2022年11月1日火曜日

横浜浮世絵の吉田橋

 Yoshida-bashi in Akiyo-e

浮世絵には、美人画、役者絵、名所絵、などのジャンルがあるが、「横浜浮世絵」というのがある。開港した横浜の「文明開化」を描いた浮世絵で、題材は、外国商館などの洋館と外国人の風俗、国際都市になった横浜の風景、蒸気船や鉄道や馬車などの珍しい乗り物、など多彩。

「横浜浮世絵」(神奈川県立歴史博物館編)という本に、大量に収録されている横浜浮世絵のなかで「吉田橋」がよく登場するが、開港当時のこの橋の重要性がわかる。

「横浜鉄橋之図」貞秀 (明治3年)
橋の全体像がよくわかる絵で、橋を渡って遠くの海まで広がっているのが外国人居留地の「関内」。世界各国の旗が立っていて、海上には外国船が見える。その「関内」に入る入り口がこの「吉田橋」だった。黒く描かれているこの橋は、題名のとおり日本初の鉄の橋で「かねの橋」と呼ばれた。橋脚のないトラス橋で、当時の日本としては最先端技術だった。


「横浜吉田橋ヨリ馬車道之真景」広重(三代目)(明治4年)
手前の吉田橋の向こう側が関内で、それを渡ると、今も同じ名の「馬車道」に続いている。その名のとおり、外国人の乗った馬車が往来している。


「横浜吉田橋ヨリ伊勢山太神宮遠景」広重(三代目)(明治3年)
上とは逆に関内から関外方面を見ている。橋の向こうは今でいう「伊勢佐木町」。右奥に見える小高い丘が「伊勢山太神宮」。橋を渡っている人たちは、外国人も日本人も入り混じっている。


その後、吉田橋は何度も架け替えられてきたが、現在の橋は5代目で、浮世絵と同じデザインに復元されている。絵では橋の下は川だったが、現在では高速道路になっている。



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