2025年7月30日水曜日

スペインのビルバオ 「グッケンハイム美術館」で町おこし

 Guggenheim Museum Bilbao

今、多くの自治体が「町おこし」を必死でやっている。国も「地方創成」という掛け声で後押ししている。しかし「◯〇〇の日」などという記念日を定めて何かのイベントをやったりするだけでは何の効果もない。

町も企業と同じく、生き残るためには、ブランド価値を高めなければならない。それには「文化」という武器を使うべきだと言っているのがネイトー・トンプソンというジャーナリストで、著書の「文化戦争」(原題は「Culture as Weapon」で「武器としての文化」の意味)で、その成功事例をあげている。

そのひとつがスペインの「ビルバオ」という町だ。さびれた港町だったビルバオを再生し、観光地に生まれ変わらせるという戦略から、なんとあのニューヨークのグッケンハイム美術館を誘致して、その分館を作ってしまった。現代美術の殿堂のグッケンハイムの作品を見られるというので大人気になる。建築の指名コンペに勝ったフランク・ゲーリーの超現代的建築もそれ自体が美術館のコンテンツになっている。小さなビルバオの町が世界中の注目を浴び、集客数や観光収入が激増する。まさに美術という「文化」を武器にして町を甦らせた。

日本でこのような例がないか考えてみると、そのひとつは「旭川」かもしれない。「旭山動物園」が、動物の自然な生態を見せる「行動展示」という画期的な展示方法で人気を博し、上野動物園に迫る入場者数になり、北海道の重要な観光スポットになった。単に動物を飼う入れ物としての動物園ではなく、動物を文化的な「コンテンツ」と捉え、それを提供するのが動物園だと考えたのが成功した理由だろう。

同じ北海道の「夕張」と比べるとそのことがよくわかる。炭鉱が閉鎖されて衰退した町が町おこしのために、立派な「市民ホール」を作った。しかしそれはよく言われる「箱モノ」というただの入れ物で「コンテンツ」が何もない。何の役にも立たない建物の借金負担で町は財政破綻してしまい、今では人口が激減してしまった。


2025年7月28日月曜日

大谷選手とリトル・トーキョー

Little Tokyo 

大谷選手の活躍で、最近この写真がよく TV に登場する。LA のリトル・トーキョーのビルの壁に大谷選手の大壁画が描かれている。その横に日本風の赤い建物があるのがリトル・トーキョーの入り口ゲートだ。いま日系人の誇りだろう。

昔、リトル・トーキョーに行った時、記念にと思って街の売店で新聞を買った。リトル・トーキョーにある新聞社が発行している「羅府新報」という日系人むけの新聞だ(羅府とは LA のこと)日付が 1971 年8月24 日だ。漢字にカナを振っているのは2世3世のためだろう。紙質や印刷が戦前の新聞のように劣悪だ。


この当時すでに街には日本車が走り、電気店には日本製 TV が並んでいて、日本はハイテク先進国だった。しかしこの新聞に象徴されるように、リトル・トーキョーは本物の日本から取り残された昔のままの日本のようだった。

リトル・トーキョーはダウンタウンの中にあるのだが、そこは治安が悪いことで有名で、何か暗いイメージの、あまり近づきたくない場所だった。ある時ダウンタウンへ行ったのは、そこにある LA 市警察本部(犯罪もの映画によく出てくる「 LAPD」)に用事があったからだ。交通違反をしてパトカーに捕まり、切符を切られて、その罰金を払うためだった。ついでにリトルトーキョーへ寄って上の新聞を買ったのだが、その一度だけだった。しかし今では大谷選手が描かれた明るいリトル・トーキョーなのだろう。


2025年7月26日土曜日

ビジネスの文化戦争 「イケア」「アップル」「スターバックス」

 Culture as Weapon

最近はやりの「文化戦争」(Cultural War)といえば、もっぱら政治分野の話しだ。アメリカの大統領選でトランプが叫んでいたのが、人工妊娠中絶反対だったし、日本の今度の選挙でも、選択的夫婦別姓制度や外国人排斥などの文化的問題が争点になっていた。

