「Construction」
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2025年6月28日土曜日
2025年6月26日木曜日
日本の銅板画作家 清原啓子
Keiko Kiyohara
前々回、ブレスダンについて書いたが、翌日の同じ日経新聞(6 / 25)の文化欄コラム「塔のものがたり」に銅板画作家の清原啓子が紹介されていた。この人はまったく知らなかったので初めて見る作品だがすごい。「魔都霧譚」という作品だが、戦前の魔都・東京のイメージを描いているという。奇怪な塔が3本あり、手前には日比谷公園の噴水があり、遠くには高層ビルの夜景が見える。幻想絵画だが、ミステリー小説の「魔都」からイメージを得ているそうで、彼女自身の精神世界を表しているという。
前々回書いた同じく銅版画作家のブレスダンから影響を受けたそうで、似た作品もある。下の作品はネットよりの画像。怪奇的幻想絵画といえる、日本人には珍しい作家だが、38 年前に31 歳で夭折したという。
2025年6月24日火曜日
エリック・デマジエールの「塔の中の図書館」と、映画「薔薇の名前」
Erik Desmazieres
日経新聞(6 / 23)の文化欄のコラム「塔のものがたり」でエリック・デマジエールの「塔の中の図書館」が取り上げられていた。それで 10 年ほど前に買ったデマジエールの画集を眺めている。この「塔の中の図書館」はデマジエールの最も有名な作品だが、架空の図書館の迷宮的イメージを描いている。何階層もある高い塔の内部の壁にぎっしりと本が並んでいる。上と下に渡り廊下があって、人が行き来している。
この絵に感じる目がくらむようなスケールの大きさは透視図法から来ている。天井は真上に見上げるほど高いが、ちらっと見えている真下の床面ははるかに遠い。上下の視野角がほぼ 180° なのが 目がくらむ理由だ。手すりのない渡り廊下を書物を持って通っている人たちは奈落の底へ落ちてしまわないかと想像してしまうのも目のくらみを増幅している。
この作品は、アルゼンチンの作家ボルヘスの短編小説「バベルの図書館」をもとに描かれている。その小説は、中央に巨大な換気孔を持つ六角形の閲覧室の積み重ねになっていて、それが上下に際限なく続くなど、迷宮的な図書館が緻密に描写されている。デマジエールはその小説を視覚化している。
我々には、図書館に対するこのような迷宮的なイメージは全くないが、ヨーロッパでは古くからかなり普通だったようだ。そのことがわかるのが映画「薔薇の名前」だ。この映画もボルヘスの小説「バベルの図書館」がもとになっている。中世のイタリアが舞台で、ある修道院で起こった連続殺人事件の謎を解き明かすために主人公の修道僧がやって来る。やがてそれを解く鍵は、修道院の中にある図書館に所蔵されているある本にあることを突き止める。そしてその本を探すために図書館へ侵入する・・・
そこはまさに迷宮で、通路と階段が複雑に入り組んだ構造になっている。あちこちには人が入れないような仕掛けがしてある。デマジエールの絵画とまったく同じイメージだ。中世では、図書館は修道院の中にあったが、それは人に本を読ませる場所ではなく、逆に本を読ませないように隠す場所としての図書館だった。古今東西の「知」が集積した図書館の本を読むことで人々が目覚め、キリスト教による世界の支配に対する疑念が湧くことを恐れた。
2025年6月22日日曜日
映画「メガロポリス」
「MEGALOPOLIS」
公開が始まった映画「メガロポリス」を見た。不評なようで、映画館はガラガラだったが、個人的な評価は”大絶賛”だ。コッポラ監督の世界観が爆発している。「メガロポリス」の題名から、名画「メトロポリス」と何らかのつながりがあるのだろうと予想していたがそのとうりだった。「メトロポリス」は「大都市」の意味で、語源は古代ギリシャの都市国家から来ている。1927 年のこの映画は、100 年後の未来の都市を描いた最初の SFだったが、それは文明が発達したが、分断されたディストピア社会だった。そして「メガロポリス」は「メトロポリス」よりさらに大きい「巨大都市」の意味だが、「メトロポリス」から 100 年後のこの映画も文明がさらに発達しているが、滅亡寸前の都市を描いている。だから映画「メガロポリス」は「メトロポリスの」現代版といえる。 「メガロポリス」の舞台は未来のニューヨークだが、古代ローマに見立てている。都市の名前が「ニューローマ」で、登場人物の名前が「キケロ」「カエサル」などで、衣裳も古代ローマ風だ。ローマ帝国は、植民地から得た富によって高度に文明が発達したが、その豊かな社会は享楽的になり、やがて滅亡していった歴史になぞらえている。
