2021年1月21日木曜日

アイデンティティーの分裂を映す鏡  オーソン・ウェルズの「市民ケーン」

 Mirror in movies 「Citizen Kane」

オーソン・ウェルズの「市民ケーン」(1 9 4 1 年)は 8 0 年も経った現在も、歴代名画 No.1に選ばれる。主人公の新聞社の社長が、発行部数を増やすために、フェイクニュースを流して世論を操り、政治を動かす。政治家が S N S を利用して世論を動かす今の時代と同じで、トランプ前大統領はこの映画が大好きだそうだ。そしてこの映画が画期的だったのはテーマだけでなく、映像表現技術の新しさだった。

絶大な金と権力を手に入れた主人公だが、最後にその生い立ちや人物像が謎に包まれたまま死んでしまう。映画は、証言者たちに聞き取りをして主人公の真実の姿を探っていくのだが、人によって言うことがバラバラで、最後まで分からないまま終わる。ラストの死の直前に主人公が住まいの大宮殿を去っていくシーンが有名で、鏡の回廊を歩いて出ていく時、両側の鏡が反射し合って、何重にも像が重なっている。主人公の統一した人間像が浮かび上がってこないことの象徴になっている。



人間の内面を象徴的に表すために、鏡に映った像を使うことが映画ではよくある。登場人物の人格を映し出すものとしての鏡であったり、見かけと異なる隠れた人間像を暴き出す鏡であったりする。オーソン・ウェルズはその手法の元祖だった。

やはりオーソン・ウェルズの「上海から来た女」(1 9 4 7 年)もそんなラストシーンが有名だ。富豪の夫婦が両方とも、密かに相手を殺そうとしている。最後は計画がバレて、直接二人の殺し合いになるが、その場所が遊園地の「鏡の間」で、無数の鏡が並んでいる。どれが実物かわからないまま鏡の像に向かってやみくもに撃ち合う。最後は鏡がこなごなに砕けるが、その破片にも二人の姿の断片が映っている。無数に砕けた鏡の像が、彼らの砕けてしまった精神状態を暴いている。


0 件のコメント:

コメントを投稿