2026年1月31日土曜日

映画「ジョーンはひどい人」

 「Joan is Awful」

「ジョーンはひどい人」という映画は、前回書いた「ブラック・ミラー」シリーズの第6話で、これも IT 技術の発達で犠牲になる人間をパロディー化したブラック・ユーモアだ。

主人公のジョーンは IT 企業で働く中間管理職の優秀なキャリアウーマンだ。ある日、役員の命令で部下をリストラする。その夜、プライベートで元彼と会って食事をする。ところが家に帰って何気なくNETFLIX を見ると、「ジョーンはひどい人」という映画をやっている。その映画の主人公はジョーン本人にそっくりで、自分がやった今日一日の行動を悪い印象を与えるように作っている。 CG 映像で作ったフェイク動画だが、自分の一日をリアルタイムでその日のうちに作って、しかもネット配信されているのを見てびっくりする。そして翌日会社へ行くと、全員がこの映画を見ていて、「ジョーンはひどい人」と白い目で見られる・・・

最新の生成AI と高速の量子コンピュータを使って作った動画だが、誰が作ったのかわからない。ジョーンは怒り狂るって頭がおかしくなってしまう。やがて CG のジョーンがリアルのジョーンに会いに来たりして・・・バーチャルとリアルが入り混じったりしてパロディとして面白い。現在でもすでにフェイク動画がネット上に溢れていて、SF 的未来の話とは思えない。

 

2026年1月30日金曜日

映画「ブラック・ミラー」

 「Black Mirror」

「ブラック・ミラー」という映画が面白い。NETFLIXで配信している7回連続のドラマシリーズ。ネット時代の今の社会を風刺しているパロディー映画だ。第1話はこんな感じ。

脳の病気を患った女性が、脳をすべて切除して、新しい脳に入れ替える移植手術を受ける。その新しい脳はネットと繋がっていて、本人はそこから入ってくる情報に基づいて行動するようになる。自分で考えることはない。彼女は小学校の教師をしているが、ネットで得た情報を教室でそのまましゃべるから、おかしなことにり、クビになってしまう。つまり彼女は頭にスマホを埋め込まれた「スマホ人間」になっていたのだ。

それで、人工脳を運営する会社に相談すると、あなたの契約しているプランは基本プランだからで、もっと多機能のプランに変更するとよくなりますよ、と言われる。月額料金が5万円に増えるのだが、泣く泣く契約する。すると、企業のコマーシャルが入ってくるようになり、本人はその受け取ったコマーシャルをそのままオウム返しにしゃべるようになってしまう・・・

この第1話のタイトル「普通の人々」だが、まさにスマホから入ってくるネットの情報をそのまま間に受けて、ネットに支配されている現代の普通の人々を痛烈に皮肉っている。


2026年1月29日木曜日

映画「サタンタンゴ」の映像(続き)

「Satan Tango」 

前回投稿(↓)の続き(https://www.blogger.com/blog/post/edit/5842824525266145803/6738002736211797760

貧しい村にやって来た若者は救世主の顔をして村人に演説する。村を捨てて、新しい土地へ移住して楽園のような村を作ると言う。そのための資金だとして金を寄付をさせる。それを信じて村人たちは偽救世主について行くが、着いた先は荒れ果てた廃墟の家だった。人々は騙されたのではと疑念を持ち始める。そのシーンで村人の顔をクローズアップで撮る。顔の周囲をカメラが2分もかけて 360° ゆっくりと回る。この長回しによって、怒りや悲しみではない、夢などなかったのだという諦めの気持ちが伝わってくる。秀逸なカメラワークだ。


村人が町に到着すると、何頭もの馬が無人の広場に登場して、モニュメントの周りをぐるぐる回る。唐突で非現実的なシーンだ。後ろに見えるのは市庁舎らしき建物で、人間の代わりに馬しかいないことで、政治権力の空虚さを暗示しているようだ。そのことは、この後のシーンで、役人の官僚主義的な仕事ぶりを皮肉るシーンが出てくることから分かる。


