この航空写真は子供の頃住んでいた場所の近くだが、完全な正円の道路が見える。わりと有名なので「あれか」と分かる人もいると思う。千葉県船橋市の行田という地区にある。
円の中に団地の建物が並んでいて、外側にも民家がびっしり建っているが、こうなったのは 1 9 7 0 年代以降で、それまでは畑ばかりだった。そこに鉄塔がたくさん並んでいて、下の写真の感じだった。ここは戦前「海軍無線電信所船橋送信所」という海軍の軍事用無線通信の施設だった。円形の道路は、この鉄塔群をとり囲んでいる管理用の道路だった。
真珠湾攻撃の時、日本艦隊に向けて、「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という暗号電報がこの鉄塔から送信されたのは有名だ。1 2 月8日に作戦を決行せよという命令だ。(新高山は台湾の最高峰で富士山より高いので、日本統治時代には日本一の山だった。)
戦後は米軍に接収されたが、中央に管理棟があり、屋上でアメリカ軍の兵士がカービン銃を持って周りを見張っていたのを覚えている。それは昭和 2 7 年くらいだったが、まだ「戦後」が完全には終わっていなかったことを示していた。やがて 1 9 7 0 年頃に鉄塔は解体されて、現在のように丸い道路だけが残った。
真珠湾攻撃の実録映画「トラ、トラ、トラ!」でも「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が出てきたが、それが子供の頃のこの鉄塔の記憶と結びついて、戦争が映画の中の出来事ではなかったことを思い出させてくれた。
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