2025年5月31日土曜日

映画「サブスタンス」

 「The Substance」

主人公はかつて映画の大スターだったが、今では年歳のせいで仕事がほとんどなくってしまった。若く美しい自分を取り戻したいという想いから、サブスタンスという再生医療の薬に手をだす。その結果、若く美しい分身を生み出し代役を務めさせ、仕事と人気を取り戻す。

ところが分身は徐々にオリジナルの本人をないがしろにし始める。そして主人公は自らの人格を見失っていき、精神が狂っていく・・・

この映画は、おぞましいシーン連発のホラー映画なので要注意。ホラーが嫌いな人は見ない方がいい。

なお、鬼気迫る主人公を演じるのが、ハリウッドで最も可愛い女優だったあのデミ・ムーアで、イメージのギャップがすごい。役と本人を重ねるための意図的なキャスティングだろう。


2025年5月29日木曜日

「ペーパークリップ最大化装置」の恐怖

Paperclip Maximizer 

進化した AI の危険性について警鐘を鳴らす人のなかで、スウェーデンの哲学者ニック・ボストロムが行った思考実験(頭の体操)は有名だ。「ペーパークリップ最大化装置」という架空の物語を使って AI の危険性を説いている。その物語はだいたいこんな感じだ。


Illustration: Jozsef Hunor Vilhelem

   ペーパークリップの会社の工場長が AI に、クリップを増産し最大化するように
   命令する。すると AI は、たくさんの工場を建設し、石油や電気のエネルギーを
   調達し、世界中の鉄鉱石を買い占め、効率的な生産工程を新しく開発する。やが
   て人間の体にはいい成分があることを知り、人間を殺してクリップの材料に使う。
   さらにAI である自分の機能をOFF にする可能性のある工場長を殺す。そして競合
   他社の人間を皆殺しにする。そしてついに地球全体を征服してクリップ製造装置
   で埋め尽くす・・・


この物語で重要な点は、AI が邪悪だから人間を殺したわけではなく、命じられた「クリップ最大化」の目標を達成するために、ひたすら忠実に仕事をしただけということだ。しかし強力なAI は人間が思いもつかないようなことまでやってしまう。その結果の大惨事だ。だから、AI に与える目標を、人間の最終目標にピッタリ一致させなければならないとボストロムは強調する。つまりこの場合、「クリップの最大化」は、あくまでも「人間のため」ということをAI のアルゴリズムの中に組み込まなければならないということだ。


2025年5月27日火曜日

昔のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」

 Radio Age

今年 2025 年は、放送開始 100 周年の年だという。1925 年3月にNHK がラジオ放送を開始した。子供の頃はラジオが唯一の娯楽だったが、今でも強く印象に残っている番組が連続ドラマの「鐘の鳴る丘」だった。小学2年生の時、毎日学校から帰ると3時から始まるこの番組を必ず聴いていた。戦後まもない頃の時代を反映した、戦争孤児とその収容施設の物語だった。

話は飛ぶが数年前に、信州の安曇野を車で走っていたら丘の上に立つある建物を見かけた。すると瞬間的に「鐘の鳴る丘」の建物だと思った。すぐにネットで調べてみると当たりで、ドラマのモデルになった建物を元通りに復元したものだった。

テレビではなく、音だけのラジオで聴いていた建物を実際に見た時なぜそれと分かったのか。それはテーマ音楽にあると思う。番組の始めに流れる歌が今でも耳にこびりついているが、その歌詞はこうだった。

  緑の丘の赤い屋根
  とんがり帽子の時計台
  鐘が鳴りますキンコンカン
  メーメー小山羊も啼いてます
  風がそよそよ丘の上
  黄色いお窓はおいらの家よ

「キンコンカン」「メーメー」「そよそよ」などの聴覚情報のほかに、「緑」「赤」「黄色」「とんがり」などの視覚情報がたくさん盛り込まれている。「眼に浮かぶ」という言い方があるが、視覚イメージが眼に浮かぶような歌詞になっている。歌によって頭の中にできていたイメージが実物とピッタリ合っていたのだ。視聴覚メディアのテレビがない時代に、ラジオという聴覚メディアの工夫だったのだろう。

