2025年8月31日日曜日

子供のスマホ使用制限条例

Smartphone Idiot 

愛知県豊明市という町で、子供のスマホ使用を、1日2時間に制限する条例ができるというニュースが話題になっている。最近オーストラリアでも同様の法律が制定された。そうしたい気持ちはわかるが、実効性はほとんどないだろう。かんじんの親たちが、「子供がコミュニケーションができなくなる」とか「子供が情報収集ができなくなる」などの理由で反対しているからだ。スマホさえあれば「コミュニケーション」や「情報収集」ができると思っている親たちを見て、子供たちも「スマホ人間」に育っていく。ちなみに「スマホ人間」のことを英語では「Smartphone Idiot」という。つまり「スマホ馬鹿」だ。

スマホで得られる知識は、どうでもいい雑学的なことばかりだが、それで十分満足しているスマホ人間は、本を読まない。もともと子供は、知識欲が旺盛で、本を読むのが大好きだ。読書は、「読解力」という言葉のとうり、「読んで理解する」ことで、それには自分の頭で物事を考える力を必要とする。読書によってその能力が身についていく。しかし読書嫌いで、本を読まないまま育った人間は「スマホ人間」になる。スマホは本と違って、自分の頭で考えることを必要としないお手軽な道具だからだ。


2025年8月29日金曜日

ヒトラーのプロパガンダ建築

 Propaganda Architecture

前回書いた日経新聞の連載コラム「プロパガンダの威力 10 選」の9回目で「クレメンス・クロッツ設計『プローラ』」という建築が取り上げられていた。ドイツの島にある一般労働者のための保養施設で、最大2万人が宿泊できる巨大施設だったそうだ。

ヒトラーは政権を握ると、産業の近代化をはかり、大恐慌以来あふれていた失業者をゼロにし、労働者の所得を大幅に増やした。そして労働者を優遇する社会保障政策を推し進めた。子育て世代の育児支援、8時間労働と住職接近、新婚者の新築住宅の税金免除、福利厚生施設の拡充、などで、ドイツは福祉大国になった。(池内 紀 著「ヒトラーの時代」による)

その福利厚生の一つとして、労働者が誰でも休日に旅行ができるようにする政策を強力に進めていた。安く泊まれるリゾート地の開発や、誰でも旅行ができるための安い国民車(フォルクスワーゲン)の提供などは有名だ。おそらくこの施設もその一貫として建てられたのだろう。

こういう政策が次々に実現していくのを見て、反ヒトラーだった人たちも熱烈なヒトラー支持者に変わっていったという。そのプロパガンダ役を果たしたものの一つが、この保養施設だった。「プロパガンダの威力10 選」の一つに選ばれたのはそのためだろう。

この写真で、窓が一列に機械的に並んでいて、味も素っ気もない。室内の造りも全室均一だそうで、リゾートの施設らしいうるおいがまったくない。だから戦後は軍隊の兵舎として利用されたという。同記事によると、地位や職業に関係なく、ドイツ民族であれば同じ空間で同じように余暇を過ごす。それがナチスの「民族共同体」思想のプロパガンダの具現化だったとしている。


2025年8月27日水曜日

「深読み」が必要なプロパガンダ絵画

Propaganda Painting

日経新聞(8 / 13 ~ 8 / 27)の文化欄に「プロパガンダの威力 10 選」という連載コラム記事があった。絵画、彫刻、建築、映画などの各分野における代表的なプロパガンダ作品を 10 個選んでいる。とくに題名に「威力」とあるように、プロパガンダとして「威力」のあった作品を取り上げている。

例えばこの「神兵パレンバンに降下す」は、太平洋戦争中の落下傘部隊の活躍を、従軍画家が描いたもので、国民の戦意高揚をねらった有名な戦争プロパガンダ絵画だ。

しかしこのようなわかりやすいプロパガンダばかりではない。同記事も言っているように、プロパガンダには「深読み」が必要な場合が多い。国の政策が国民に本当に支持されているならば、わざわざその政策を強調する必要などないからだ。歴史的にみると、一見プロパガンダには見えない巧妙なプロパガンダ絵画が多くあり、それらは「深読み」が必要になる。「全体主義芸術」(イーゴリ・ゴロムシトク著)という本は、ナチスドイツと、社会主義ソ連との二つの全体主義国家のプロパガンダ芸術を研究している。そのなかから「深読み」が必要な作品のいくつかを紹介する。(写真は同書より)


