「Ulysses」and illustrations
ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を何十年ぶりかに新訳版で読んでいる。旧訳版にはなかった挿画が入っていて、版画家の山本容子が描いている。ジョイスと山本容子とは意外な組み合わせだが、言葉遊びのような言葉が連発する、都会的で洒落た本文と、この挿絵はたしかに合っている。この「ユリシーズ 1-12」は、題名のとうり、超長編の原作の半分だけの第 1章から第12 章までの訳だが、各章ごとに12 枚の挿絵が挿入されている。
「Ulysses」and illustrations
ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を何十年ぶりかに新訳版で読んでいる。旧訳版にはなかった挿画が入っていて、版画家の山本容子が描いている。ジョイスと山本容子とは意外な組み合わせだが、言葉遊びのような言葉が連発する、都会的で洒落た本文と、この挿絵はたしかに合っている。この「ユリシーズ 1-12」は、題名のとうり、超長編の原作の半分だけの第 1章から第12 章までの訳だが、各章ごとに12 枚の挿絵が挿入されている。
「Information」
「情報」とは何か?、について一般的な定義では、①ある物事についての知らせ ②それを通してなんらかの知識が得られるもの、とされている。ネットメディアの普及で、誰でもが「情報」を発信できる時代だが、そこで発せられる「情報」は、上記の定義に照らしたとき、本当に「情報」といえるのかどうか?
「ブロガー」と称する人たちが毎日「情報」を発信して、「フォロワー」と称する人たちの膨大な数のアクセスがある。試しに人気No.1というブログを検索してみたら、こんな感じだ。
Snow White
問題とされている最大の点は、白雪姫役にヒスパニック系の女性を起用したことだ。雪のように白い肌だから「白雪姫」と呼ばれているのに、小麦色の肌は原作のイメージと違いすぎると批判されている。
近年ハリウッドは、白人中心的すぎることを批判されている。だから、「多様性」を求める時代の流れに沿って、マイノリティの俳優を主役にすることが多くなってきた。特にディズニーは人種差別的な作品が多いと批判されてきたので、アニメを実写版にリメイクするときに、白人以外の俳優を起用する傾向がある。3年前の「リトルマーメイド」で、人魚姫役を黒人にしたのもその例だ。
しかしアメリカには、多様性を求める社会の流れに反発する保守的な国民も多い。だから「リトルマーメイド」は、そういう社会層の攻撃で炎上したし、今回の「白雪姫」もまたそれを繰り返している。アメリカ社会の反動的な傾向は、トランプ大統領のヒスパニック系移民への攻撃を支持する層が多いことでもわかる。「白雪姫」への反発も、そういう傾向が背景にあることを感じる。
「白雪姫」が批判されているもうひとつの点は、脚色されすぎて、原作とイメージが違いすぎるということだ。住民に対する女王の専制政治を批判して、公正で平等な社会を作りたいという白雪姫の意志が映画全編で強調されている点だ。政治なメッセージ性が強いことが反発を受けている。原作アニメが作られたのはもう90 年近くも昔(1937 年)のことで、童話をもとにしたおとぎ話だった。しかしそれに対して、リメイクでは時代に合わせて現代風に脚色するという制作側の意図は理解できる。
Photo-Realism
「フォト・リアリズム」は、写真をもとにして、細密描写をする超写実主義の絵画だが、必ずしもただ写真のとうりに描くだけではない。ヤマガミ ユキヒロという人は、写真を使いながら、新しい視覚体験を生み出すことを試みている。
これは絵のもとにする写真だが、同氏の制作プロセスがわかる。川沿いの建物のつながりだが、左右の視角が相当広い。実際のこの風景を見た時、視野角の中に全部が一度に見えることはないはずだ。左右に視線を動かして見ないと、こうは見えない。だからいくつかに分割して撮った写真を繋げている。