ラストで、村人が全員村を出ていき、誰もいなくなる。一人だけ残った飲んだくれの老医師は毎日窓から村人たちを観察していたのだが、その意味がなくなり、窓に板を打ちつけていく。最後の一枚を打ち付けると、画面は暗闇になり映画は終わる。世界から自らを閉ざしてしまった老医師が最後にどうなるかは示されていない。暗闇の中で彼の独り言だけが聞こえてくるが、それは神の不在を意味する言葉だ。希望も救いもないエンディングだ。


この映画を見終わってみると、7時間という長尺がまったく冗長ではない。映像の ”密度” が濃く、目を釘付けにされ続ける。

2026年1月28日水曜日

映画「サタンタンゴ」の長回し映像

 「Satan Tango」

名作「サタンタンゴ」は最後まで救いのない絶望の映画で、タル・ベーラ監督の映画に一貫している終末論思想の映画だ。ストーリーはこんな感じだ。

専制独裁政治体制(共産政権時代のハンガリーを下敷きにしている)のもと、集団農場政策が失敗して、村が荒廃している。農民たちは貧しく、路頭に迷う絶望的な生活をしている。人々は救世主が現れることを願っているが、そこにかつて反体制派のリーダーだった若い男が帰ってくる。その若者が悲惨な現状を打開してくれるだろうと人々は期待を抱く。しかし・・・

他のタル・ベーラ作品と同じく、この映画も白黒で撮られていて、暗い陰鬱な映像に終始する。そしてこの映画は7時間超の長尺だ。それでいて全編およそ150 カットしかない。だから1カット平均3分くらいという驚異的な長回しのシーンが続く。

一例をあげると、絶望した少女が、飼い猫に農薬を飲ませて殺してしまう。自分も死のうと、死んだ猫を抱えて廃墟になった教会へ向かう。このシーンで、少女が歩いているのをカメラは少女と一定の距離を保ったまま2分半も撮り続ける。その間、画面のフレーミングも一定のままで、放心したような少女の表情もまったく変わらない。絶望的な死というタルベーラ監督の終末論思想をこのカメラワークで表現している。


もうひとつの例は、救世主と思われていた若者が、荒廃した村に帰ってくるシーンで、無数の紙片が風に舞っている。若者とその相棒の後ろ姿を約2分間も長回しで追い続ける。この紙片は役所の書類を暗示していて、若者が、権力に取り込まれた官僚主義者になっていて、決して救世主ではないことが後になって分かるのだが、そのことをこのシーンで暗示している。


居酒屋で村人たちが酒を飲んでいるシーンは延々と10 分以上続く。狂ったようにダンスをしまくる2組の男女、グラス片手にパンを頭に乗せて歩き回る男、酔い潰れてベンチで寝ている男、など全員が、酔っ払って呆けている。その人間たちを、動物園の動物を観察するかのように、第三者的な冷ややかな目で、カメラを固定したまま撮っている。抜け殻のようになっている人間たちの虚無感の表現で、この長回しは効果的だ。ここもセリフはなくアコーディオンの音楽だけが鳴り続ける。


これらのシーンは、セリフもないし、ナレーションもない。背景音がかすかに鳴っているだけだ。タル・ベーラ監督自身も、「映画で肝心なのは物語よりも、空間や時間の組み立てそれ自体にある」と語っているとおり、映像で物語る映画だ。逆に観客は映像を読み取る力が求められる。

2026年1月27日火曜日

高齢者の長生き願望

 

高齢化社会で、長生き願望の強い年寄りが多い。だから健康長生きの秘訣を求める人たちの需要に応じて、老人医療が専門の医者の本が売れる。例えばある本では、「人生のピークを老後に持ってこよう」と言っている。現役時代にやりきれなかったことを、引退した後にも諦めずに頑張ろうと言う。それが「幸せな最期を迎えるコツ」だというのだ。

