2024年12月30日月曜日

ミラノ空港での思い出

Lod Airport Massacre 

昨今の、イスラエル対パレスチナの終わらない戦争を見ていると、 50 年くらい前の経験を思い出す。

仕事でイタリアのミラノへ出張した時のことだが、空港でいきなり銃を持った警備の兵士3人に囲まれた。そして別室へ連行され尋問を受けた。スーツケースと一緒に持っていた大きなダンボール箱がまずかったようだ。中身は仕事関係の資料だったが、銃を突きつけながら、箱を開けろと言う。言われるとおり開けて中身を見せるとやっと釈放された。

(事件直後の空港。警察庁のサイトより)
1972 年に「テルアビブ空港事件」が起きた。イスラエルの空港で、テロリストが銃を乱射し、約 100 人の死傷者が出た。犯人は「日本赤軍」の3人の日本人で、「パレスチナ解放人民戦線」の支援を受けて無差別殺傷のテロに及んだ。

この事件に衝撃を受けて、各国の国際空港で、軍隊が警備をするようになった。特に日本人に対して警戒が厳しくなった。ミラノ空港での自分も、爆弾を持っている日本人テロリストと疑われたわけだ。

そしてイスラエルとパレスチナは、その当時と変わることなく、いまだに無差別殺傷テロの応酬を続けている。


2024年12月28日土曜日

カンディンスキーと「青騎士」、そして「蒼騎展」の思い出

 Kandinsky「Die Blaue Reiter」

カンディンスキーは 20 世紀初頭に、表現主義絵画の運動を起こした。それは、印象主義のように、外界を写しとるのではなく、人間の内面を表現する絵画で、革命的だった。その運動の理念を表明するために、カンディンスキーは雑誌「青騎士」を創刊した。

2011 年に「カンディンスキーと青騎士」展が三菱一号館美術館であった。そこに「青騎士」の創刊号の現物が展示されていて、ちょっと感動だった。たしかに表紙に、青い馬と騎士が描かれている。そして「青い騎士」は20 世紀の美術革命のシンボルになった。

「蒼騎展」という公募展がある。蒼騎会という画会の公募展だ。その名前はカンディンスキーの「青騎士」から来ている。(「蒼」=「青」) 同展のホームページにそのことがはっきりと書かれていた。

17 年前の 2007 年に、その名前に憧れて、この公募展に参加したことがある。同展が国立新美術館に進出した最初の年だった。しかし参加してみると、その内容は名前とまったく関係がないことがわかり、すぐに2年くらいでやめてしまった。そして現在のホームページには「青騎士」の言葉は削除されている。


2024年12月26日木曜日

「データ」を「情報」に変える

Data and Information 

厚生労働省による平均健康寿命の調査結果が報道されていた。「男性は⚪︎⚪︎歳、女性は⚪︎⚪︎歳で、前年より⚪︎⚪︎歳伸びた」などの「データ」を見て「自分もそろそろ健康寿命になるから健康に気を付けよう」などと思ったりする。

しかし国レベルとしては、そんなことのための調査ではないだろう。推測だが、おそらくこの「データ」を元に、健康保険や介護保険の支払いに必要な金額の将来予測をしているに違いない。あるいは減っていく労働力人口の推移の予測をして労働政策に活かそうとしているかもしれない。数値的な「データ」より、そこから得られた「情報」の方に興味がある。

「健康寿命は⚪︎⚪︎歳です」という数値データを示されても「ああそうですか」としか言いようがないが、それを解析した結果は価値のある「情報」になる。調査というのはなんでもそうで、気温や気圧や風力の数値データを示されてもなんの役に立たないが、それらを総合して「天気予報」にすれば役にたつ「情報」になる。

健康寿命のような大きなことでなくとも、SNS で接する日常的な情報でも同じことがいえる。例えば旅についてのサイトで、交通手段や経路や所要時間などの「データ」だけで、旅で得た気づきや感想などの「情報」が書いてなければ、「ああそうですか」で終わってしまい何の参考にもならない。


2024年12月24日火曜日

映画「月世界旅行」

「A Trip to the Moon」 

初の民間宇宙ロケットがまたしても失敗したようだが、ほとんど報道されない。今やたくさんの大学が自主開発したロケットを打ち上げている時代で、ロケットは特別に高度な技術でなくなっているからだ。打ち上げ実験にかつてのようなワクワク感がない。