アメリカのネイトー・トンプソンというジャーナリストの「文化戦争 やわらかいプロパガンダがあなたを支配する」という本は、政治での文化戦争以外にもさまざまな分野での文化戦争の実態について書いていて面白い。

そのなかで取り上げているビジネス分野での文化戦争について紹介する。ビジネスの文化戦争とは「文化」を武器に使って自社のブランド価値を高める戦略だが、同書はその成功例として「イケア」「アップル」「スターバックス」の3社をあげている。この3社は日本でもビジネス展開をしているので、誰でも ”あるある” の体験があると思う。

例えば「イケア」について、『消費者の心に強い印象を残すのは、製品のイメージだけではないことを理解している。消費者との社会的な関係性が人々の心をとらえることを知っている』としている。

イケアの店舗を思い出すと確かにそうで、巨大な建物に入るとまず専門のスタッフがいる託児室がある。子供を預けて両親はゆっくりとショールームを見て歩くことができる。広大なショールームは一方通行になっていて、曲がりくねった通路の両側に、憧れを誘うようなモデルルームがあり購買意欲を誘う。単なる家具売り場ではない。数時間かけて一周するとインテリア雑貨のゾーンになる。さっきショールームに飾ってあった雑貨類を見て客は衝動買いをする。そこをすぎると、梱包のままの商品が天井まで積み上げられた倉庫ゾーンになる。今まで見てきた芝居の楽屋裏をのぞいている気分になる。それは外国から船で運ばれてきたばかりのコンテナーのようでイケアに対する信頼感を感じさせる。そして最後にスウェーデン料理のフードコートになり、ほぼ全員がそこで長い旅の疲れを癒す。

見終わるまでほぼ半日かかる店舗は、ちょっとしたテーマパークのようで、そこでは家具という「モノ価値」の提供よりも、そこでの客の「体験価値」を提供する。さらに家に帰って買った家具を自分の労力で組み立てるのが「体験価値」の総仕上げになる。自分のイケアとの一体感を感じさせることで、イケアのブランドブランド価値を高めている。


2025年7月24日木曜日

”洞窟の壁に映る影” とSNS

 Plato

ルネサンスの巨匠ラファエロの「アテネの学堂」はギリシャの哲学
者たちを描いている。中央の二人がプラトンと、アリストテレス。
紀元前5世紀の、古代ギリシャのアテネなどの都市国家が、直接民主制だったことは、中学校の教科書に出てきたのでよく知られている。市民が合議をして、法律制定や重要事項の決定を行った。しかし実際は、全員の意見がまとまらず、なかなか決められないことも多かったという。

哲学者プラトンがこれを見て、愚かな市民が自分勝手にワアワア騒ぐだけの民主政治をやめて、政治は賢くて強い一人の指導者に任せるべきという主張をした。要するに独裁政治の考え方で、現在では危険思想とされている。

上の絵で、プラトンは天を指差し、
手に自分の著書を持っている。
広い視野で物事を考えられない大衆について、プラトンは次のような例え話しで表現している。『一団の人々が洞窟の中で鎖に繋がれ、何もない奥の壁の方を向いたまま、一生を過ごす。その壁はスクリーンであり、そこにさまざまな影が映るのを人々は見ている。とらわれの身である彼らはそれらの虚像を真実だと思い込む。』 

近代でも、プラトンの思想が現実になったのがドイツだった。第一次大戦後ドイツで、議会制民主主義が始まった。しかし与野党の分裂が激しく、議論ばかりで何も決められなかった。そして民主主義に失望した国民は、賢くて強い指導者を求めるようになる。そして求めるとうりの人間が現れたのがヒトラーだった。

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは「情報の人類史」のなかで、プラトンを引用してこう言っている。『人々が戦争を起こし、他者を殺し、自分の命を差し出すことも厭わないのは何かしらの虚構を信じているせいだ。』