「The Truman Show」
主人公のトゥルーマンは、ある離島の街に暮らしている。彼は保険会社のセールスマンとして平凡だが平和な毎日を過ごしている。ところが彼は孤児で、生まれた時からテレビ局のプロデューサーの養子になったのだが、大きくなっても本人はそのことを知らない。
そのプロデューサーは、トゥルーマンを主人公にした「トゥルーマン・ショウ」という TV のリアリティ番組を制作している。トゥルーマンの生活を隠しカメラで毎日 24 時間撮り続けていて、そのライブ映像がそのまま TV で放映されている。それは人気番組で、主人公の子供時代から現在までずっと続いている。
ところが、番組で登場する彼の妻も両親も友人も、すべてニセ者で、俳優が台本のセリフをそのまま喋っているだけなのだが、本人だけがそのことを知らない。しかも街全体が巨大なドームの中に作られたセットなのだ。主人公は作られた世界の中で、作られた生活を生きているあやつり人形のようなものだ。
やがて主人公は何かがおかしいことを感じ始める。そしてついに「真実」を求めて、ヨットに乗って島を出て行く。・・・はずだったが、ヨットは壁に突き当たる。海は本物そっくりに作られたセットで、空と雲はセットの壁に描かれた絵だった。
そこで彼は最後の決断をするのが映画のラストシーンだ・・・
Photo-Realism
「アメリカン・リアリズムの系譜」という本の表紙が、銀座の風景の絵だったので、作者を調べたら、ヤマガミ ユキヒロという日本人だった。超精密描写のフォト・リアリズム絵画だが、こんな作家がいるとは知らなかった。この絵の、2枚の画像を重ねるという手法は、画像処理ソフトの Photoshop の「レイヤー」の概念と同じだ。絵画であるが、写真の画像処理と同じことをやっている。
「フォト・リアリズム」は、超写実主義の絵画で、日常的な風景をあえて感情を混えず、没個性的に描く。しかしそれは、写真をそのまま再現することではなく、写真を素材にして、写真とは違った「リアル」を創り出すことだといわれる。17 世紀にすでに、フェルメールが「カメラ・オブスクラ」を使って超写実絵画を描いたが、「フォト・リアリズム」はその現代版とも言えるかもしれない。
Norman Rockwell
「アメリカン・リアリズム」の絵画は、日本では、アンドリュー・ワイエス以外は、ほとんど関心を持たれていない。しかしアメリカ人は大好きだ。だからイラストレーションでも、「アメリカン・リアリズム」の流れを汲んだイラストレーションの人気が高い。
自らもアメリカでイラストレーターとして活躍していた津神久三氏が、アメリカのイラストレーション事情について書いているが、「徹頭徹尾の写実で、省略なんてとんでもない。描写は微に入り細にわたり、人物を描けば、シャツのボタンからカフスまで描いていないとアメリカ人は絵を見た気にならない。」という。(「黄金期のアメリカン・イラストレーター」)
同書で、最も人気のあるイラストレーターとして「ノーマン・ロックウェル」を取り上げている。(この人だけは日本でも人気がある) その特徴は、自然主義的な精密描写と、画面構成にある「物語性」の二つだという。「物語性」とは、描かれている人物がどういう人で、どういう状況で、何をしていているのか、などが言葉で説明されなくても、絵を見るだけですぐ分かることだ。同書はこれについて、「抽象的な思考を苦手とし、絵画からストーリーを読みたがるアメリカ人の好みに合致している。」と説明している。
ロックウェルの有名な代表作を見ると、そのことがよくわかる。それぞれがどんな「物語」の絵なのか、見た人は、細部までいくらでも語ることができる。そしてどれもロックウェルの、人々に対する暖かい眼差しが伝わってくる。例えば・・・