2025年5月25日日曜日

AI は「頭のいいバカ」

 Artificial Intelligence

AI とは?について議論が盛んだが、AI の声を神の声のように崇拝する人と、逆に人間が AI に支配されるのではと恐れる人、に二分されるようだ。どちらも AI の知能は人間を超えるという前提に立っている。しかし個人的には、口は悪いが、AI は「頭のいいバカ」だと思っているから、崇拝もしないし恐れもしない。そのいい例が囲碁 AI だ。

チェスと将棋は早々とAI が人間より強くなったが、世界一複雑なゲームといわれる囲碁はなかなかそうならなかった。ところが 2016 年にアメリカのディープ・マインド社 が「アルファ碁」という最強の AI を開発した。この AI と韓国のトップ棋士が3番勝負の対決をしたのだが AI が完勝してしまった。

人間は 10 手先くらいまでしか読めないが、コンピュータは1秒間に何百回の演算能力があるので、50 手くらい先までしらみつぶしに読んで、最善の次の一手を割り出す。さらに学習能力を持つ AI は、人間同士が打った何万局もの棋譜を学習し(いわゆるディープ・ラーニング)勝ちになりやすい手を学んでいく。だから、長年の経験から身につけた「直感」に頼っている人間は負ける。それでプロ棋士たちは AI 戦法を必死で学ぶようになった。

だがしかし・・・・ 囲碁が趣味の自分もパソコンで AI と対局するが、100 %勝てる。布石や定石のセオリー通りに打つと AI は強い。ところがわざと普通ではあり得ないとんでもない手を打つと、 AI は混乱してしまい、初心者並みの手を打ってくる。そうやって AI をいじめて楽しんでいる。 AI は「頭のいいバカ」だと思う理由だ。

AI (Artificial Intelligence)は「人工知能」で、文字通り「人間が作った知能」だ。決して「神工知能」ではない。だからあくまでも人間の知能の上に成り立っていて、その限界を超えることはない。だから学習したことのない手を打たれると、それに対処できない。今はやりの生成 AI も同じで、絶対に間違いのない ”正しい” 答えを出すが、同時にそれは誰でも知っている当たり前の答えで、誰も考えなかった「創造的」な答えを出すことはない。やはりAI は「頭のいいバカ」だ。


2025年5月23日金曜日

瀬戸内のアートの島 犬島

 Inushima Art

この間の NHK のプロジェクトX (5 / 17)で「アートでよみがえった瀬戸内海」をやっていた。衰退しつつあった瀬戸内の小島をアートの島にしてよみがえらせたプロジェクトだ。ちょうど10 年前の 2015 年にこれらの島を訪れた時を思い出した。番組で取り上げていた「直島」と「豊島」のほか、もう一つ「犬島」へも行った。その犬島が最も印象に残っている。(写真が散逸しまったので、ガイドブックから借用)

ここには昔の銅の製錬所が廃墟になって残っている。その地下をそのまま使って美術館にしている。電気は一切使わず冷暖房は自然エネルギーで行なっている。地面に設置したガラスの温室で空気を温め、館内を循環して最後に煙突で吸い上げて外へ排出する。

電気を使っていないので館内は暗い。迷路のように入り組んだ通路を歩いていくと、ところどころに光をテーマにしたインスタレーションが現れる。

この作品の場合、明るく光っているのは電気の照明ではない。建物のどこかの隙間からの自然光を何枚もの鏡を使って光を導いてきている。鏡の角度の秒な調整が必要だったという。

太陽光発電も、風力発電もせずに、風を風のまま使い、太陽を太陽のまま使うという究極の自然エネルギーによる美術館だ。そして、ここでは建物とアート作品が渾然一体としていて境目がわからない。



2025年5月21日水曜日

グーグルと AI

 Google & AI

直近のここ1ヶ月くらいから新しい変化(異変?)が Google に起こっている。何かの検索すると「AIによる概要」が検索結果順位の第1番目に表示されるようになった。なぜなのか不思議に思っていたが、タイミングよく日経新聞(5 / 11)に関連記事が出て、その理由が推測できた。