プラトンが言ったことを現代に置き換えると、「壁というスクリーン」とは、パソコンやスマホの画面に当たり、「虚構を真実だと信じる人々」とは、 SNS のいうことは何でも真実だと信じる人たちに当たる。だからこれからは、権力をねらう者は、 SNS を利用して、自分に都合のいい物語や画像を発信し、大衆を操ることになるだろう、とハラリは警告している。どこか最近の日本のことを言っているように聞こえる。

2025年7月22日火曜日

ドキュメンタリー「ドイツ国民は共犯者になった」

Ochlocracy 

今度の選挙で大活躍したのが、SNS 依存症の人たちだったようだ。パーフォーマンス的な演説に熱狂して、SNS で大量に拡散して、集票の手助けをしてくれる。だから与野党限らず全政党がウケ狙いの「大衆迎合主義」政策で競い合う。愚かな大衆を利用して、国民を操つる政治、いわゆる「衆愚政治」だが、SNS のおかげでそれがやりやすい時代になった。

歴史上最高に上手く「衆愚政治」をやったのがヒトラーだった。国民の耳に気持ちよく響くドイツ人ファーストのスローガンで選挙に勝って、政権を奪取した。そして公約どうり、他国の侵略やホロコーストをやった。だから煽動されてヒトラーに投票した全ドイツ人は、今では「ヒトラーの共犯者」と呼ばれている。

すでに多くの本で語られてきたこのことだが、昨日の NHK 番組「映像の世紀」で、まさにズバリそのことを特集していた。題名が「ドイツ国民は共犯者になった」という特集で、ヒトラーに熱狂する国民の姿を当時の映像で検証していた。

ヒトラーは、占領国から略奪した食料を国民に配り、国民は戦時下とは思えない豊かな生活ができた。奪った大量のフランスワインで一般大衆もリッチな食事をした。また物価高を抑え、給料をあげる政策に成功し、国民は幸福な生活を享受した。それは他国の侵略によってできたことだが、ドイツ国民は熱狂的にヒトラーを支持した。だから現在では、ドイツ国民は「ヒトラーの共犯者」と呼ばれる。


2025年7月21日月曜日

月面着陸の日

 Moon Landing

昨日 7 / 20 は「月面着陸の日」だった。その 1969 年は、TV の衛星中継放送が始まった頃だったので、あの日リアルタイムで TV の実況中継を見ていた。アームストロング船長の「人類の新しい第1歩」という ”美しい” メッセージに世界中が熱狂した。しかしあれから半世紀以上経った今、あの頃のような気分で賛美する人はいないだろう。

当時は米ソ冷戦時代で、”地球は青かった” のガガーリンの有人飛行でソ連に先を越されたアメリカが、国の威信をかけて月面着陸で巻き返しをした。あの月面着陸は映画のセットで撮ったウソ放送だったという陰謀論を今でもかなりの人が信じているが、それほど厳しい米ソ対立という背景があったからだ。

現在の月面探査は米中の競争に移っている。つい最近、中国が有人ではないが、月の裏側に世界初の着陸をし、砂を持ち帰ったという報道があった。最新の研究では、月には水があり、鉱物資源が地下にあることがわかってきた。だからかつてのようにただ威信のためではなく、経済的・軍事的な実利的な目的のために”本気で”月面探査が行われるようになってきた。

だから月の地下資源を採掘するために、人間が定住して活動できる宇宙基地を作る競争になっている。日本でも多くの大学の工学部で、宇宙基地建設や、月面移動車、月面探査ロボット、などの研究開発を猛烈な勢いで進めている。今話題のイーロン・マスクが月旅行ツアーの参加者を募集しているのは決して荒唐無稽だとは思えなくなってきた。

