2015年4月30日木曜日

ギャラリー閑人(6)      「warm light cool shadows」展

光は暖色、陰は寒色、という絵の原則。絵が活き活きしてきます。昔この言葉を教わったときは「目からうろこ」でした。





フランク • ベンソン
直射日光を受けている背中の光は暖色(warm light)に。日の当たっていない胸や肩の陰は寒色(cool shadows)で描かれています。同じドレスの白い色が光や陰の影響を受けてさまざまに変化しています。





ルノワール
色の見え方が光の影響で様々に変化することを発見したのは、外光のもとで描いた印象派の人たちです。この絵は木漏れ日でできた肌の陰影が青く描かれて、そこだけ見ると、まるで入れ墨をしているかのようですが、全体として見ると不自然ではありません。






ゴッホ
ゴッホの顔は、明部がピンク、暗部が緑ですが、このような光と色の関係が分かっていなかった時代は、顔は固有色である肌色で描くのが当たり前でした。光の魔術師といわれるフェルメールでも、顔を肌色の明暗だけで描いています。




トレバー • チェンバレン
日当たりは暖色、日陰は寒色の差がはっきりしています。暖かい陽の光と木陰のひんやりする涼しさ、といった空気感が伝わってきます。






ブライアン • ネハー
「warm light cool shadows」と対で「cool light warm shadows」もあります。主に人工光のもとで描く場合です。この絵で、顔の明るい側は青白いのに対して、暗い側は赤っぽい暖色になっています。


2015年4月23日木曜日

ギャラリー閑人の「逆光の魅力」展

ケン • ハワード(Ken Howard) というイギリスの画家は、作品のほぼ 100% を逆光(仏語で「contre-jour」)で描いている。じつに魅力的な絵です。
(図版引用:「Ken Howard A personal view, inspired by light」より)






逆光の効果で、雨に濡れた道路が光って、人物は暗いシルエットで浮かびあがっている。雨の日の空気感が伝わってきます。











窓からの逆光で人体やテーブルなどに強いハイライトが当たっています。画面じゅうにちりばめられた光のきらめきが美しい。












人体の輪郭だけが細く光っている。全体が陰になり明暗差が少ないが、ウォームグレイとクールグレイが微妙に組み合わされていて、とてもカラフルです。





中東の風景でしょうか、強烈な太陽光が道路を照らしていて、強いコントラストで人物が浮かびあがっています。スカーフが赤く透けているのが印象的ですが、これも逆光の効果。






この絵はとくに素晴らしい。着衣や壁などすべてが白だが、逆光のために、絵全体がグレイだけで構成されています。グレイの明暗の諧調の微妙な変化がとても美しい。

















2015年4月16日木曜日

映画「神々のたそがれ」       遠近法のない世界


公開中の話題作をさっそく鑑賞。これはおそらく映画史に残る作品になると思います。

暗黒時代とも呼ばれる中世の世界から人間性を解放したのがルネッサンスですが、この映画は架空の話として、ルネッサンスは起こらず、逆に人間が退行していったという設定の物語。学者は処刑され、本は焼かれるという、反知性主義が猛威をふるう世界。愚行を繰り返す無知で狂信的な民衆の姿を生々しく描いています。彼らの顔は、ボシュが描いた絵(下図)にそっくりです。

映像の力の強烈さを見せつけられる映画です。説明的な要素はほとんど無く、視覚イメージだけで迫ってきます。いつも雨が降っていて、泥と排泄物でどろどろの地面、そこらじゅうに死体が転がっている。人や物の断片だけを写す極端なクローズアップが続き、ストーリーの文脈を把握できる全体映像がほとんどありません。

中世の人たちは、表面的な現象だけを近視眼的にしか見ることができなかったのに対して、ルネッサンス以降、世界を秩序あるものとして統一的に見れるようになったのは、人間が「遠近法」という「世界を見るための手段」を手に入れたからでした。だから、その反対の無秩序な混沌の世界を描いているこの映画では、全体を見通せるような遠近法のある映像を使わずに、あえてカメラは細部だけを脈絡もなく、なめまわすように写し続ける。そんな監督の意図が読み取れます。

右は、人間の愚かさを描いた15世紀の画家ボシュの絵ですが、上のような映画の登場人物たちそのままです。最後で、神の役割の主人公は、愚かな人間どもを抹殺するしか世界に救いは来ないと決意し、大殺戮をするにいたるのです。原題の「Hard to be a God」(神でいるのはつらい)はここからきています。

映画公式サイト→  http://www.ivc-tokyo.co.jp/kamigami/

2015年4月9日木曜日

「加速遠近法」って何?


