2013年12月25日水曜日

大岡川散歩(その2)

横浜市内を流れる大岡川沿いを、ひまにまかせて散歩しています。前回は河口近くを紹介しましたが、今回はもっと上流へ向かいます。

桜木町駅から20分位歩いた野毛のあたりの大岡川。両岸の並木が気持ちいい。画面右に端だけ見える2階建の建物は、”飲み屋の長屋” で、間口一間くらいの小さいバーやスナックが数十軒並んでいる珍しい場所です。



京急の弘明寺(ぐみょうじ)という駅のあたりの住宅地域を流れる大岡川です。春になると、両岸の桜並木がすばらしい場所です。



川の源流に行ってみました。JR洋光台駅からバスで少し行くと、氷取沢(ひとりざわ)という広い森が広がる地域があります。足もとをチョロチョロ流れるささやかな小川が源流です。ここが一時間たらずで行ける横浜市内とは思えない静けさです。


2013年12月16日月曜日

昔のダットサンに出会う

横浜の日産本社のショールームを通りかかったら、たまたま、レース仕様の初代ダットサンが展示されているのを見つけた。ひさびさで懐かしかったので写真に撮る。


この車は、恩師の佐藤章蔵氏のデザイン。氏は1950~1960年代にかけて、初代ブルーバードや、トヨタに移ってからは、かの有名なトヨタスポーツS800もデザインした。日本の自動車産業がまだ黎明期だった当時、オリジナル日本デザインの自動車を生み出したスーパーデザイナーだった。



氏はまた、クラシックカーの研究者としても有名で、1970年頃だったか「カーグラフィック」誌に連載で自筆の絵入りの記事を書いていた。取り上げるのは、車が最も美しかった時代といわれる1920年代の「ビンテージカー」で、絵は水彩で描いていた。カッコイイけど表面の鉄板しか描いていないレンダリングのような絵ではなく、車のどっしりした重厚感や気品が伝わってくる絵だった。当時、氏が実際にその絵を描いているところをそばで見れたのは、じつに幸運だった。



2013年12月14日土曜日

スケッチ:大岡川散歩(その1)

大岡川は横浜市の中央を南北に横切って流れる川です。最近、地元のことをもっと知ろうと思い、川沿いのあちこちを歩いてみています。その風景を河口のほうから順次スケッチで紹介したいと思います。


大岡川は最終的に、みなとみらいのランドマークタワーのそばが河口で、海に注いでいます。中央奥が川で、手前が海側。典型的な横浜風景です。



桜木町近辺の大岡川。都会の真ん中なので、道路や鉄道の橋がたくさんかかっています。まだ河口に近いので漁船(または釣り船?)の船だまりがあります。

2013年12月11日水曜日

「フェルメールのカメラ」

「フェルメールのカメラ」
フィリップス • ステドマン著、鈴木光太郎訳
2010、新曜社

とても面白い本だったので紹介します。著者はイギリス人の建築家です。

フェルメールが絵を描く時、「カメラ • オブスクラ」というカメラを利用していたというのは、定説になっているようで、たいていのフェルメールの解説書にもそのことが書いてあります。それはボックス型をしたピンホールカメラですが、フェルメールに関する文書類の記録がほとんど残っていないため、これを実際にどのように使っていたのかは謎のままだったわけです。

当時の「カメラ • オブスクラ」には、ボッックス型の他に小部屋型というのがあって、光を遮断した暗室の壁の穴にレンズをはめて、その反対側の壁に映った像を部屋の中に入った人がトレースする、というものです。「カメラ • オブスクラ」というのは「暗い部屋」という意味なので、こちらが本家のようです。フェルメールが絵を描くのに使っていたのはこのタイプだというのが著者の仮説で、そのことを客観的に証明するために緻密な論証をしていく過程が書かれているのがこの本です。腕利きの探偵が物的証拠を集めて謎解きをしていくミステリー小説のようです。

証明のしかたをかいつまんで言うと、こうです。まずフェルメールの絵はほとんど室内画なので、絵から彼が画いた実際の室内空間を再現していきます。描かれている窓、床のタイル、壁にかかった絵、家具などを手がかりに透視図法を駆使して室内の3面図を作り、その中のどの地点が視点になっていたかを割り出します。ところが、どの絵も窓は2つないし1つしか描かれていないのに、実際の部屋には手前にもうひとつ第3の窓があったことまでつきとめます。こうやって再現された室内空間を検証するために、作った図面をもとに室内模型を作り、それを視点の位置に置いたカメラで写真を撮ります。その写真と実際のフェルメールの絵を重ね合わせるとぴったり一致したのです。