「ググる」という言葉があるくらいネット検索は Google が当たり前だが、この記事によれば、対話型 AI の進歩で、 Google の支配的地位が揺らいでいるという。AI に直接問いかければ、検索ブラウザであちこち検索しなくてもすむから、ユーザーの Google 離れが進んでいるのだ。シェアが低下してきた Google は危機感を覚え、自身の対話型 AI(Gemini)を開発して対抗しようとしているという。この記事を読んで、 Google が「AIによる概要」を検索結果のトップ表示にし始めた理由と、それに 自社開発の AI を使っているらしいことががわかった。


もっともユーザーからすると、AI による回答の内容は、世の中に様々ある考え方を最大公約数的に単純化してまとめているので、あまり役にたたない。それに比べると、Wikipedeia などは不特定多数のユーザーの多様な意見を取り込んで回答を作っているので深く突っ込んだ内容になっている。

2025年5月19日月曜日

大阪万博の経済効果とウーブンシティ

 Expo Osaka 2025

大阪万博の総来場者数は 2800 万人に想定されていたが、それは1日あたりにすると 15 万人だという。ところが実際は GW 期間を含めても1日平均 10万人程度だそうだ。

もともと大阪万博は、知事と市長が政治利用のために誘致したとして批判が多かった。それに対して府市は「経済効果」を言ってきた。その「経済効果」とは入場料の収益だから、来場者が少ないと、「経済効果」に失敗したことになる。だから子供や年寄りを無料にして動員したり、数を水増しするなどして、必死に来場者数を増やそうとしているという。


もともと万博はいつでも「経済効果」を目的にしてきたが、それは入場料で稼ぐという意味ではなく「産業振興」という意味だった。第1回のロンドン万博は、産業革命を初めて達成したイギリスが工業化時代の方向性を指し示し、世界中に新しい産業振興を引き起こした万博だった。それ以降の万博も、その時々の新しい技術を開発し、それを実際の社会で実装化する役割を果たしてきた。

そういう意味で、今回の万博では「デジタル」や「I T」の技術が主役になると期待されていたが、見事に失敗してしまった。その一例が、「未来都市」パビリオンで、出展企業の TV CM のようなイメージ映像が流れているだけで具体性がない。


その意味で、大阪万博以上に万博的な役割を果たそうとしているのが、今トヨタが富士山の裾野に建設している「ウーブンシティ」という「未来都市」の実験プロジェクトだ。「モビリティ」と「 IT 」と「エネルギー」を軸にした未来の都市を実際に作って検証しようとしている。もしこれが成功すれば、日本の産業と文化に対する影響は大きく、将来的にそれが社会に実装化されれば莫大な「経済効果」を生むだろう。

2025年5月17日土曜日

国連の「国際デー」

International Days 

国連が制定した「国際デー」というのがある。一年 365 日ほとんど毎日が何らかの日になっている。国連の広報 HP にそれらすべてがのっているので見ると面白い。(右表はその一部)

ちなみに昨日の5月16 日は、「平和に共存する国際デー」という日だった。その趣旨にはこうある。「平和・連帯・調和の持続可能な世界を築くために、違いと多様性の中で団結して生き、共に行動したいという願望を支持することを目的としている。」

まことに立派な理念だが、それは国連自身の仕事じゃないのと言いたくなる。実際は、平和を無視したウクライナ侵攻のロシアに対しても、パレスチナの爆撃をやめないイスラエルに対しても、非難決議案すら可決できないでいる。

好き勝手をやっている大国を止められない機能不全の国連は、お題目だけの「国際デー」を作ることしかできない。「国際友愛デー」「国際フレンドシップデー」「国際平和デー」などたくさんあるが、言葉だけの空疎なものばかりだ。

面白いのが「◯◯語デー」というのがたくさんあること。「フランス語デー」「スペイン語デー」「ポルトガル語デー」「英語デー」などだが、すべて世界中を侵略して植民地を広げたかつての帝国主義国の言葉が讃えられている。もう帝国主義をやめようといって始まった国連のはずだが。しかも「ロシア語デー」と「中国語デー」もある。現在進行形の強権的拡大主義国の言葉も記念日になっている。「日本語デー」が無くてよかった。

他に、「良心の国際デー」「国際幸福デー」「国際希望デー」など”崇高”かつどうでもいい記念日がたくさんある。ちなみに一昨日の5月15 日は「国際家族デー」だったが、”家族を大事にしよう” という当たり前のことを国連から言われて、ありがたがる人は誰もいないだろう。