あまりなじみのない言葉ですが、「加速遠近法」というのがあり、とても面白いです。


透視図法の教科書にこんな図があります。6つの万年筆の絵で、左上の普通の大きさが、だんだん大きくなり、右下ではジャンボ旅客機のようになります。消失点に向けて、線を急角度で収斂させれば、向こうへビュンと飛んでいくかのように奥行きや大きさを強調できます。これが「加速遠近法」で、遠近法はこのように、一種のウソをつける道具です。


よく「パースがきつい」という言い方をしますが、「加速遠近法」の意味はそれに近い。なので、デザインや建築などの人たちは普通にやっているはずです。車のデザインスケッチで、迫力を出すために、よくこんな描き方をしますが、透視図法的に言うととんでもないことです。車に顔がくっつくくらい近くから見なければ、こんなきついパースでは見えません。

建築パースでも、実際より大きく見せたり、空間の奥行き感を強調したりするために利用されます。前回紹介したこのサーンレダムの絵で、左上の現場スケッチの方は、人間が目で見たときの感覚そのままを描いていますが、左下の遠近法を適用した絵では手前から奥へ向かって急速に大きさが変化して(まさに加速)、実際以上に空間が広く見えます。遠近法は物を正しく客観的に描く方法と信じられていますが、じつは実際にあり得ない非現実を表現できる方法でもあるわけです。

透視図法の技術が発達した17世紀の絵画には、遠近感を極端に強調した絵がたくさんあります。この架空の建築物は、目がくらむような壮大さを感じます。視軸は水平方向を向いているのに、首が痛くなるくらい見上げなければ見えないなずの建物上部まで描いているからです。これも遠近法を利用したイリュージョンです。

むかし学校の演習課題で、「構造的な根拠など無くてもいいから、とにかく何かできるだけ大きな人工物を描け」という時の自分の作品です。この場合、視線はかなたの地平線の方(消失点)を向いているのですが、建造物のいちばん手前はほぼ頭の真上に来ています。これは人間の視野角の限界を越えているので、実際にこんなふうに見えることはありえないわけですが、絵では描けてしまう。見えないところまで描くことによって、遠近感を「加速」させているわけです。




2015年4月2日木曜日

サーンレダム 建築パースの名人


サーンレダムは17世紀オランダの画家で、教会建築の内部空間を専門に描きました。フェルメールとほ同時代の人で。フェルメールの絵は遠近法の巧みさで有名ですが、遠近法の研究が進んでいた当時のオランダでは、他にも多くの画家がその技術を活かして絵を描きました。サーンレダムもその一人です。右は代表作のひとつですが、教会の内部空間の広々とした感じ、そして荘厳な感じが伝わってきます。それは。彼がすべての絵を一点透視で描いたことと関係しています。

サーンレダムの制作手順は以下のようだったそうです。「絵画」を描くのに、ここまでやるかといった感じで、まるで建築設計用のパースを描くようなプロセスです。

1)現場でドローイングし、部分的スケッチも作る。
2)現場の測量をして、建物各部の寸法を割り出す。
3)測量をもとに、平面図、立面図、などの図面化。
4)図面から遠近法を適用して透視図を作図する。
5)透視図を完成作の大きさに拡大し、下図を作る。
6)下図を板に転写して、油彩画として完成させる。

一番上は、現場でのフリーハンドのスケッチですが、望遠レンズで撮ったような奥行きのない、狭苦しい印象です。真ん中の透視図の作図では、前景が手前に向かって広々とします。一点透視図法で作図すると必然的にこうなるのですが、逆に言うと、そんな広々とした空間を屋内で実際に見ることはありえないわけで、狭苦しく見える現場ドローイングのほうが実際の体験に近いと言えます。教会空間をより壮大なものに見せるために、奥行きの遠近感を強調し、天井は実際以上に高く見えるように、遠近法の知識を駆使して描いたのです。一番下が、その完成油彩画です。



人間が実際にこのような広い空間を見るときは、首をあちこちに振って視線を移動することで全体を把握します。人間の視野角はけっこう狭いからです。ところが、絵に描くときはそうはいかず、視線の方向は固定しなければなりません。それでいて広い空間全体を描くには、どうしても視野角の広い絵にしなければなりません。

この絵で、梁の線を延長して消失点を求めると、だいたい丸印の位置くらいになります。そして、視野角は45°位までと言われているので、その位の同心円を描くと点線の円くらいになると思います。だから正面を注視している場合、この円の外は本来見えない部分なわけですが、そこまでをも描いています。

ところが、このように視野角を広くとると、透視図では歪みが生じます。左右に同じ太さの柱がありますが、左の柱は右よりもずいぶん太くなっています。左の柱は視軸からかなりはずれた所にあるので、歪みが生じているのです。画面を柱の途中で切ることで、目立たなくしようとはしていますが、やはり不自然です。左の図で、同じ大きさの立方体が平面上に並んでいますが、自然に見えるのは円の中までで、その外はとても立方体には見えません。これと同じ歪みが上の絵でも起きているわけです。これは透視図法の常識ですが、サーンレダムはあえてやっているのです。

透視図法は三次元空間を、幾何学的正確さで二次元上に描く技術であり、現実の世界を客観的に写しとる方法であると信じられています。ところが、サーンレダムの絵は、測量までして正確さを求め、図法的にも厳密さに徹しているにもかかわらず、視点位置や視野角などを巧妙に設定することによって、かえって実際に見える現実とは違う一種非現実的な「幻想」を生み出しているのです。