フェルメールがカメラを使って像をトレースしていたことが分かっても、それは別に「ズル」をしていたのではないのはもちろんです。他の人が同じことをやったとしてもあのようには描けないわけで、やっぱり彼の偉大さには変わりないでしょう。

なお、この内容は、http://www.vermeerscamera.co.uk で見ることができます。各作品の室内空間の再原図なども載っています。


2013年12月8日日曜日

スケッチ:石橋のある風景

先日、九州を旅行した時に見た石橋の風景を水彩スケッチにした。
大分県の院内地区には、大小合わせて100以上のアーチ型石橋がある。ほとんどが江戸時代
から明治大正にかけて作られたもの。いずれも周囲の環境にとけこんで美しい風景になっ
ている。そのなかの3つを小さな水彩スケッチにした。
(石橋については、ブログアーカイブ  10/25、10/27、11/9  をどうぞ)

            両合川橋(りょうあいがわばし):美しい棚田の中にかかる小さな橋

水雲橋(すのりばし):深い森の奥の渓谷にかかる橋

荒瀬橋(あらせばし):100年前に作られた、この地区最高の高さ18mの橋



2013年11月21日木曜日

映画「オランダの光」

10年くらい前の映画だが、その存在に気がつき、今回初めて観た。17世紀のオランダ絵画の黄金期の絵を「光」との関係で科学的に分析するドキュメンタリー。観ていて「なるほど、そうだったのか」の連続だった。
オランダの地形と気候によって生まれる独特の光がその絵画を生んだという。オランダの国土のかなりの面積を占めるアイセル湖という広大な湖に太陽の光が当たり、その反射光が雲を照らす。その光が再び地上にもどってくるその過程で、柔らかで透明感のある微妙なニュアンスの光になる。そのことを、科学実験や、1年間の風景の変化の定点カメラによる撮影などによって検証している。
その結果を実際の絵画作品と照らし合わせながら、いかにオランダ独特の光が絵画に影響を与えているかを教えてくれる。映画で、フェルメールをはじめ、たくさんの絵画が登場する(下図はその一例)。これらは風景を描いているというより、光を描いていると言ってもいいと思う。それはオランダの、山がなく平坦で、地平線まで何も無いという地形も影響していて、関心は空と雲に向かう。だから、どの絵も地平線が画面の下のほうに置かれ、大きな面積を占める空の微妙な表情を捉えようとしている。
映画では、国や土地によって「光」はみな違うが、その違いがそれぞれ独自の絵画と、ひいては文化を生み出していて、それが現代絵画にまで続いていると結論づけている。


2013年11月19日火曜日

国東半島にて

先月、大分へ行った時見た田園風景を思い出しながら描いてみた。
霧雨の降る寒々しい日でした。

2013年11月11日月曜日

水彩画の展覧会 2つ

2人の知人が出展している展覧会、たまたま場所も同じ銀座、会期も同じ今日 11/11から、という両方の展覧会を観に行った。


「第7回  水彩家族展」(銀座、文春画廊、11/11 ~ 11/16)
大学の同級生のMさんは、日本水彩展などで活躍していた人だが、兄弟姉妹がみんな絵を描くので、毎年家族展をやっている。とてもほのぼのしたいい展覧会だ。


「第19回  銀座水彩画展」(銀座、渋谷画廊、11/11 ~ 11/17)
日本水彩展の会員や会友の有志が毎年開いているグループ展で、40号くらい以上の大きい作品の水彩画を展示している。さすがにレベルが高い。メンバーのひとりKさん(下の人物画の作者)は、会社でいっしょにデザインの仕事をしていたときの同僚。Mさん(下の風景画の作者)は、大学の先輩。




