2023年7月31日月曜日

「失われたものたちの本」

 「The Book of Lost Things」

ジョン・コナリーの「失われたものたちの本」が、宮崎駿のアニメ「君たちはどう生きるか」に大きな影響を与えたという。本の帯に「ぼくをしあわせにしてくれた本です。出会えて本当に良かったと思ってます。」という宮崎駿の推薦文がある。そしてアニメの物語構成が、この本とそっくり同じになっている。

ドイツ軍の空襲が続く第二次世界大戦さなかのロンドン、12 歳の少年ディヴィッドは母親を亡くし、孤独に苛まれる。やがて現れた継母になじめず、部屋に引きこもり、大好きな本の世界に没頭する・・・という具合に「君たちはどう生きるか」のアニメと全く同じ状況設定から始まる。

やがて本の中の不思議な王国の幻を見はじめる。そして「ディヴィッド、私は死んでいないの。ここに来て、私を助けて。」という死んだ母の声に導かれて、王国に迷い込んでしまう。迷い込んだ異界は、おとぎ話の登場人物や怪物たちが蠢く、美しくも残酷な世界だった。

「君たちはどう生きるか」と共通点が多いが、違いもたくさんある。その一つが異界の奇怪さが強烈なことだ。例えば、赤ずきんが狼を誘惑して交わり、人と狼のあいの子の人狼を産み、その人狼が人間を食い殺す・・・ディヴィッドは、継母を嫌悪していたし、継母と父との間に生まれた赤ん坊を憎んでいたが、そのことがこの赤ずきんのイメージに投影されている。推測だが、宮崎駿は本当はこの本どうりにアニメを作りたかったが、アニメは子供も見るから、奇怪さを弱めたのかもしれない。「君たちはどう生きるか」を観た人、これから観る人、どちらにもおすすめの本だ。


2023年7月27日木曜日

映画「君たちはどう生きるか」

 「The Boy and the Heron」

今話題の「君たちはどう生きるか」を観た。82 歳の宮崎駿の最後になる(だろう)渾身の一作だ。10 年前の前作「風立ちぬ」は、堀辰雄のセンチメンタルな小説をアニメ化した作品で、宮崎駿らしさがあまりなかったが、今回は宮崎ワールドを思う存分に作り上げている。

題名は、「君たちはどう生きるか」という戦前の本からきているが、軍国主義の時代にあっても、自由な個人として生きるために、自律的に物事を考えるべきことを教える本だった。映画の内容は、この本と直接関係はないが、主人公の少年がこの本を読んでいるシーンが出てくる。これは宮崎駿自身の体験だったのだろう。


ストーリーは、東京大空襲で自分の母親を亡くすという少年の戦時中の悲劇的な体験から始まり、後半は母を取り戻すために、死の匂いがふんぷんとする怪しい異界へ入っていく冒険物語になっている。

宮崎駿の戦時中の体験をもとにした「生と死」がテーマの映画だが、そいう経験のない人は普通にファンタジック・アドヴェンチャー映画として見るかもしれない。しかし戦時中のシーンがとてもリアルで、宮崎駿と同年代の人間にとってはファンタジーには思えない。例えば子供の頃、夜寝ている時に空襲警報が鳴ると、飛び起きて洋服に着替えて防空壕に飛び込むのだが、そのために枕元にきちんと畳んだ洋服を置いて寝るの習慣だったが、その畳んだ洋服が忠実に描写されていて、おおっ!と思ったりする。

アメリカでの公開はこれからだが、英語の題名は「The Boy and the Heron」になっている。「Heron」は「サギ」の意味で、映画の主人公とつねに行動を共にしている「青サギ」を指している。アメリカでは「青サギ」はスピリチュアルな鳥で、「決断力」「判断力」「自立心」などの意味があるという。映画の最後で、異界で生きている大叔父から自分が築きあげた世界を引き継いで守っていくよう頼まれるが、それを拒否して、新しい世界を自分で創っていこうと決断して、現実世界に戻っていく。まさに「青サギ」のスピリットだが、ここではじめて、自立心と決断力を問うている本である「君たちはどう生きるか」とのつながりが見えてくる。


2023年7月23日日曜日

映画「ビッグ」とその時代

 「BIG」

「ビッグ」というロマンチック・コメディは、今から 35 年前の 1988 年公開で、今から35 年前の映画だが、この時代を思い起こさせる場面がたくさん出てくる。

まず舞台のニューヨーク都心の風景が写し出されるが、日本の電機メーカーのネオンで埋め尽くされている。この時代確かにそうだったなと久々に思い出す。JVC,  PANSONIC,   TOSHIBA,  MINOLTA,  SONY, などなど・・・

