2025年7月24日木曜日

”洞窟の壁に映る影” とSNS

 Plato

ルネサンスの巨匠ラファエロの「アテネの学堂」はギリシャの哲学
者たちを描いている。中央の二人がプラトンと、アリストテレス。
紀元前5世紀の、古代ギリシャのアテネなどの都市国家が、直接民主制だったことは、中学校の教科書に出てきたのでよく知られている。市民が合議をして、法律制定や重要事項の決定を行った。しかし実際は、全員の意見がまとまらず、なかなか決められないことも多かったという。

哲学者プラトンがこれを見て、愚かな市民が自分勝手にワアワア騒ぐだけの民主政治をやめて、政治は賢くて強い一人の指導者に任せるべきという主張をした。要するに独裁政治の考え方で、現在では危険思想とされている。

上の絵で、プラトンは天を指差し、
手に自分の著書を持っている。
広い視野で物事を考えられない大衆について、プラトンは次のような例え話しで表現している。『一団の人々が洞窟の中で鎖に繋がれ、何もない奥の壁の方を向いたまま、一生を過ごす。その壁はスクリーンであり、そこにさまざまな影が映るのを人々は見ている。とらわれの身である彼らはそれらの虚像を真実だと思い込む。』 

近代でも、プラトンの思想が現実になったのがドイツだった。第一次大戦後ドイツで、議会制民主主義が始まった。しかし与野党の分裂が激しく、議論ばかりで何も決められなかった。そして民主主義に失望した国民は、賢くて強い指導者を求めるようになる。そして求めるとうりの人間が現れたのがヒトラーだった。

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは「情報の人類史」のなかで、プラトンを引用してこう言っている。『人々が戦争を起こし、他者を殺し、自分の命を差し出すことも厭わないのは何かしらの虚構を信じているせいだ。』

プラトンが言ったことを現代に置き換えると、「壁というスクリーン」とは、パソコンやスマホの画面に当たり、「虚構を真実だと信じる人々」とは、 SNS のいうことは何でも真実だと信じる人たちに当たる。だからこれからは、権力をねらう者は、 SNS を利用して、自分に都合のいい物語や画像を発信し、大衆を操ることになるだろう、とハラリは警告している。どこか最近の日本のことを言っているように聞こえる。

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