ソ連の集団農場のコルホーズを描いた「コルホーズの祝日」という絵で、祝日に労働者たちが集まって食事をする光景が描かれている。食卓には豊かな食事が並び、人々の顔は喜びに満ちて、コルホーズの豊かさを表している。何も知らずにこの絵を見れば農村の平和な風景に見える。しかしこの絵が描かれた1930 年代は、農業集団化政策の失敗のため、ソ連全土で無数の餓死者が出る凄まじい飢饉が起きていた。社会主義の計画経済の失敗を隠そうとするソ連政府が、飢饉などなかったように見せるためのプロパガンダ絵画だ。

S・ゲラシモフ 「コルホーズの祝日」(1936 年)

同じくコルホーズ農場の絵画で、「昼食は母たちのもとで」がある。昼食時間に母乳をやるために連れてこられた赤ん坊と母親が対面するという喜びに満ちた明るい絵だ。しかし子供を産んだばかりの母たちが家庭から引き離されて、コルホーズでつらい肉体労働をさせられているという事実の裏返しだ。

ガポネンコ 「昼食は母たちのもとに」(1935 年)

ソ連では、社会主義イデオロギーの成功を誇示して、 ”偉大な国” としてのイメージを高めるための、工業力の発展をテーマにするプロパガンダ絵画で溢れていた。溶鉱炉や、煙を吐く工場や、疾走する列車などの工業的風景がモチーフだった。

コトフ 「第一溶鉱炉」(1931 年)

戦後の米ソ冷戦時代の作品「新しい制服」で、新しく支給された制服を、家庭で試着している光景を描いている。裕福そうな住居と、幸福そうな家庭生活を強調している。当時の社会主義経済 対 資本主義経済の競争時代に、社会主義経済が成功し、市民たちが豊かさを獲得したことをうたっている。しかしやがて経済は破綻して、ソ連の崩壊へ向かっていくのだが。

ポノマリョフ 「新しい制服」(1952 年)

2025年8月25日月曜日

万博のプロパガンダ建築

Paris Expo 1937

大阪万博が ”時代遅れ”と批判される理由の一つは、大屋根リングに代表されるように、昔の万博を思い出させるからだろう。戦前の1937 年のパリ万博などのような。

パリ万博で、数年後に第二次世界大戦の「独ソ戦」で戦う両国の「ドイツ館」と「ソ連館」がエッフェル塔を挟んで向かい合って建てられた。世界の覇権を狙う全体主義国家どうしの「プロパガンダ建築」だった。



ナチスドイツと、スターリン主義時代のソ連の芸術を研究した「全体主義芸術」(イーゴリ・ゴロムシトク著)という本で、このプロパガンダ建築について詳しく説明しているので一部を引用する。

「ドイツ館は、160 m の天を目指すような高さを誇り、神聖なるドイツ産の鉄と石から建設された。」「塔の上にナチス国家の象徴である鉤十字のついた鷲が据えられている。」「ドイツの生活の姿を変えるという使命を帯びた、ヒトラー総統の偉大な理念を鮮やかに表現している。」

「ソ連館は8階建の建物の高さの塔で、国家の上昇志向を強調している。」「塔の頂上には、ソ連の象徴である鎌とハンマーを持った労働者の像が据えられている。」「ソ連館は、達成と勝利の道におけるソヴィエト連邦の目的への意志と理念を鮮やかに表現している。」

上の二つの説明でわかるように、両者にはっきりとした共通性があることを同書は強調している。全体主義国家の理念を大げさに強調するプロパガンダ建築であることだ。政治体制が違って対立していても、全体主義という両国の目指す方向は全く同じであることが、二つのパビリオンのデザインにはっきり現れている。


2025年8月23日土曜日

ロトチェンコに憧れていた昔の写真

 Photo Works of Student Days

 前回「写真」と「絵画」の関係について書いたなかで、写真に熱中していた学生時代にロトチェンコの作品に憧れていたことに触れた。そのついでとして今回は、当時の作品を紹介してみる。(2022 年に一度投稿したものを再編集。)今のようにスマホで気軽になんでも撮る時代ではなく、「作品」を作るような感覚で撮っていた。プリントも引き伸ばし機を買って自分でやっていた。


なにか面白いモチーフがないかと、あてずっぽうで競馬場へ行ってみた。馬券を買う人の列と、まわりにハズレ馬券が散らばっている光景を上から見おろすチャンスがあり、「これだ」と思ってシャッターを押した。人間と馬券が画面の中で面白い構成を作っている。「ロシア構成主義」といわれたロトチェンコの写真は、遠近法を基本にした絵画的な構図を排除して、奥行きや立体感をなくすアングルで撮った。それによって2次元的で平面的な画面構成をした。モチーフの人間や物は構成のための要素でしかない。


