2025年4月29日火曜日

情報社会の「真実と秩序」とは

  NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI

前回、「NEXUS 情報の人類史」について書いたが、今回はその具体的内容についてごく一部だけだが紹介してみたい。


「情報」の役割について、普通は下図のように捉えられている。人間は「情報」を得ることで「真実」を知り、それによって「知恵」と「力」を得て、何かを成し遂げる。しかし著者は、これは素朴すぎる見方だとしている。


実際はもっと複雑だとして、下の図示をしている。図の説明として、石器時代の人間がマンモスを狩るときの例をあげている。マンモスがいるという「情報」から「真実」を知る。そこで「知恵」をめぐらせてなんとかマンモスを仕留めたいと思う。しかし巨大な動物を一人で狩れるだけの力はない。そこで仲間を集めて協力しあうことで、それが大きな「力」になって成功する。この時、全員が同じ計画に同意し、命の危険に直面しても各自が役割を勇敢に果たす必要がある。この図の「秩序」とは、そのようなメンバーの団結力を生み出すもののことを意味している。そしてこの「秩序」は人類史上、法律や国家や宗教という形で発展してきた。


しかしこの「真実」と「秩序」は必ずしも一致しなかったり、お互いに矛盾する関係になることに注意すべきだとして、以下のような例をあげている。

「神」が人間を創造した絶対的存在であるということを全員が固く信じることによって、キリスト教社会が一つにまとまり「秩序」が維持されてきた。しかし、ダーウィンの「進化論」が、人間はサルから進化したものだという科学的な「真実」を明らかにすると、それは「秩序」を破壊することになるので、社会から激しい弾圧を受けている。

科学者が原爆を発明したとき、それが大量殺戮兵器だという「真実」を知りながら、政治家は、非人道的独裁国家の侵略から人々を救い、世界の「秩序」を守るためにという理由で日本に原爆を投下した。

自分たちは神に選ばれた国であるという聖書の「物語」を根拠にして、イスラエルの首相がパレスチナを爆撃し続ける。あるいはプーチン大統領が、自国の過去の栄光を取り戻すのだいう「物語」をもとに、隣国を侵略し続ける。さらにトランプ大統領は、他国によって自分たちの利益が奪われてきたという「物語」を作り、関税という武器で他国を攻撃する。しかしこれらの「物語」は客観的な「真実」にもとづいたものではない。だが「真実」を語れば、次の選挙で負けて、自分が握っている政権という「秩序」を失う。だから「物語」を言い続ける。


以上は本の第2章までの一部要約だが、最後は本題に入っていく。情報ネットワーク社会は、上記のようなこれまでの矛盾を乗り越えて、「真実」の発見をし、しかも「秩序」を生み出すという二つのことを同時にすることができるのだろうか?  という問題だ。SNS や AI の発展のおかげで、フェイク情報によって簡単に社会秩序が乱されるような現状をみると、難しい課題に思えるが・・・

2025年4月27日日曜日

「NEXUS 情報の人類史」

 NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI

世界的超ベストセラー「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリの新著「NEXUS 情報の人類史」が出た。待望の一冊だ。

石器時代からシリコン時代までの情報の歴史をたどりながら、情報とは何かを解明して、AI 時代の今、人類の未来はこれからどうなるかを大きなスケールで描いている。

著者は AI や SNS がもたらす未来に警告を鳴らしている。情報によって発展を遂げた人類は、情報により没落する可能性がある。そうならないためには AI を人類の味方にしなければならない。本書はその羅針盤を示している。


2025年4月25日金曜日

「万博見てきただ」

 EXPO OSAKA 1970

TVer で「万博見てきただ」というのをやっていた。1970 年の大阪万博の時の映像のをそのまま再放映している。万博を見に行った田舎のおじいちゃんとおばあちゃんに密着取材したドキュメンタリーだ。

旅行会社の農協様ご一行向けの万博見学ツアーに参加した農家の老夫婦の一部始終を撮っている。どこに行っても2時間待ちの大行列だらけで入るのをあきらめるしかない。どこか入れるところはないかとうろうろしているだけで疲れはててしまう。結局2日間で見れたのは「人間洗濯機」と月面着陸のアメリカ館だけだった。