特に SONY のネオンは巨大だが、この頃コロンビア・ピクチャーズを買収した時代だった。アメリカ人にとっては、アメリカの魂である映画会社が日本企業に買われてしまったことには少なからず反感を買われたようだ。今の中国のように。


主人公の 13 歳の少年がビデオゲームに熱中しているが、モニターはブラウン管で、メディアはフロッピー・ディクス。画像は 8 ビットで粗いが、当時は日本でも同じで、みんなが夢中になっていた。


ゲームソフトのレンタル店も出てくるが、この店のショーウィンドウに「ATARI」の看板が見える。当時一世を風靡したゲームメーカーだが、粗悪なソフトを乱造して自滅してしまう。有名な「アタリ・ショック」だが、これをみて任天堂は、ソフトのクオリティが重要なことに気づいて、大成功を収めていく。


大人になった主人公は玩具メーカーに就職して商品企画を担当するが、画期的なアイデアでヒットを連発する。そして最後にビデオゲームに進出する計画を考えて社長にプレゼンする。 絵コンテで説明しているのは、ユーザーがストーリーを自分で決めていく、今でいう RPG のはしりだ。アナログ玩具会社が IT 企業に転身して成功した任天堂を思わせる。


冒頭の電機メーカーのネオンは今は一つもないし、そもそも企業自体が沈没してしまったところもある。ただ任天堂や SONY のように IT コンテンツ企業に転身した会社がまだ元気だが、この映画はそんなことを予言しているかのようだ。 


2023年7月19日水曜日

映画「スーパー・マリオ・ブラザース」

「The Super Mario Bros.」 

Illumination と任天堂が共同製作した興味深い映画で、ジャンルもフォーマットも違う映像メディアである映画とゲームという二つが切れ目なく一体化している。登場するキャラクターも繰り広げられるアクションも、ゲームの「マリオ」の元ネタが満載なのは当然だが、他にもちょっとしたことだが、こんなことにも注目した。


冒頭で、マリオが住んでいる場所としてブルックリンの街がが示され、そこのアパートで暮らすイタリア系移民であるマリオの家族が登場し、そしてマリオが弟といっしょに配管工として働いているシーンが続くが、それが映画全体の導入部になっている。

ここでマリオの、住居、家族、仕事、を具体的に示すことで、「ゲーム」のキャラクターだったマリオを、リアリティのある「映画」の主人公に変身させている。(映画「ブルックリン」は、ブルックリンに住むアイルランド系移民の女性がイタリア系移民の青年に恋をするという物語だが、青年がやはり配管工だった。)

これなどゲームと映画の融合の結果だと思うが、任天堂は「マリオ」をディズニーの「ミッキーマウス」並みの IP キャラクターに育ていく”野望” を抱いているのかもしれない。


2023年7月15日土曜日

ディズニーアニメの ”名誉挽回” 法

 Disney Animation

ディズニーがアニメ映画というジャンルを確立してから 80 年くらい経つが、絶大な人気を保ち続けながら反面で批判にさらされ続けてきた。現実のリアルな問題は無いことにして、愛に満ちた”美しい夢の世界” をスクリーン上に描いてきた。それは結果的に、差別、格差、暴力といった現実の問題から人々の目をそらすことになってきた。特にほとんどすべての作品で人種差別的な表現が登場することが批判を浴びて「暗黒ディズニー」とまで呼ばれている。しかし多様化社会が叫ばれる現在、さすがにこれはまずいと思い始めたディズニーは対応を始めていて、それにはいくつかの方法がとられている。


⓵    一つめは、過去の作品の差別部分を削除や修正をして新版のビデオを売り出すこと。「ファンタジア」(1940 年)というアニメもその例で、白人の女の子が黒人の男の子に足を洗わせている場面があり、黒人が奴隷だった時代の差別の名残りが色濃く反映されている。しかし二人とも楽しそうな表情に描くことで、それは虐待や奴隷労働ではなく、黒人は不幸だったわけではないと言っている。(じゃあなぜ女の子は手にムチを持ってるんだ・・笑)この場面は現在はカットされている。


⓶    二つめは、作品全体が差別的で修正できない場合、その作品自体を抹消してしまい、ビデオでもネット配信でも見られないようにしてしまうこと。映画史上最悪のアニメのひとつとされる「南部の唄」はこれに当たる。奴隷制時代の南部の農園が舞台で、召使いの黒人が、農園主の子供たちに昔話しを語って聞かせるという牧歌的な映画だ。ところがこのアニメは、黒人が奴隷として強制労働させられていた事実など無かったかのように、歴史を改変をしているとして、猛烈な批判を受けてきた。それであらゆるアーカイブからこの作品を消し去って、こんな映画はもともと存在しなかったというふりをしている。つい最近、ディズニーランドの人気アトラクション「スプラッシュ・マウンテン」が廃止になると発表されたことが話題になっているが、「スプラッシュ・マウンテン」は「南部の唄」がモチーフになっているからだ。


