2022年10月22日土曜日

ホッパーの、人のいない部屋

 Hopper's empty room

エドワード・ホッパーの最晩年の作品が下の2つで。どちらも室内の絵だが、人がいない部屋を描いている。それまでのホッパーには無かったことなので、いろいろな人がこの「無人」について”哲学的な”解釈をしている。例えば、「部屋の無人によって、虚無や孤立といった感覚が表現されており、ホッパーが晩年に感じていた ”終わり” の諦観が描かれている。」などと言っている。深読みのし過ぎだろう。ホッパーはもともと平面構成的な画面の造形への強い関心があり、晩年になってそれに徹するために、人物を排したのだろう。結果的に「物語性」のない「無人」の絵に行き着いたということだと思う。

ホッパーは、室内に差し込む太陽の光と影でできる図形を平面構成の要素に使っている。だから明暗のコントラストが普通以上に強調されていて、その明と暗のパターンが絵の構図になっている。この絵を光と影だけの明暗2トーンに還元してみると、ホッパーの意図がより明確になる。そこに現れる白黒の図形は、プロポーションやバランスなどの緻密な計算のもとに構成されいることがわかる。

「海辺の部屋」は、ちょっとだけ見えている隣の部屋に家具があったりして、人間の存在をわずかに感じさせてはいるが、それ以外は、大部分が壁と床に当たった光と影で絵が構成されている。


「空の部屋の太陽」では、空き家のようにガランとした部屋が描かれていて、上の絵よりさらに「無人」が強調されている。ここにどんな人が住んでいて、どんな生活をしているのだろうかといった「物語性」を感じさせる要素は排除されている。ホッパーの関心は、あくまでも壁と柱と床に当たった太陽の光と影が作っている絵としての「造形」だ。


ホッパーは晩年になって急にこの造形志向が出てきたわけではない。もっと早い時期の作品である「朝の太陽」は、もう太陽が高くなっているのに、今起きたばかりの女性が、けだるい表情で窓の外を眺めている・・といった「物語性」が前面に出ている。しかしこの絵の重要なポイントは光と影の構成で、光が壁に当たってできている平行四角形と、ベッド上面の平行四辺形と、窓の平行四辺形、の3つが響きあっている造形的な面白さだろう。人物が描かれてはいる違いがあっても、上の晩年の2作と共通している。



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