迷子よけの ツアーの帽子をかぶったおじいちゃんは、何もかも珍しく「おらーぶったまげただ」と言って、口をポカンと開けて目をまん丸くしている。

このように、題名の「万博見てきただ」どうり、田舎のお年寄りをこバカにしたような内容だ。しかし考えてみると、あの当時、世界の田舎者だった日本人全員がこのおじいちゃんと同じように万博に興奮していた。そしてそれから半世紀もたった今度の万博だが・・・


2025年4月23日水曜日

万博の「ミライ人間洗濯機」

 EXPO  OSAKA

ある TV 番組の大阪万博の紹介で、「ミライ人間洗濯機」なるものが出展されていると知った。写真は大阪市長が自ら体験使用するデモの様子だそうだ。失敗万博と批判されているなかで、なんとか盛り上げようと苦心している。


1970 年の大阪万博で「人間洗濯機」が大人気だったが、「夢よもう一度」だろう。しかし名前は「ミライ人間洗濯機」になったが少しも「未来感」がない。 55 年前と同じで、客寄せパンダ的な「キッチュ」だ。

万博の歴史は、未来の技術と、それによってもたらされる生活の未来を見せる場だった。そして展示物は実際に実現化され、社会の変化に影響をもたらしてきた。しかし近年の万博は遊園地化して、”おもしろ展示” ばかりになってしまった。「人間洗濯機」も同じで、製品化されなかったし、「未来もどき」を作った某電機メーカー自身も「未来」がなく、潰れてしまって今では影も形もない。


かつての万博が未来のビジョンを示す役割をしてきた例として、戦前の 1939 年のニューヨーク万博が有名だ。テーマが「進歩の世紀」で、20 年後の都市の姿を見せることだった。都心の高層ビルに都市経済機能を集中させ、人間の住居は郊外に分散させ、芝生の庭のあるゆとりのある住宅にする。そして都心と郊外の間を高速道路で結ぶ。夫が通勤している間の奥さんの買い物用に、一家で2台の車を所有する。このビジョンを見せるために巨大なジオラマが作られ大人気になる。

「未来」の街のあり方を示し、そこで生活する人間のライフスタイルの提案をしている。そしてこの未来像どうりに実際に高速道路の建設が始まり、郊外に住宅が作られていき、車や電気製品が普及していき、人々の生活が豊かになっていった。万博はただの夢ではなく、「実現する未来」を見せる場だった。


2025年4月21日月曜日

プロレス大好きのトランプ大統領

 Pro-Wrestling & Trump

トランプ大統領はプロレスが大好きだという。だからプロレス方式で、全世界を相手に殴る蹴るの乱暴を働いている。

プロレスの試合観戦が好きで、時にリングに上がって”参戦”し、負けた選手の髪の毛をバリカンで切ってしまうパーフォーマンスをやったりした。そしてこのとき勝った選手はトランプのひいきの選手で、この間の大統領選で、トランプの応援演説をしていた。

トランプ大統領が一期目の時、訪日して、安倍首相といっしょに国技館で相撲を観戦したが、トランプが同じ格闘技の相撲を見たいと言ったからだという。

そして2期目の今、教育長官(日本でいえば文部科学大臣)に任命したのが、リンダ・マクマホンというという女性で、全米プロレス協会のトップだ。トランプに多額の献金をして当選に貢献したからで、もちろん政治家ではない。彼女はさっそく、「学校の教育は左派的に偏っている」というトランプ大統領の意に沿って、教育省を廃止して、義務教育への助成をやめると発表した。とんでもなく乱暴な政策だが、これもプロレス的だ。


2025年4月19日土曜日

「デジタル敗戦」と大阪万博

 Osaka Expo 2025

大阪万博の最大の目玉だったドローンタクシーの商用運行を断念して、デモフライトだけになったようだ。一方で、中国ではこの6月から人間を乗せたドローンタクシーの商用運行を始めるという報道があった。技術の「未来を見せる」はずの万博だが、「未来」どころか、すでに普通になっている技術にすら追いついていないことを暴露してしまった。

モビリティ関係でもうひとつ。会場内移動用の EV バス開発が間に合わず、100 台を中国から輸入したという。記憶では確か3年くらい前に、大阪の某大手電機メーカーに EV バスの開発を委託したはずだが、失敗したのだろう。そもそも万博では、世界初の「レベル5」の完全自動運転 EV を実現するくらいのことをすべきなのに、普通の EV バスさえ作れなかった。