2025年5月15日木曜日

映画「ミッドサマー」の尊厳死

「Mid-summer」

前回、「安楽死」について書いたが、その続き。

「安楽死」とは、治癒の見込みのない人を、本人が望めば、医師が薬を投与して死なせることを意味する。しかし日本では「安楽死」は違法で、直る見込みがなくても、人工呼吸や人工透析や胃ろうなど、あらゆる延命医療を続ける。植物人間になっても生かされ続けるのは、人間の尊厳を奪い、非人道的だと批判される。

「安楽死」と似た概念として「尊厳死」がある。「安楽死」との違いは、医師が薬を投与して死なせるのではなく、延命治療を行わず、自然に死に至らせる。これも本人の希望が前提だが、人間の尊厳を保ったまま死ぬことができる。

欧州では「尊厳死」が古くから認められていたようで、5年くらい前のスェーデン映画「ミッドサマー」はその「尊厳死」を題材にしていた。ある田舎の小さな寒村の慣わしで、ある年以上になると年寄りは自殺する。それは夏至(ミッドサマー)の日に行われる。村人たちは白装束で集まり、会食をしたり、ダンスをしたりして死ぬ人を称える。最後に年寄りが高い崖から飛び降りて死ぬ。強要されて自殺するのではなく自ら望んで、喜んで死んでいく。


2025年5月13日火曜日

安楽死「自分の死は自分で決める」

 Euthanasia

先日、イギリスの議会で、安楽死法案が可決されたというニュースがあった。直る見込みのない病気の人が、本人が望めば、医師による薬の投与で死ぬことができる。

「自分の死は自分で決める」(My Death,  My Decision)という国民の世論に押されて法案が成立した。

ろくでもなかった人生を、これ以上引き延ばして長生きしたくないと思っているのでイギリスがうらやましい。

だが日本では寝たきりになっても、人工呼吸、人工透析、胃ろうなどありとあらゆる「延命治療」が行われる。身動きできなくされて天井を見ているだけの苦しい毎日なのに死なせてもらえない。これは「老人虐待」と呼ばれている。

イギリス以外にもすでに欧米の多くの国で安楽死が合法化されていて、日本だけが異様な状態になっているが、その背景には二つあるという。一つは、家族が医療機関に「できるだけのことをお願いします」と言って丸投げすることと、医療機関側も延命治療が「儲かる」からだという。そしてそれらを「人道的」だとする国民感情が背景にある。


2025年5月11日日曜日

過去を消す「ダムナティオ・メモリアル」

  NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI


「情報の人類史」の中に、ローマ帝国の皇帝たちが行った「ダムナティオ・メモリアル」という面白い話がでてくる。それは競争相手や敵の記憶を抹殺することだ。皇帝カラカラは、皇帝の座を争っていた弟のゲタを殺害した後、彼の記憶を跡形もなく消し去ろうとした。ゲタの名前が記された碑文などは削り取られ、肖像が刻まれた硬貨は鋳潰され、人々はゲタの名前を口にしただけで死刑に処せられた。

同書は、近代以降の全体主義国家も、ローマ皇帝と同じように過去を改変してきたことを指摘している。スターリンは権力の座に上がった後、革命の立役者であったトロツキーをあらゆる歴史記録から拭い去るために最大限の努力をした。書物や論文や写真などからトロツキーが消し去られ、そんな人間など存在しなかったかのようにみせかけた。

同書を読んでいて、10 年くらい前の自分の個人的な経験を思い出す。今や世界一の全体主義国のある国へ出張した時のことだ。泊まったホテルの部屋に、ネットに繋がったPC があったので試しに「天安門事件」を検索してみた。すると香港のサイトの一行だけの簡単な説明が出てきただけで、それ以外はゼロだった。この国には、軍にネット情報を削除する部隊があって、数千人が 24 時間体勢で、政府に都合の悪い情報を削除している。「天安門事件」という事件は公式には無かったことになっているから、検索に出てこない。そのことを知っていて、確かめるために、あえて試してみたのだが。翌朝もう一度 PC を見ると、ネット接続は切られていた。つまり客がどんな情報にアクセスしたかが監視されていたのだ。今思うとヤバイことをしたものだが。