JAXA, 立命館大学, ソニー, タカラトミー, が共同開発中の月面探査ロボット

2025年7月19日土曜日

「土用の丑の日」と記念日マーケティング

Anniversary Marketing

今日は「土用の丑の日」だが、始まりは江戸時代で、夏に売り上げが落ち込むうなぎ業界のために、夏こそ夏バテに効く栄養価の高いうなぎを、というキャンペーンとして、平賀源内が始めたといわれている。 これが「記念日マーケティング」の一番古い例かもしれない。そしてもっとも有名な「記念日マーケティング」の成功例は、チョコレート業界が始めた「バレンタインデー」だろう。欧米にもともとあった贈り物を贈る日に「チョコレート」を結びつけて、好きな人に「チョコレート」を贈る日にして大成功した。

いまの時代、商品そのものの「モノ価値」よりも、モノを通して得られる「体験価値」が重視される。チョコレートを贈るという感性に訴える「体験価値」を提供することで、ただの食べ物だったチョコレートの価値が高まったように、「記念日」はマーケティングの有力手法のひとつだ。

しかし、ただ「記念日」を作ればいいというものではない。いろいろな業界や企業が「◯◯の日」を決めて、「日本記念日協会」という団体に申請して、記念日として登録してもらう。この協会は、公的なオーソライズ機関に見せかけているが、実際は金儲けが目的の営利団体だから、登録料の何十万円かを支払えば、かたっぱしから記念日に登録してくれる。その結果、一年 365 日の毎日に数十もの記念日が登録されている。日にちはほとんどがバカバカしい語呂合わせ(例えば  11 / 29  =「いい肉の日」)で、何らかの価値を提供していないから、まったく消費者に響かない。丑の日のうなぎと違って「いい肉の日」だから、肉を食べようという人はいない。


2025年7月17日木曜日

映画「カサブランカ」のフランス国歌を歌うシーン

 La Marseillaise

先日7/ 14 は、フランス革命記念日だった。フランス革命といえばフランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」だ。この国歌が歌われる感動的シーンが出てきたのが名作「カサブランカ」だった。映画を見た人は誰でもこのシーンが強く印象に残っていると思う。

ナチスドイツのフランス侵攻で、フランス領土モロッコのカサブランカにもナチスドイツ軍が駐留している。主人公はそこでナイトクラブを経営している店主だ。ある夜、ナチスの将校のグループが入ってきてドイツの軍歌を大声で歌い出す。フランス人の客たちは、にがにがしい顔でいる。すると主人公の店主がピアニストに目くばせして「国家を」と言う。フランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」を演奏し始めると、フランス人たちが全員立ち上がって力強く歌い始める。涙を流しながら歌う女性もいる。その声にかき消されてナチスの将校たちは、黙って出ていくしかなかった・・・


この有名なシーンは、フランスの屈辱の時代にあって、人々の愛国心の強さを描いていた。そしてラストで、どこかいかがわしい男に見えていた店主が実は強烈な反ナチスの、フランス愛国者であることがわかる結末はご存知の通り。

国家を歌うシーンの映像→ https://www.youtube.com/watch?v=2b8OCFURCyE


2025年7月15日火曜日

大統領選の TV CM「アメリカの朝」

 Regan $ Trump

トランプ大統領の「Make America Grate Again」(アメリカをもう一度偉大に)の言葉はトランプの発明ではない。1984 年の大統領選で、ドナルド・レーガンが勝った時のキャッチフレーズをそっくりそのまま真似している。

その時の「アメリカの朝」というレーガンの TV CM が有名だ。不況におちいっていた当時のアメリカをもう一度偉大な国にするというメッセージを伝える巧妙な CM だった。アメリカの人々が働く様子を静かに映し出す映像から始まる。明け方に海へ出てゆく漁船、タクシーを降りるビジネスマン、畑で作業する農夫、新聞を配達する少年、幸せそうな新婚夫婦、ゆるぎのない家族の絆、などなどの映像が次々に流れる。そして「今レーガン大統領の強いリーダーシップのもと、アメリカに再び朝がやってきた」というナレーションが流れる。懐古主義的な古き良き時代への郷愁を誘い、強いアメリカをもう一度と訴えている。