ドローンも EV もデジタル技術のかたまりだが、もっと基本的なデジタル技術でも失敗しているようだ。予約制の電子入場券で、「並ばない万博」にすると豪語していたが、始まってみると「わかりにくい」という声が噴出したり、さまざまな混乱が起きているという。今では当たり前のデジタル予約だが、システム設計に失敗したようだ。大阪市長は『超高齢化社会の中で、僕も含めて、日本人がデジタル技術に精通していなかった。』と認めているという。

コロナ禍以来、日本は「デジタル敗戦国」といわれている。大阪万博はそれを挽回する絶好のチャンスといわれていたが、見事に失敗した。上の3つの事例はそのことを示している。


2025年4月17日木曜日

Google への規制強化

 

先日 Google が、独占禁止法違反で、公正取引委員会から排除命令を受けたという報道があった。自社の検索ブラウザを強制的にスマホにインストールさせ、アクセス数を増やして広告の収益を上げるという同社のビジネスモデルが問題にされた。同じような問題が Google だけでなく、「GAFA」 と呼ばれる巨大 IT 企業(Google, Amazon, Facebook, Apple)に対する規制が、日本だけでなく、ヨーロッパやアメリカでも強化されつつある。

Google について、ある個人的な経験がある。数年前のことだが、ブログに「〇〇について」を投稿してから、しばらくして Google で「〇〇について」を検索すると、自分の投稿が上位3番目くらいに表示されている。悪い気はしないものの不思議だった。どういうアルゴリズムで優先順位を決めているのか公開されていないからだ。その状態が1年近く続いた後に突然終わってしまった。アルゴリズムの変更があったらしいことを感じたが、その理由もわからないままだ。

理由を推測するとこうだ。自分が使っているブログが「Blogger」で、それは Google が運営している ブログサービスだ。だから、Blogger へ誘導して自社へのアクセスを増やすための仕組みだったのではないか。そしてこのように、ユーザー数と投稿数と閲覧数を増やして、自社システムへの関わりを最大化させる仕組みは、Facebookでも行われていて、「いいね!」や「シェア」や「FB 友」がそれだ。

いま世界中で「GAFA」に対する規制が強化されつつあるのは、このような情報の独占と拡散の仕組みが、政治にも影響を及ぼし始めているからだ。これに対して例えば Facebook は「我々は中立的なただのプラットフォーマーであり、恣意的にコンテンツをコントロールしているわけではない」と主張している。

しかしこのような SNS の政治への影響について、ユバル・ノア・ハラリは新著「NEXUS 情報の人類史」で鋭い指摘をしている。例としてミャンマーで、少数民族を弾圧して大虐殺が行われたことに Facebook が大きな役割を果たした問題をあげている。少数民族に対する憎悪を煽るような投稿が大量に投稿されると、人権や民主主義を主張する投稿はかき消されてしまう。しかしこの時、 Facebook は投稿を内容で選別して憎しみを煽る投稿を優先するようなアルゴリズムにしていたわけではない。単に自社のシステムへの投稿や閲覧を増やすことを目標にしたアルゴリズムになっているだけだという。しかし人間は憎しみに満ちた攻撃的な言動にひかれやすいので、そういう投稿が拡散され、増殖していく。その結果が少数民族の大虐殺につながっていったという。

このように、人によってさまざまな意見がある問題に対して、何が「正しい」のかが SNS 上の”多数決” で決まってしまい、それを決めているのがアルゴリズムであることに注意すべきだと、ユバル・ノア・ハラリは言っている。特にこれからの時代は、 アルゴリズムを決めるのが人間ではなく、 AI 自身が決めていくようになると恐ろしいことになると警告している。


2025年4月15日火曜日

「デジタル・ネイティブ」と「デジタル移民」

 Digital Native & Digital Immigrant

「デジタル・ネイティブ」・「デジタル移民」の言葉が生まれたのはスマホが普及し始めた 20 年くらい前だった。生まれた時からゲームなどのデジタルが当たり前の世代が「デジタル・ネイティブ」で、その反対に大人になってからアナログからデジタルの世界へ引っ越してきた世代が「デジタル移民」だ。

自分は「デジタル移民」だが、身の回りにいる「デジタル・ネイティブ」の生態を見ていると面白い。一日中スマホを手に持って片時も離さない。そして自分の情報収集力はすごい・・と自分では思っている。ところが彼らは、新聞も読まないし TV も見ないし、本も読まない。情報源はスマホだけで、その情報が唯一絶対だと信じている。