自分を振り返ってみると、失敗だらけのろくでもない人生だった。だからこれ以上長く生き続けたいとは思わない。しかしこの本に共感する人たちは、きっと素晴らしい人生を送ってきたから、それをもっと続けたいと思っているのだろう。うらやましいことだ。

しかし自分の場合、現役時代にじゅうぶんにやれなかったのは、自分の能力が足りなかったからで、今更「老後にピークを」などと言われても意味がない。それができるくらいなら若いうちからもっと努力しておけよという話だ。

だからいまさら頑張ろうなどという気はない。今までやってきた趣味を気楽に続けるだけだ。趣味は、本と映画と絵の3つなので、引退後は、図書館、映画館、美術館へ通ってきた。それを勝手に「3館生活」と呼んできた。しかし最近はそこへ行くだけの体力が衰えてきた。その代わりに、ネット通販の Amazon で、本もDVD も画集も入手する。だから「3館生活」はもう必要なくなった。くだんの医者先生は体力があるうちにいろいろやっておけというが、そんな心配はない。


2026年1月26日月曜日

ブログについて

 

「フェイスブック」の情報は、日々流れていくだけなので「フロー型情報」と呼ばれる。一方「ブログ」の情報は、投稿した情報が蓄積されていくから「ストック型情報」と呼ばれる。

「フェイスブック」の投稿は FB友全員に配信されるが、「ブログ」は誰か特定の人に向けて発信されるものではない。ネット上に置いておくだけで、それを不特定多数の読みたい人だけが読みにくる。多くは、Google の検索で見つけて読みにくる。だから3年前や5年前の投稿でも読みにくる人がいる。

だからブログの内容は、何らかのまとまりのある「考え」を書く必要がある。フェイスブックのような日々の近況報告的な内容とは違う。添付画像も文章の文脈に沿ったものだけでなければならない。撮った写真を文脈に関係なく、やみくもにたくさん添付すると、ときどき画像添付ができなくなる。これは、サーバー側のストレージ容量を超えてしまうのが原因だ。


2026年1月25日日曜日

女子の痩せ願望とメディア

 

最近の TV 報道によれば、若い女の子たちが、ダイエットのために、糖尿病治療薬を飲んでいるという。この薬で食欲を減らす効果があるそうだ。「痩せているのが美しい」というジェンダーバイアスのさいたるものだ。メディアで目にするタレントなどのイメージが自分の中でどんどん蓄積していき、それらと比べて自分は太りすぎていると不満を覚えるようになる。

これについて『文化戦争  やわらかいプロパガンダがあなたを支配する』という本に面白い話しが出てくる。1929 年にニューヨークで行われた復活祭のパレードで、スタイルの美しい女性たちが堂々と「ラッキーストライク」のタバコを吸った。それは当時の社会的タブーに対する挑戦だった。このことが新聞に大々的に報じられたことで、ジェンダーと喫煙についての社会通念が覆され、女性の自由を求めるという世論が盛り上がったという。

ところが実はこれは、広告会社が仕組んだ PR 戦略のパーフォーマンスだった。この時代の女性のいちばんの関心事が痩せることだったが、タバコには食欲を抑える効果があるという証言を医師にさせた。そのことを上記のパレードで実際に目に見えるかたちにした。そのおかげで「ラッキーストライク」は大儲けした。


「痩せているのが美しい」という情報を人々に刷り込ませるのに、 TV などのメディアが強い影響力を持っていることを示している。そして現在ではネットメディアによって人々は動かされている。ダイエットのために糖尿病予防の薬を飲んでいる女性は SNS でその情報を得たと言っていた。そして今、若い女性だけでなく、高齢者もネットで、健康長寿に効く食事や生活習慣の情報を必死になって探したりしている。


2026年1月24日土曜日

ロゴのデザイン 二つが合併したとき

Logo-Mark design 

前々回、二つの政党が合併してできた新党のロゴマークについて書いた。それで、同じく二つの銀行が合併してできた銀行のロゴを思い出した。

両者のデザインは、考え方が似ている。二つが合体したことを意味する二つの円が交差している。その結果、両側に三日月形ができている。違いは、銀行の方が、三日月形の真ん中にもう一つの円を置いているのに対して、政党の方は、三日月形に挟まれた中央が空白のままだ。

