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最近あるTVの報道番組で、東京オリンピックの開催反対デモの参加者が、「日当をもらって動員されただけだ。」と打ち明けたと報じたのが問題になった。反対運動はそれほどでもなかったと印象付ける内容だが、それは事実でなかったことがわかって、TV 局は批判された。
この番組は、映像の力が人々の意識にいかに影響を及ぼすかというテーマで、その例として五輪記録映画での反対デモを取り上げたのだった。そこで「東京 2020 オリンピック」の映画そのものを、公開から1年遅れで見てみた。全体的に、反対デモの扱い方が「こんなこともありました」程度で ”軽い” 。登場するのは当時批判が大きかった、商業主義のIOCや、不祥事続きの組織委員会や、五輪を政治利用する政治家、などばかりで、彼らがいかに苦難を乗り越えて大会を”成功” に導いたかという”美しい” 物語に仕立てている。オリンピックそのものの根本的な意味が問われた史上初の大会だったから、記録映画の責務として、その点を掘り下げるべきだと思うが、そういう負の部分にはほとんど触れていない。結果的にプロパガンダ映画とまでは言わないが、政府側に寄った映画になっている。(ちなみに「映画館も無観客」と揶揄されたほど不人気だった。)オリンピックの記録映画をプロパガンダ映画として利用できることに初めて気がついたのが、ナチスの宣伝相ゲッペルスだった。例の女性監督リナ・リーフェンシュタールに命じてベルリンオリンピックの記録映画「美の祭典」を作らせた。ヒトラーの演説のすぐ後に熱狂する大観衆を映し出す。ところが彼らの大部分は日当をもらって集まった人たちだったという。
ゲッペルスがこれを思いついたのは、エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」を見たからだと言われている。それは「モンタージュ」の技法を生み出した世界初の映画だったが、中でも有名なのは、ライオンの石像の場面だ。ロシアの官憲がウクライナの民衆を弾圧し殺戮するシーンの後で、眠っていたライオンが目覚めて立ち上がる映像を映し出す。ライオンと殺戮はなんの関係もないが、二つを繋げることによって、国家権力に立ち向かう民衆の怒りを見る人に強く印象づける。映画は、民衆の力が帝政を倒してロシア革命を成し遂げたことを賛美しているから、革命政府によってプロパガンダに利用された。
このような映像の編集技術によって情報操作を可能にしているのが認知心理学でいう「クレショフ効果」だ。ある映像に別の映像をつなげることで、映像に対する印象が全く違ってくる効果を指している。下図のように、男の映像の後に、死者の映像をつなげると「悲哀」に、食べ物につなげると「空腹」に、女性をつなげると「欲望」に、といった具合に、男の顔は全く同じであるにも関わらず、表情の見え方が違って見えてくる。
「東京 2020 ~」でも、五輪に関係のない美しい風景や、幸せそうな子供の映像などがあちこちにやたらと挿入される。オリンピックを ”感動的なもの" として印象づける「クレショフ効果」を狙っている。今のウクライナの戦争でも様々なニュース映像が飛び交っていて、それらの真偽を確かめるのは不可能だが、たぶん「クレショフ効果」を利用したプロパガンダ映像がたくさん混じっていることだろう。
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