今トランプ大統領がやっている政策は、製造業の復活や、雇用の拡大、物価高の抑制、などだが、強いアメリカをもう一度のレーガンをそっくり真似している。そしてキャンペーンの仕方も今や、生成 AI や SNS の時代だから、より巧妙化している。

下記のサイトで、「アメリカの朝」の映像が見られる。(これをパロディ化した反対政党の映像も見られる)  → https://wsc.hatenablog.com/entry/2020/10/24/114020

なお、このように選挙戦で政治家が SNS を大きな武器として使って現状と、SNS によって自分達が支配されていることに気がついていない国民の危険性について、ネイトー・トンプソン著「文化戦争  やわらかいプロなガンダがあなたを支配する」に詳しい。


2025年7月14日月曜日

SNS 教信者たち

SNS Fanatic 

最近の選挙で、SNS をうまく使うと、トンデモ候補が当選してしまったりする。そうさせているのが、「SNS 教信者」たちだ。SNS の言うことはなんでも正しいと盲信している人たちが選挙におおきな影響を及ぼしてしまう。

アメリカではその状態がもっとひどい。前回の大統領選挙で、”外国人移民が犬を食っている”という荒唐無稽なSNS のデマ情報がトランプ陣営から発信されて、それをまに受けた「SNS 教信者」たちが、外国人移民排斥政策のトランプを当選させた。

もっとひどい例が SNS のデマ情報から始まった2017 年のミャンマーの少数民族の大虐殺事件だった。仏教徒である多数派のミャンマー人たちと、少数民族であるイスラム教徒たちとの対立が激しい同国で、少数民族に対する激しい憎しみや攻撃の情報が SNS で大量に発信された。それをまに受けた 「SNS 教信者」たちが実力行使を行い、少数民族の大虐殺につながった。同国のこの混乱は今でも続いている。(このミャンマーの 事件へのSNS の影響については、ユヴァル・ノア・ハラリの「ネクサス 情報の人類史」に詳しく解説されているので、参照されたい。)

今行われている日本の選挙でも、外国人移民問題が争点になっていて、それに関するSNS のデマ情報が飛び交っているようだ。それを盲信した「SNS 教信者」たちがさらに拡散している。


2025年7月12日土曜日

映画「わが谷は緑なりき」

How Green Was My Valley

昔、イギリスのウェールズ地方を訪れたことがある。ロンドンから西へ電車で2時間くらい行くと、ウェールズの首都カーディフだが、それよりさらに先のブリッジエンドという田舎の駅で降りた。そのあたりが昔、炭鉱で栄えた地方だが、今はさびれた過疎地になっている。一人ポツンと降り立った日本人にウェールズの人たちはとても優しかった。

その優しい人たちの土地ウェールズを舞台にした映画が「わが谷は緑なりき」だ。ジョン・フォード監督のこの名作映画は 1941 年制作(自分の生まれた年より古い)という超クラシック映画だが、改めて見てみた。ウェールズ地方の炭鉱の町が舞台のドラマだ。日本でも戦後、石炭産業が斜陽化して、次々と炭鉱が閉鎖され、炭鉱員たちが失業し、ストライキが頻発したが、それと同じ状況が描かれている。

父親と4人の息子がいずれも炭鉱で働いている労働者一家の姿を、幼い末っ子の目を通して描いている。炭鉱の不況で兄たちの給料が下げられたり、クビになったり、姉が炭鉱主の息子と無理やり結婚させらりたり、炭鉱の落盤事故で父親が死んだり、など不幸が続くが、一家の家族どうしの絆は強い。そして皆が同じ炭鉱で働いている住民たちも人情が厚く、お互いに助け合って生きている・・・ 

やがて時代は移り変わり、炭鉱は閉鎖され、町はさびれて、古き良き時代は終わってしまった。そして今では大人になった少年は、家族や町の人たちの懐かしく美しい思い出を胸に町を去ってゆく・・・


2025年7月10日木曜日

大阪万博「大屋根リング」はパクリ?