場所は忘れたが、どこかの海辺で撮った写真。オレンジフィルターを使って中間トーンを飛ばして、光と影のコントラストを強調した。そのことで、対象を「点」や「線」や「面」の幾何的形態に還元して、写真的なリアリティをなくし、画面構成に徹している。


ワイングラスをいろいろなアングルで撮って、それらのネガを複数枚重ねてプリントした。いわゆる「ダブルイメージ」だ。「構成主義」そのままの写真。



ロトチェンコは、遠近法を基本にした絵画的な写真を排除するために、対象を真上や真横から撮るアングルを多用した。それを真似したのがこの写真。どこかの駅の線路と乗務員用の通路を高いアングルから撮った。線路の水平線と通路の垂直線の交差による構成が面白い。点景の乗務員の位置も絶妙だ。


彫刻家の本郷新のアトリエを見学に行った時の写真。真夏の太陽の光と暗い岩の陰とで画面を真っ二つした大胆な構図だ。コントラストを強調するためにオレンジフィルターを使った。今見てもよく撮ったと思う一枚だ。


2025年8月21日木曜日

写真と絵画の関係の歴史

 

1839 年にダゲールが写真を発明して以来、写真はさまざまなかたちで発展してきたが、特に「写真」が「絵画」から受けた影響と、「絵画」が「写真」から受けた影響と、その両者の関係が面白い。そのことを当ブログで何回か書いてきたが、今回それらを再編集しながら一つにまとめてみた。ちょっとした「写真と絵画の関係史」になりそうだ。


⚫︎絵画の模倣をする写真(2025. 8. 9. 投稿)

19 世紀に写真が発明されると、絵画が大きな影響を受ける。それまでの写実絵画が、写実性の点で写真と対抗できなくなって、カメラという機械にはできない、人間が感じる印象を描く「印象派」が生まれたとされる。

一方で誕生したばかりの写真は、外国の珍しい風景や、人間の肖像を撮るなど、「記録」の機能しかはたせなかった。しかしやがて、写真も芸術になりたいという願望が生まれ、絵画の模倣をするようになる。現在、東京写真美術館で開催中の写真展「トランス・フィジカル」展に出展されている「アジャンの風景」(1877 年)は写真だが、どう見ても印象派の絵画のように見える。実際に印象派全盛の時代の作品で、初期の写真は、絵画を追いかける「絵画の模倣」(ピクトリアリズム)だったことがよくわかる。なおカラーフィルムがない時代だったのに色がついているのは、3原色れぞれのモノクロームで撮ったフィルムを3枚重ねるという色彩の減算混合の原理を応用している。

「アジャンの風景」ルイ・デュコ・デュ・オーロン(1877 年)

⚫︎ピクチャレスク絵画(2014. 8. 4. 投稿)

印象派と同じ頃の19 世紀アメリカでは、「ピクチャレスク絵画」が大人気になる。それは「絵のように美しい風景を描いた絵」の意味であり、アメリカ人が大好きな写実絵画だった。その代表が「ハドソン・リヴァー派」で、まだ未開の土地だったハドソン川流域の風景を描いた。アメリカらしい壮大な大自然を、美しく崇高な絵として描いた。

彼らは旅行をしながら写真を撮って、それを参照しながら、時には複数の写真を組み合わせるなどして、実際には存在しない理想の風景を描いた。それらは大キャンバスに細部まで非常に精密に描かれていた。19 世紀末には、大サイズで高精細のステレオスコープ写真がすでにあり、それに対抗するためだったという。

 「シエラ・ネバダ山脈のあいだ」アルバート・ビアスタット

⚫︎ロシア構成主義のロトチェンコの写真革命(2021, 1, 11, 投稿)

「ロシア・アヴァンギャルド」と呼ばれる20 世紀初頭のロシアの前衛芸術運動は美術に革命を起こした。それは「ロシア構成主義」とも呼ばれ、中心になったロトチェンコは、グラフィック・デザイナーであり、写真家でもあった。

ロトチェンコは、絵画的な美しさを理想として、絵画の追随をする写真を否定して、写真独自の可能性を追求した。そのため絵画の遠近法的視覚でなく、真上や真横からのショットを多用した。代表作のひとつのこの写真は、光と影の強烈なコントラストによって、対象の立体感をなくして、2次元的な平面構成を作っている。写真に凝っていた学生の頃、ロトチェンコに憧れて、それを真似したような写真を撮っていた。

「ライカを持つ女」ロトチェンコ

⚫︎マン・レイの「ソラリゼーション」写真(2022, 10, 26, 投稿)