すでに 1931 年(昭和3年)の子供向け雑誌に、未来技術の予想としてロケットのイラストが描かれている。そして今、宇宙旅行ツアーの予約まで始まっている。

ロケットで宇宙へ行く、というのは永年の人類の夢だった。それを初めて小説にしたのがジュール・ベルヌの有名な空想小説「月世界旅行」だ。それをジョルジュ・メリエス監督が「月世界旅行」として映画化した。1902 年だから、今から120 年も昔の映画で、世界初の SF 映画だった。6人の科学者がロケットに乗って月へ行くが、ロケットといっても推進エンジンはなく、大きな大砲で発射する。月へ着くと、そこには宇宙人がいて襲撃され、命からがら地球へ戻ってくる、というコメディだ。白黒サイレントで 16 分ほどの短かさだが、一見に値する。→

https://www.youtube.com/watch?v=zxJwSIPtAdA

ロケットに乗り込む科学者たち

ロケットは月の”眼”に命中する

地球へ帰るのに、崖からロケットを下へ落とすというのが面白い。
エンジンの無いロケットだが、 ”下にある” 地球に自然落下すればいいという発想だ。

2024年12月22日日曜日

焼酎「百年の孤独」

 「One Hundred Years of Solitude」

映画「百年の孤独」を見たのを機に、焼酎の「百年の孤独」を入手して初めて飲んでみた。ウィスキーと同じく樽で5年間熟成させているそうで、さすがに味は普通の焼酎とは違う。値段も高級ワイン並みで、入手も難しい。

酒造会社の社長が小説の「百年の孤独」に感激して、原作者のガブリエル・ガルシア=マルケスに直談判してネーミングの許可をもらったという。ラベルに書かれている文字はスペイン語の原文の一部を引用しているのかと思っていたが、現物を読むと、この焼酎の製法を解説している英文だった。それがちょっと残念。


2024年12月20日金曜日

映画「百年の孤独」

 One Hundred Years of Solitude

「百年の孤独」がついに映画化されて、NETFLIX で今月(12 / 11)から配信を始めた。原作はガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」で、ノーベル文学賞を受賞した名作だ。

ある家族の 100 年間にわたる長い物語。主人公は理想の地を求めて、ジャングルの中に小さな集落を作る。それはやがて近代的な町に発展していく。そこで生きた一族の7世代にわたる歴史で、狂気、禁断の愛、血塗られた戦争、など恐ろしい呪いに取りつかれた家族の物語だ。

原作は長編で、途中で挫折してしまったが、映画もシリーズで 10 時間の長さ。なお焼酎の「百年の孤独」は、小説に感動した酒造会社の社長が原作者の許可をもらって名付けたもの。この機に、その焼酎を飲みながら原作をもう一度読み直してみようと思っている。


2024年12月18日水曜日

高校の頃 附属美術館にて

 Museum of art in high school

出身の高校には、高校にしては珍しい付属美術館がある。開校した明治時代から現代まで、画家になった卒業生たちの作品を展示している。自分と同時期に在学していた仲間の作品もあり、訪れると昔のことが蘇る。

芸大を目指す優秀な人たちが毎日放課後に美術室に来て石膏デッサンに励んでいた。そして受験時期になると、進路の決定を迫られる。毎年1~2名が芸大合格を果たすが、それに届かなかった人たちの多くはデザイン系の大学へ進学した。

一年下の後輩の K さんは、芸大に進んだが、卒業後はデザインの道へ転身し、自動車会社の T 社で車のデザイナーとして活躍した。そのレンダリングが展示されている。


同級生の
 M さんは最初からデザイン系の大学へ進み、卒業後は大手電機メーカーのデザイナーになったが、ほどなくして辞めてしまい、水彩画家になった。日本水彩画会会員で、多くの受賞をしている実力者だ。高校の時にやりたかった本来の道へ戻ったかたちだ。

今にして思うと、石膏デッサン漬けだったあの頃の進路決定が、それぞれの後の人生を大きく左右していたことを思うと感慨深い。

2024年12月16日月曜日

大塚国際美術館

Otsuka Museum of Art 

大塚国際美術館(徳島)は世界の名画を集めた大規模な美術館だが、それらは原画でなくすべてレプリカだ。しかしレプリカといっても精巧で、原画とまったく見分けがつかない。これらの本物を見ようとすれば、世界中の数百もの美術館を巡らなければならないが、それを一堂に見られるのだからありがたい。