企業にしろ政党にしろ、二つが合併するとき、ただの「1+1」ではなく、それ以上の新しい価値を生み出そうとする。でなければ合併する意味がない。この銀行のロゴの方は、中央の円でそれを表している。(実際にそうかどうかは知らないが)しかし政党のロゴの方はそれがなく、ただ二つがくっついたというだけの形だ。

報道を見ている限りでは、この新党が、合併することによって何を目指すのかがはっきり伝わってこない。そのことがロゴのデザインに現れているのかもしれない。


2026年1月23日金曜日

子供の頃の食べ物の味

 

子供の頃、農家で育ったが、当時の食べ物の味をときどき思い出す。

米がうまかった。当時食べていた米と比べると、現在スーパーで買う米は、これが米かと思うほど不味い。農家は出来がいい米を自家用にして、それ以外を出荷していた。

トマトやキュウリは朝獲れで味が濃く、切った時にプンといい香りがする。冷蔵庫のない時代、井戸の中で冷やしたのをガブッとかじる。今のトマトやキュウリは味も香りもまったくない、形がトマトやキュウリに似ているだけの ”もどき” 野菜だ。

庭には、ビワや、いちじくや、柿などの木があったが、食べ物が豊富な農家では、それらは食べ物とはみなされていなかった。たまに子供が遊び半分で取って食べるだけで、ほとんどは鳥が食べた。そんな果物が、今はスーパーで立派な値段がついた高級果物になっているのが不思議に感じる。

漬け物も今昔の差が大きい。たくあんなど、もちろん自家製で、ぬか漬けしただけのシンプルな味で、素材の旨さが生きている。今は店でそんな漬け物を探すが見つからない。妙に味付けしたり、着色したものばかりだ。そんなのを買ってしまって、食べずに捨てることがしょっちゅうだ。日本漬物協会という業界団体があるそうだが、その人たちは、本当の漬け物の味を知らないのだろう。


2026年1月22日木曜日

「視覚の法則」

 Gestalt Psychology

「視覚の法則」という本は、人間がものの形を見た時、それをどう認識するかという「視覚心理学」のバイブルのような本だ。様々な事例をあげているが、一例を挙げるとこの図がある。

3つの円の一部が欠けていて、3つの直線が途切れている。いずれも不完全な形だ。しかしこれを見た時人間は、中央に目に見えない三角形があって、それに丸と線の図形が隠れていると感じる。

つまり、丸も直線もバラバラで不完全であるが、それらをまとまった一つのものとして見る性質が人間にはある。


同様な例として、こんな図も出てくる。右図のような図を見た時、人はどういう形として認識するかという問題だ。当然、下図の左のように、二つの円が交差していると見る。右図のようにバラバラな3つの形には見ない。左の方が、線が連続した、まとまりのある形だからだ。


最近、日本の二つの政党がくっついて、一つになり、そのロゴマークが発表された。このデザインを上記のことに照らして見ると面白い。

そのマークは右のようなデザインで、上記の二つの円の交差に該当している。この特徴は、二つの円のずれ方が少ないことと、円が重なっていない部分が青に着色されていることだ。だから重なり部分よりも、二つの三日月形の部分が強調されている。つまり上の図の右側のバラバラの円の見え方になっている。

発表によれば、今まで政策がかなりズレていた2党が歩みよって、共通の「中道」を目指すということだ。しかしこのデザインでは、共通部分よりも元の二つのバラバラの形ばかりが見えてしまう。これでは二つの党がくっつくことで、今までとは違う新しい共通の理念が生まれるということが伝わってこない。