③    三つめは、どうしてもオリジナルのまま見せなければならない場合。ビデオの冒頭に、『この作品は、過去に蔓延していた偏見にもとづく描写が含まれていますが、現在では時代遅れの誤ったものです。』という ”お断り”(または言い訳け?)の字幕を付け加えること。


⓸    四つめは、過去のアニメ作品をリメイクした実写版を作って、脚本をガラリと変えてしまうこと。今度の実写版「リトル・マーメイド」もそれで、アニメ版では白人だった人魚姫を黒人女性に変えて、思い切り美しい「共生」物語を描いている。

2023年7月11日火曜日

映画「リトル・マーメイド」

 「The Little Mermaid」

けっこうよくできていて、じゅうぶん楽しめる映画だ。かつてのアニメ版を実写に変えたリメイクだが、人魚のアリエルの役にハリー・ベイリーという新人の黒人女性を登用したことが大きな議論になっている。


我々日本人には、彼女は純真で賢くて可愛いいし、なんの問題もなく思えるが、アメリカではこのキャスティングに賛否両論で割れているという。アニメ版では白人で赤毛だったアニエルが、今度は黒人になってしまい、いままで抱いていた人魚姫のイメージが壊れてしまった、というのが反対派の声だ。しかしその裏に人種差別的な意識があるように思える。

アメリカに「Daily HaHa」という画像投稿サイトがある。日々のニュースを茶化したり、バカにしたりするのが専門のサイトだが、「Little Mermaid」で検索してみたらこんな画像が出てきた。アニメ版と実写版の人魚を合成したものだが、明らかに両者の人種の違いを強調している。そして「今度の Little Mermaid は、今までの伝統のアニメに匹敵するか?」というコメントが添えられている。


近年、多様化と共生への声が高まるなか、映画界は白人中心主義が根強いと批判されている。それをかわすために、マイノリティを主役にしたり、その作品にアカデミー賞を与えたりしている。特に、グリム童話やアンデルセン童話などをもとにしたディズニーのアニメ映画は、表向きの ”美しい夢の世界” とは裏腹に、人種差別の ”宝庫”と批判され「暗黒ディズニー」などと呼ばれてきた。だから今、過去のそういう作品を修正したり、アーカイブから消し去って、そんな映画はもともと存在しなかったふりをしたりしている。この「リトル・マーメイド」で、黒人を主役にしたのもディズニーのイメージチェンジのねらいの一環だろう。主役の他にも、人魚姫の6人の姉妹の中に、アフリカ系やアジア系の顔が混じっていたり、王子様の母親がなぜか黒人だったりして、多様化社会を無理やり演出している感があって、かえって不自然さを感じてしまう。

「シンデレラ」や「白雪姫」などのディズニーアニメは、普通の女の子と地位の高い王子様が恋をして、魔女に邪魔されながらも、最終的に結婚するという ”立身出世” の物語構造になっている。だからそういう女の子を「シンデレラ・ガール」と呼ぶわけだが、「リトル・マーメイド」もぴったりそのパターンになっている。

ところが女の子が黒人、特に白人の血が混じった混血の場合、別の意味を持ってしまう。今度の「リトル・マーメイド」はその例で、少なからずのアメリカ人が違和感を持ってしまうのはそのためのようだ。

ハリウッド映画が、歴史的に黒人をどう扱ってきたかを研究した「アメリカ映画に見る黒人ステレオタイプ」という本によれば、黒人のキャラクターは、いくつかのパターンにはめられてきたという。そのパターンの一つとして、混血の黒人女性のキャラクターの「ムラトー」(Mulatto)をあげている。これは混血の女性がその美しさを武器にして、男を”誘惑して” 結婚することで、より ”上の” 社会的地位を得ようとするという、ネガティブなイメージのキャラクターだ。黒人との結婚が禁じられてきたアメリカの長い歴史の中で、このパターンの映画が作られてきたが、21 世紀になってもまだ「チョコレート」という映画が作られたりしている。

今度の「リトル・マーメイド」も混血の女の子の人魚が、海底の生活から脱して ”上の” 陸上世界へ登っていきたいという願望が最後にかなうという ”シンデレラ・ガール” の物語だ。もちろんここには ”誘惑” などという要素はまったくないが、主人公が混血女性ゆえに多くのアメリカ人が「ムラトー」的なものを感じてしまうのかもしれない。


