2022年11月8日火曜日

映画「ホモ・サピエンスの涙」

スェーデンのロイ・アンダーソン監督による映画「ホモ・サピエンスの涙」は、映画の常識を破っている実験的な作品。

映画の冒頭で出てくるショットで、中年の夫婦が丘の上のベンチに座っている。二人は別々の方向を向いていて、お互いに視線を合わせることもなく、会話も無い。妻はどうでもいいといった感じで足を投げ出している。二人はこの姿勢のままでまったく動かない。それが延々と 7 0 秒も続く。まるでスチル写真のようだ。


 列車から降りた女性が、誰もいなくなったホームで、一人だけポツンと座っている。迎えにくるはずの人を待っているのだが、来ない。このショットも1分近く続くが、その間、女性は身じろぎもしない。


バスに満員の乗客が乗っている。一人の男がなぜか泣いているのだが、誰も無関心で彫像のように前を向いたままで動かない。バスもドアが開いたま止まっている。このショットも約 6 0 秒続く。


1時間ちょっとの映画だが、こういうショットが次々に現れるだけ。そして各ショットは人物も場所もバラバラで、お互いに関連がない。だから全体を通じたストーリーがない。

「ショット」は映画の最小単位で言語の「単語」に相当し、ショットが集まったのが「シーン」で「文章」にあたり、文章が集まった「シークェンス」は「パラグラフ」に当たる。というのが普通の映画理論だが、この映画は 3 0 以上のショットが羅列されているだけで、シーンもシークェンスもない。単語を並べただけの文章のようだ。

普通、映画は編集やモンタージュによってショットをつなぎ合わせることで、映像の意味を生み出す。この映画ではそれがないのだが、人との繋がりを欠いた人間たちの虚しさ語っていることはじゅうぶんに伝わってくる。

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