めてだった。それ以降、各国のオリンピックもそれに倣うようになり、シンボルマークが各国の「デザイン力」=「文化力」を競う場になった。

     パリ       アムステルダム   ロサンジェルス
ベルリン  ロンドン ヘルシンキ  メルボルン  ローマ
  東京  メキシコシティ   ミュンヘン モントリオール モスクワ
ロサンジェルス    ソウル  バルセロナ アトランタ シドニー
アテネ   北京    ロンドン  リオデジャネイロ 東京

抽象化した図形でシンボルをデザインするのは、日本の伝統で、それは紋章に現れている。ヨーロッパの紋章は、鷲やライオンを具象的に扱うが、日本では抽象的な幾何図形化している。この抽象化力の伝統が、オリンピックのシンボルにも繋がっている。しかし大阪万博がそれをぶち壊しにしてしまった。



2025年10月29日水曜日

モネの「ウォータールー橋」

Monet

モネはロンドンの 「ウォータールー橋」をモチーフに多くの絵を描いた。




モネの絵はいつも遠近法(透視図法)が正しく描かれているが、この絵でもアーチ橋の楕円が正確だ。それを確かめるために下図の作図をしてみた。円の遠近法を知らないと、楕円の長軸を垂直に描いてしまいがちだが、モネの絵はちゃんと傾いている。


円の遠近法で、楕円の長軸は傾くということの説明に「Perspective Made Easy」という超初心者向け教本におあつらいの図があったので引用する。

2025年10月27日月曜日

空気遠近法の魅力

 Trevor Chamberlain & Aerial Perspective

遠近法といえば、普通は「線遠近法」だが、他にもいろいろな遠近法がある。その中でもっともポピュラーなのが「空気遠近法」だ。「空気遠近法」の意味がよく分かるのが、広重の「東海道五十三次」のなかの「庄野」だ。


この絵で、風になびいている竹林が描かれている。それは手前から奥へ、近景→中景→遠景の順に3段階が重ねられ、遠くへいくほど明度・彩度が弱められている。奥ほど自分との間にある空気の層が厚くなるから、フィルター効果が増してこうなる。さらにこの絵では空気の中に混じった雨の水滴が、フィルター効果をいっそう強めている。「空気」を描くことによって遠近の奥行きが表現されている。

水彩画の世界第一人者、イギリスのトレバー・チェンバレンの絵はすべて、空気遠近法を活かした魅力的な絵だ。この都会の川を描いた風景画で、「空気」を使って空間の広がりを見事に表現している。


手前のボート→対岸の工場→遠くの高層ビル、と遠くにいくにつれ明度・彩度が弱まっていく。この「空気遠近法」によって、「遠近感」だけでなく、「空気感」= 空気の存在を強く感じさせる。この場合は、ボートの煙や工場から出る排気ガスなどが混じった都会らしい濁った「空気感」だがそれを見事に表現している。「空気感」と雰囲気のことで、水彩画はその表現にもっとも適している。(画像は画集「Trevor Chamberlain」より)

これもチェンバレンのパリの街を遠望している絵だが、雨の日の霞んでいる遠景をムードをたっぷりに描いている。「雰囲氣」とは「大気」のことであり、「ムード」という意味でもある。「空気遠近法」を使うことによって「大気」を描くことができ、「ムード」を表現できる。


2025年10月25日土曜日

「我々はどこから来て, 今どこにいるのか」 トッドとゴーギャン

Emmanuel Todd  &  Gauguin

前回、エマニュエル・ドットの「西洋の敗北と日本の選択」について書いたが、同氏の3年前のベストセラー「我々はどこから来て、今どこにいるのか」についても、2023 年に投稿した。それを再編集してもう一度書く。


ドットに一貫している「西洋の敗北」思想は、人類の文明史的な観点からの研究にもとづいていて、それが「我々はどこから来て、今どこにいるのか」の題名になっている。そしてトッドの研究アプローチは斬新で、各国の「家族構造」がその国の「政治体制」を決定づけてきたとしている。そして、各国の「家族構造」を次の3つの類型に分類している。以下にごく簡単に概要を紹介する。

第1は「核家族」で、アメリカイギリスがその代表。
子供達は成人すると親から自立し、やがて結婚して自分の家族を築く。そのため自力で社会の上方を目指して頑張る。それが欧米の個人主義の基盤になっているが、同時に自分中心の社会になり、さらにはアメリカのような分断社会が生まれる。

第2は「共同体家族」で、ロシア中国がその代表。
家族全員が父親の権威に服従する家父長制家族で、家族が大きな共同体を作っている。西欧の個人主義と違って、家族あっての個人だという家族観だ。そして国レベルでも、権威主義的リーダーのもとに国民が従い、団結力が強い。