2026年1月21日水曜日

見つめる眼差し ミロとクレー

Pareidoria Phenomenon  Milo & Klee

二つの丸を横に並べると、それだけで人間や動物の眼だと感じる。草むらに隠れている恐ろしい敵をいち早く察知して身を守るために人類が身につけた能力だ。心理学でこれは「パレイドリア現象」と呼ばれる。絵画にもそれがある。


ミロの「星座シリーズ」の 23 点は、1941 年にナチスドイツが侵攻してきたパリを逃れて、スペインで制作された。不安から逃避し、希望と自由を求める気持ちを表しているといわれている。たくさんの小さい記号的な図形が並んでいるなかで、左下の寒色部分には怪獣的なものがいて、矢印の方へ攻め込んでいる。そして左上の暖色部分にある横に並んだ二つの丸が人間に見える。これは怪獣を見つめるミロ自身の不安な眼だ。


クレーに「ヴェネチアの小部屋」というパステル画がある。ヒトラーが政権を握った 1933 年の作品で、ドイツから逃れようとしていた頃に描かれた。ヴェネチアに滞在した一夜の思い出を描いたもので、カーテンを開けて窓から外を眺める二つの丸がある。不安でありながらひと時の安らぎを感じているクレー自身の眼差しを表している。



2026年1月20日火曜日

隠れた眼を認識する

 

蝶の擬態のひとつに「眼状紋」という模様がある。天敵の鳥から身を守るためだ。鳥は横に並んだ二つの円を見ると、動物だと思ってパニックになるという。それを蝶は利用している。

鳥と同じく人間も、二つの円を横に並べた図形を見れば、人や動物だと感じる。人間は長い間の進化を経て、たくさんの能力を身につけたが、そのひとつが「かたちを認識すること」だった。人類が森林生活から草原生活へと変化したとき、草むらに隠れた恐ろしい敵に出会う確率が高い。そこで敵を素早く察知する能力が発達した。敵の形を認識できれば素早く逃げるなどの危機対応ができる。

動物学者のヒュー・B・コットという人がやった面白い実験がある。様々な抽象的な形の中に眼を模した二重円を置く実験で、自然のなかでいかに目玉が目立つかを立証した。特に二重円を二つ並べると薮に潜む動物の存在を感じる。


2026年1月19日月曜日

政党のロゴマーク

Logo-Mark 

ロゴマークは企業などの経営理念を視覚化するための視覚言語だが、ネット時代の今、政党でも政党の理念を表現するものとして重要になっている。


選挙直前の今、二つの党が合併したようだが、二つがくっついて何をしたいのか、その理念が伝わってこない。多分そんなものはないのだろう。それはロゴマークに現れている。二つの円が、少しずれながら重なっている。重なっていない部分が青色になっているが、重なった中央部分は白い空白だ。この政党名は「中道ナントカ」だそうだが、これでは「中道」ではなく「空洞」だ。


対するもうひとつの政党のロゴマークはこれ。「みんな仲良く元気よく」的で、政党としての政治的メッセージ性が何もない。保育園か何かのロゴマークのようだ。とがったことなど何もしないで、みんなに愛されていたい「保守」政党の性格がよく表現されている。





政党のロゴマークとして史上最も成功したのが、ドイツ労働者党(ナチス)の「ハーケンクロイツ」だった。もともと鉤十字は、「まんじ」と呼ばれ、古くから幸せのシンボルとして世界中で使われてきた。日本でもお寺のマークが「卍」だ。それはハネ部分が左向きだった。それをヒトラーは逆むきの右むきのハネにした。右むきの鉤十字は、反ユダヤ主義的なオカルト組織で人気のシンボルだった。ヒトラーはそれを自分の政党のロゴマークに使うことで、排他的なドイツ民族至上主義の政治メッセージをはっきり打ち出した。(これについて、松田行正「RED ヒトラーのデザイン」に詳しい)

2026年1月18日日曜日

「水」の形

 WATER

「かたちと人類」に「流水」という面白い項目がある。様々な地域の人々が「水」というものにどのように接してきたかが、絵文字の形によってわかるという。


上図右のギザギザは、古代エジプトの「水」を表す絵文字。毎年ナイル川の氾濫に苦慮していた人々は川の水位を常に気にしていた。だから「水」といえば、水位を表す、水を横から見た形になった。