市長選挙が行われていて、保守派の現市長と、改革派の若手が争っている。「メトロポリス」では労働者と資本家の対立だったが、「メガロポリス」もそれと似ていて、富裕層と貧困層との分断が激しい社会だ。荒廃した都市を救うためにどうするかが争点になっている。財政難を救うために銀行と癒着して、立て直しを図ろうとする現市長に対して、対立候補の若手建築家は、環境にやさしい持続可能な都市に作り変えようと主張する。こういう設定が現在のアメリカ社会の状況を想起させて、テーマがとても現代的だ
また「建築」が映画の大きなテーマになっているのも特徴だ。主人公の建築家が、新しい都市を構想しているシーンがたびたび出てくる。 T 定規を持っていて、それが「スターウォーズ」のライトセーバーのように光っている。今では使われなくなった T 定規が未来的な道具であるように描いているが、これも「レトロ・フューチャー」の小道具だ。無機的になりすぎた建築をもっと人間的なものに回帰しようという主人公の思想を象徴させているようで面白い。罵り合っていた二人の市長候補は最後に仲良くなるが、これも「メトロポリス」と同じ構図だ。この和解によって、ディストピア映画でありながら、未来への「希望」を抱かせるエンディングになっている。そしてその仲介をするのが若い女性で、これも「メトロポリス」と同じだ。
2025年6月20日金曜日
ルドンの ”師” ブレダンの幻想絵画
Redon & Bresdin
2025年6月18日水曜日
オディロン・ルドン展
Odilon Redon
オディロン・ルドン展(パナソニック汐留美術館)を閉幕まじかでギリギリ鑑賞。ルドンといえば、「黒の時代」の木炭画と、それをもとにした石版画だが、この展覧会でその現物のすべてを見ることができる。石版画集「エドガー・ポーに」の一様だが、ルドンは、エドガー・アラン・ポーの怪奇小説からインスピレーションを得ていた。なおこの気球は、1878 年のパリ万博で、世界初の、観客を気球に乗せて上空からパリの眺望を楽しませたことをモチーフにしている。(同じことを今度の大阪万博でドローンでやろうとしていたが失敗してしまった)
初期の「黒の時代」から晩年にかけて、対照的にカラフルなパステル画に移行していくが、既存の解説書では、なぜそうなったかがあまり説明されていない。しかしこの展覧会では、すべての段階でのルドン作品が順に展示されているので、その変化は突然起こったのではなく、必然性があって徐々に移行していったことがよくわかる。例えばこのパステル画「ポール・ゴビヤールの肖像」は飾り気のない素描のような人物画だが、木炭デッサンのクロスハッチングのようなストロークを活かしている。木炭とパステルは似たような画材なので、ルドンは木炭の延長のような感覚でパステルを使っていたのではないか。
そして晩年の華やかなパステル画「グラン・ブーケ」ももちろん展示されている。この絵は普段は三菱一号館美術館に常設展示されている。逆にこれぐらいしか身近に見ることできないルドン作品全体を体系的に見ることができるこの展覧会は貴重だ。(なおすべての日が日時指定の事前予約制になっていて、かつ残りの枠が少なくなっているので、これから行こうという人は要注意)
2025年6月16日月曜日
アルバート・ビアスタットの絵画と西部劇映画
Albert Bierstadt &「Once Upon a Time in the West」
鉄道が登場する西部劇映画はとても多い。西武劇の時代は19 世紀の、西部開拓のための鉄道が西へ西へと伸びていった時代だったからだ。典型的なのが「ワンス・アポンナ・タイム・イン・ザ・ウェスト」だ。オープニングで、列車が去ると、そこに列車を降りた主人公のガンマンが立っているというシーンが有名だ。
話は飛ぶが、19 世紀にアルバート・ビアスタットというアメリカの画家がいた。未開拓のアメリカの自然を描いた「ハドソン・リバー派」のひとりだが、主に西部の大自然を描いた。この「シエラ・ネバダ山脈」は有名で、壮大な自然を幻想的に描いている。ビアスタットは、西部各地を旅してスケッチをして、それらを合成して、実際にはない理想的な風景を作り上げた。巨大なキャンバスに非常に精密に描いた写実絵画で、「アメリカン・リアリズム」の源流のひとりといわれる。
このことについて、「アメリカン・リアリズムの系譜」(小林剛)のなかで面白い指摘がされている。
「19 世紀のアメリカ人にとっての自然は、手付かずの荒野としての自然といったイメージであった。そのイメージを描いたビアスタットのような風景画に魅せられたアメリカ人たちは、大陸横断鉄道を使って、自然を実際に「見る」ツアーが盛んに行われた。だから当時の風景画や風景写真で、自然の風景のなかに鉄道の線路がまっすぐに伸びていくという構図が頻繁にあった。ところがその「見る」欲望は、やがて鉄道を使ってその土地を開拓して「所有」する欲望になっていった。」
まさに西部劇「ワンス・アポンナ・タイム・イン・ザ・ウェスト」と、ビアスタットの絵画が結びつく話で面白い。