2020年4月10日金曜日

トリアージ、救命ボートの倫理、「タイタニック」

Triage,   Lifeboat Ethics, 「Titanic」

人工呼吸器が足らなくなったニューヨークの病院で「トリアージ」がついに始まったという。助かる見込みのない重症患者の人工呼吸器を外して、助かりそうな患者へ回す。戦争映画の野戦病院の場面でよく見る「命の選別」をする。

こんな時、倫理的問題の比喩として必ず出るのが有名な「救命ボートの倫理」だ。遭難船の救命ボートがすでに満員だが、まだ乗れない人がいる時どうするか。a)ボートが沈んでしまうが残りの人も乗せる、b)乗れない人は見捨てる、c)乗っている人の何人かが席を譲って交代する、の3択。

映画「タイタニック」で「救命ボートの倫理」が比喩としてでなく、そのまま出てきた。ボートが足りないので、女性と子供だけを乗せている混乱のなか、上流階級の男が、とっさにそばにいた子供を抱き上げ「この子の親だから乗せてくれ」と叫んで乗ってしまう。一方、ボートに乗れなくて恋人と一緒に海に投げ出されたレオナルド・ディカプリオは浮かんでいた板をつかまえるが、小さくて二人乗ることができない。ディカプリオは恋人に譲って、自分は流氷の海に浸かったままで死を選ぶ。いちばん泣かせるクライマックスのシーンだった。

トランプ大統領は人工呼吸器の増産を指示したが、それを他国に譲り渡すなと命令したそうだ。ディカプリオのように人工呼吸器という救命ボートを譲ることはないようだ。

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