先日のことだが、TV である事件のニュースがあったので、そのことを教えると、その「デジタル・ネイティブ」は即座にスマホで調べて、その事件は某国の陰謀によるものだという「真実」を教えてくれた。そして TV は本当のことを伝えていないとマスメディアの批判をした。ところがそのスマホ情報こそがフェイクニュースで、ウソだったことがすぐにわかった。

もうひとつ例がある。コロナの国産ワクチンが開発され、接種が始まったが、そのワクチンは危険だという情報がネットで流れた。その情報を仕入れた「デジタル・ネイティブ」は、ワクチンを打たないように忠告してくれたが、もちろんそれは偽情報だ。コロナの大流行の時にワクチンより安全でよく効くというふれこみでサプリメントを売って儲けた人間が発信元だ。

選挙でも、売名だけが目的の候補者が、パーフォーマンス演説をしてそれを SNS で発信すると、拡散されて、膨大な数の票を集めてしまう。投票するのはほとんどが「デジタル・ネイティブ」だ。しかし最近は、シニア世代も全員がスマホを使ってネット情報に接することが当たり前になっているから、今までのように「ネイティブ」と「移民」を世代で分けることはできなくなってきたのかもしれない。どの世代にしろ、ネット情報を何でもうのみにしたり、それが真実を伝えているとしてありがたがったりしないように注意が必要だ。


2025年4月13日日曜日

大阪万博が始まったが

 EXPO

万博とはもちろん「万国」の「博覧会」だが、この古臭い名前の由来を歴史でたどると、万博とはなにかがわかってくる。

万博の始まりは、170 年前の第1回ロンドン万博だった。産業革命を成し遂げた世界最大の工業国の、産業振興と国威発揚の場だった。だから、展示物は工業製品や発明品が中心だった。また7つの海を支配し、世界中に植民地を持つ大英帝国が、世界中で集めた珍しい物産の展示場でもあった。万博のこの基本的性格は今に至っても変わらず続いている。

第2回のパリ万博では、この「万国」というコンセプトが発展し「見せ物」的になる。中東やアジアのパビリオンがその国の様式で作られ、各国の風習がそこで実演された。日本は「茶屋」を作り、派遣された「芸者」が実演をして、人気を博した。これが後々まで続く「フジヤマゲイシャ」的日本イメージを作った。他にも、エジプトのベリーダンスや、アフリカの土人のが生活など、世界中の異国の風俗が客寄せのための「見せ物」として効果絶大で、万博の「売り」になった。

「見せ物」はさらにエスカレートして、「アミューズメント」としての遊園地的な万博へなっていく。展望塔やパノラマ装置、あるいは悪趣味なキワモノ的パビリオンなど、万博のディズニーランド化だ。そして、産業振興のための、企業イメージの提示の場として荒唐無稽な「未来」を提示するようになっていく。1970 年の大阪万博あたりで、そのひずみが最も大きくなったといわれている。たしかにその万博で、大阪の某電機メーカーが「人間洗濯機」なるものを実演展示していたが、その会社は潰れてしまって今はもうない。

「海外の文化」や「未来の技術」などを知るための貴重なメディアだった万博だが、人、モノ、情報が簡単に世界を行き交う今の時代、その役割は終えてしまった。今度の大阪万博で、チケット売り上げが振るわないそうだが、当然だろう。

2025年4月11日金曜日

AI と チューリングテスト

 Turing Test

ウエブサイトにログインするときに、パズルを解くことを求められることがある。ねじれた文字をなんと読むかを答えさせたり、一連の写真の中から横断歩道が写っているものを選ばせるなどがある。どれもすぐに答えることができる簡単な問題で、指示されたとうりに従っていたが、何のためなのか、意味がわからずにいた。しかし最近ある本を読んでいたら、その解説があり、やっと意味がわかった。



これは「CAPTCHA」(キャプチャ)と呼ばれ、「Completely Automated Public Turing test to tell Computer and Human Apart」の略で、意味は「完全に自動化された、コンピュータと人間を区別するチューリングテスト」だ。コンピュータが人間になりすましてアクセスし、何か不正を行ったりすることを防ぐために、人間であることを確認するための検査だ。このパズルが「チューリング・テスト」だと聞いて納得した。

