「イン・ハー・シューズ」という映画は、題名の通り靴がキーになっていて、草履や下駄の文化が根底にある我々にはわかりにくい西洋における「靴」の概念が理解できる。二人の姉妹が「自分探し」をした結果、最後に自分に「合った」靴を履くことができるという話で、靴と人間の1対1の関係を描いている。ここでは物理的サイズが「合う」を越えた、人間のアイデンティティに「合う」という、靴が象徴的な意味になっている。
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2019年9月17日火曜日
自分に「合う」靴
「In her Shoes」
シンデレラ物語で、村じゅうの娘にガラスの靴を履かせて、ぴったり合う娘を探し出すが、一つの靴に合うのが何十人のうちの一人だけしかいないということに不自然さを感じてしまう。
タランティーノの「イングロリアス・バスターズ」で、シンデレラと同じようなシーンが出てきた。女スパイが事件現場に残した片方の靴を、疑わしい女に履かせてみるとぴったり合い、ナチ将校はその場で彼女を殺してしまう。靴が指紋と同じように物的証拠になっているわけで、一つの靴に合うのは一人だけ、ということが前提になっているのが分かる。
「イン・ハー・シューズ」という映画は、題名の通り靴がキーになっていて、草履や下駄の文化が根底にある我々にはわかりにくい西洋における「靴」の概念が理解できる。二人の姉妹が「自分探し」をした結果、最後に自分に「合った」靴を履くことができるという話で、靴と人間の1対1の関係を描いている。ここでは物理的サイズが「合う」を越えた、人間のアイデンティティに「合う」という、靴が象徴的な意味になっている。
弁護士の姉は高級シューズをコレクションしている。しかしファッショナブルな生活とは無縁な彼女は、それらの靴を履くことは一度もない。それをちゃらんぽらんな性格の妹が勝手に借りて履いたりしている。やがて二人は新しい自分らしさを見つけようと苦闘し、最後に姉は幸せな結婚が決まり、コレクションしていた靴に初めて足を入れてみるとぴったり合う。妹も祖母の介護の仕事に就き、真面目な生活を始める。すると祖母が若い頃履いていた靴をもらって足を入れてみるとこれもぴったり合ったのだ。
「イン・ハー・シューズ」という映画は、題名の通り靴がキーになっていて、草履や下駄の文化が根底にある我々にはわかりにくい西洋における「靴」の概念が理解できる。二人の姉妹が「自分探し」をした結果、最後に自分に「合った」靴を履くことができるという話で、靴と人間の1対1の関係を描いている。ここでは物理的サイズが「合う」を越えた、人間のアイデンティティに「合う」という、靴が象徴的な意味になっている。
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