上図中は、中国の亀甲文字の「水」で、現在の漢字の「水」のもとになった文字。山の多い中国なので、山の上から見た川の形からきている。岩の間をうねって流れる水の動きを表している。

上図左は、古代アステカの「水」の絵文字。山しかないアステカでは、水といえば川から「汲む」ものであり、カメに入った水を横から見ている図になった。


その上で同書は、日本の「水」に言及している。絵文字ではないが、日本の文様から日本人の「水」の捉えかたがわかるという。それは、「水」とはつねに動いているもの、流れているものということ。文様には、波の形、波紋の形、さざ波の形、雨の形、などの水の動きをパターン化して「水」を表現している。



2026年1月17日土曜日

雨の表現 日本と西洋

Rain

広重の「東海道五十三次」の「庄野」は、豪雨の風景を描いた傑作だ。雨滴の動きが、斜めの細い線で描かれ、画面を埋め尽くしている。これは浮世絵の雨の表現としては普通の方法だった。

ジャポニズムの時代、浮世絵に憧れていたゴッホは、広重の模写をした。「雨の大橋」で、やはり雨が細い線で描かれている。しかしゴッホはかなり忠実に模写しているが、雨だけは真似していない。筆のストロークの跡がかすかに残っているだけだ。


これは日本と西洋との雨の見方に対する根本的な違いからきているという。西洋では雨は雨粒であり、ほとんど目に見えない小さい粒であるから、絵では無視するものという考えだ。しかし浮世絵の方は雨粒の「動き」を線で表現している。こちらの方が実際の雨を見た時の見え方に合っているが、ゴッホの絵には雨をまったく感じない。

ゴッホに限らず西洋絵画で、雨を線で表現することはほとんどない。例えばターナーの「雨、蒸気、スピード」で、雨の中を蒸気機関車が疾走する情景を描いているが、題名を見ない限り雨という感じはしない。

写真の場合、雨を撮ろうとしたら、絞りを絞って、シャッタースピードを遅くすれば、雨の動きを撮れる。映画でこのような雨を撮ったのが、黒澤明の名作「7人の侍」だった。雨の中の戦闘シーンが有名だが、そこで雨を線として撮影できるように大変な苦労をしたという。水に混ぜ物をして重くして雨が勢いよく降るようにしたそうだ。雨の「動き」で、どしゃ降りの雨がリアルに表現されている。


2026年1月16日金曜日

光と影の構図 エドワード・ホッパー

Edward Hopper

エドワード・ホッパーのほとんどの絵で「光と影」が中心的な役割をしている。 この「海辺の部屋」は、がらんとした部屋の壁と床に強い光が差し込んでいる。光と影が作る幾何学的なパターンだけで絵を構成している。


同じくホッパーの代表作「朝日の太陽」は、起きたばかりの女性がベッドの上で、けだるそうに窓の外を眺めている。壁の光は横向きに当たっているから題名どうり朝だとわかる。これも壁にできた強いコントラストの「光と影」が構図上の重要な役割をしている。


「哲学への旅」は、男が物思いにふけっていて、後ろには女が横たわっていて、何かわけありの絵だ。壁の光、床の光、窓枠の光、の明るい3箇所が絶妙なバランスの構図を作っている。


「ダイナーでの朝食」は、ホテルのがらんとしたダイニングで二人が朝食をとっている。窓からの朝日が床やテーブルに差し込んでいる。光と影の美しさを最大限に生かしている。


2026年1月15日木曜日

2点透視の街の風景

Two-Point Perspective 

街の風景の絵は一点透視で描かかれることが圧倒的に多い。右のユトリロの例のように、画面中央に道路があって、両側に建物が並んでいる。画面中央に消失点が1個だけある1点透視だ。