これらは陶板に印刷されているのがミソで、何百年も昔の陶器の絵付けが色褪せないのと同じで、耐久性が優れている。陶磁器の永い伝統があり、しかも写真・印刷技術の高い日本ならではだ。制作に当たっては、もちろん原画の所蔵美術館の許可を得ているが、一種の ”ニセモノ” を作ることなのに、美術館はとても協力的だという。その理由は・・・

美術館は所蔵絵画を定期的に修復を行なって、汚れや変色を直してもとどうりにしている。ところが修復は、元はこうだっただろうという想像に基づいてやらざるを得ないからどうしても元の絵とのズレが生じてしまう。それを何百年にもわたって繰り返していると、どんどん原画とかけ離れていってしまう。ところがこの陶板レプリカのように、何年経っても絶対に褪色しない絵があると、それを原本にして見ながら修復できる。これは原画所蔵の美術館にとってもありがたい。だから、年が経つほどに大塚国際美術館にあるのが ”本物” だということになるかもしれない。

(キャスパー・ディヴィッド・フリードリッヒの「氷海」)
見たいと思っても絶対に日本に来ない名画を見ることができる。
なにせ ”本物” でないから写真は撮り放題。

2024年12月14日土曜日

映画「WW Ⅱ 最前線」の「 ヒロシマ」

WW II,  HIROSHIMA

「WW Ⅱ 最前線 カラーで甦る第二次世界大戦」(NETFLIX, 2009) は記録映像によるドキュメンタリー映画だが、シリーズの最終回が、「ヒロシマ」だ。

日本の敗戦がはっきりしてきたころ、日本は本土決戦という”集団自決”の決心をする。一方アメリカは、どう戦争の決着をつけるかで大議論になる。出来たばかりの原爆を使うかどうかで議論が分かれる。政治家や軍幹部や科学者のかなりが、人道に反する兵器使用に反対した。しかし最終的に大統領の決断により原爆投下が決まる。

ヒロシマで、一瞬にして7万人以上の人間を殺した”大成功”に政府も国民も大喜びする。もともとアメリカでは、日本人は人間でないというプロパガンダをしていたから、人間でない人間を殺しても「人道」に反しないと本気で信じていた。

終戦と同時にアメリカは広島と長崎に医師団を派遣する。医療が目的ではなく、原爆が人間に与える「効果」を測定する「科学的な」研究のためだ。モルモット扱いされた被爆者たちは、さらに屈辱を味わう。

その結果、原爆のあまりにも悲惨な結果を知ったアメリカは、原爆に関する情報を徹底的に隠蔽する。日本側の記録映像なども押収され廃棄される。また進駐軍は被爆者の口封じもした。そして原爆の非人道性など無かったことにする。


・・・以上のように、この映画は、アメリカの”欺瞞”を暴いている。今まであまり知られていない事実も知ることができる。おりしも、「日本被団協」がノーベル平和賞を受賞した。核兵器廃絶を訴えるその切実な声を、この映画は裏付けている。


2024年12月12日木曜日

セルフレジのインターフェース

User-interface of Self-checkout

飲食店やスーパーでセルフレジが増えてきた。それ自体は悪いことではないが、機械の使い勝手が悪い。慣れている店ならいいが、初めての店ではシステムが違うので戸惑う。この間もある店でもたついていたら、真面目そうな高校生のアルバイトがとんできて「バーコードをスキャンして下さい。バーコードって知ってますか?」と言われた !!!  「いえ知りません。年寄りなもんで。バーコードって何ですか?」と返事してみようかと思ったがやめておいた。


それはともかく、セルフレジのユーザー・インターフェースは良くない。インターフェースデザインの創始者の D. A.ノーマンは、名著「誰のためのデザイン?」の中で、「使い方の説明書きラベルを貼らなけれならない機械は失敗デザインだ」と喝破した。まさにこの写真のようなことだ。また上記のような、人間の従業員の手助けが必要な機械も、ラベルと同じで失敗デザインだ。


2024年12月10日火曜日

SNS 依存症

SNS

交流と情報共有が目的の SNS だが、そのことを利用して、Social (SNS のS) でない Anti-Social な SNS サイトが横行している。しかし問題は情報を受け取る側にある。ネットからしか情報を得ることをしない(できない)人たちは、SNS の情報をすぐに信じてしまう。そして自分は人が知らない情報を知っているという優越感を持ち、そのまま「共有」という名の ”コピペ” をして投稿する。それが「拡散」だ。