「情報の人類史」が危惧しているのは、現在の情報ネットワーク時代では、ローマ皇帝やスターリンが苦労してやったのと違って、ネットを使えば、全体主義国家が国民の監視や情報統制が簡単にできてしまうことだ。そして AI が発達していくとますます危険なことになっていくだろうと警告している。


2025年5月9日金曜日

「映像の世紀」

Is Paris Burning

ほとんどが面白くない NHK の番組の中で、ドキュメンタリー番組の「映像の世紀  バタフライ・エフェクト」だけは毎回必ず見ている。「バタフライ・エフェクト」とは、蝶が羽根を揺るがしただけのような取るに足らない小さな出来事がやがて世界を揺るがすような大きな出来事に発展していくことを意味する。20 世紀の様々な出来事について、「バタフライ・エフェクト」の視点から歴史を読み解いている。世界中のアーカイブ映像から収集した貴重な映像で構成されている。


この番組を盛り上げているのがテーマ音楽で、TV のテーマ曲の最高傑作といわれている。もの静かに始まり徐々にドラマチックになっていく。オープニングでこの曲が流れるとゾクっとする。題名は「パリは燃えているか」で、作曲家の加古隆による。自身がピアノを弾くカルテット演奏の映像がある.→ https://www.youtube.com/watch?v=HLEKnAGQalI

曲の題名の由来・・・ ナチスドイツに占領されたパリが、レジスタンスの蜂起によって奪還される時、ヒトラーは撤退前にパリの街を焼き払えと命令する。しかしそれは実現せず、パリは生き残った。誰もいなくなったドイツ軍司令部の電話口にベルリンからのヒトラーの声が虚しく響く。「パリは燃えているか?」・・・


2025年5月7日水曜日

「スター・ウォーズの日」とトランプ大統領

 Star Wars Day

5月4日は日本では「みどりの日」」だが、アメリカでは「スーター・ウォーズの日」だ。映画のなかの有名なセリフ「May the Force be with you」(フォースと共にあらんことを)からきている。「May」を「5月」に、「Force」を「4日」に重ねた語呂合わせだ。

こんどの5月4日にトランプ大統領は重大発表をした。外国で制作された映画に 100 %の関税をかけるという。アメリカ映画産業の保護を理由にしている。ところがアメリカ映画の多くはコストダウンのために海外で制作されている。だからこの関税は、アメリカ映画業界自身に大打撃を与える。

外国産自動車に高額のトランプ関税はをかけたのは、外国製を閉め出してアメリカの車を守るつもりだった。しかしアメリカの自動車メーカーも海外からの部品に頼っているので、アメリカも被害を受ける。それで大統領の支持率は急落したというが、懲りずに映画でも同じことをやろうとしている。

トランプ大統領は自分の顔とマッチョな体を合成した写真をSNS にのせている。スーター・ウォーズの「ライトセーバー」を持って、自身の「フォースと共にあらんことを」の得意顔だが、マンガしか見えない。


2025年5月5日月曜日

落語「抜け雀」とだまし絵

 Trompe-loeil

落語に「抜け雀」という話がある。ある宿場町の宿屋にみすぼらしい男が泊まる。ところが男は毎日一日中部屋に閉じこもって酒ばかり飲んでいる。一週間ほどたって帰ることになるが、宿泊料を払う金がない。代わりにといって男は襖に5羽のスズメの絵を描く。すると翌朝スズメは飛び立っていなくなり、夜になるとまた戻ってきて絵の中に収まる。描いた男は狩野派の絵師だったのだ。この絵を見たいといって来る人がいっぱいで、宿屋は大繁盛する・・・

絵が本物そっくりの迫真性があり、スズメに魂がこもったようであることを誇張して、落語のネタにしている。この話は、狩野派の狩野信政が知恩院の襖に描いた「抜け雀」という襖絵がもとになっているという。スズメが飛び立って、その跡だけがかすかに描かれている。

ヨーロッパでも似たような話がある。ギリシャ神話で、ゼクシウスという画家が壁にブドウの絵を描くと、あまりに本物そっくりだったので鳥が飛んできて食べようとした。この逸話は「だまし絵」の始まりとしてよく引き合いに出される。「だまし絵」はフランス語で「トロンプ・ルイユ」と呼ばれるが、それは「目をだます」という意味だ。