ロボットが人間になりすます心配は早くから予想されていた。コンピュータを世界で初めて作ったアラン・チューリングは人工知能の研究をして、知能が発達したコンピュータを人間と見分けるためのテスト方法を考え出した。それが「チューリング・テスト」で、コンピュータに質問をして、人間にしか答えられない答えを返すかどうかで判断する方法だ。「CAPTCHA」の定義にある「チューリングテスト」はそのことを指している。

「CAPTCHA」のテストを、最新の AI にやらせたら、問題を解くことができなかったそうだ。だからこの方法は今のところ有効な防御策になっているようだ。

しかし面白い例があるそうだ。ある人が、問題を解けなかったチャット GPT に「あなたはロボットですか?」と聞くと、「いいえ、私はロボットではありません。視覚障害があって、画像が見えにくいのです。」と答えたという。それに騙されて、その人は代わりにパズルを解いてあげてしまったという。こうなるともう防御の役には立たなくなる。

「チューリングテスト」が、映画「ブレードランナー」に出てきた。人間になりすました殺人鬼ロボットが、人間社会に溶け込んでいて見分けがつかない。容疑者を捕まえた捜査官が尋問で「チューリングテスト」にかけるシーンが印象的だった。容疑者の母親が死んだ時のことを話題にして、人間らしい悲しみの反応をするかどうかをテストをする。ところが知能が高いこのロボットは、自分が「チューリングテスト」をされていることに気づいてしまう。この映画は、将来「チューリングテスト」が役に立たなくなることを予見していた。


2025年4月9日水曜日

AI 絵画

AI  Painting

日経新聞( 3 / 22 )の文化欄に興味深い記事があった。  AI に絵を描かせる実験の話だ。


記事が紹介している実験は、人間が指示する代わりに、ネズミの脳波を生成 AI に入力して描かせたというもの。その結果、上の写真の女性の顔が描かれたそうだ。だからこの絵には人間の創意は介在していない。人間の関与がないところがポイントで、生成 AI が独自に創作物を生み出す第一歩だとしている。

そしてこの絵がちょっと薄気味悪い感じがするように、将来的には AI が、人間が予期しないものや意味不明なものを表現するように発展するかもしれないと言っている。その時、人間が作れなかった新しい感興を AI が生み出すことになるかもしれないという期待を込めている。


人間が介在しない AI が今までにない新しい美を生み出すだろうという考えだがはたしてそうか?  AI がなかった過去にも「オートマティズム」と呼ばれる人間の介在しない(または介在の度合いが少ない)絵画があった。代表的なのは「フロッタージュ」で、シュールリアリズムのマックス・エルンストが始めた技法だ。物の上に紙を乗せてこすることで凸凹を写しとる。こすった結果、何が現れるかは偶然性に任せている。だから、自動的に描くという意味で「オートマティズム」と呼ばれる。つまり、記事が言っている「人間が予期しないものや意味不明なものを表現する」ことを AI でなく、すでに人間がやっている。だからAI は、現代版「オートマティズム」のための新しい道具にはなるかもしれないが、それ以上のものになるとは思えない。

暗く不気味な森を描いたエルンストの「森と鳩」(1925 年)は、「フロッタージュ」を使った最初の作品。下はその部分拡大。


2025年4月7日月曜日

近代写真の父 アルフレッド・スティーグリッツ

 Alfred Stieglitz 

19 世紀末、アルフレッド・スティーグリッツは、「芸術としての写真」で、写真家として国際的な評価を得た。

多くはニューヨークの風景をモチーフにして撮った。冬の澄んだ空気の中でそびえ立つビルや、濡れた雨の歩道に映る光や、樹木や人物のシルエットなど・・

このように、霧に煙ったような雰囲気や、どことなく曖昧な画面、光と影のコントラストなどの、詩的な情感を引き起こす絵画的な写真だ。

スティーグリッツは、たまたま見かけた風景をスナップ写真的に撮るのではなく、あらかじめ構図を決めておいて、その場に待機して、天候や光の具合が自分のイメージ通りになるまでじっと待ったという。





2025年4月5日土曜日

ポストモダン建築

 Post-Modernism Architecture

地元にある商業ビルだが、見るたびに気になる。てっぺんに巨大な青いモノが乗っていて、正面の壁には何やら目立つ出っ張りがある。典型的な「ポスト・モダニズム」建築なので、このビルの築年を調べたら 1990 年ごろだったので、やはりそうかと思った。当時大流行だったこのての建築の生き残りだ。