だから政治の世界でも、SNS をうまく利用すると ”トンデモ候補” が選挙で当選してしまう。街頭演説で、聴衆がいっせいに候補者へスマホを向けている。SNS で「いいね」をもらえる投稿をすることが目的で、政策などどうでもいい。恐ろしい「衆愚政治」の光景だ。

「スマホリテラシー」や「ネットリテラシー」は優れていても、そこから得た情報の内容を自分なりに解釈し評価する「情報リテラシー」が必要だ。それにはネットと SNS だけに頼ることなく、多様なメディアから多様な情報を得るようにしたい。


2024年12月8日日曜日

裏目の看板たち

 Red color fading

重要な文字は目立つ赤色に、という担当者の真面目な配慮が裏目に出た看板たち。

ドライバーからよく見えるようにと配慮した大きな文字の痕跡がかすかに見える。

あるスーパーの入り口。


大きな駐車場で、いつも迷わされる。

全滅。

2024年12月6日金曜日

”AI が受賞した” 今年のノーベル賞

 Nobel Prize 2024

今年のノーベル賞の物理学賞と化学賞は、ともに Google の AI 研究者が受賞した のには驚いた。その記事が日経新聞(11 / 22)に載っていた。

記事によれば、化学賞受賞のハサビス氏が来日して、囲碁の井山王座と記念対局をしたという。囲碁ファンとしては、AI 囲碁ソフト「アルファ碁」が人間のトップ棋士を打ち負かすようになったということは知っていたが、その「アルファ碁」を開発したのがハサビス氏だと知ってまた驚いた。

記事は、AI の活用と同時に危険性を減らすこと、その両立が社会にとっての大きな課題だ、という同氏の認識を伝えている。

物理学にも化学にも関係のない AI が二つとも受賞したという衝撃について、茂木健一郎氏が Youtube で詳しく説明している。→

 https://www.youtube.com/watch?v=r0OCw5M1Q-4


2024年12月3日火曜日

「回想」で物語る名作映画

 

映画の回想シーンは、「フラッシュバック」と呼ばれるように、映画の途中で挿入されることが多い。だが物語全体が回想として語られる「回想形式」の映画もある。そこでは「過去」と「現在」の間に「時間の流れ」があることと、しかもその二つの時間のあいだの「つながり」が重要な意味を持っている。冒頭で回想を語る人物が登場して、その語りから物語が始まる。そういう構造の映画の中から名画を3つ。


「タイタニック」
海底に沈んでいるタイタニック号を深海探査船が調査していると、船室から一枚の人物デッサンが発見される。事故の生存者で、100 歳を超えている老婦人が、絵のモデルは自分だと申し出る。そして 84 年前のタイタニックの体験を語り始める・・・
映画はその老婦人の「回想」として語られていく。それによってタイタニック事故と、そこでの主人公のラブストーリーが「現在」起きているかのような生々しいものになっている。

「スタンド・バイ・ミー」
青春映画の名作だが、映画は、男が車を運転しているシーンから始まる。その画面に、男のモノローグがボイスオーバーで重なる。少年時代の遊び仲間に会いにいくところだとわかる。そして物語は男の「回想」として進む。
4人の少年が、森の中にあるという噂の死体を探しにいく冒険旅行の中でさまざまな経験をし、成長していく。そして最後に再び現在に戻り、4人の今の姿が紹介される。繊細な感受性の子は小説家になり、正義感の強い子は弁護士になり、粗野な悪ガキは日雇い労働者になり、ノロマな肥満児は商店で働いている。4人それぞれの性格がそのまま今につながっている。主人公の「懐かしさ」が強く伝わってくるのは「回想形式」の効果だ。

「きみに読む物語」
認知症になって、老人ホームに入っている老いた妻を見舞いに夫が毎日訪ねてくる。そのたびに物語を読んで聞かせる。妻はその物語が大好きで、「それからどうなるの?」と、続きを楽しみにしている。ところがその物語とは昔、夫が書いていた日記なのだ。妻と過ごした若い頃の甘く幸せな日々が綴られている。
映画はラブストーリーなのだが、それを「回想形式」で語っている。回想シーンと現在のシーンを交互に映すことによって「切なさ」を強烈に醸し出し、視聴者の涙を誘う。


2024年12月1日日曜日

工場の風景

Painting Factory 

溶鉱炉

崩れゆく神殿

廃炉幻想

残照

要塞