2025年6月30日月曜日

見逃した「ミロ展」

 Miro

「ミロ展」が昨日で終わった。最終日に行くつもりだったが、真夏日に上野駅から都美術館までの”遠い道のり”を歩く勇気がなくてあきらめた。代わりに現代美術史の本で、ミロについて読んでいる。

高階秀爾の「近代絵画史」のミロの解説にはこうある。「自然に対する素朴な念を、天真爛漫に歌い続けた。太陽や月や星などの自然の世界を、奔放な造形力を駆使して、画面に翻訳していった。また女性や動物などの形が登場するが、それらはほとんど記号化されている。」

これはミロに対する定番的な見方だが、ジョルジュ・ケぺシュの「The Visual Arts Today」には、やや違ったことが書かれている。「縄跳びをする少女と女性と小鳥たち」(カラー写真をネットで探したが見つからなかった)が載っていて、それについて解説している。

今度のミロ展にこれがあったかどうか知らないが、ちょっと不気味な絵で、ミロの普通のイメージとはだいぶ異なる。優雅な題名と違って、少女の顔には黒いシミのようなものが重なっている。縄跳びの縄は地面に落ちたままだ。

その文章の中で、「cruel grace」という言葉が出てくる。直接的な意味は「残酷な優雅さ」だが、一見すると美しく見えるものが、実は残酷な本質が隠されていることを表す際に使われる。例えば悲劇的な運命に翻弄される人物や、過酷な状況で戦う人間の気高さを表現するときなどに使われる。

そして著者は、現に見たものよりも、見たものの裏に隠れているそれ以上の「リアル」をミロは描いている、と言っている。この絵の場合、それが具体的に何を指しているのかは言及していないが、推測するに、この絵が終戦直後の 1947 年の作であることから、同じスペイン人のピカソが「ゲルニカ」を描いたのと同じく、戦争の悲劇を描いていると思うのは、うがちすぎだろうか。

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