J. J. Gibson
認知心理学者のギブソンの「生態学的視覚論」は、人間が世界をどう知覚しているかを研究した名著だが、その中に「画像による表現」という章がある。
そこに「線画の原理」ということが書かれている。線画を見た時、人間は、線そのもので形を理解しているのではなく、線と線との結びつき方で物の形を理解している。下図で、1.は立方体の箱だとわかる。2.はフタの開いた箱だとわかる。しかし3.はあり得ない形で、どう解釈していいかわからない。4.はさまざまな形に理解できる。例えば、ガラスの箱であったり、針金細工の立方体に見えたりして曖昧だ。
James Gurney「Color & Light」
前回、ジェームス・ガーニーのファンタジーアート絵本「ダイナトピア」の紹介をしたが、彼はイラストレーターであると同時に画家でもある。その画風は徹底した写実主義の、いわゆる「アメリカン・リアリズム」だ。彼は「カラー&ライト」という絵画の教科書も書いている。副題が「リアリズムのための色彩と光の描き方」となっていて、「色」と「光」を中心にして、絵画の基本を系統的に説明している、とても役に立つ本だ。また、自身の作品を作例に使っているので、ガーニーの作品集としても楽しめる。
その中の「光源」という章では、「季節」「天候」「時間帯」などによって変わる光をどう描くかについて説明している。以下はその一例。
「冬の午後」は、雪のある寒々しい風景だが、日が傾きかけた午後の、弱々しいが暖かい光が差し込んでいる。その空気感が伝わってきて絶妙だ。
James Gurney
ジェームス・ガーニーはファンタジーアートの第一人者で、絵本「ダイノトピア」は有名だ。人間と恐竜が共存する恐竜国の物語だが、 ジェームス・ガーニーの画力がすごい。この本は映画化もされた。
アメリカのイラストレーターは、ほとんどが美術大学で絵画を学んでいて、画家を兼ねている場合が多く、ジェームス・ガーニーもそうだ。だからデッサン力が確かで、この絵本でもそのことがよくわかる。
(ある人によれば、日本で最もデッサン力のある画家として宮本三郎があげられるが、そのレベルのイラストレーターはアメリカにはごろごろいるという。だから日本と違って、アメリカではイラスレーターの社会的地位が高い。)
この本の特徴は、徹底的に写実的なリアリズム絵画だ。しかし日本で好まれるのは、”線描に淡彩” 的な絵画だが、絵本にもそれが反映していて、この本のように、リアリズム絵画の絵本はほとんどない。江戸時代にヨーロッパから入ってきた写実絵画は、”味がない”といってむしろ嫌われたという伝統が今も続いている。
HUKUSHIMA
東日本大震災から14 年だが、まだ ”過去の出来事” になっている訳ではない。常磐自動車道の福島県を走っていると、そのことを実感する。ところどころに、現在の放射線量を示す表示板が立っている。そして、道路両脇のあちこちに黒いビニール袋に入った汚染土が積み上げられているのが不気味だ。
こんな危険地帯に住んでいた福島県民の約2万人が、14 年たってもいまだに県外に避難を続けている。
「Anora」
今年のアカデミー賞受賞作「アノーラ 」をさっそく観た。性風俗店で働くアノーラが若者の客と出会う。軽薄な若造だが、豪邸に住んでいて、連日馬鹿騒ぎのパーティをやっている。そしてアノーラは彼と”専属契約” を結ぶ。そして豪華な ”プレゼント攻勢” に目がくらみ、”インスタント結婚式” をやって結婚してしまう。ところがその若者はロシアの大富豪の御曹司で、アメリカへ遊びに来ていただけだった。噂を聞いた若者の両親はロシアからプライベートジェットで飛んできて、連れ戻そうとする・・・
この物語構造は明らかに「シンデレラ・ストーリー」だ。社会の底辺で虐げられている女の子が ”王子様” に見そめられて結婚し、幸せになるという物語だ。必ずハッピーエンドで終わるこのタイプの映画はたくさんある。しかしこの映画はそうではない・・・