逆に建物が画面中央にあって、両側に道路がある 2 点透視の例を探したが少ない。やっとゴッホの絵をひとつ見つけた。両側を道路に挟まれた建物を描いている。道路が左右両方向に伸びていて、消失点が二つある。建物も2点透視になる。


日本では横尾忠則が Y 字路の連作をやっているのが有名だが、当然これも2点透視になる。Y字路に挟まれた手前がとがった建物が逆遠近に見えるのが面白い。そして道が分かれ道になっていて、どちらへ行こうかと思わせる面白さもある。


ユトリロのように1点透視では建物の側面しか見えないが、2点透視では建物全体を見せることができる。あらためて、下図はその原理図。上は1点透視、下は2点透視 (図はネットより)


2026年1月14日水曜日

アレッシのデザイン

 ALESSI

前回、フィリップ・スタルクの「スーパードライホール」について書いたが、彼は建築以外にプロダクトもデザインした。もっとも有名なのが「レモン絞り器」で、曲線が美しいデザインだった。これもポストモダンデザイン全盛の1980 年代の作品で、イタリアの台所用品メーカーの「アレッシ」(ALESSI)のためのデザインだった。

絞り汁を受けるコップを下に置くという今までにないスタイルで、当時よく店で見かけた。自分では使ったことがないが、力を入れてレモンを絞ると、背が高いから安定のために、脚を押さえなければならないなずで、あまり実用的ではないと思う。

アレッシは、有名なデザイナーを起用して様々な製品を作ったが、みな実用一点張りでない、ユーモラスで親しみのあるデザインだ。左はリチャード・サッパーの「ケトル」で、お湯が沸くと笛の音が鳴る。右はアレッサンドロ・メンディーニの「ワインオープナー」。このワインオープナーは日本でも大人気だった。




2026年1月13日火曜日

映画「月はどっちに出ている」と スーパードライホール

Post-Modern Architecture 

前回、映画との関連で、大阪の「キリンプラザ大阪」について書いたが、東京にもビール会社の建築「スーパードライホール」がある。「大阪のキリン」対「東京のアサヒ」 のビール対決のかっこうだ。浅草に行くと、川向こうの金色に輝くウンコのオブジェが嫌でも目に入る。

この「スーパードライホール」は崔洋一監督の映画「月はどっちに出ている」に登場した。主人公の方向音痴の新人タクシードラバーが迷子になって会社に電話する。東京タワーなどのランドマークが見える方向を伝えて自分の居場所を教えてもらう。そのランドマークのひとつが「スーパードライホール」だった。

映画には、タクシー運転手が在日朝鮮人であるほか、多様な国の人たちが登場し、それぞれが勝手な生き方をしている、混沌としたイメージの映画だ。そして彼らの住む東京も無秩序で混沌の都市だ。だから主人公のタクシー運転手は方向を見失ってしまう。道がわからないだけでなく、人生においても自分の居場所がよく見えず、どういう道を生きるべきかに不安を抱いている。映画はそういう現代の人間の姿を描いている。

「スーパードライホール」は、その混沌とした東京のシンボルとして登場する。設計はフランスの建築家フィリップ・スタルクだ。このビルは、合理性を追求するモダニズム建築を否定する「ポストモダニズム建築」の典型だ。ビルの形はビールジョッキを模していて、屋上にはビールの泡が乗っている。そしてウンコのオブジェだ。目立つだけが目的の空虚なキッチュ建築だ。

2026年1月12日月曜日

映画「ブラックレイン」と キリンプラザ大阪

「Black Rain」 

映画「ブラックレイン」は、リドリー・スコット監督の作品で、ストーリーや映像が、名作「ブレードランナー」と共通するフィルム・ノワール的な雰囲気の映画だ。

ニューヨーク市警の刑事ニック(マイケル・ダグラス)が、殺人を犯した日本人ヤクザの佐藤という男(松田優作)を日本へ送り返す護送のために日本へやってくる。しかし大阪空港でまんまと犯人を取り逃してしまう。そして大阪府警の松本刑事(高倉健)と協力して佐藤の再逮捕に乗り出す。こうして二人が、犯人佐藤を追い詰めてゆくまでをスリリングなアクションで描いてゆく・・・

