2025年3月8日土曜日

「鯖を読む」

 

「鯖を読む」とは、年齢などを自分に都合よく変えてしまう、というお馴染みの言い回しだ。その由来は、痛みやすい鯖は市場で手早く売り買いしなければならないので、どさくさ紛れに数を誤魔化してしまうことから来ているという。

実際、寿司屋でも鯖は〆鯖ばかりで、生鯖はほとんど出てこない。しかし横浜から至近距離の三浦半島の松輪漁港には「松輪サバ」というブランド鯖がとれる。

漁港のすぐそばにある漁協直営の店があり、季節にはよく食べにいく。屋上には海一望のテラス席があり、初島も見える。鯖の季節でない時でも新鮮な地魚を食べられておすすめだ。

ところで、今日3/8は「サバ」の語呂合わせで「鯖の日」だそうだ。「ナントカ協会」という団体が、いろんな業界が宣伝目的で申請すると、金さえ払えば今日は「ナントカ記念日」だと片っぱしから認定してしまう。だからすべての「〜の日」がくだらない。「鯖の日」もそうで、3/8という鯖の季節から外れた日で、まさに「鯖を読んでいる」。


2025年3月6日木曜日

エッシャーの「画廊」

 Escher  「Print Gallery」

エッシャーの「画廊」は複雑かつ不思議な絵だが、どういう原理で出来ているかを「エッシャー完全解読」(近藤滋)が読み解いている。著者は理系の科学者なので、エッシャーがどうやってこの絵を描いたのか、その思考と制作の過程を自らシミュレーションしながら論理的に推論している。


上の絵の左下で、男が画廊で絵を眺めているのが窓越しに描かれている。絵は港町の風景で、その2次元の街並みが、3次元に変化しながら、絵の右上へ連続的に拡大している。そして街並みの一番手前の家につがっている。その家のひさしが、右下にある画廊の屋根になっている。その画廊の左はじに、絵を眺めている男がいて、その絵は元の港町の風景画だ。出発点からぐるりと一周して、もとの2次元の絵に戻ってくる。

右の図は「絵画」→「画廊」→「街並み」→「建物」→「画廊」→「絵画」と、4分割した各部分が、循環していることを示している。しかし、この4つを単に並べただけでは滑らかに繋がらない。各部分ごとに拡大・縮小を繰り返していてスケールが合わないからだ。

そのためには、各部分のつながり部分が曲線になるように歪めなければならない。そのためにエッシャーは、普通は正方形にするグリッドではなく、曲線状に歪めたグリッドを使っている。実際にエッシャーの習作スケッチの中に、この手描きのグリッドが残っているという。(右図)

このグリッドは、中央に向かって縮小を無限に繰り返していくので、最後は微小すぎて描けなくなる。「画廊」の絵の中央に白丸の空白があって、そこにエッシャーのサインが入っているのは、そのためだという。

著者は、このグリッドの上に「回廊」の各部分を当てはめて、原画を復元するシミュレーションを試みている(下図)。このグリッドは全て曲線だが、縦2本、横2本の直線部分がある。これを手がかりにして、各パーツを変形する。下右図のように長方形の図形を扇型に変形する。著者は、photoshop の「変形」を使って歪みをつけている。(自分でもこの変形を photoshop でやってみたが、簡単にできる。逆にパソコンのない時代に、エッシャーは手描きでこれをやったのだからすごい)


以上、同書の要点だけをごく簡単に紹介したが、実際はもっと詳細な説明がされている。その内容を理解しやすい Youtube 動画をネットで見つけたので、見てもらいたい。

なお上記では省略したが、最初に室内にあった絵が途中で屋外から見た絵として再び出てくる。これもこの絵のポイントのひとつで、「ドロステ効果」と呼ばれる一種の「画中画」だが、それもこの映像ではっきり見ることができる。

2025年3月5日水曜日

エッシャーの「爬虫類」

 Escher  「Reptiles」

エッシャーの有名な名作はいろいろあるが、この「爬虫類」もそのひとつだ。スケッチブックに描かれたトカゲのような爬虫類が立体になって画面から抜け出し歩き出す。そして最後に再び平面化して、スケッチブックの中に戻っていく。「2次元と3次元の間の連続的変化」と「循環」という、エッシャーの得意な二つのテーマが盛り込まれている。そしてもちろん、この絵を成り立たせているのは、描かれているたくさんの小物のリアルな描写だ。


2025年3月3日月曜日

エッシャーの「描く手」のトリック

M. C. Escher  "Drawing Hands"

「だまし絵」の名作として知られるエッシャーの「描く手」のトリックを「エッシャー完全解読」(近藤滋)が明かしている。




 画用紙から二つの手が立体化し、互いに相手を描く様子が描かれている。この絵の面白さは、「描くもの→描かれるもの」という階層性がなくなり、循環が生まれている点だ。このアイデアの元になっているのは、「ウロボロス」と呼ばれる二匹の蛇がお互いの尾を食い合う図だという。「ずっと食べ続けると二匹ともいなくなってしまうのか?」と想像させる面白さがある。

エッシャーはこのモチーフを「食い合う蛇」から「描き合う手」に変換した。そのことで、「二次元の絵が立体化する」というだまし絵のトリックになる。

・・・ここまではすぐに分かることだが、同書はさらに深い謎解きをしている。これが「紙に描いている」絵であることが重要で、エッシャーはそのことをやたらと強調している。なぜなのかをここでは詳しく紹介しきれないので、関心があれば同書を読んでほしい。

ヒントとして、同書からの図をあげておく。紙が斜めに画鋲で止められていること、紙の周囲が周囲が少しめくれていること、画鋲で引っ張られて中央の対角線上に斜めのしわができていること、などこれらすべてが「紙に描いている」絵であることを強調している証拠だという。

2025年3月1日土曜日

映画「ミッドサマー」

 Midsummer

5年くらい前のスエーデン映画だが「ミッドサマー」は衝撃的だった。スエーデンのある小さい村が舞台で、夏至(ミッドサマー)の日に祝祭が行われる。白装束の村人たちが集まり宴会をしたり、儀式めいたダンスが行われる。明るい光景だがどこか異様な感じがする。するとクライマックスは、崖の上に立った年寄りが下に飛び降りる。下は硬い岩だから瞬間に体は飛び散る。万が一死ななかったときは村人が用意したこん棒で殴り殺す。

これはフィクションではなく、スエーデンに昔からあった風習だという。生産力が無くなった年寄りを養うのはコミュニティにとって負担だから死んでもらうということで、日本にもあった姥捨山と同じだ。今では世界一の福祉国家と言われるスエーデンだからなおさら衝撃が大きい。


日本と同じく、高齢者医療が負担になっているスエーデンでは、寝たきりになった高齢者には人工的な栄養補給などの延命治療は行わず、「緩和ケア」という名の看取りを行うようになっているという。この映画は、そういうスエーデンの死生観のルーツを見せてくれているようだ。