2013年11月9日土曜日

日本最古の石造水路橋

11月8日の日本経済新聞に掲載されていた記事(佐藤和四郎氏執筆)の紹介です。福岡県の大牟田市に「早鐘眼鏡橋」という石橋があり、これが現存する日本最古の石造アーチ型水路橋ということです。水路橋というのは人間が通るためではなく、農業灌漑用の水路を通す橋のこと。1674年に作られたというので、江戸時代初期の 340 年も前のものということになります。この地域には、複数の石工集団が存在していて、たくさんの仏像や灯籠など石造物の作品が残っているなかのひとつがこの橋とのこと。見に行きたくなります。


2013年11月6日水曜日

「絵画」や「画家」が主題の映画(改訂版)

以前、載せたデータにだいぶ抜けがあることが分かり、改訂版を作った。倍くらいの70 作品以上になり、かなり完璧になってきたと思う。


2013年11月5日火曜日

石橋:アーチの魅力



この2枚の写真は、以前も書いた大分の院内という地域にある石橋群のひとつ「両合川橋」。アバウトで頼りにならない地図を片手に田舎道をさんざん迷いながら、やっとたどりついたが、景色がすばらしい。谷に向かい合うように両側の斜面が棚田で、両方を結ぶ道に石橋が掛けられている。名前もそこから来ているそうだ。大正時代に作られた古い橋だが今も農道として使用されている。長さが約 10mで、幅は3mもない小さい橋だが、どっしりとした石の量感とアーチの形がかもしだす存在感がすごい。石橋の魅力はやはりアーチにある。50年くらい経った鉄やコンクリートの橋の老朽化が最近問題になっているが、100 年近く経ってもいまだにしっかりしている石橋の耐久性は立派。


ユベール • ロベールという18世紀フランスの風景画家がいるが、石の橋をたくさん描いている。それらはアーチの魅力をたっぷり見せてくれてとても惹かれる絵だ。ローマ時代の遺跡などを参考に頭のなかで作り上げた風景だという。彼は基本にローマ時代の文化に対するあこがれがあって、その文化の永遠性を描こうとした絵だと言われている。そのために、何百年経っても生き続けるアーチをその象徴として題材に使っている。







ユベール • ロベールは橋以外に建築も描いている。大きな内部空間を柱なしで石で作ろうとすると必然的にアーチ構造になるわけで、そのような建物をたくさん描いている。面白いのは下の例で、フランス革命で王制が崩壊したのにともなってルーブル宮殿を画廊に改装して、市民に開放するというプロジェクトの内装デザインを彼がまかされたそうだ。左の絵はそのときの一種の完成予想図(レンダリング?)のような目的で描かれたらしい。アーチ構造の天井を明かり取りの天窓にしている。そして右は同時に描いた絵で、なぜか自分のデザインしたこの画廊が何百年後かに廃墟になったら、という想像図だという。屋根の落ちた画廊に転がっているギリシャ彫刻を画家がスケッチしているシーンで、芸術の永遠性を表現しているという。(Dubin :「Futures & Ruins」より)






2013年11月2日土曜日

「ゴッホ、スーラからモンドリアンまで」展

ゴッホ、スーラからモンドリアンまで
〜印象派を超えて、点描の画家たち〜
国立新美術館 10/4 〜 12/23

新印象派の中から点描の画家を取り上げ、その表現様式が発展していった流れを見せている。ゴッホの筆触分割からスーラの点描へ進化し、さらに極限まで進めた最終形がモンドリアンであると展覧会では言っている。これにはどうしても違和感を感じてしまう。純粋な単色を並列させるという意味ではそうかもしれないが、モンドリアンの抽象絵画としてのそれとは意味が違うと思う。モンドリアンも初期には点描画を描いていたこともその根拠にしているのかもしれないが。


ミケランジェロ展

国立西洋美術館で、「システィーナ礼拝堂500年祭記念ミケランジェロ展」というのをやっている。展覧会は見ていないが、それで思い出したことがあるので、あまりたいしたことではないが、書きとめておきたい。あの高くて巨大な天井にすごい数の人物像をどうやって描くのか、という疑問が解消した映画がある。チャールトン•ヘストンがミケランジェロ役をやった「華麗なる激情」という古い映画だが、システィーナの天井画を描く工程がよく分かる。
原寸大に拡大した線描きの紙に弟子が線に沿ってキリで穴を開けていく。(ミケランジェロが描いた下絵を弟子が拡大していると思うが、そのやりかたは映画に出てこない。)