多くの「シンデレラ・ストーリー」映画が成り立つのは「アメリカン・ドリーム」が実現できる社会が背景にあるからだ。しかし今、世界はそんな時代でない。社会の底辺から抜け出せると期待したアノーラの夢は実現しない。しかもそれを妨げているのが、ロシアの大富豪(プーチンを支えているオリガルヒを連想させる)という、今の現実がそのまま写し出されている。
「鯖を読む」とは、年齢などを自分に都合よく変えてしまう、というお馴染みの言い回しだ。その由来は、痛みやすい鯖は市場で手早く売り買いしなければならないので、どさくさ紛れに数を誤魔化してしまうことから来ているという。
漁港のすぐそばにある漁協直営の店があり、季節にはよく食べにいく。屋上には海一望のテラス席があり、初島も見える。鯖の季節でない時でも新鮮な地魚を食べられておすすめだ。
ところで、今日3/8は「サバ」の語呂合わせで「鯖の日」だそうだ。「ナントカ協会」という団体が、いろんな業界が宣伝目的で申請すると、金さえ払えば今日は「ナントカ記念日」だと片っぱしから認定してしまう。だからすべての「〜の日」がくだらない。「鯖の日」もそうで、3/8という鯖の季節から外れた日で、まさに「鯖を読んでいる」。
Escher 「Print Gallery」
エッシャーの「画廊」は複雑かつ不思議な絵だが、どういう原理で出来ているかを「エッシャー完全解読」(近藤滋)が読み解いている。著者は理系の科学者なので、エッシャーがどうやってこの絵を描いたのか、その思考と制作の過程を自らシミュレーションしながら論理的に推論している。
著者は、このグリッドの上に「回廊」の各部分を当てはめて、原画を復元するシミュレーションを試みている(下図)。このグリッドは全て曲線だが、縦2本、横2本の直線部分がある。これを手がかりにして、各パーツを変形する。下右図のように長方形の図形を扇型に変形する。著者は、photoshop の「変形」を使って歪みをつけている。(自分でもこの変形を photoshop でやってみたが、簡単にできる。逆にパソコンのない時代に、エッシャーは手描きでこれをやったのだからすごい)
Escher 「Reptiles」
エッシャーの有名な名作はいろいろあるが、この「爬虫類」もそのひとつだ。スケッチブックに描かれたトカゲのような爬虫類が立体になって画面から抜け出し歩き出す。そして最後に再び平面化して、スケッチブックの中に戻っていく。「2次元と3次元の間の連続的変化」と「循環」という、エッシャーの得意な二つのテーマが盛り込まれている。そしてもちろん、この絵を成り立たせているのは、描かれているたくさんの小物のリアルな描写だ。
「だまし絵」の名作として知られるエッシャーの「描く手」のトリックを「エッシャー完全解読」(近藤滋)が明かしている。
Midsummer
5年くらい前のスエーデン映画だが「ミッドサマー」は衝撃的だった。スエーデンのある小さい村が舞台で、夏至(ミッドサマー)の日に祝祭が行われる。白装束の村人たちが集まり宴会をしたり、儀式めいたダンスが行われる。明るい光景だがどこか異様な感じがする。するとクライマックスは、崖の上に立った年寄りが下に飛び降りる。下は硬い岩だから瞬間に体は飛び散る。万が一死ななかったときは村人が用意したこん棒で殴り殺す。これはフィクションではなく、スエーデンに昔からあった風習だという。生産力が無くなった年寄りを養うのはコミュニティにとって負担だから死んでもらうということで、日本にもあった姥捨山と同じだ。今では世界一の福祉国家と言われるスエーデンだからなおさら衝撃が大きい。
日本と同じく、高齢者医療が負担になっているスエーデンでは、寝たきりになった高齢者には人工的な栄養補給などの延命治療は行わず、「緩和ケア」という名の看取りを行うようになっているという。この映画は、そういうスエーデンの死生観のルーツを見せてくれているようだ。