2023年7月7日金曜日

柴田敏雄の写真

 Photographs by Toshio Shibata

今、開催中の抽象絵画の展覧会「アブストラクション展」(アーティゾン美術館)を見ていたら、まるで写真のような表現の絵画があった・・・と思ったら、ほんとうに写真だった。

それで柴田敏雄という写真家を知って、その作品集を見てみた。モチーフにしているのは、すべてダムなどの「土木」で、その大規模な人工物の「造形美」を撮っている。同じ人工物でも、使う人の美意識に配慮して作られる車や住宅と違って、純粋に構造力学から生まれる形だから抽象性が高い。だから一見、抽象絵画に見えて、抽象絵画展に展示されていても違和感がない。


2023年7月5日水曜日

映画「インディ・ジョーンズと運命のダイアル」

「 Indiana Jones and the Dial of Destiny」

いままでのシリーズと比べて

  アクション迫力度3倍
  荒唐無稽度3倍
  観客サービス度3倍

ということで、暑気払いに最適。


ラストシーンで、カレン・アレンがちょっとだけ出てくる。第 1 作でヒロインを務めたが、あれから40 年、実年齢が 71 歳になっているが、メチャメチャ可愛いおばあちゃんを演じている。

下は第1作「レイダース  失われたアーク」のカレン・アレン



2023年7月2日日曜日

「なぜ脳はアートがわかるのか」

「Reductionism in art and brain science」

「なぜ脳はアートがわかるのか   現代美術史から学ぶ脳科学入門」は、抽象絵画を人はどうして理解できるのかを脳科学の観点から説いている面白い本だ。著者は、エリック・カンデルというアメリカの脳科学者。


 ターナーの例が出てくる。左は若い頃の海洋画で、帆船が嵐に翻弄されている。暗い雲や波立つ荒波などが写実的に描かれていて迫力がある。右は同じモチーフの晩年の作で、雲は黒い渦状の帯に単純化されていて、船はマストの線一本だけになっている。抽象画とは言えないが、そちらへ一歩踏み出している。そして嵐の恐ろしさはこちらの方がより伝わってくる。絵画が見る人の情動を動かすのは、写実よりも、現実の形を単純な形に「還元」した絵画の方で、抽象絵画を人間が「わかる」のはそのためだとこの本は説明している。


そのことを脳科学の実験で証明している。チンパンジーの写真や絵をチンパンジーに見せて、脳波の反応の仕方を調べている。a は写真で、b c d はそれぞれ顔を単純化した図形に変えてある。c d は目や口だけで、脳波の反応は低いのは、これらは顔だとは認識されにくいから当然だろう。面白いのは a の写真よりも、b の図形の顔のほうが反応が強いことで、写実的な顔よりも、単純な図形に「還元」したほうが、顔だということを強く認識していることがわかる。 


抽象絵画の先駆者カンディンスキーは、それまでのように、三次元の自然の形を二次元のキャンバス上に再現することをやめて絵画に革命を起こす。この「コンポジション V」は世界初の抽象絵画と呼ばれているが、物の形はなく、点や線などに「還元」された記号的な図形だけで構成されている。現在の脳科学では、色彩や記号やシンボルを見ると、人は記憶から呼び起こされたイメージ、観念、できごと、情動などに結びつけることが分かっている。そのことを直感的に知っていたカンディンスキーは、人間の精神や魂などを表現して鑑賞者の心を動かすのは抽象絵画しかないと言っている。


本では、戦後アメリカで隆盛を極めた「ニューヨーク派」の抽象絵画を詳しく取り上げている。アクション・ペインティングのポロックや、抽象表現主義のデ・クーニングなどだ。デ・クーニングのこの「発掘」は、ジャズ音楽を思わせる都市の力動を描いている。リズム感あふれる線が、動いたり、急に曲がったり、止まったりする。しかしこれらの線は具象的な人体の姿を感じさせる。カンディンスキーの完全に抽象的な還元主義と違って、具象の還元主義と言える。


脳科学では、ものを理解する頭の働きについて、全体を部分に分解する「還元」と、部分を集めることで全体を理解する「統合」の二つがあり、抽象絵画では「還元」が行われ、具象絵画では「統合」が行われる。ところがこの本で、具象絵画で還元主義の試みを行ったチャック・クローズというユニークな画家を取り上げている。下の例のように、モデルの写真を撮り、それをグリッドに分解して、キャンバスの上で、各グリッドの中に小さい図形を描いていくという「還元」作業を行う。完成すると、各部分が「統合」されて一つの人物画が出来上がる。