2020年10月31日土曜日

名画の遠近法 ②「消失点」

 Vanishing Point

道路や並木がだんだん小さくなり、地平線の消失点に消えていく。一点透視で風景を最初に描いたのは 1 7 世紀オランダのホッペマだといわれる。この「ミッデルハルニスの並木道」で、前方の村に消失点があり、そこまでずっと歩いて行きたくなる。消失点は見る人の視線を誘い込む求心力がある。

フェルメールはカメラオブスクラ(ピンホールカメラ)を使って、壁に映った像をなぞったと言われているほど遠近法の正確さにこだわった。また線が消失点に収斂していることを確かめるために、消失点にピンを立てて、そこから糸を張って窓や床の直線を描いたと言われている。「牛乳を注ぐ女」の消失点は、女性の右手のそばにあるが、その場所にピンを刺した穴が開いているという。


一点透視図では、一般的に直線は一つの消失点に集まるが、それは平行な線どうしのことで、斜めの線は別のところに消失点ができる。それを「牛乳を注ぐ女」で確かめてみる。テーブルは部屋に対して斜めに置かれている。それは女性がテーブルに正対しているのに半身(はんみ)で描かれていることからも分かる。また右下にある足温器も斜めに置かれている。それらの配置を平面図にするとだいたいこのようなる。


この図を前提に透視図を作図するとこのようになる。驚くのは3つの消失点が同一のアイレベルの線上にピッタリ乗っていることで、しかもテーブルと足温器の消失点は画面のはるか外にあるのにだ。フェルメールの遠近法の正確さを証明している。


ちなみにこの絵の消失点が一つでないことに対して、色々な解釈がされている。「視覚心理学が解き明かす名画の秘密」(三浦佳世)は「フェルメールは遠近法違反をやっていて、ありえない空間を描いている。」としている。「リアリズム絵画入門」(野田弘志)では「このテーブルは四角でなく不定形の多角形をしている。」と言っている。いずれも「消失点は必ず一つ」と信じ込んでいることからくる間違いだ。

ゴッホは「対象の描写」という絵画の概念を打ち破り「内面の表現」という新しい絵画を始めた。うねるような激しい筆致や、現実の形にこだわらないデフォルメなどだ。しかしだからといって遠近法的な世界の見方まで完全に捨てたわけではないように思う。だから「アルルの寝室」について、「家具の消失点がバラバラなのはゴッホの不安な気持ちを表している。」という解釈は疑問だ。この絵の消失点を確かめてみると若干の狂いはあるが、消失点は一点に集まっていて決してバラバラではない。なお奥にある椅子とサイドテーブルは部屋に対して平行に置かれていないから別の消失点になっている。さらに面白いのは、ベッドと椅子の足元を結ぶ線が水平でなく、点線のようにカーブしていること。部屋が狭いので、これらはゴッホ自身の足元近くにあるため、魚眼レンズ的に見えているのだろう。


北斎は西洋絵画の遠近法を知っていたが、そのまま使うことなく、自分流にアレンジしていた。この「江戸日本橋」は一点透視で描いているのに、川の両側の建物は一つの消失点に集まっておらず2つの消失点がある。


このような北斎流遠近法を説明した図がある。消失点は地平線上にあるが、左右に2つ置くべきとしている。上の絵のような場合、一つの消失点では、中心にある川の情景が狭くなってしまい窮屈になるからだろう。図のグレーの部分が上の絵の川に当たるから、おそらくその理由からだろう。


消失点が二つある2点透視の風景画は意外と少ない。1点透視の風景画は道路を中心に両側に建物がある、といったように空間全体を描くのに対して、建物を主題にして、画面の中心にすえる場合は2点透視で描かれることが多い。ゴッホの「ヌエネンの古い教会の塔」で、取り壊し中の教会を描いているのがその例。


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