2023年3月31日金曜日

リメイク映画「生きる LIVING」を、オリジナルの「生きる」と比べる

「LIVING」 

公開中の「生きる  LIVING」は、黒澤明の名作「生きる」のリメイク作品として話題になっている。末期癌で余命半年の役人を主人公にして、人間の ”生きること” の意味を描いている。舞台をイギリスに移しているが、原作をほぼ忠実に再現していて、原作へのリスペクトを感じさせる。脚本をカズオ・イシグロが担当していることでも注目されている。

「生きる」の主人公は、住民の陳情を処理する市民課の課長なのだが、その "お役所仕事” のシーンが見事だ。背後にも手前にも乱雑に積み上げられた陳情書の山の中で、ただ機械的に書類にハンコを押し続けている。陳情書は一瞬で書類の山の中に消えてしまい、主人公は住民のために何か仕事をしたことは一度もない。ここで「彼は今まで一度も ”生きて” こなかった。」というボイスオーバーのナレーションが入る。映画の主題に関わる重要なシーンだ。


乱雑に積み上げられた書類で
お役所仕事を表現した映画として、他にもミヒャエル・ハネケ監督の「城」がある。現代の官僚主義社会の不条理を描いたカフカの「城」をハネケが映画化した。いくら市民がアクセスを試みても、たらい回しにされて核心の部署にたどり着くことができない迷宮のような役所の象徴として書類の山を使った。(「生きる」でも公園を作って欲しいという主婦たちの陳情がたらい回しされる)ハネケが「生きる」を引用したのかどうかはわからないが。
今度の「生きる  LIVING」でも同じシーンがあるが、オリジナルのような、あるいはハネケのような、書類に人間が埋もれそうなくらいの雑然さの ”迫力” はない。だから主人公の仕事の ”虚しさ” はさほど伝わってこない。



主人公が公園の工事現場を視察する時の水を飲むシーンで、水の反射が顔の頬に当たる。自分が進めてきた公園建設が実現しつつあるのを見て、初めて自分が ”生きている” ことを実感するのだが、揺らめく水の光の反射によって、生気のある表情が写される。「羅生門」で、盗賊が森の中で昼寝しているシーンで、木漏れ日が顔に当たるショットを四苦八苦して撮ったというエピソードがあるが、それと同じで、絵画的な画面作りへの黒澤明のこだわりを感じる。「生きる  LIVING」でも同じシーンがあるが、水の反射はない。

主人公が若い女性と仲良くなって、一瞬だけ幸せな気分になるのだが、両方の映画のその場面を比べると面白い。「生きる」の方は、二人を画面いっぱいのアップで撮っている。女性は自由奔放な前向きな性格で、主人公と対照的なのだが、この二人の ”生き方” の違いが ぶつかり合っているシーンだ。二人をシンメトリー性を強調した構図で撮ることによって、そのことを際立たせている。 黒澤明の登場人物には血が通っていると言われるが、これもその例だろう。 一方の「生きる  LIVING」の方は、ミドルショットの普通によくあるレストランシーンだ。


「生きる」のラストは、公園が完成して子供たちが遊んでいるシーンで、これも秀逸なショットになっている。手前には「ごはんですよ」と子供を呼びに来た後ろ姿の母親(公園を作って欲しいと陳情した一人だろう)がいる。遠くの陸橋の上で、この幸せそうな光景を見ているのが主人公だ。人生の最後でやっとささやかな生きがいを実現できた感慨に浸っている。このショットに、この映画のすべてが凝縮されているがそれは、近景・中景・遠景を重ねて奥行きのある画面にした絵画的な構図による。

「生きる  LIVING」でも、ブランコの子供、迎えにきた母親、見下ろす主人公の3者が写されるのは同じだが、一緒ではなく、それぞれが別々のショットになっている。

黒澤明は若い頃、画家になろうとして本格的な修行をしていたから、映画でも絵コンテを自分で描いていた。ショットが絵画的なのはそのためだ。


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