マン・レイは1930 年代に、雑誌などの商業写真で活躍した。「ソラリゼーション」の技法を始めて、一世を風靡した。写真でありながら写真的でない、手で描いたイラストレーションのような写真だ。露光した印画紙を現像液につけて画像が現れ始めたら一瞬だけ暗室のライトを点ける。するとネガとポジが入り混じったような不思議な感じになる。昔、「ソラリゼーション」を真似していたが、「マン・レイと女性たち」展(2022 年)で初めて現物を見ることができた。



⚫︎スティーグリッツの「ピクトリアル写真」(2014, 8, 4, 投稿)

20 世紀前半にアメリカで活躍した写真家アルフレッド・スティーグリッツは、ニューヨークの街をモチーフにして、雪・雨・霧などの自然現象を使って詩情たっぷりの写真を撮った。霧に煙ったビルや、雨に濡れた歩道に映る光など、絵画的な写真を、自ら「ピクトリアリズム」と呼んだ。

スティーグリッツは、撮したい場所を事前にロケハンをして構図を決め、イメージスケッチをした。そしてその場所にカメラを設置して、イメージ通りの光と影ができる瞬間を何時間でも待った。そして、すべてのバランスが整った瞬間にシャッターを押した。

アルフレッド・スティーグリッツ

⚫︎「フォト・リアリズム」(2014, 8, 4, 投稿)

1970 年代から1990 年代にかけてアメリカで、「フォト・リアリズム絵画」が大流行した。写真をプロジェクターでキャンバスに投影して、その像をなぞりながら描く。写真以上に細密な超絶写実絵画だ。下の例でわかるように、ひとつひとつのモノの微妙な光の反射に至るまで、細密に描かれている。高精細の写真や CG の発達で、人間の目では見えなかったものが見えるようになった時代に、「写真的視覚」というものの見方が発見され、それを利用することで生まれた新しい概念の絵画だった。




参考文献
「アメリカン・リアリズムの系譜」 小林剛著
「トランスフィジカル」展 図録 東京都写真美術館編
「ロトチェンコの実験室」ワタリウム美術館編
「マン・レイと女性たち」展 図録 神奈川県立美術館編
「影の歴史」 ヴィクトル・I・ストイキツァ著

2025年8月19日火曜日

映画「血を吸うカメラ」

「Peeping Tom」

「血を吸うカメラ」という映画がある。1960 年の古い映画で、ジャンル的にいうと「サイコホラー」映画だ。 原題が「Peeping Tom」で、日本語で「のぞき魔」だ。公開当時、興行的に全くダメで、B級映画として葬り去られてきた。それが近年、映画理論研究の観点から、この映画が注目されているようだ。

ストーリーはざっとこんな感じ。

内気な映画カメラマンの主人公は、裏の顔がある。常軌を逸した方法で女性を惨殺しては、恐怖と苦痛に歪む顔を映像に収めてコレクションし、自宅で密かに上映している。ある時、近所の女性と親しくなり、交際を始める。やがて主人公は彼女をモデルにして、より迫真の恐怖の映像を撮りたいという欲求が高まっていく・・・


映画研究者の岡田温司氏は著書「映画は絵画のように」のなかで、映画の本質には3つの要素があり、それは「窓」「皮膚」「鏡」で、「血を吸うカメラ」にはこの3つが見られるとしている。だからこの映画は、「映画とは何か」について語っている「メタ映画」だとしている。(だから主人公が映画カメラマンだ)3つについての説明が膨大で、簡単に紹介できないので、同書を読んでもらうしかないが、それぞれをひとことでいうとこうだ。

「窓」としての映画。
映画の冒頭、主人公が手持ちカメラを持って夜の通りにただずむ娼婦にゆっくりと近付いてゆき、やがてカメラは長回しのまま、彼女が部屋へ入って服を脱ぎ始めるところまでノーカットで写し続ける。その間、画面は、主人公のカメラのファインダーで見た画像を映し続ける。だから、ファインダーの中の照準を合わせる十字の線が入っている。カメラという「窓」を通して対象を見つめている。

「皮膚」としての映画。
「皮膚」とは「触覚」のことで、映画はこれまで、視覚芸術として「視覚」中心にしすぎたをことに対する反省があるという。この映画で、主人公の恋人の母親が盲目なのだが、彼を怪しい人間だと感じていて、その顔を手で触ってそのことを確かめようとするシーンがある。たしかに現代では CG の発達で質感表現などの「接触的視覚性」が高度にできるようになっている。

「鏡」としての映画。
映画のクライマックスで、主人公の撮った殺しの映画を見せられた恋人は「あれは女優の演技でしょ」と祈るように尋ねる。しかし彼は残酷に「ノー」と答える。そして主人公は凶器を手にして恋人に迫っていく。凶器が首スレスレに近ずいた時の彼女の歪んだ表情が、凸面鏡に映る反射像のように映し出される。