2026年1月17日土曜日

雨の表現 日本と西洋

Rain

広重の「東海道五十三次」の「庄野」は、豪雨の風景を描いた傑作だ。雨滴の動きが、斜めの細い線で描かれ、画面を埋め尽くしている。これは浮世絵の雨の表現としては普通の方法だった。

ジャポニズムの時代、浮世絵に憧れていたゴッホは、広重の模写をした。「雨の大橋」で、やはり雨が細い線で描かれている。しかしゴッホはかなり忠実に模写しているが、雨だけは真似していない。筆のストロークの跡がかすかに残っているだけだ。


これは日本と西洋との雨の見方に対する根本的な違いからきているという。西洋では雨は雨粒であり、ほとんど目に見えない小さい粒であるから、絵では無視するものという考えだ。しかし浮世絵の方は雨粒の「動き」を線で表現している。こちらの方が実際の雨を見た時の見え方に合っているが、ゴッホの絵には雨をまったく感じない。

ゴッホに限らず西洋絵画で、雨を線で表現することはほとんどない。例えばターナーの「雨、蒸気、スピード」で、雨の中を蒸気機関車が疾走する情景を描いているが、題名を見ない限り雨という感じはしない。

写真の場合、雨を撮ろうとしたら、絞りを絞って、シャッタースピードを遅くすれば、雨の動きを撮れる。映画でこのような雨を撮ったのが、黒澤明の名作「7人の侍」だった。雨の中の戦闘シーンが有名だが、そこで雨を線として撮影できるように大変な苦労をしたという。水に混ぜ物をして重くして雨が勢いよく降るようにしたそうだ。雨の「動き」で、どしゃ降りの雨がリアルに表現されている。


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