第3は「直系家族」で、ドイツ日本がその代表。
父親が死ぬと長男だけが家を継ぎ、長男は家業の維持のために懸命に働く。だから職人も農民も親の技術をしっかり継承して次代へ繋いでいく。そのことがドイツと日本のものづくりの強さの基盤になってきた。また親は、家を継がない次男三男を自立させるために、高等教育を受けさせる。そのため日本人の大学進学率は世界一高い。それがドイツと日本の科学技術力の高さにつながっている。しかし女性のステイタスは低く、女性の社会進出率が低いが、その代わり女性は子供の養育に集中するので、子供の教育レベルが高い。

こうしてみると、トッドのいう「家族構造」がその国の「政治制度」を決定づけるという意味がよく理解できる。

           ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

ところで、上図のように、この本の上下2巻の表紙の絵を繋げると、一枚の横長の絵になる。これはゴーギャンの「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という長い題名の絵だ。


ゴーギャンは西洋の近代文明に失望して、人間が自然と共生して生きるタヒチへ渡った。そこで描いたこの絵はタヒチの人間をモチーフにして、人間の一生をシンボライズしている。右側の女性と子供は生命の始まりで、果物を収穫している中央の若者は成人期、左の老婆は終末期を表している。そして奥にいる青い彫像は、人間の行く末を決めている超越的な神を象徴している。

そしてこの絵は、人間の一生になぞらえて、栄えている西洋の文明社会がやがて衰えてゆくことを暗示しているという。そのゴーギャンと同じく、「西洋の没落」という世界観を持つトッドは、本の題名を、ゴーギャンの絵の題名を借りて「我々はどこから来て、今どこにいるのか」にした。


2025年10月23日木曜日

「西洋の敗北と日本の選択」

After the Empire : The Breakdown of the American Order 

先月出たばかりの、エマニュエル・トッドの 新著「西洋の敗北と日本の選択」をさっそく読んだ。歴史的に重大な出来事の数々を予言してすべて的中させてきたトッドだが、今回は日本に焦点を当てている。

トッドのいう「西洋の敗北」とは、これまで世界を支配していた「自由主義的西洋」の崩壊を意味している。そのことが現在のアメリカに顕著に現れているとしている。経済の基本である産業やモノづくりをおろそかにして、金融による富の力で世界の覇権を維持しようとしている。トランプはその間違いに気づいたものの、その対策が、自国産業を守るために、友好国に対しても高関税をかけるいうとんでもない方向へ行ってしまった。

そしてアメリカはヨーロッパに対して防衛費をもっと増やせと要求して、米欧の分裂が始まった。その結果がウクライナ戦争に現れているとトッドは言う。ウクライナはヨーロッパが守るべきで、その代わりに自分は停戦の仲介役をやってやるというのがトランプの態度だ。だからトッドは、ウクライナ戦争は、絶対にロシアが勝つと断言している。

このような「西洋の敗北」という歴史観の上に立って、トッドは日本の進むべき道を提言している。将来の日本の危機において、経済力も軍事力も衰えたアメリカが、日本を助けてくれることは絶対にない。だから日本は、自力で国を守るために、「核武装」すべきだ、と断言している。


2025年10月21日火曜日

絵画「空っぽの椅子」とゴッホ

 Painting leaving person

日経新聞. 文化欄の「〜の絵画 10 選」のシリーズはとても勉強になるが今回は、「去り行くものを描く 10 選」だった。去ってゆく人を惜しむことをテーマにした絵画10 作品の解説がされている。その中で、ゴッホの「ゴーギャンの肘掛け椅子」が興味深かった。


ゴッホは一時期、大親友のゴーギャンと同居していたが、しばらくしてゴーギャンは去ってしまう。絶望したゴッホは自分の耳を切ってしまう有名な事件を起こしたが、その直前に描いたのがこの絵だという。ゴーギャンが去ってゆくのを予感し始めたゴッホは、ゴーギャンがいつも座っている椅子の上に燭台のローソクを置いて描いた。その光が、ゴッホのわずかな希望の象徴だったという。

この「去り行くものを描く10 選」にもうひとつの絵が紹介されていた。サミュエル・ルーク・フィルズという人の「空っぽの椅子」だ。この画家は知らなかったし、こんな絵も初めて見る。この絵が、上記ゴッホの絵と重要な関連があるという。


ゴッホは若い頃、英国の絵入り新聞「ザ・グラフィック」を愛読していたそうだ。それに魅了されて一時は自分も挿絵画家を志したほどだったというから面白い。その新聞に掲載されていたのが、このルーク・フィルズの「空っぽの椅子」で、絶大な人気のあった文豪ディケンズが死んだ時に、追悼のために描いたのがこの作品だという。ディケンズの椅子にはもう誰も座っていない。

ゴッホはこの絵に感銘を受けていた。後に盟友ゴーギャンが去った時に、愛惜を込めて描いたのが冒頭の「ゴーギャンの肘掛け椅子」で、この絵の影響だったそうだ。