撮影のほとんどは、大阪の道頓堀あたりの夜の繁華街でロケしている。けばけばしい看板(あのグリコの巨大看板も出てくる)が頻繁に登場する。「ブレードランナー」に日本人の屋台の寿司屋が出てきたが、あれと同じ猥雑な街のイメージだ。リドリー・スコット監督は事前に何度も日本に来てロケハンをしたが、当初東京だった予定を大阪に変更したという。猥雑な街のイメージを表現するには大阪がピッタリだった。

なかでも重要な舞台になっているのが、「キリンプラザ大阪」だ。機能のない、がらんどうの行灯のような4本のガラスの塔が宙に浮かんでいる。外観だけでなく、内部のインテリアを繰り返し丁寧に撮っている。表向きは近代的だが、うわべの装飾だけの空虚な建築だ。だからリドリー・スコット監督は、このビルが映画の世界観を表現するのにピッタリだと考えたのだろう。

このビルの設計は、建築家の高松伸だ。高松自身もWEB サイトで、大阪という立地の特性を生かした大阪のアイコンになるデザインにしたと言っている。確かにこのビルは、周囲の巨大広告に溶け込んでいて、これ自体もひとつの巨大広告になっている。1987 年に竣工したこのビルは、2008 年に、わずか 20 年で解体されてしまった。商業ビルとしての経済的な採算が取れなかったからだという。(写真は高松神設計事務所の WEB サイトより)

 

2026年1月11日日曜日

一点透視と2点透視

Perspective : One Point & Two Point

ネットでこんなスケッチを見かけたが、パースが気になる。横長の建物をかなり横から描いている。しかし建物の正面の線は完全に垂直・水平になっている。一点透視図としては正しいが。しかし不自然に見える。


 これだけ横長の建物だから、建物の、左端の高さと右端の高さはかなり違って見えるはずだ。だから下図のように、右側にも消失点を設けて、2点透視で描かなければならない。


2026年1月10日土曜日

「ゴッドファーザー 4」?

 「Godfather 4」?

去年の終わり頃、「ゴッドファーザー 4」が公開予定というネット情報が流れて、一瞬「えっ?」と思ったが、ちょっと調べたらすぐにフェイクだとわかった。それが今年になってもまだ続いている。ポスターがいかにもそれらしく、予告編まであって手がこんでいる。誰が何のためにやっているのか知らないが、デカプリオが主演ということになっていて、それだけで不自然に感じる。

だからというわけではないが、改めて「ゴッドファーザー」の1、2、3  を NETFLIX で連続で一気に見てみた。一日がかりだが通しで見ると、この映画の素晴らしさを改めて感じる。ラストシーンで、年老いて引退したゴッドファーザーが日向ぼっこをしながら、悔いばかりだった自分の一生を回想しているうちに、ふっと息を引き取る。この余韻を残した終わり方がよく、「4」を作ると余計な付け足しになってしまい、その余韻を壊してしまう。三部完結でいい。


2026年1月9日金曜日

現代に生きる「九相図」

 Kusozu

前回書いた「九相図」は、鎌倉時代の絵巻だが、それは江戸時代に至るまで受け継がれ、さまざまなバリエーションの「九相図」が描かれてきた。その経緯は「九相図をよむ」(山本聡美)に詳しく解説されているが、同書はさらに、現代においても現代的な解釈で「九相図」が描かれているとして、松井冬子という日本画家の作品を紹介している。


松井冬子の九相図の連作のひとつで、元の「九相図」の要素を引用している。例えば、内蔵が剥き出しになっているなど。しかし一方で、元と違って、顔はこちらをしっかり見つめていて、むしろ自分の内蔵を見せびらかしているようだ。同書の解釈では、仏教の教義で否定されていた女性の存在を現代的に肯定的に捉え直している、としている。