紙を壁にあてがい、その穴の開いた線の上から黒い絵の具をすりこんでいく。ここがいちばんなるほどと思ったところ。
紙をはがすと、穴からすりこまれた黒色の点線で線図が転写されている。なお、人物は一人づつ描いていくが、一人分の下地を白く塗っておく。


ミケランジェロが着色していく。





これで人物一人分が完成。





木材で高い足場を組んだ上で、たくさんの弟子を使ってこれらの作業していく。映画の工程は、おそらく実際に当時行われていたとうりなのだろうと思う。

2013年10月31日木曜日

「ユートピアを求めて」展

ユートピアを求めて   
〜ポスターに見るロシア • アヴァンギャルドとソヴィエト • モダニズム〜
神奈川県立近代美術館  葉山館、10/26~1/26 
                 
歴史好きの閑人にとって、この展覧会は、見応えがあった。1917年のロシア革命のころ、ロシアで起った時代の先端をいく芸術 • デザインの運動がロシア • アヴァンギャルドで、ほぼ同時代のドイツのバウハウスと並ぶモダンデザインの元祖だ。建築分野でも構成主義のタトリンなどが有名だ。この展覧会は、そのなかのポスターに焦点をあてている。「人々が社会変革に希望を抱いていた革命の時代に、芸術家も芸術の革命によってユートピアの実現を夢見ていた。」(展覧会パンフレットより) だから革命政府と芸術家は完全に連帯していた。しかし、やがてソ連が成立し、スターリンが権力を握り、1930年代に入ると、国家による芸術の中央集権化と統制が始まる。ロシア • アヴァンギャルドは否定され、例の社会主義リアリズムが唯一の公認芸術となり、ユートピアへの希望は消滅していく。展覧会は3部構成になっているが、第3部はこの30年代のポスターである。この室に入ったとたん今までのデザインの先進性が消えて、昔よく見たおきまりのパターンの政治プロパガンダのポスターになる(下の写真)。そこで連想するのが、ドイツのバウハウスで、1919年に設立され、ヒトラーが政権を握った1933年に閉校に追い込まれる。これはロシア • アヴァンギャルドの歴史とぴったり一致している。モダンデザインのたどった不思議な運命を感じる。






              

2013年10月27日日曜日

大分の石橋探訪(続き)

石橋の多くは、だいたいこんな感じの場所にある。橋自体の上に乗ってしまうと橋が見えないので、横のほうから見える場所を見つけなければならないが、それが大変。道もなく雑草が生い茂っていて、なかなか近づけない。





こんな小さいのもある。要するにこの地域では、橋というのは木ではなく、石橋というのが当たり前だったということらしい。東京近辺で石橋というと、皇居の二重橋くらいしか思い浮かばないが。                      




 これらの橋の多くは、国の登録有形文化財に指定されているが、ほとんどが今でも住民の道として使われていて、あまり観光地化されていない。だから写真スポットなども一部をのぞいて用意されていない。これは、民家の敷地に無断侵入させてもらって撮った写真。





2013年10月25日金曜日

大分の石橋探訪

九州には石橋の遺跡が多く残っていて、とくに大分県宇佐市の院内という地区には大小合わせて100以上が集中している。それを見学しに行った。それらは江戸時代から明治大正にかけて作られたもので、文化遺産として貴重なものだが、現在でも周囲の住民が生活のために利用している。下の写真のうち3枚は大きいものだが、大部分はいちばん下の写真のように小さい。どれも周囲の景色とマッチして絵にしたくなる。






2013年10月19日土曜日

「光」の絵(その7)

光といえば、「光の巨匠」と言われるフェルメールだ。映画「真珠の耳飾りの少女」にその作品の制作秘話が描かれている。フェルメールは使用人の少女をモデルに描くのだが、唇を2度、3度となめさせる。唇がぬれて光り、ハイライトを拾う。それを強い白の点で描く。このように、物のテクスチャーの細かい凹凸をそこに当たる光の点々で表現する手法をフェルメールは開発したが、この技法を「ポワンティエ」というそうだ。これも初めて知った。有名な「牛乳を注ぐ女」でもパンやかごや壷などのハイライトが白の点々で描かれている。
映画「真珠の耳飾りの少女」より

映画「真珠の耳飾りの少女」より

 フェルメール「真珠の耳飾りの少女」

フェルメール「牛乳を注ぐ女」部分