 Osaka Expo 2025


大阪万博の看板建造物「大屋根リング」がパクリだと言われている。有名な建築家ノーマン・フォスターが設計したアップル本社のリング状の施設にそっくりだと一部の建築家が指摘している。確かに形は似ているが、両者は施設の目的が違うので、パクリかどうかはなんとも言い難い。

しかし同じ万博の施設である1939 年のニューヨーク万博のリング状の建造物は大阪万博と同じ目的であるから、パクリであると言われてもしょうがないだろう。観客は回遊しながらリング内側の会場を眺める。形は少し違うが、同じ万博の、同じ目的の建物として、コンセプトはまったく同じだ。万博の歴史上で有名なこの建築のパクリだと指摘する人がいないのが不思議だ。



2025年7月8日火曜日

映画「善きひとのためのソナタ」

 Das Leben der Anderen 

前々回書いたこの映画について補足を。2007 年のドイツ映画だが、アメリカのアカデミー賞外国語映画部門で受賞した、おすすめできる秀作だ。東西に分断されていた時代のドイツを舞台にしている。

いきなりネタバレになるが、ラストのシーンが、東西ドイツが統一された後の主人公の後日譚で、感動的だ。秘密警察の元諜報員だった主人公が、書店に入っていき、ベストセラーになっている小説を手に取る。その本の著者は、自分が毎日盗聴をしていた作家だ。本の題名が「善きひとのためのソナタ」で、巻頭言に「感謝を込めて、HGW XX7 に捧げる」とある。「HGW XX7」とは諜報員だった時の自分のコードネームだった。書店員が「ギフト包装にしますか」と聞くが、「いやこれは自分の本だ」と答えて映画は終わる・・・


思想・言論の自由が厳しく統制されていた共産党独裁政治の東ドイツでは、反体制的な人間は家に盗聴器を仕掛けられて、 24 時間盗聴されていた。しかし主人公の作家は密かに東ドイツの内情を暴露する記事を書いて西側の雑誌に投稿していた。東西ドイツが統一された後、自分が盗聴されていたことを初めて知るが、それなのになぜ逮捕されなかったのか不思議に思う。いろいろ調査すると、盗聴していた諜報員が作家に共感していて、嘘の報告を上層部にあげていたのだ。その名前が 「HGW XX7」 だったことを知る、その経験をもとにして書いたのが映画の最後に出てきた小説「善きひとのためのソナタ」だった・・・

前々回書いたように、東西分断の厳しさを東ベルリンバスツアーでわずかながら経験したので、この映画にリアリティを感じる。

2025年7月6日日曜日

アメリカ独立記念日

 Independence Day & ”No Kings in America”

一昨日の7月4日はアメリカの独立記念日だった。イギリスの植民地だったアメリカが、独立戦争を戦って、独立を勝ち取り、世界一民主的な国家を創った。イギリス国王の暴政から脱し、民主的な政治を謳った「独立宣言」は中学校の社会科の教科書で習った。英語の教科書でも「Declaration of Independence」(独立宣言)が出てきて、この言葉を覚えた。中学校の教科書に載るほど、アメリカは世界中の民主主義のお手本で、誰もが尊敬し、独立記念日はそのシンボル的な日だった。

しかし今、「アメリカファースト」を叫ぶ大統領が出てきた。民主的な制度を次々にぶち壊し、他国にも強圧的な脅迫をして、国際的秩序を壊している。自分が「国王」になろうとしている大統領のもとで、今さらアメリカの独立記念日を民主主義の記念日として祝おうというほどの能天気な人はいない。

独立記念日に合わせて、6月14 日にワシントンで行われた軍事パレードが大きく報じられていた。トランプ大統領の命令で復活した国威発揚のためのパレードだが、この日は大統領自身の誕生日でもあったというから驚く。自分の権力を誇示するためのイベントで、アメリカの「国王」であるかのように振る舞っている。中国やロシアや北朝鮮の軍事パレードと同じ光景だ。