最小限の材料とコストを使って、最大限の機能を生み出すという「合理性」を追求する「モダニズム建築」の思想が 20 世紀初めにコルビュジェなどによって打ち立てられたが、それを超える 21 世紀の新しい建築だというふれこみの「ポスト・モダニズム建築」が現れた。合理性を否定して、過剰に装飾的な形を作った。その結果、上のような建物がたくさん作られた。


いろいろな地域や時代の建築様式をわざとごちゃ混ぜにした統一感のないデザインが ”新しい” とされて、それを競いあった。写真の列柱のある半円形のバルコニー(形だけでバルコニーの機能はない)は、アメリカのホワイトハウス(写真右)を真似している。

「ポスト・モダニズム」が流行ったのは、ちょうどバブルの時代と重なっていて、このような無駄なデザインが平気で受け入れられていた。要するに「ポスト・モダニズム」とは、コマーシャリズムと結びついた目立つためだけのデザインで、”モダニズムを超える” などといった高尚な思想ではなく、一過性の流行に過ぎなかった。だからバブルの崩壊とともに消えてしまった。

2025年4月3日木曜日

映画「風の遺産」とアメリカの文化戦争

Culture War 

トランプ大統領が再選された時の選挙の争点は、「妊娠中絶」「移民」「気候変動」だった。経済や外交の問題ではなく、こういう「価値観」の問題でアメリカの世論がまっ二つに分裂している。その衝突は「文化戦争」(Culture War)と呼ばれている。

「文化戦争」とは、伝統的価値を重んじる「保守主義」と、リベラルな考えの「自由主義」との文化的な衝突で、たくさんの問題で争われてきた。例えば「妊娠中絶」の問題にしても、聖書の教えに反する非道徳だという反対派と、女性を守るための医学の問題だとする賛成派との間の対立だ。


映画「風の遺産」は、教育における「文化戦争」を描いている。かつて実際にあった事件をもとにしている映画だ。アメリカのかなりの州で、ダーウィンの「進化論」を学校で教えることを禁止する法律がある。人間は猿から進化したという「進化論」は、神が人間を創ったという聖書の教えを否定するものだという理由だ。この映画は、その法律に反して進化論を教えたために逮捕された高校教師の裁判を描く法廷ドラマだ。腕利きの検察官と弁護士が大論争を繰り広げる。

世論のほとんどは、聖書の言葉を忠実に守る原理主義的なキリスト教信者で、教師を有罪にしろという声が圧倒的に強い。その中で進化論を支持する弁護士は、神を冒涜する無神論者だと罵られながら弁護を続ける・・・・


これは 1920 年頃に起きた事件だが、現在でも世論調査によれば、進化論を信じるアメリカ人は 40 % だけだという。だから原理主義的キリスト教団体の支持で当選したトランプ大統領は、彼らに配慮した政策を打ち出している。ほんの数日前(3 / 20)の報道で、トランプ大統領が教育省を廃止して、公立学校への助成を打ち切ると発表したそうだ。日本なら文部科学省を廃止して、義務教育を有償化するという信じられないような政策だが、それがなぜなのかもこの映画からわかる。「進化論」を教えているのはほとんどが公立学校で、保守派はその教育内容に不満を持っているからだ。それほど「宗教対科学」の「文化戦争」の根は深い。

この裁判の結末がどうなったかは控えるが、ラストのシーンがこれ。弁護士が、裁判で使った「聖書」とダーウィンの「種の起源」の両方を大切そうに手に持って満足そうな表情をしている。(なおこの映画は日本では未公開だが、DVD で見ることができる)



2025年4月1日火曜日

ファンタジーアート展

Fantasy Art

ファンタジーアート展(横浜  アソビル)を見た。ゲームやアニメのキャラククターのデザインを手掛けいる天野喜孝の個展だ。繊細かつ精緻で浮世絵の美人画の流れを感じる。


ゲームやアニメでよくある SF 的未来都市だが、これもどこか日本的な感じがする。


アメリカのファンタジーアートといえば、SF 映画によく登場するが、必ずスーパー・リアリズムの CG で描かれる。下は「スターウォーズ」にでてくる未来都市だが、これと比べると違いがよくわかる。