Perspective in Masterpieces 「Street Corner」
松本竣介は戦前日本の東京の街を寂寥感溢れる心象風景として描いたが、この「市内風景」は曲がり角を描いている。普通は画家自身が道路を歩いている視線で描くことが多いが、これは曲がり角を反対側から描いている。だから道路も家も2点透視になっているが、このような構図は比較的珍しい。
一直線に先まで見通せる大通りより、ちょっと脇へ入った小道の方が散歩するには楽しい。曲がり角が多く、この先に何があるのかといった期待感がわく。風景画でも、一点透視の絵よりも曲がり角の絵の方が変化があって面白い。これはユトリロの例。左側の塀に沿って歩いて来ると、左へ緩く曲がる曲がり角があり、そこを曲がると塀に隠れていた建物が道の両側に見えてきた。さらにその先は右に曲がる曲がり角があるようだ。ずっと歩いて行ってみよう・・・絵からユトリロの気持ちが伝わってくるようだ。
右側の建物の消失点(VP1)と左側の消失点(VP2)が異なるので、左側の家は曲がり角の途中にあることがわかる。塀は曲がり角の手前なので、さらに違う消失点(WP3)になっている。なお向こうを歩いている人物の頭がきちんとアイ・レベル上に乗っていることから、ユトリロの遠近法の正確さがわかる。
ポール・デルヴォーは不可思議な絵が多いが、この「人魚の森」は曲がり角を描いている。左側の建物は途中でくの字型に曲がっていて、それに沿って女性が並んで座っている。ここは狭い路地だが、その先は明るく広い道になっている。路地を通り抜けて明るい道に出た男が遠くに見えている。デルヴォーはマザー・コンプレックスだったそうで、母が死んだ時やっとそのプレッシャーから解放されたというが、その心理状態を描いているのかもしれない。
建物が曲がっているので消失点は二つできているが、女性たちの並びもそれぞれの消失点に向かっている。アイ・レベルは女性たちの胸のあたりで、かなり低い位置にある。だから両側の女性たちから見下ろされているような圧迫感を感じる。これもやっとのことでこの道を通り抜けたデルヴォーの心理状態の現れかもしれない。
キリコの「通りの神秘と憂鬱」は、暗い道から明るい道へ曲がる曲がり角を描いている。曲がると広場があるようだが、そこに何があるかは建物に隠れて見えない。ただ巨大な人間の影が見えていて、不吉な予感がする。そこに向かって少女が無邪気に駆けていく。この絵は第一次世界大戦が始まる1年前に描かれていて、キリコ自身の、先行きの見えない世界への不安感を描いているという。
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