2023年4月12日水曜日

黒澤映画「蜘蛛巣城」と能

 Akira Kurosawa & Now 

先日、TV ( 4 / 8  Eテレ)で「能の美」という番組があって大変興味深かかった。黒澤明はさまざまな作品で、能の美学を取り入れていたが、晩年にその意図を説明するドキュメンタリー「能の美」を作ろうとして撮影を開始したという。それは未編集のままで中断してしまったが、残されたシナリオから黒澤の「能」に対する傾倒ぶりと、映画に「能」が与えた影響の大きさがわかるという。能の影響が強い作品の具体例として番組が取り上げていたのは「蜘蛛巣城」だった。シェークスピアの「マクベス」を翻案して、日本の戦国時代に置き換えた作品だ。


武将に謀反をそそのかす妻(山田五十鈴)の顔を能面そっくりに近ずけることにこだわって、メイクに何時間もかけたという。

能は、リアリズムと正反対の究極の「様式美」(Stylization)の演劇だが、能舞台の、松を描いた「鏡板」と呼ばれる背景にもそれが表れている。映画のこの場面では、背景に、絵巻や屏風絵によく使われた雲が描かれている。写実性とは異なる日本独特の様式美だ。役者の所作振舞も、摺り足の歩き方など、リアルな「演技」ではない能の様式をそのまま取り入れている。


すべての能の物語構造は、あの世から現世に戻ってきた者が演じるのが基本になっているそうで、役者が「橋掛り」という両者の橋渡しの役割をする廊下を通って舞台へ登場するという能の舞台構造はそのためだという。そういう「夢幻」の物語としての能の世界観をこの映画でも取り入れている。老婆の姿をした妖怪が、主人公が主君を裏切って城主になるという予言をするが、それがこの物語の骨格になっている。


ラストで、謀反を起こした武将自身もまた部下から裏切られ、壮絶な死を遂げる。番組で、この場面について、アメリカ人の黒澤研究の専門家が強調していたのは、アクション映画のようなリアルな血なまぐささはなく、馬鹿なことを繰り返す人間を、天から神が見下ろすような冷めた視線で描いている、ということだった。確かにこの映画全体が主人公の側から第一人称的に語られるのではなく、突き放したような第三者的な語り口になっている。



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