しかしこの軍事パレードに反対する大々的な抗議デモが行われたことも報じられていた。その人たちの掲げるプラカードには「No Kngs in America」とある。つまり、「アメリカに国王はいらない」というのだ。イギリス国王の暴政に反対し、民主主義を打ち立てたというアメリカ独立宣言に込められた精神を踏まえた標語だろう。アメリカの民主主義は民衆レベルでは、まだ死んでいないことがわかって少し安心した。


2025年7月4日金曜日

映画「善きひとのためのソナタ」と東ベルリンバスツアー

 Das Leben der Anderen

映画「善きひとためのソナタ」は東西に分断されていたベルリンを題材にした映画で、なかなかの秀作だ。東ドイツの秘密警察「シュタージ」が、反体制的住民の家に盗聴器をつけて監視している。その盗聴員が毎日聞こえてくる人たちの会話を聞いているうちにだんだんその人たちへの共感と、西側の自由な価値観への憧れが湧いてくる。やがてその住民が弾くピアノソナタに心を揺さぶられて・・・

この映画を見ていて、昔、まだベルリンの壁があった頃にベルリンに行った時、東ベルリンへ入るバスツアーに乗ったことを思い出した。「るるぶ」には載っていなかったが、そんな面白そうなツアーがあることを現地で知って、早速申し込んで乗った。東ベルリンは、昼なのに人通りがまったくなく、陰鬱で廃墟の街のようだった。豊かさと自由を求めて、命の危険を犯して西へ脱出する事件が後を絶たなかった時代の現実をかいま見た感じがした。

東西の境界線を越える検問所では、乗客は全員バスから降ろされ、東ベルリンの警備兵が車内はもちろん、エンジンルームも開けて中をチェックする。棒の先につけたミラーで車の下までも調べる。

その時、ある光景を目撃した。乗客の中のひとりの女性が小さな包みを持っていると、そこに別の女性が近づいてきて、無言のままその包みを受け取って去っていった。ツアーの観光客に紛れ込んだ西の女性が、親族らしき東の女性とあらかじめ示して合わせて、バスを降りる検問所での一瞬を利用して包みを受け渡ししていたのだ。包みの中身は食料品だと思うが、東ベルリンの不自由な生活と分断の厳しさをうかがわせる光景だった。


2025年7月2日水曜日

パステル画公募展を卒業

Pastel Painting 

約 20 年間参加してきたパステル画専門の公募展(現代パステル協会展)を今年でやめた。しかし、お絵描きおじさんたちの仲良しクラブ化している多くの公募展の中で、ここだけは公募展本来の目的である研究的な雰囲気を残しているから、今までとても勉強になった。

同展の応募規約に面白い項目がある。「パステルの使用割合が 60%以上であること」というもの。このことは逆にいうと、パステル画というものは、アクリルなど他のメディウムを併用して描くのが当然で、 100% パステルだけで描くことはあり得ないという前提に立っている。


パステルは粉なので、色のスキマから紙が透けて見え、完全に隠蔽することができず、スカスカしてしまう。だから、あらかじめ下に同系色を塗っておく必要がある。それが上記のような規約になる理由だ。さらに、下地色を工夫することで、いろいろな効果が出せる。例えば補色を塗っておくとか、明るい部分に暗い色を塗っておくとかするなどで、パステルを乗せたとき、面白い効果がでる。下塗りをどう利用するかによって、人それぞれのパステル画が生まれる。以下は下塗りの事例。(2014 年に投稿したものの再掲)



ところが近年、自分の関心のあるモチーフが建築や工場などのハードなものになってきた。すると、パステル画のやわらさや優しさなどよりも、力強さを求めるようになった。それで、アクリルの下塗りの比率が増え、パステルの使用比率が下がってきた。最近では、パステルは最後におまけのように使うだけで、応募規定の 60%以上をクリアするのが難しくなってきた。

以上がパステル画の公募展を卒業することにした理由だが、しかしパステル画自体は好きなので、これからも続けるつもりだ。