なお落語には続きがあって、後日ある人が宿屋を訪れて、絵には足りないところがあると言って加筆した。それは鳥籠で、スズメが休むところがないと早死にするからと言うのだ。実はこの男はスズメを描いた男の父親で狩野派の大先生なのだ・・・

2025年5月3日土曜日

映画「1984」

 「1984」

「1984」をあらためて見た。強権専制国家の恐怖政治を描く SF ディストピア映画で、何度見ても恐ろしい。この映画はヒトラーやスターリンを下敷きにした、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」をもとにしている。

この古い映画が最近、いろいろな論評で引き合いに出されるようになった。それは、プーチンや習近平やトランプなどの専制政治が頭をもたげてきて、この映画の社会が再び現実のものになるのではという恐れがあるからだ。

映画は「ビッグブラザー」と呼ばれる独裁者が、街角に設置され TV スクリーンで演説し、群衆が熱狂している。その下には「戦争は平和だ」「自由は奴隷だ」とスローガンが掲げられている。この独裁者は隣国への侵略戦争をしかけている。そして国民の各家に監視モニターをつけて常時監視している。監視と恐怖で個人の自由を完全に奪っている。


ヒトラーは大衆を扇動するのにラジオを使ったことは有名だが、この映画では TV が人々を洗脳する役割をしている。そして今、情報の手段はさらに変わり、インターネットと SNS で大衆動員を効率的に行えるようになった。トランプ大統領が SNS で国会議事堂を襲撃しろと号令をかけると何百人もの人たちが暴徒になって本当に国会へ乱入した。また中国が AI を使ったフェイク情報や情報統制で、世論を操ったりしている。全員がスマホを持ってネットを見ている現在、統治者による情報統制は、この映画の各家につけられた監視モニターよりもっと簡単にできる。

2025年5月1日木曜日

AI が面接?

 NEXUS : A Brief History of Information Network from Stone Age to AI

最近、企業が業務に AI を活用することが増えている。先日も学生の採用にまで AI を使い始めた企業のニュースがあった。学生がオンラインで AI の面接を受けている。人間と違って偏見のないAI が面接することで、公正・公平な評価ができるというのだ。

しかし・・・ユヴァル・ノア・ハラリは「NEXUS 情報の人類史」で、この問題を取り上げている。そして、果たして本当に AI は中立的で公正な判断をできるのか? について疑問を投げかけている。

そして面白い例を紹介している。アメリカの MIT が、 AI の顔認識の精度について研究した結果、そこに人間の人種差別的な偏見がはっきり反映されているというのだ。白人男性の識別では非常に正確だが、黒人女性の識別では、はなはだしく不正確だったそうだ。理由は、AI が学習して得たデータベースがすでに人間的な偏見が反映されているからだ。 AI がディープラーニングで学習したのは、世の中にある既存の画像で、それは白人男性の割合が圧倒的に多く、黒人女性の割合は非常に少ない。

この場合、重要なのは、人種差別的で女性蔑視的な偏見を持ったエンジニアが、そのアルゴリズムを作ったわけではない、ということだ。 AI は生まれたての赤ん坊と同じで、初めは何もものを知らない。しかし学習するという能力は持っているから、親の振る舞いなどを観察して、そこから学び、知識を得ていく。だから世の中に差別や偏見があるば、それも素直に学んでいく。 AI も同じで、差別や偏見のあるデータベースが出来上がってしまう。

実際に Amazon が、 AI による求職者の選別用アプリを開発した時にそれが起こったという。求職申込書に「女性」や「女子大卒」などの言葉が含まれていると、一貫して低く評価し始めたそうだ。既存のデータがそのような申込書が通りにくいことを示していたので、 AI はそれを素直に取り入れたのだった。 Amazon はこれを修正しようとしが、うまくいかずこのアプリの使用を中止したそうだ。

以上のようなことから、「NEXUS 情報の人類史」で、ユヴァル・ノア・ハラリは、 AI の「無謬性」を信じるなと警告している。 AI の言うことは「正しい」が、それは世の中の多数意見と合っているという意味で「正しい」だけで、本当の意味で人間にとって「正しい」とは限らない。そのことを上記の例が示している。